第15話 赤い瞳のDark Knight
エヲルは右手に持っていた短剣をしまうと、地面に突き刺したままだった長剣を再び手に取った。四人のうちの二人は固まって立っている。あの距離なら一度に急襲できる。あの二人を戦闘不能に追い込むことが出来れば十分に勝機があるだろう。エヲルは瞬時にそう判断すると、二人から顔を背け、一番手強そうな引っ掻き傷の男に向かって身構えた。わざと隙を作って、二人が同じタイミングで自分の間合いに入ってくるのを誘うためだ。エヲルはまるで地面の上を滑っているかのような見事な摺り足でじわじわと距離を詰めていった。二人の姿はエオルの視界には入っていなかったが、抜き身の剣を持って近づいてくるのが手に取るようにして分かった。彼らの息遣いと鼓動の音がはっきりと聞こえているからだ。
エヲルは急に大きく一歩を踏み出した。するとその動きに釣られて二人が一斉に襲いかかってきた。
「待て!」
引っ掻き傷の男が二人を制止しようとした。エヲルのそれはフェイントだった。重心は足の動きとは逆、完全に二人の男の方に向いていた。静から動へと切り替えたエオルは一瞬の動きで男の一人の懐に潜り込むと、左手に持った短剣で喉元を突き刺した。
喉を刺された男は、声ならぬ声を出しながら血を吹くとそのまま前に倒れた。エヲルは倒れ込む男の喉に突き刺さった短剣をそのままにして柄から手を離した。そしてやや身を屈めながら右手に持った長剣の柄に左手を添えて、二人目の男めがけて振り抜いた。男は咄嗟に半歩身を引いて初撃をかわしたが、重みの増した回転連撃の二撃目を避け切ることができなかった。剣を握ったままの男の右手が宙を舞った。
「おおおううううう! う、腕がぁ! 俺の腕がぁ!!」
一切の無駄のない、流れるような動きだった。二人を誘ったフェイントから、男の腕を切り落とした一撃までが、洗練された一つの動作だった。
この男のことはとりあえず放っておこう。恐らくは賊の類なのだろうが、とかくこういう連中は無抵抗の人間を殺すことに慣れてはいても、自分よりも強い相手との戦い方は知らないものだ。まるで数の利を活かしていない。だが残った二人は少なくとも今の男たちよりも腕が立つだろう。あたしとの距離の取り方、立ち位置を見るだけで違いは歴然だ。二対一に持ち込めばなんとかなると思っていたが、残った二人に連携されると厄介かもしれない。
「チッ、愚か者が。この娘がガイエン・クイックブランドの娘だということを忘れたか! ええい、後でトロルの腕でも縫合してやる。痛覚を切ったら黙って引っ込んでいろ!」
引っ掻き傷の男は苛立ちをあらわにしながら、もう一人の男に手で合図を送った。合図を受けた男は、エオルの背後に回り込む。そして男が再び合図を下すと斬りかかってきた。エオルは引っ掻き傷の男の動きに気を配りながら、男の攻撃を捌いた。だが男の剣筋は明らかに防衛的だった。振りや突きよりも剣を引く動作の方が速く、受け流しても打ち返す余裕がない。あたしの剣を封じること。それがこの男の目的だろう。そのために攻撃をする振りをしてみせ、あたしを防御に徹しさせようとしているのだ。そして先ほどから隙を伺っている引っ掻き傷の男にあたしを斬らせるつもりだ。それともあたしを女だと馬鹿にして持久戦に持ち込もうとしているのか?
エヲルは男の戦術に付き合わず、適度に斬撃を繰り出しながら数歩後ずさった。男もエヲルの動きに合わせて手を休めずに詰め寄ろうとする。だが最後の半歩でおもむろに足を揃えたエオルは、男のその動きを確認するとすぐさま詰め寄って逆に男の剣を封じにかかった。男の目をみてニヤリと笑ってみせる。
「な、なめるな!」
男は無意識に力で強引にエヲルを押し返そうとした。だがあっさりとエヲルに受け流されると、力の行き場をなくしてバランスを崩す。エヲルがその隙を逃すはずもない。男の攻撃を受け流した長剣から一瞬手を離したかと思うと、剣を左手に持ち替え、空いた右手で短剣を抜き、そのまま男の脇腹を掻っ捌いた。男は斬られた脇腹から溢れ落ちそうな臓物を手で押さえながらもバタリと崩れ落ちた。少し浅かったかもしれないが確実に腸には達したはずだ。もはや助かるまい。エヲルは短剣を収めてもう一度両手で長剣を握ると、最後の一人に向き直った。
ずっとエヲルの隙を狙っていた引っ掻き傷の男だったが、とても彼女に攻撃を加えるどころの話ではなかった。この娘、ナレインを相手にしながら、ずっと私に向けて殺気を放っていやがった! 決してこの娘を舐めていたわけではない。むしろ噂に名高い若き聖騎士の剣の腕前は十分に警戒していた。だが何なのだ、この娘は。何だというのだ。あれは騎士の剣技ではない。自分の知る限りレン=デル・マインにはあのような剣技は存在しない。あれではまるで……。そう、まるでセロクェルの暗殺剣術だ。
信じがたいことではある。しかし男は目の前にある現実から目を背けることはできなかった。脳裏に一人のバラム人の女が思い浮んだのだ。燃えるような赤毛の女夜叉、――アスマ・クオン。
思い出したくもない忌々しい記憶だが、かつてあの女と剣を交えたときも、今と同じ恐怖を感じた。この娘の体捌きはあの女のものとあまりにも似ている。セロクェルの中でも最も剣の扱いに長けたクオン門派。その門外不出の身体術を、この娘は体得しているとでも言うのか? だが、一体どうやって!?
