第十二章 再起

第一話 残された者達

『 ─── 汝らは地の塩なり、その塩、効力失わば、何によって塩味が取り戻されようか 。

(マタイ伝五章十三節より)』




 ※ 




─── 中央諸国のとある街


 すでに商店街は明かりを落とし、街路灯の仄かな光が、夜の影を地に伸ばす。

 何処からともなく発生して来た霧が、光と闇の境界を滲ませて、夜の帳を街中まで引き込んでいた。


─── カランカラン……


 人々が寝静まったであろうこの時間でも、ドアのベルが響くと同時に、店内に充満した酒の香りと呑み客の喧騒が溢れ出す。


 この片田舎の酒場でも、人々の話題はひとつに集中しているようだ。

 今日はまた一段と騒がしいせいか、酒場の主人も入店のベルの音に気がつかず、いつもの気前の良い挨拶はされなかった。


「 ─── 今度はよォッ! 南マスラ国でアンデッド騒動を一晩で解決だってよ、かあ〜っ、痺れるぜ勇者様ァよおッ‼︎ 国軍と冒険者動員しても、二ヶ月も進んで無かったんだとよ、それを一晩でだぜ?」


「おめえその話、これで三度目だぜ?」


「ガッハッハ! こいついつもそうだよなぁ、酔うと何度も同じ話しやがんのw

そういやあ、この間は中央南部の何処だかで、コボルトの大軍をぶっ潰したって聞いたぜ?」


「あれだろ? ヤツらの根城に単身乗り込んでってやつ!

いやあ、英雄譚ってのはいくつになってもたぎるよなぁ〜!」


 店内では、誰もが最近巷を騒がせている『勇者ハンネス復活』の噂に持ち切りであった。



「 ─── ちょっとよいか?」



 りんと鈴のような澄んだ声がして、とある一角のテーブル客達は振り返る。


「その話はいつのものか。勇者が今、居るであろう場所は何処か。知っている事を全て申せ」


「…………な、なんだいお嬢……ちゃん」


 美しくカールした銀髪に、澄み切った海の底を思わせる深い青色の瞳。

 見た目の年齢の割に、装飾の少ないシンプルなドレスは、瞳の色に合わせて落ち着いた高貴な深い青。


 何処からどうみても、ここに居合わせたどの客も、普段なら近づく事すら許されないであろう、高位貴族の気品に満ち溢れている。

 そんな少女が場末の酒場に、ひとりで現れる事自体が異様な事であり、その上、その見た目はどう見ても七〜八歳。

 場違いどころか、関われば犯罪者扱いされかねない事案発生の種である。


「お、お嬢ちゃん……。お父様かお母様はどうしたのかな? こ、ここはね、お嬢ちゃんが来て良い場所じゃないんだよ、早くお家に……」


「 ─── 私はと言ったぞ……?」


 静まり返った店内で、トラブルの臭いを察知した店主が、慌ててカウンターを潜ったその時、少女の瞳が紅く妖しげに光る。

 突如、店内の全員が椅子から立ち上がり、少女の方に顔を向けていた。



「早く ……」



『あ、ああ……はい。

確かなら……ですが、南マスラ国の街の ─── 』


 見つめられた男が、ペラペラと喋り出すのを聞いている間、店内の人々は呆然と立ち尽くしている。

 最初に少女の目が光った時、カウンターを潜っていた店主だけは、異様な光景に怯えてカウンターの下にしゃがみ込んでいた。


「……フム。また南……か、中々にお忙しいお方だ」


 そうつぶやいて、少女は出口へと向かって歩き、ドアノブを回すかすれた音を響かせた。

 店主はホッと胸を撫で下ろしつつも、未だ立ったままの客達が気になり、顔を上げた……


「 ─── 一応だが……」


 立ち上がろうとした店主は、去ったはずの少女の顔が目の前にある事に、叫び声を上げようとしたが、声を出す事が出来なかった。

 少女は気怠げな目で店主を見下ろし、その瞳を紅く輝かせる ─── 。


「お前はのだ、よいな?

お前は ……」


『は、はい……私は、何も憶えていません……』


 再びドアのベルが音を立てた時、何故かカウンターの前で中腰になっていた自分に店主は首を傾げ、客達は何故か立ち上がっている事に小首を傾げながらも、やがて店内は喧騒に包まれた。


─── 夜霧の中、ひとり溜息をついた少女は、無数のコウモリへと姿を変えて飛び去った


 霧はゆっくりと薄らいで、再び街灯の明かりは夜の暗がりを押し返す。


 少女がこの街に訪れた事を知る者は居ない。

 いや、記憶の片隅にでも置いていられた者は居ないのだ。


─── ましてやそれが、今から一年前にメルキアのツェペアトロフ家から行方をくらました、シモンの妹プリシラであるなどとは




 ※ ※ ※




─── アケル総督府戦から十日


 アケルでの聖教戦争に敗れ、撤退を余儀なくされたアルザス帝国軍は、その生き残りのほとんどが一時的に拘束されたものの、すぐにアケル大統領パジャルの命で段階的に解放された。

 およそ一万近く生き残った帝国軍は、送り込まれた総数十一万にすれば全滅に等しい。

 だが、一万の帝国兵が行軍する様は、周辺の小国からすれば充分に脅威である。


 帝国はアケルに勝てなかった。


─── しかし、アケルは無慈悲な選択を取る事も出来ない


 表向きの聖教戦争の発端は、獣人達によるタッセル国内の、アルザス帝国領事館襲撃事件である。

 そこで非人道的な仕返しをすれば、未開で野蛮な国という印象の根強いアケルは、周辺国からの印象低下を避けられない。

 獣人の多く住むアケルは、未だ亜人排斥の感覚を向けられたままなのだ。

 簡単に言ってしまえば……


─── 『悪い噂のある子が乱暴したら、より皆んなから嫌われちゃう』と言った所だろう


 帝国からすれば、送り込んだ兵力の大半が蛮族などの移民であり、正規軍も序列で行けば低位の部隊ばかりであった。


 一見派手な侵略に見えて、宗教的な意義を持たせた外交策。

 同時に『ゲート』の試験も済ませ、アケルの武力データが取れたのだ。

 そして、アケル側が帝国に報復に出るには、帝国までの距離の問題が大きく立ちはだかる。


 もちろん賠償請求も行うであろうが、争いの発端からして長引く事は想像に難くない。

 ……アケルにとっては戦に勝っても、損害だけが残る貧乏クジであった。


─── だが、アケルの首脳陣も強かなものである


 ゲートによる世界への示威行動と、その後のアケルの追い討ちが忌避されるべきこの状況。

 アケルは捕虜を取らず、そして追い討ちもかけず、しかし、意外な策を講じた。


─── 国境までの撤退ルートを、等間隔で人間と獣人とが、道の脇に並んで立ったのである


 一般人も非戦闘員も参加したこの異様な光景は、そこを通る帝国兵に精神的な重圧を掛けつつも、暴言や暴力は一切行われなかった。


 人間と獣人の『人の垣根』は、ただ真っ直ぐに前を通る帝国兵を見つめただけである。

 だが、これは周辺諸国ならびに、世界各国への大きなアピールとなった。


 帝国に怯えず、さりとて蛮行もせず。

 どのような国であっても、牙を向けば牙で返すが、ただ通る者に敵意は示さない。

 そして、アケルは『帝国領事館襲撃事件』の真相を、国際法に則ったやり方で追及すると宣言。


─── 国際的で理性ある法治国家


 そう言った国際的な経済国としての信用を集める一方で、パジャル大統領の発言力の強さと、国民の団結力の高さを見せしめた。


 何より、亜人排斥から下に見られがちであった獣人族の、大きなイメージ回復をも担っている。

 『獣人誇りの道』と後に語られる、獣人の気高さを取り戻した事件であった。

 これらはアケルの歴史からしても、大勝利であろう。


─── かくして、帝国軍一万は十数回に分け、アケル国内からアルザス帝国に向けて、帰還の旅へと出発した




 ※ 




─── アケルによる帝国軍捕虜解放から、更に二週間


 敗戦と『人の垣根』の屈辱、その精神的なショックが、帝国兵の中にも落ち着きを見せて来た頃。

 その日、ダラングスグル共和国南部の草原の丘を下り始めた、千人程の帝国軍兵士達は、日没までの行軍予定を済ませ、宿営の準備に取り掛かろうとしていた。


「飯……飯……もうすぐ飯。どこまで歩いても草原しかないこの国で、楽しみといえばこの時間しかないな」


「まさかダルン入口の川港で、本国と連絡が出来るとは思いませんでしたね。

あれが無けりゃあ今頃、死体の食い合いになってたかも知れませんよホント……」


「先にアケルを出国していた隊と、連絡が取れなかったのは痛かったがな。

