第3章 気貴きPaladin
第12話 休息するDreamer
-------------------------------------------------------------------------------------------
まだ竜が世界を封鎖していた時代に
既に彼らがここまで到達していたとは
まことに驚くばかりだ
ここには不思議な活力があった
争いは絶えないが荒んでもいない
彼らは死を見続けた
そしてその中に生を見出したのだ
それこそが彼らの力の源なのだと
私は教えられた
-------------------------------------------------------------------------------------------
足下すら確認することが出来ぬほどの深い霧の立ちこめた夜の森の中に、アレリオンは一人佇んでいた。辺りはこの霧がアレリオンの視界のみならず全ての音――――風の音、草の葉のざわめき、そしてアレリオンの鼓動――――さえも吸収しているかのように静寂に包まれている。たとえアレリオンが大声を上げて自らの存在を示そうとも、その声すら霧の中へとかき消されてしまいそうだった。
鳥たちのように天高く飛んで霧を越えれば、この世界を見渡すことが出来るのだろうか。それとも竜巻のような強風を巻き起こして、この忌々しい霧を吹き飛ばしてやったほうが早いだろうか。そんな途方もないことを考えては見るものの、何度試してもアレリオンの思い通りには行かず、結局は無力感に
やがて自分の力ではどうすることも出来ないのだ、ということを悟ったアレリオンは、霧の流れに従ってとぼとぼと歩き始めた。
仕方なくしばらく自分の足で歩いてみたが、なんとなくこの景色には見覚えがあった。まだ十にも満たなかった頃、神学校で悪戯をして、父代わりだったガイエン卿に酷く叱られたことがあった。今となってはあの時自分が何を考えていたのかは思い出せない。ガイエン卿に反発したくなったのか、あるいは母親に叱られるのを嫌がったのか。とにかくアレリオンは、エヲルを連れて街を抜け出して東の森に向かったのだ。このままアーテンまで家出してやる。ただ漠然とそう思っていた。
確かあの時も今と同じように森の中に深い霧が立ちこめていた。思えばあの霧のおかげで自分たちはノールに発見されずに済んだのかもしれない。やがて日も傾き、道に迷って途方に暮れだした頃、ガイエン卿が血相を変えて二人を連れ戻しに来た。リスペリダルに連れ戻されたアレリオンは、厳しい体罰を受けるものなのだと覚悟していた。しかしそこで待っていたのはすすり泣く母親の姿だった。あれ以来、母親を泣かすような度を過ぎた悪戯は二度としまいと幼心に誓った。
そうだ、もしかしたらこの森はあの時と同じ森なのかも知れない。アレリオンがそう結論付けようとすると、それまでは
エヲル!
アレリオンは自分の目を疑った。霧は薄紅色の髪を持つ少女の姿となったのだ。あの後姿はエヲルに間違いなかった。だがエヲルは背後のアレリオンには見向きもせず、街道を東へと進んでいった。
「エヲル! 待て、エヲル!」
アレリオンは必死に呼び止めようとした。だがエヲルにはアレリオンの声が聞こえていないのか、小走りで黙々と奥へと進み続けた。度々立ち止まってはあたりを見渡して周囲を警戒している。まるで何かに怯えているかのように。アレリオンも彼女の後を追うようにして足を速めた。だが思ったように動くことが出来ない。身体がとてつもなく重かった。
「エヲル! 待ってくれ!」
とにかく身体が重い。まるで全身が鉛のようだ。それでもアレリオンは必死に追いかけた。だがエヲルとの差は広がるばかりだった。自分が追いかければ追いかけるほどエヲルは遠くへと行ってしまう。アレリオンをさらなる無力感が襲った。まだかろうじて道の先にエヲルの姿が見えているが、もう豆粒ほどの大きさとなってしまった。頼むからそこで止まって待っていてくれ。
「お待ちなさい」
その時、背後で聞き覚えのある声がした。振り返るとそこには鮮やかなジェイドグリーンの瞳が印象的な黒髪のエルフの女性がいた。袖のない黒いドレスに、手には大きめの手鏡を持っている。
