第十六話 史上最強の魔術師

 アケルに面した南海沖、かつて海賊の根城とされていた島の上空で、その奇妙な出来事は起きていた。


 ソフィアの後頭部の髪を掴む白い手。

 肩の下辺りから斬り落とされたその腕は、見まごう事無く、リディのものである。


 頭部を斬り落としたはずだ。

 そう思ってリディの姿を確認しようにも、後ろに引き下ろす力が強く、反り返らされた体が戻せない。


「……くっ、うっ! ……はな、離しなさいッ‼︎」


 夜空でバタバタと暴れるソフィアに、突如怖気の走るような、邪悪な気配がまとわりつく。


『フフフ、そうです……ね。あなたの言う……通り。人々の事も……ちゃんと学ばなければ……いけません』


「 ─── ッ⁉︎ り、リディ! あなた……どうして生きて……⁉︎」


 後髪を掴まれ、体を反り返らされたソフィアの顔の上から、ニコリと微笑むリディの顔が覗き込む。


 失ったはずの頭部は、何事も無かったように、そこに存在していた。

 ソフィアは幻術の類いに掛けられたのかと、必死に自分の状況を分析するも、答えは現実でしか無い。


 リディは微笑んだまま、少しだけ抑揚のついた喋り方で、ソフィアに語り掛ける。

 それはまるで、子供を楽しませる為に、手品の種明かしをするような、穏やかな空気が含まれていた。


『 ─── 以前見かけたあなたの適合者……の術式でした。あれは……興味深かったので……ちょっと再現して置いたのです……フフフ』


「ま……まさか……【自動蘇生イムシュ・アネィブ】……⁉︎」


『はい……その通り。時に人々の培う魔術の発想は……天界の想像を超える……事があります。

あの術式は……素晴らしい。失った体も再現される……とは

─── あなたの隙を作る……ため、とは言え、一度死んだら……加護はどうなるかと心配でしたが……賭けに勝ち……ました♪』


 そう言って、リディはソフィアの顔の前に、斬り落とされた自分の頭部を見せる。

 切り口からは血が滴り落ちて、ソフィアの白い服にポタポタと垂れては朱に染めて行く。

 血の滴る己の一部に神気を込め始める、リディのその動きにソフィアは戦慄を覚えた。


 この女が企んでいたのは、【自動蘇生イムシュ・アネィブ】で驚かす為だけのはずが無い、この先に引き起こされる事こそが、真の狙いなのだと悟った。


「……な、何を……する、つもりですか……⁉︎」


「はい。……最初からこれが……目的だったのですよ。わざわざ……あの戦地に、大切な……ハンネスを置き、あなたを……おびき寄せた」


「何故……! 何のために……ッ⁉︎」


 リディは突如壊れたようにわらい出す。

 目を剥き、口元を吊り上げ、少女のように無邪気な声で ─── 。


「キャハ、キャハハハッ! 何のためにって、簡単な事ですよ……。私を嫌いなあなたと、あなたを嫌いな私が……

─── あなたの中で混り合う」


 恐怖に目を見開き、涙を浮かべるソフィアのあごを、斬り落としたはずの腕が掴む。

 そして、リディは血の滴る己の頭部の一部を、ソフィアの口元に押し付けた ───


「ぐっ、むうッ、んんーッ⁉︎」


「大丈夫……飲み込む必要は……ありませんから。神気を受けた……私の情報が、粘膜から……浸透して行きます……フフフ」



─── ズクン……ッ



 それまでもがいていたソフィアの手足が、力無く垂れ下がる。

 見開いた目からは、一筋の涙が伝って落ちた。


 瞳から光が失われ、ソフィアの纏っていた神気も、微かに輝いていたオーラもその光を失い、ソフィアの体はソフィアに良く似た物質へと変わり果てたかのようだった。


「 ─── お疲れ様……でした。

もう……お会いする事も……ないでしょうが、私たちの本体に……よろしくと……お伝え下さい。

この世界は……間も無く終わるのですから」


 最後にニコリと微笑み、掴んでいた手を離すと、ソフィアの体は真っ逆さまに落下を始めた。

 その直下は暗い海が広がっている。


「 ─── ッ⁉︎ 

ソフィ……? ソフィーッ‼︎」


「君は、余所見してる場合じゃないでしょ?」


 ソフィアの異変に気が付き、海へと落ちて行く彼女の白い影に思わず振り返ったアルフォンスに、ハンネスの曲刀が振り下ろされた ───


─── バガァ……ンッ‼︎


 曲刀が直撃する瞬間、アルフォンスの漆黒の鎧は突如としてバラバラに外れ、吹き飛ぶ彼の体から剥がれ落ちて行った。


「うん? 運がいいね〜君は。今のでザックリ逝く所だったのにさ〜。

その鎧が脱げたお陰で、切断までは出来なかったよ、フフフ」


「 ─── ソフィ! ソフィアッ‼︎」


 倒れてなお叫び続けるアルフォンスの視線の先で、ユニが飛翔魔術を使い、ソフィアを空中で受け止めに行くのが見えた。


「あ〜らら、落水は免れたかぁ。君の守護神も運が良いね。

─── まあ、どうせもう起き上がる事はないけど」


「……クッ! 一体、ソフィアに何を……ッ‼︎」


 跳ね起きたアルフォンスは、自分の握り締めている夜切の異変に気が付いた。

 そして、自分の体を呆然と見下ろしている。


 ハンネスはその絶好の隙に何故か動こうとはせず、悪戯が成功した子供のような表情で、ただニヤニヤと口元を歪めていた。


「 ─── か、加護が……消え……た?