「そっちの男はまだ息がある」
エヲルは腕を切り落とした男を指した。
「あんた達が何者で、何を企んでいるのか。なぜアンセロッドを追うのかを喋る気があるのなら、命だけは見逃してやるよ。だが、他の二人は諦めな。もう手遅れだ」
クイックブランド。この名を持つ者を決して侮った覚えはない。自分もガイエン卿から剣の手ほどきを受けた者だ。腕には自信を持っていた。だがこの娘が自分よりも遥かに腕の立つ剣士だということを認めざるを得なかった。だが、不可解だ! リスペリダルでのうのうと過ごしてきたであろう、この小娘が!
「喋れば見逃す、だと? お前に言われずとも全てを話してやろうじゃないか。いいか、お嬢さん。既に七人の公爵閣下は偉大なる御前様の鎖から解き放たれた。女神はお隠れになり、代わって唯一絶対の正義となる恐怖によって世界が統治される時代がやってくるのだ。我々はそのための準備をする御前様の忠実な僕に過ぎん。あの娘をアーテンに送り届けるだと? アーテンにはあの方が先回りしているはずだ。だとすればあの娘はいずれ魔女の元に渡ってしまうだろう。お前は失敗した。お前はあの娘を救ったんじゃない。救ったんじゃあないぞ! あの娘を最も危険な男の手の元へと送ってしまったのだ! 魔女とあの方は自分の立場をより優位なものとすべく、あの娘を戦いの道具として利用するだろう。お前はあの娘を我々の元に預けるべきだった。そうすればあの娘は慈悲深き御前様の元で何不自由なく暮らすことができたのだ。お前の行為こそあの娘を殺したに等しい!」
エヲルは男の話を黙って聞いていたが、段々と不愉快になった。この男、既に気がふれているのかも知れない。それに自分の父親から習った剣術を用いて、この男はきっと何人もの人々を斬り殺してきたのだ。先ほどは見逃す、と言ったが、この場で斬ってしまったほうがいい。エヲルはそう思った。静かに剣を構えなおす。男の顔が絶望に歪んだ。
「娘よ、その男の話は概ね真実だ」
突如何処からとも無く低い男の声が響き渡った。引っかき傷の男とはまた別の声だ。より邪悪で、より冷酷で、より禍々しかった。だが辺りには引っかき傷の男と、自分が斬って捨てた三人の他に人影は見当たらない。
「お前が全てを知りたいというのであれば、続きは余が話してやっても良い。だが全てを知ったとき、お前は決して今のお前を保てぬ。お前は既に暗黒の力を手にしている。その力が膨れ上がり、自らの身をそれに委ねるだけとなるだろう。ならば何も知らぬまま死なせてやるのがせめてもの情けというものだ」
それは影だった。引っかき傷の男の影が宙に浮かび上がったかと思うと、楕円形の渦を巻いて空間を波打たせた。その渦の中を幾度と無くプラズマが走る。そしてその中心から外側へと向かって孔が開いていった。闇の中には更なる闇が広がっていた。その奥から漆黒の甲冑を身にまとった男が、同じように黒いマントを翻しながらゆっくりと近づいてくる。そして空間にぽっかりと開いた孔を潜り抜け、優雅に大地に降り立った。すると甲冑の男の背後で孔は外側から中心に向かって音も無く閉じ、再び引っかき傷の男の影の中へと消えていった。
「か、閣下! いらしたのですか!」
引っかき傷の男は恐怖で声が震えていた。
「ヴィレニール、今は退け。お前の不手際に関しては追って問う。死んだ二人はリオネル川にでも流しておけ」
身も凍るような、低く冷たい声だった。まるで兜の内側で男の発する声があちこちにぶつかり合っているかのように震えていた。
「は、ははっ。御意のままに……」
甲冑の男は、自分がヴィレニールと呼んだ男には眼もくれていない。兜の内側の暗がりに光る、赤い2つの光は、まっすぐにエヲルを捉えて離さなかった。
そうだ、先ほどから感じ続けていた悪寒の正体はこれだったのだ。あの赤い眼光。そして禍々しい暗黒の闘気を隠すことなくあたしに向けている。いや、ずっと向けていたのだ。アンセロッドじゃない。最初からあたしが狙いだったのか……。
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