――――レディ・サイレン。確かそう呼ばれていた人だ。
「追いかけても無駄です。あの娘ならば既にあなたの手の届かぬところにいます。あれはあなたが作り出した幻でしかありません。それよりもよく聞くのです。あなたは既に魔女にマークされています。目ざとい女です。彼女は人々の夢を介して世の中を監視しています。自分こそが全てを知り尽くしているのだと固く信じています。夢の中では誰しも自分の本当の姿を隠すことが出来ません。さあ、あなたも自分の姿をよくご覧なさい」
そう言うとサイレンは手に持った鏡をアレリオンに向けた。鏡に映し出された自分の姿を見て、アレリオンは脚がガタガタと震えた。夜の闇よりも暗い漆黒の甲冑。マナドゥアが《影無し》と呼んでいた暗黒の騎士の姿がそこにあったのだ。そしてアレリオンは鏡に映った自分の姿を凝視してしまった。あの時の恐怖が閃光のようにして一瞬のうちによみがえった。
アレリオンは大きく目を見開いて飛び起きた。呼吸が荒く、汗もたくさんかいている。霧の立ち込める夜の森。何かに怯え、恐怖に引きつったエヲルの顔。黒髪のエルフ。そして《影無し》。まだ記憶が頭の中で交錯していた。
「どうやら目が覚めたようだな」
聞き慣れない男の声だった。アレリオンその声を聞くとようやく現実に呼び戻された。夢の中の記憶が現実の記憶によって上書きされ始めていく。と、同時に混乱が少しずつ収まっていった。そう、今まで見ていたのは夢……、だったのか?
アレリオンは落ち着いて一度あたりを見渡した。部屋には額に鋭い十字傷を持つ背の高い男と、やや赤味の混じった黒い髪を結った女の姿があった。見たこともない部屋だった。紅色の柱に白い壁。レン=デル・マインの文化とはかけ離れている。自分は寝台の上に横になっている。身につけている衣服はパンツだけで、上半身と左脚には包帯が巻かれていた。そこでアレリオンは断片的だった記憶を一つにつなげることに成功した。そうだ、オレは殺人者たちの手から間一髪のところで逃れることが出来たのだ。どうやらあの転移石はうまく作動したようだ。ここが何処かは分からないが、怪我の手当てをしてくれたのであれば、相手が誰であれ一先ずは安心だろう。そして安心した途端、今度は急に恥ずかしくなった。その場には男だけではなく女もいることに改めて気が付いたのだ。
「助けていただいたようですね。ありがとうございます」
アレリオンは丁寧な口調で礼を言いつつ、さりげなく乱れていた厚めの布団を整えようとした。だが右手だけではうまくいかない。その様子を見ていた女は、代わりにそっと布団を整えてアレリオンに被せ直してやると、そのまま寝台の端に腰を下ろした。そして脚を組んでアレリオンのほうを向くと、値踏みでもしているかのように顔をじっと見つめた。女の目は少し釣りあがっていて、狐を連想させた。凛々しい顔立ちの女性だ。同じ黒髪ではあるものの、レディ・サイレンとはまったく印象が異なっていた。女はアレリオンと目が合うとニヤニヤと笑みを浮かべた。
「包帯を替えてやろうとしても、お前はその首から提げたメダリオンを固く握ったまま離さなかったんだ。それに随分とうなされていたよ。うなされながら女の名前を口にしていた。それも一人じゃない」
女はからかうような口調でそう言った。その言葉を聞いてアレリオンは顔が真っ赤になった。オレは寝ている間に一体何を口走ったんだ!?
「妹が凍てついた海辺でお前を見つけてから今日で三日目だ。命には別状は無かったが、お前は三日間眠り続けていた。発見が遅ければ低体温症で凍え死んでいたかも知れん」
鳥の
「オレはヴァレリア修道院の近くで男たちに襲われ、転移石を用いてなんとか危機を逃れました。その後のことは何も覚えていませんが、助けていただいたことには感謝しています。ありがとうございました」
アレリオンは軽く頭を下げた。
「ヴァレリア修道院だと?」男はアレリオンのその言葉に反応した。女も驚きの表情を見せている。
「面白い。ならばお前は丁度大陸を跨いで来たことになる。ここはバラム島の北の外れだ。とりあえずは、ようこそ、と言っておこう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます