第2話

 泰明と楓が住んでいるのは、一階建ての家だ。

 全体的に古いが、部屋は広く庭もある。

 駅やバス停、デパートなども徒歩で数分の位置にあり、普通に生活するだけなら何も困ることはない。


(父さん……誰と話しているのかな?)


 車で帰宅して家へ入るなり、泰明はスマートフォンで誰かと喋り始めた。

 相手は何者だろうか。

 気になるが、聞き耳を立てるのも悪いと思い、楓は居間で待つことにしたのだ。


(父さんが話し始めてから……もう三十分ぐらいね)


 泰明がこんな長電話をするのは、初めてのことだ。


(それほど重要な話題と相手……ということかしら)


 心の中で言うと、彼女は首を動かし、天井を見上げた。

 頭が妙に重く感じる。

 分からないことが多すぎて、精神的に疲れているからだ。


(魔物って……過激派とか共存派って……何なの……?)


 一人で考えていても、答えは出ない。

 やはり泰明に聞くしかないだろう。


「……」


 何も言わずに天井を見上げ、待ち続ける楓。

 しばらくすると、泰明が静かに居間へ入ってきた。

 どうやら通話を終えたらしい。


「色々と相談すべきことがあってな……思ったよりも時間がかかってしまった」


 そう言って、楓の隣に座り込む泰明。


「さて……何から話そうか」


 聞きたいことは多い。

 楓は泰明の方へ顔を向け、少し身を乗り出して問いかけた。


「あの達也とかいう男は……何者なの?」

「魔物。古代から存在する種族の一員だ」


 楓に視線を向けることなく正面を見たまま、泰明は答える。


「人間と変わらない外見だが、魔物は総じて常人を遥かに超える身体能力と五感を備え、頑丈で寿命も長い。そして最大の特徴は、黒い血だ」

「黒い……血……?」

「魔物の体内には、赤ではなく黒い血が流れている。その黒い血が筋肉や臓器、神経、脳などの機能を強烈に活性化させ、肉体の能力を凄まじい領域まで高めているというわけだ」


 外見が似ているだけで、人間と大きく異なる存在らしい。

 楓がそのようなことを考えていると、泰明は冷静な口調で続けた。


「しかも奴らには成長の限界がない。実戦や鍛錬を積み重ねていくことで、どこまでも強くなれる。より長く生き、より多くの戦闘に参加し、より経験を積んだ魔物ほど強い」

「なるほど」


 実戦と鍛錬を繰り返して長年技術を磨いた者が、そうでない存在よりも強いのは当然。

 素人の楓でも分かることだ。


「基本的には古参の魔物ほど強いってことね……達也は?」

「奴は若手だ。魔物の中でも下級に属する」


 それを聞いて楓は達也の動きを思い浮かべた。

 アスファルトの路面を簡単に踏み砕く脚力と、それを活かした超高速移動からの打撃。

 脅威だが、これでも魔物の中では下級らしい。


「凄い種族なのね……!」

「ああ。それに拳と足で戦う者ばかりではない。武器を手足のように使いこなして戦う者もいれば、罠を巧みに仕掛けて戦う者、毒を使って戦う者など様々だ。己を高め、得意な戦法を極めることに余念がない奴らだからな」


 そう言うと泰明は天井を見上げ、何か思い出すように両目を閉じた。


「決して歴史の表舞台に出ることなく、人間との接触をできるだけ避けながら魔物は生きてきた。昔はな。今は違う」

「そうなの……?」

「時代が進むにつれ、過激な思想を持つ者達が出現し始めた。歴史の表舞台に出て人間社会を支配しようと考える者達がな」

「そいつらが、過激派?」


 楓の言葉に頷き、肯定して両目を開く泰明。


「逆に、人間と対等の立場で共に生きていこうと考える者達が共存派。魔王もこちらの派閥だ」

「魔王……魔物の王様ってこと?」

「その通り。最強の魔物が共存派だから、過激派も行動に出なかった。魔王に反逆しても勝ち目がないことは分かりきっていただろうしな」


 それほどに魔王は絶対的な存在なのだろう。

 過激思想を持つ連中を大人しくさせるからには、計り知れない実力者のはずだ。

 しかし、そうなると一つの疑問が浮かぶ。


「すると今……過激派が人々を誘拐しているのは……?」


 楓は困惑の表情で問いかけた。

 魔王が共存派ならば、誘拐事件を起こすことは反逆に等しい。

 どうして過激派は無謀な行動に至ったのか。

 彼女の問いに対し、泰明は即座に答えた。


「魔王である灯真とうま様が数年前に亡くなられたから、かもな」

「失踪事件が起き始めた時期と……一致するわね」

「そうだ。今までは灯真様所属の共存派が圧倒的に優勢だったが、その灯真様が亡くなられたことで派閥間の力関係は互角になった。メンバーの数も、リーダー同士の実力も同等。だから迂闊うかつに相手を刺激したりはしなかったし、お互いの活動を牽制し合う程度で済んでいたんだ」

「それなのに過激派が誘拐事件を起こして、露骨に共存派を挑発するような行動に出たのは、互角の力関係を崩す方法を発見したってこと……?」


 困惑しながら問いかける楓。

 泰明も不思議そうな表情で答えた。


「かもしれんが、どうやって崩すつもりかは分からん。何年も誘拐を続ける目的もな」


 言い終えると、彼は静かに両腕を組んだ。


「厄介なのは、一般人が魔物の存在を知らないことだ。体内に黒い血が流れている種族の過激派が町に潜み、誘拐事件を起こしているから警戒してくださいと言っても、相手にされず追い払われるだけなのは明白。それに過激派は証拠隠滅と隠密行動を徹底しているから、実在を証明することは難しい」


 当然だろう。

 少し考えれば分かることだ。


「警察や自衛隊、政府などの関係者は知っているがな。彼らは共存派の同盟相手だ」

「同盟……?」

「彼らは共存派の意志に賛同してくれた。魔物が歴史の表舞台に出て、対等の立場で人間と共存できる世界を実現させるため、協力してくれているんだ」


 泰明は笑みを浮かべ、続けた。


「素直に嬉しいと思ったよ。昔は、魔物の存在を受け入れずに迫害する人間の方が圧倒的に多かったからな」

「魔物が歴史の裏で生き続けてきたのは……迫害から逃れるため……?」


 悲しそうに楓が問いかけると、即座に泰明は頷いた。


「黒い血が体内に流れ、常人を遥かに超える能力と寿命を誇る魔物を、人間は恐れて排除しようとした。いかに魔物が強かろうとも、数で遥かに上回る人間相手に勝てるはずもなく、見つからないよう人里離れた土地で隠れ住むしかなかった」


 そんな状況を変えるため、魔物は様々な方法を考えたのだろう。

 結果、支配と共存の二案に分かれたわけだ。


「魔物を迫害する人間ばかりでないと知った時は、本当に安心したよ。お互い対等の立場で生きていきたいという理念に、賛同してくれたこともな」


 過激派のように人間社会を支配する形で表に出るのではなく、対等の立場で共に生きていける世界。

 確かにそれが実現できれば素晴らしい。

 どちらかが一方を支配するよりも、良い関係を築けるだろう。


「俺達共存派の希望が見えてきたと……そう思ったよ」


 呟きながら静かに手を開き、掌を見る泰明。

 何気なく、楓もそちらへ視線を向けた。

 どうやら達也のパンチを受け止めた際に、皮膚が少し裂けたようだ。

 流れている血の色は、黒。


「!?」


 絶句すると同時に、楓は泰明と達也の会話を思い出した。

 血のつながりがないどころか、同じ種族ですらない。

 確か、そんな言葉が出てきていた。


「父……さん」

「今まで隠していてすまなかった……楓」


 どこか悲しげな表情で、泰明は言った。


「俺は人間ではなく共存派の若手魔物。今年で九十二歳になる」


 誰が見ても、泰明は三十代前半の男性。

 しかし言葉通りなら、実年齢は倍以上だ。


「お前を拾ったのは何かの思惑があったわけではない。本当に偶然だった。お前が傷だらけで、血まみれになって倒れていたのを今でも鮮明に覚えているよ」

「……」

「ずっと正体を隠していたこと……謝らなければな」


 表情を暗くしながら泰明は楓を見た。

 この話をすることは、彼にとっては大きな『賭け』だろう。

 魔物の存在を受け入れてくれるのか。

 そして、ずっと正体を隠していた自分を、信じてくれるのかどうか。


(父さん)


 心の中で呟いてから、楓は口を開いた。


「私は……受け入れるよ」


 自信を持って楓は宣言した。

 泰明は無意味に隠し事をする男性ではない。

 そんなことは分かっている。

 さらに言えば、泰明は楓にとって実父同然の大切な存在だ。

 血のつながりや、種族の違いなど些細な問題。

 楓は本気で、そう思っている。


「私は魔物の存在を……父さんを受け入れるわ」

「ありがとう……!」


 泰明は涙を流しつつも笑顔を浮かべ、楓を抱き締めた。

 直後。

 穏やかな表情で、楓も泰明を抱き締め返した。

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