……コマドーラとか言ったか、あの少女の能力は魅力だな。遠く離れたアルザスと、その場に居るかのように会話出来るとは」


「あの子の能力が魔術化できれば、戦術も大きく変わるでしょうね。

獣人達の雰囲気が物々しくて、連れ出せそうにありませんでしたけど、いや、しかし可愛かったなぁ」


「おまっ、またそれ? いや、確かに可愛かったが、ちょっと幼過ぎだって! 流石にひくわw

─── まあ養いたいが……」


 ふたりは『養いたかった』と、ダラン国境となる川港の街で出会った、不思議な少女の話題で花を咲かせていた。

 彼らは元々、五千名規模の旅団を取りまとめる立場にあったが、この千人規模の臨時責任者として充てられる事となった。

 真新しい敗戦の傷を抱え、帰りは他国を通りながらの、実に八千kmetにも及ぶ三百日近い行程の旅である。(1kmet=1km)


 普段気を引き締め続けている彼らであるが、一足先に用意された天蓋でくつろぐこのひと時だけは、何故だか責務を忘れて話す事が出来るのだった。


「本国からの送金があるとは言え、獣人の商会がまさか食料を提供するとはな……。

─── こう言ってはなんだが、獣人族もそれ程に未開の種族とは……言えんのかも知れんな」


「ははは。大佐、それは本国ではちょっと言えませんよ?」


「だよなあ〜!

しかし、背教者から提供された兵糧などと疑ったが、こうまでしっかりして ─── 」


 その時、天蓋にひとりの兵が飛び込んで来た。


「なんだなんだ、これから飯だって時に」


「た、たた、大佐! そ、そと、そそ外に!」


 いくら本国から離れた行軍中とは言え、鍛え抜かれた帝国軍兵士が、こうまで慌てているのはただ事では無いと、大佐と補佐役はすぐに飛び出した。

 既にその異変に気がついた兵士達が、人垣を作っている向こうの空を、報せに来た兵士は指差す。



─── 空からゆっくりと降りて来る何か



 それは高度を下げながら、こちらへと進んでいるのか、段々とその姿がハッキリとして来ていた。


「あれは……人か?」


「ハッ! わ、分かりません、つい先程気が付きまして。

も、もも、もしかしたらと ─── 」


 空から近づく影への恐怖心。

 その兵士が確か『空からやって来たエルフに全滅させられた』部隊の生き残りであったと大佐は思い出した。


「見間違いでは無いのか? 確かこの草原には世界最大種のタカが生息していると聞いたが。

─── いや、あれはやはり人か……!」

 

「ひ、ひいぃぃ……ッ‼︎」


 飛びエルフ恐怖症を刻み込まれていた兵士は、それが人だと聞いた瞬間に、混乱を来たして草原へと逃走を始めた。


「……あれはもうダメだな。使い物にならん」


 一度恐怖を刻み込まれた兵士は、時折こうして消せない傷を心に負う者がある。

 長年、表向き平和に過ごして来た現代の兵士では、あのアケルの戦線は悪夢でしか無いだろう。


「 ─── 白い服ですね……シャツに黒いズボン。男性……ですかおそらく」


「む……? ああ、私にも見えて来た。件の死神エルフではなさそうだ。黒髪……か、この国のバルド族は、黒に近い赤髪だと聞いているが

─── 飛翔魔術を使えるとなると……?」


 まず、飛翔魔術は一般的では無い。

 極光星騎士団の一部は必須となっているが、その修得には魔力と特性が大きく関わり、それも魔道具を使用しての事である。


 まず一般人で使える者など存在しない。


 つまり、今迫っている者は、何らかの訓練を受けた者か、高位魔術師である。


 敵意があるようには見えない。

 相手は甲冑を着けずにラフな格好、そして武器らしき物は持っているようには見えない。

 それはやがて、彼らのすぐ近くまで降りて、音も無く地面に着地して歩いて来る。


「 ─── ここは我々アルザス帝国軍の宿営地。何用か?」


 補佐役が前に出て、その男に声を掛けた。


 白いシャツに黒い細身のズボンとブーツ。

 そして何故か左腕だけは、白銀に輝く籠手こてから肩当までの一揃いが着けられている。

 黒い髪が草原の風に揺れ、紅い瞳は夕暮れ前の光が射して、燃えるようにきらめいて見えた。


─── なんと……美しい青年か


 大佐がそう思わずつぶやきかけ、胸を締め付けられるような感覚に、何らかの魔力に魅了されかけたのかと首を振る。

 その男は補佐役の声にピクリと反応を見せたが、無言のまま更に近づいて来た。

 大佐と補佐役は、咄嗟とっさにサーベルに手を掛け、気を取り直したようにその男に警戒を示す。


 男はふたりの慌てた姿を見て、愉し気に目を細めた ─── 。


─── ガッ、ググッ!


