第4話
薄暗い道路を、一台の黒い車が走っている。
運転手は青年。
その風貌は明確に泰明よりも若く、二十代半ば程度に見える。
整った顔立ちだが、それ以上に優しげな雰囲気の方が印象的だ。
白いカッターシャツと黒いスラックスを身に着けており、長身の泰明に匹敵するほど背が高い。
服の上からも分かるような筋肉質ではないものの、華奢でもなく、バランスの取れた体格という表現が正しいだろう。
「君のことは泰明から何度も聞かされているけど、こうして会うのは初めてだね」
巧みなハンドル操作で車を走らせながら、青年は言った。
「僕の名前は
「はい、よろしくお願いします……!」
後部座席から言葉を返す楓。
直後に、車内を少し見回した。
飾り付けの類は皆無で殺風景だが、思わず感心してしまうほど綺麗だ。
汚れや埃など微塵もなく、気になるような異臭もない。
いつも丁寧に掃除しているであろうことは、容易に想像できる。
「さて、と」
呟きながら、昌克は左手でカーステレオを起動させた。
静かで美しい音色が流れ出し、車内に満ちていく。
「共存派のアジトまでは相当な距離があるからね。これで気分転換すると良いよ」
「ありがとうございます」
礼を言ってから、楓は思った。
(父さんの親友らしいけど……確かに気が合いそうだわ)
昌克が運転する車に乗り込んでから、まだあまり時間は経っていない。
しかし彼が本質的に優しい男性であり、信頼できる存在だということぐらいは分かった。
そうでなければ泰明も、楓の話を何度も聞かせたりしまい。
(きっと長い付き合い……なんでしょうね)
心の中で楓が呟いた瞬間。
昌克は穏やかな口調で言った。
「既に楓ちゃんの部屋はアジト内に用意してある。一番セキュリティが万全な区域だから、彼女の身の安全は保障するよ、泰明」
「それについてはまったく心配していないさ、昌克」
楓の隣に座っている泰明が、両腕を組みながら口を開いた。
「あそこについては俺もよく知っているからな」
「確かに。むしろ僕よりも詳しく知っているよね。君の方が先に共存派のメンバーになったんだし」
「先?」
不思議そうに呟いたのは、楓だ。
「昌克さんは、共存派のメンバーになった時期が父さんと違うんですか?」
「そうだよ」
即座に答える昌克。
「僕と泰明が勧誘されたのは七十年前。泰明は迷わず承諾したけど、僕は返事を保留にしたんだ」
なぜすぐに承諾しなかったのだろうか。
楓は気になったが、問いかける前に昌克が続けた。
「色々あって乗り気じゃなかったからね。だから僕がメンバーになったのは、泰明よりも遥かに後なんだ」
言い終えると、複雑な表情を浮かべながら彼は黙り込んだ。
詳しく語るつもりはないらしい。
(私が詮索するようなことでもない……か)
無理に問いかけようとは思わない。
言いたがらないことを強引に聞こうとするほど、楓は身勝手ではないのだ。
「……」
やがて誰も口を開かなくなり、車内を沈黙と静寂が支配した。
雰囲気も、妙に重くなった気がする。
しかしそんな状況でも、車は進み続ける。
(一体どこまで行くのかしら……?)
昌克の車に乗り込んで出発してから、約四十分。
次第に町から離れ、郊外の景色が見えてきた。
(確かこの辺りは……父さんが数年前に私を見つけて拾った地域よね)
楓が窓外を眺めながらそんなことを考えていた時だ。
視線の数百メートル先にある丘。
その上に、奇妙な建物が存在しているのが見えた。
正確には分からないが、おそらく大きさ自体は学校と大差ないだろう。
全体が黒一色に染まっているためか、遠くから見ても酷く目立つ。
「気になるか?」
泰明に声をかけられると、楓は頷いて呟いた。
「父さん。あの建物が何なのか、知っているの?」
「数年前に、原因不明の大規模な火災で焼けて廃墟と化した場所だ。一体何の目的で建設されたのか、中で何をしていたのかまでは知らんがな」
「全体が燃えて黒焦げになったから、遠くだと黒一色に染まって見えるわけね」
言いつつ、楓は鼓動が早まるのを感じた。
心がざわついていく。
数年前であれば、泰明に拾われた時期と一致する。
(どうしてだろう……初めて見る気がしないわ)
既視感が拭えないのだ。
自分の失われた記憶と、何か関係があるかもしれない。
考え込む楓の耳に、昌克の声が飛び込んできた。
「楓ちゃん。もうすぐ車から降りるよ」
それを聞いて、楓は顔を上げた。
大して特徴のないビルが、前方に見える。
「普通のビル……みたいですけど」
「そりゃそうさ。普通のビルだからね」
「えっ?」
どういうことなのか。
困惑する楓だが、すぐに以前泰明が言っていたことを思い出して、納得の表情を浮かべる。
「この車で移動するのは……あそこまでということですか」
「正解。あのビルは同盟関係の人達が利用しているけど、魔物は誰もいない。アジトへの中継地点なのさ」
昌克はビル内の駐車場へ入りながら続けた。
「ここから地下へ行き、そのまま地下道を七キロぐらい歩かなきゃいけないけど、楓ちゃんは大丈夫かい?」
「平気です。七キロぐらいなら、別にどうということはありません」
本心から楓は答えた。
そんな彼女の言葉を補足するように、泰明が言う。
「楓は強い子だ。問題はない」
「そうか……分かったよ」
呟きつつ、昌克は車を奥に停止させ、エンジンを切る。
「では行こうか泰明、楓ちゃん」
「はい!」
「ああ」
会話を終えると、楓達はドアを開けて車から降り、歩き始めた。
※※※
そんな楓達の姿を、遠くから見ている者達がいた。
何の特徴もない地味な服を着た、若い男女。
どちらも存在感が皆無で、物音もまったく立てていない。
誰かが目の前を通ったとしても、自分達から声をかけない限り気づかれる可能性は極めて低いだろう。
完璧な隠密行動技術である。
「綾乃」
恐ろしく小さな声で、男性が呟いた。
「この距離が、奴らに気づかれることなく尾行できる限界の距離だ」
彼らが今いるのは、楓達から数百メートルも離れた位置。
ビルの中ですらないのだ。
圧倒的な五感を持つ魔物にとっても、これだけ距離を開けての尾行を続けることは決して簡単ではない。
「絶対に奴らを見失わないよう、一瞬たりとも気を緩めるなよ」
「分かっています、以蔵」
「なら結構だ。行くぞ」
常人どころか、魔物でも注意していなければ聞き取れないだろう。
それほどまでに小さな声での会話を終えると、彼らは少しも物音を立てずに動き始めた。
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