まちかどファンタジア

文遠ぶん

魔王さまとコインランドリー


 飲み屋を渡り歩いた酔っぱらいさえ帰宅する時間の、とあるコインランドリー。


 大型のコイン式全自動洗濯機の前でスマートフォンをいじっていた若者に、どこか尊大な声が降りかかった。


「そこの人間。貴様、この“こいんらんどりー”の支配人だな?」

「……えっと、すみません。ただのフリーターです」


 謝罪の必要はなかったものの、若者はなんとなく頭を下げた。顔をあげて声の持ち主を見ると、思わず身を硬くする。


「異客人さん、ですか」

「うむ。“向こう”では、魔王をしておった」


 漆黒の長い髪に、尖った耳の上から生えた山羊のような立派なツノ。顔立ちも平坦なパーツで構成されたこの国民のものとはちがい、ハリウッド男優のような深彫りだった。


 画面や書物の向こうにしかなかった、幻想ファンタジーの世界。

 それらの世界は確かに存在し、どこかの神の気まぐれかこの平和な国の各地と繋がるようになった。


 しかし、どんな世界の住人にも“慣れ”というものはあるらしい。今やこうして街角で彼ら“異客人”と出くわしても、お互いに『ちょっとびっくり』程度の反応を示すまでに落ち着いてきている。


「魔王……」


 自分が女であれば見惚れているか、適当に選んだ己の服装を後悔していたに違いない。しかし若者は頭をふって想像を払い、背筋をのばした――向こうだって、なんの威厳もない灰色の上下スウェット姿なのだ。


「しかし貴様、なぜこのような夜更けに洗いものなどしておるのだ」

「家の洗濯機が壊れてしまったので」

「ふむ。なるほど難儀だな」

「それに、乾燥機能がありますから。仕事着なので、早く乾かしたいですし」

「なに!? そうか、それは良いことを聞いた。機嫌の悪い火炎竜フレイムドラゴンを叩き起こす必要がなくなったぞ」


 顔を輝かす魔王に、若者はひとりほっこりとした。ドラゴンが吐く炎で洗濯物を乾かそうなどと、よくも思いつくものである。

 これがネットでしばしば話題にあがる“異客人あるある”というものか。


「では、我もひと洗いするか。あまり多くのモノではないのだが……おお、これは小さいハコだな」

「それは靴専用ですよ。量が少なくても乾燥までさせたいなら、この辺りのを使うしか――」

「ぬ、小銭がいるのか? 現金など持っておらぬぞ。電子まねー派だ」

「あ。なら、こっちの最新式で……」


 数分後、無事に回りはじめた洗濯機を見て喜ぶ魔王をおいて、若者は冷たいベンチに腰をおろした。


「……」


 ごうんごうん、と快調に仕事をこなす洗濯機の音だけが響く。

 若者は、洗濯機の中を興味深げに覗き込む魔王をちらと見つめた。


 彼は――“なに”を洗っているのだろうか?


 他人の洗濯事情を知りたいと思ったのは、はじめてである。

 しかし魔王といえばゲームの最後に出てくる「よくきたな、勇者よ!」のアレなわけで、つまりは偉いお方のはずなのだ。


 わんさといる手下にでも任せれば十分なはずの洗濯という庶務を、みずからが買って出る――しかも、こんな夜更けのコインランドリーに出向いてまで。


 他人に見られたくない洗濯物。

 知られてはいけないもの。


「……くく……。これで、忌まわしい証拠は失せたも同然よな」

「!」


 低く笑っているようなその呟きを耳にし、若者の手がじっとりと汗ばみはじめた。

 操作を忘れていた液晶画面が休止モードに入り、暗転する。


 切れかけの蛍光灯に不気味に照らされた己の顔に、ドキリとした。


「あやつも、己が身分を顧みず挑むからこうなるのだ……。此度の犠牲を見、ひとつ賢くなったことであろう。まあ、後の祭りというものだがな」

「!?」


 若者は“この板”をいじっていれば、なにも耳に入らない。

 そういう生き物なのだとこの異客人が知っていますようにと願うが、不穏な独り言はなおも続く。


「しかしあやつの懇願する顔は、傑作であったな。いつもは希望に溢れたその瞳が、己の無力ゆえ絶望に染まる瞬間……。フフ、まさに甘美であった」


 ピーッ。ピーッ。


「ううわっ!?」


 響き渡る洗濯機の終了音に若者が飛び上がると、魔王は咎めるような声を出した。


「なんだ貴様。深夜だというに、大声を出すでない。近所迷惑ではないか」

「は、はいっ……すす、すみません」

「以後わきまえよ。それでどうも、我のセンタッキーが先に仕事を終えたようだが?」

「で、ですね。おれのは、“ていねい仕上げコース”なんで……」

「さっさと取り出せ」

「ハイっ!」


 躊躇なく飛んだ指示に、若者は迷う暇もなくベンチから立ち上がった。


 ドラム式自動洗濯機の半透明の蓋に、若者の蒼い顔が映り込む。

 背後に控えるは、腕組みをして仁王立ちする異形の存在の姿。


「あ、あの……。本当におれが取り出しても、いいんでしょうか?」

「許す」

「えと……見ないほうが、いいものですか?」

「好きにいたせ。早くしろ」

「は、はいいっ!」


 若者は思い切って洗濯機の蓋を開け、まだ温風の余熱が残る内部に手を突っ込んだ。


「こ、これは――!」


 芯まで乾ききって膨らんだ綿布が、わたあめのように若者の手を押し返す。

 黒地に散らされた白い柄がすべて骸骨であることに若者は面食らったが、よく見れば子供向けのコミカルな作風だった。


「我が娘のお気に入り、“魔法ガイコツ☆ぷりてぃーボーン”の敷布団だ」

「お、お布団……!?」

「うむ。久しぶりに粗相を決めたのだ。ママに知られる前に、なかったことにしたいと泣きつかれてな」


 洗濯物の乾き具合を真剣に検分し、魔王は満足そうに小さな布団を抱きしめた。

 まるで愛娘が腕に飛び込んできたかのような陶酔を見せて言う。


「ふふ。これで、パパの株も上がることだろう。明日のままごとでは、ついに悲願であった“だんなさま”の役職を得られるやもしれぬ」

「……今までは?」

「……。ペットの、“つのりん”だ……」


 コインランドリー始まって以来であろう、気まずい沈黙がおちる。


「とにかく、助かったぞ人間。しかし礼になるものは、なにひとつ持っておらん」

「スウェット一丁ですもんね」

「うむ。しかし、感謝はしておる。なにか困ったことがあれば、我の屋敷を訪ねよ」

「はあ」


 子供用布団を小脇に抱え、異客人は颯爽とコインランドリーをあとにした。



 ピーッ。ピーッ。


「……」


 隅にある一台が動作を終えたのを知り、若者は静かにそちらへ歩み寄った。

 のろのろと蓋を開け、大量に詰め込まれた衣類の一枚をひっぱり出す。


「うん、ちゃんと落とせたな。よかった、染み込むと困るからなあ」


 顔から足先に至るまでをすっぽりと包む、真っ黒な布地の装束。黒い足袋も一緒である。


 使い込んだその“仕事着”を見、若き“異客人”はふうと重い息を落とした。



「おれも、そろそろ足を洗おうかな。ランドリーだけに」



 持参したランドリーバッグにそれらを詰め込み、青年は足音も立てずに闇へと溶けていった。




―出演―



1:フリーター ……自宅の洗濯機が壊れたので洗いにきた。実は暗殺者アサシン


2:魔王 ……魔王。今や普通に妻も娘もいるパパ。でもそれなりに魔王していた。



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