 突如、男はふたりの頭をそれぞれの手で掴み、指先を頭皮に食い込ませた。


「「「 ─── ッ⁉︎」」」


 その余りにも素早い動きに、誰もが身動きを取れずに目を見張った瞬間……



─── 『死ね』の一言と共に、ふたりの首が胴体から引き抜かれた



 血柱を上げ、力無く膝からゆっくりと崩れて落ちていくそれらは、みるみる軍服を血に濡らし、草原の緑に鮮烈な赤の絨毯を敷き詰めて行く。

 その胴体に、男はぞんざいに頸椎のぶら下がった頭部を放り投げる。


「て、敵襲! 敵しゅ ─── 」


 全員が突然の事に硬直している中、唯一声を上げた兵士は、突如体内から炎を噴き出して、最後まで言い終える事が出来なかった。


 直後、途轍とてつも無い殺気と魔力が男から噴き出し、本能がそうさせたのか、その圧倒的な圧力に誰もが身動きを取れずに硬直する。


「 ─── 【轟雷シブロゥ・スンデ】」


 男の声に呼応して、白い閃光が世界を包むと、その後にはひと抱えもありそうな光の球体が、点々と辺りの空を覆うように現れた。


─── ダダダダアァンッ‼︎


 雷撃系上級魔術。

 閃光と共に光の柱が、球体から地面を貫き、強烈な衝撃波を巻き起こす。

 帝国兵士達のほとんどがレジスト出来ず、全身から白煙を噴き上げながら、感電で身を引き攣れさせた姿勢で吹き飛ばされた。


「……く、黒髪……紅い瞳……!

あ、ああ、アルフォンス……ゴールマイ……」


 白銀の鎧と属性の相性が良かったのだろう、レジストしたひとりが、喉を震わせてそうさえずるのを、アルフォンスは視線ひとつで黙らせる。

 そのまま辺りを見回す彼の姿に、帝国兵達は動く事も出来ずに、ただ怯えていた。


 仲間が焼ける臭気と恐怖に、数名の兵士が空っぽの胃から胃液を嘔吐する呻きが、泣き声と共に草原にまとわりついている。

 千にも及ぶ命は、その後の数分間の殺戮で、草原に掻き消された ─── 。




 ※ 




「なあオイ、聞いたか? また現れたんだってよ、今度も帝国の敗残兵千人と、北マスラ国の村がひとつ消されたって ─── 」


「うえぇ、また死体が無えのに辺りは血だらけってやつかよ……?

野盗団の奴隷狩りとかじゃ……いや、それじゃあ死んじまって意味が無えよなぁ。

まさか、食われちまったんじゃあ……」


 巷では勇者再来の噂と、この謎の襲撃事件の噂が後を絶たない。

 襲撃事件の起こる範囲は、ダルン以南の国々で、遠くは世界の端、辺境国まで及んでいる。


 共通するのは、ひとりふたりの被害では無く、集落数十人から帰還行軍中のアルザス兵千人規模までと、その場にいた全ての人者が根こそぎ消えているという被害人数の多さ。

 そして、辺りにはおびただしい血と、魔術による破壊の痕が残されているが、肉片ひとつ残さずに消えているという点であった。


─── 人々はその特徴から『血塗られた失踪事件』といつしか呼ぶようになった


「オレさぁ、ちょっくら小耳に挟んだんだけどよ……。その犯人っての、ひとりの男だって聞いたんだよよ」


「は⁉︎ ひとりで帝国軍ぶっ潰して回ってんのかよ!」


「馬鹿ッ、声が大きい! オレの友達の友達の、親父の姉貴の旦那の彼氏から聞いたんだ。

帝国と教団はこの事件を捜査してるらしいんだが、そっからの情報だからよ、内緒で頼むぜホント。

オレ、世界から狙われっちまうだろ……?」


「そ、そうか……分かった。取り敢えずその『姉貴』って人が色んな意味で心配だよ俺は」


 噂とはその内容も出所も、広がる度に付け足され、リアリティを上げつつ複数に分かれて行くものである。

 すでに襲撃事件の犯人の噂は、この男の情報だけで無く、各地で広がり始めていた。

 その噂は更にディフォルメが加えられつつ、やがてひとつの噂と対比するものとなっている。


─── 勇者再来と対を成す者の噂


 人々はエル・ラト教教皇ヴィゴールの発した『魔物化は魔族の憑依である』との宣言から、勇者復活の噂と合わせて『魔王再来説』を唱える者が広がりをみせていた。


 ただ、こんな声もその中に含まれているようだ。


「でも、帝国をやっつけてくれてるんでしょ?

案外、魔王って人も悪い人じゃ無いんじゃないの?」


「もしかして、どっちも勇者様がやってたりして。だとすれば小さな村がってのは気になるけど、きっと何か理由があるのよ〜!

─── はあ、応援しちゃおうかしら?」


 これは主婦の井戸端会議の会話である。


 『血塗られた失踪事件』の犯人は、一部では魔王と恐れられ、一部では勇者と喝采を浴びる、何とも奇妙な噂が後を絶たなかった。


 そんな噂の飛び交う街の一角の喫茶店で、ひとりの女性が溜息混じりに立ち上がり、店を後にした。


 白い僧服のフードを目深に被り、杖を提げた女性の長く美しい白金の髪が、風にさらりと舞う。

 噂に夢中な人々が、それに気を向ける事もなかった ─── 。




 ※ ※ ※




 アルたちと合流したのは、総督府防衛戦を終えてすぐの事だった。


 別れる時に聞いていたアケル中央部州セルべアードの街は、だいぶ壊れちゃっていたけど、そこにアルたちの姿は無かった。

 ミィルにお願いして、私とアルの守護契約を辿って行った先は、南海沖に浮かぶ小さな島。


─── アルは口も聞けない状態だった


 力無く倒れたソフィの横に座り込み、呆然としてる姿は、今まで見たことの無い、弱り切った彼の姿だった。


 その隣で放心しているユニに話を聞いたら、リディに何かされたソフィが、目を開けたまま動かなくなってしまったと……。

 アルはソフィの意識を取り戻そうと、あらゆる魔術と秘薬を試し続けて、魔力切れと疲労で動けなくなってしまったみたい。


「今……知っている所に……行きたくない。今は誰にも……会いたく……ない」


 何処かに場所を移して、ソフィとふたりの手当てをしようと言うと、彼は絞り出すような声でつぶやいて震えていた。


─── 南マスラ国の小さな港町


 その岬の古い廃墟に彼らを連れて行き、そこで私はアルとユニの手当てをして、ソフィの容態を探ってみた。

 ここに連れてくる時も感じてはいたけど、体温はあるし、呼吸もちゃんとしている。

 目が力無く開いたままだと、眼球が乾いちゃいそうだから、湿らせた布で目隠しをして押さえる事にした。


 彼女の魔力でいつも白く清潔に保たれていた僧服は、闘いの血と汗と埃とで汚れている。

 【浄化グランハ】の魔術をかけながら、私も初めて出会った時、彼女にこの魔術を掛けてもらって、予備の僧服を貸してもらった思い出がグルグルと頭をめぐった。


 意識が戻る様子は無い。

 神気は全く無くなってて、魔力もどんどん失われている彼女は、放って置いたら直ぐにでも死んでしまうんじゃないかと不安になる。


 少し落ち着いた頃、ユニとアルから、何があったのかを聞いて、私は愕然とした。


─── 彼の背中を支えたつもりが、ソフィ、ティフォ、エリン、そしてベヒちゃんが勇者たちの手にかかるなんて……


 やっと出来た家族、パパとママを失って初めて出来た家族が失われてしまった。

 自分はそういう星の下に生まれているのかと、自分を責める気持ちすら湧いて来る。


 ……アルたちと一緒にいれば良かったと、自分の判断を悔やむしかなかった。


 余りのショックで呆然とする私に、アルはポツリと『俺の力が届かなかっただけ、タージャに責任は無い』と呟いた。

 一番辛いのは彼のはずなのに、こんな時でも私の事を考えて声を絞り出す彼の姿に、嗚咽おえつを漏らしそうになるのを耐え、隠れて泣いた。


─── 彼の優しさをきっかけに溢れた涙は、呼水のように、ソフィとティフォとエリンへの哀しみと喪失感を呼んで止めどなく溢れかえった



 ひとり波打際の音に隠して泣いた後、アルとユニに辛い顔は見せないように、気合いを入れて廃墟に戻る。


 一部壁の崩れた古い屋敷には、潮騒と風の音が鳴り響いているけど、今いる部屋はドアも壁も残ってて雨風はしのげるのは幸い。

 部屋に入ると、ようやくアルとユニは、眠りに落ちていた。

 回復魔術では体を癒せても、心は癒せない。


 一日中闘い続け、連戦、そして大きなショック。

 今は眠って心の体力を取り戻すのが先だと思った。


 持ち合わせていたベルガモットと、ヒノキの香油を焚いたのが良かったのかも。

 心が安静になって、安らかに眠れる効果があると、昔ママに教わったものだった。



─── これからどうしよう……



 どんな事になろうとも、アルを支える事には変わりがない。

 私の今悩んでいる事は、今の彼をどう支えるか。


 私自身の悲しみは今は一旦胸の奥にしまって、とにかく彼が彼らしい道に向かえるには、どう接してあげればいいのかを考える。


『『ザザ……ガガガガ……ガピー……』』


 そうして、やがて私もウトウトし始めた頃、突然アルの方から変な音が響き出した。


「 ─── え? これ、マドーラとフローラの籠手から……だよね?」


 寝ているアルの籠手に触れると、魔力をグンと吸われて思わず手を引っ込めた。



『『……ガガ……おんせーテス、おんせーテス。あ、治ったーっ☆』』



 マドーラとフローラの声だった。


「良かった! 無事だったのねふたりとも!

アルの加護が消えちゃってから、声が途切れたってアルが……ぐすっ」


『『うん、しんぱいしてくれてありがとーっ☆

だいじょぶだよ、私たち加護かんけーないし、パパのヤッバイ魔術で焼き切れてただけー♪』』


 あ、そう言えばそうか。

 今のアルは……ソフィからの加護は消えちゃってても、魔王の血筋には変わらないもんね。


『『いっや〜、パパのったらスッゴイんだからー♪ 花畑見えちゃったー☆』』


「し〜、アルとユニはやっと眠れたの。今は小さい声でお願いね。ふたりともお疲れ様。アルのお手伝いありがとうね……」


『『ウウ……スタやさしい。あ、ありがとウ。ちくわ大明神。

─── あ、ごめ、感情野ゆれると、まだちょっと言語野オカシーみたイ』』


 いつもはちょっと何考えてるのか分からなくて怖い所もあるけど、こうしてちゃんと話すと可愛い。

 一万年前のアルのご先祖様はどんな人だったんだろう……。



「うーん、これは調整がちょっと必要なのです。マドーラちゃんとフローラちゃんは、後で治してあげるですね〜」



 突然背後から響いた声に、ドキッと飛び上がりそうになっちゃった。


「 ─── ローゼン⁉︎ いつの間に……」


 ローゼンともだいぶ仲良くなれたけど、やっぱりちょっと怖い。

 自分が強くなる程、あの鬼の里で味わった彼女の次元の違いが分かってしまうから……。


 と、ローゼンは私を抱き締めてくれた。


「…………お疲れ様なのです……お疲れ様なので……す」


 ローゼン、泣いてるのかな。

 抱き締められた私の肩の向こうで、震える声で何度も呟いてる。


 『プロトタイプの誓い』


 彼女はその想いから、アルとの同行を我慢してるんだもんね……。

 きっと私がその立場だったら、同じ想いをしてたのかと思うと、なんだか彼女が近くに感じられてまた泣けてきてしまった。


「ソフィちゃん……」


 しばらく抱き合って泣いて、落ち着いたローゼンはソフィの頰に触れて、難しい顔をする。


「ローゼン、何か分かりそう? 私の時みたいに、助けてあげられないかな?」


 ソフィは生きてる。

 ただ、心がここには無くて、魂の力がすごく薄くなってるのだけは分かる。


 ローゼンは眼鏡を取って、目頭を指先で揉むと、ヴァンパイア族特有の深い海色の目で私に振り返った。


「なんとかするです。

ただ、どうしてもダーさんの力が必要なので、今はゆっくり休んでもらうしか……」

 

「 ─── いや、教えてくれローゼン」


 寝ていたと思っていたアルが、紅い瞳で真っ直ぐにローゼンを見つめていた ─── 。

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