ソフィアの加護が……消え……」


 自分の体に流れていた、力と思考力の湧き上がる感覚が消えた─── 。

 そして、禍々しい魔力が嘘のように澄み渡り、『成人の儀』以前の魔力感覚に戻っている。


 慣れ切って長い加護の感覚の喪失は、アルフォンスの心に、深く速やかなる絶望を刻み込んでいた。



─── 呪いの武器達の声も、全く聞こえない


─── 鎧は喚んでも反応を示さない


─── 左手の籠手だけは残っているが、その中に宿るマドーラとフローラは沈黙している



 呼び掛けても、もうアルフォンスの腕に彼女達が現れる事も、その声が響く事も無い。

 本来そうであるように、武具が武具らしく、ただそこにあるだけだ。


「ソフィアは……? 俺は……?

何が……何がどうなっちまった……んだ……」


 混乱に陥るアルフォンスの前で、勇者は気怠げに曲刀を肩に担ぎ直して鼻で笑う。


「はい、お疲れさん。

─── 君はもう、適合者じゃあ無くなったんだよ」


 ふっと噴き上げた息で、ハンネスの前髪が持ち上がるのを、アルフォンスは呆然と眺めるしかなかった ───




 ※ ※ ※




─── 一方その頃、アケル総督府の防衛戦では


 すぐに終わると、そう思ってた。

 ここに現れる帝国兵たちは、今までの帝国兵たちとはワケが違う ─── 。


 足下のメイン通りは、氷漬けになった帝国軍の隊列が、白い冷気をなびかせて立ち並んでいる。


「 ─── 【地の精ラオドよ、我が敵を槍で穿うがて】!」


 通りの地面から、鋭い岩の槍が一斉に突き上げて、凍り付いた兵たちが足元から貫かれた。

 ほとんどの兵士は氷のように砕け散ったけど、一割くらいの兵士は呻き声を上げて倒れてる。


─── 魔術への耐性が妙に高い……


 メルキアの黒札民ヴァンパイアだって氷漬けにした『冬の女帝』の凍結魔術なのに、どうしてあれだけ生き残っているんだろう。

 救いなのはただだけで、あっちの攻撃はそんなに強力じゃないってところかな。

 三本ある大通りの内ふたつは押し返して、今はアケルの人獣連合の国軍が、必死に前線を維持してくれてる。


─── タァン……ッ! タタタタタァン!


 またあの音だ。

 シリルのドワーフとか、妖精王に見せてもらった『銃』って武器。

 アルとティフォが開発した『精霊銃』に比べれば、連発はできないみたいで威力も低いし、あんまり当たらないみたい。


 ……でも、あの音が良くない。


 初めて見る武器、初めて受ける損害、ただでさえ怖いだろうに、あの大きな音と衝撃は必要以上に恐ろしさを植え付ける。


 私ですら身が縮こまるのに、もっと耳や鼻の利く獣人たちは……。


 風向きが変わって、あの武器の嫌な臭いが漂って来た。

 たくさんの煙、嫌な臭い、大きな音と光。

 あの武器が使われ始めてから、皆んなの動きが鈍くなってる。


─── ピュウン……ッ


 時折、空に浮かぶ私を狙って撃ってくることがあるけど、私には当たらない。

 風の精霊が護ってくれているから、あの鉄の塊が来る度に逸らしてもらえる。


 あの武器を持ってる隊は、もういくつも潰したのに、後から後から湧いてくる。

 ……一体、ここにどれだけの兵を送り込んで来たんだろう。


─── ……おい、チンタラやってねぇで、さっさと駆除しろよ! アル……いや、あいつらがどうなってんのか気になンだろーがよ!……


「うん……分かってるよ

私だって早くアルたちの所に行きたいよ。なんか胸騒ぎがするから……

─── でも、すぐに終わらせるんじゃダメなの」


 頭の中に響くもうひとりの私の声に言い返す。


 そう、私だってこんな所で時間を取りたくはない。

 けど、すぐに終わらせちゃったら、その後どれだけの帝国軍が送られてくるのか、どんな戦い方をして来るのかアケルが情報を集められないもん。


 前線を調整しながら、兵士の補充がどんな程度なのか、わざと遅らせて戦術も出し尽くさせる方がいい。


─── 私たちが守っていただけじゃ、この国が強くはなれない


 この戦争に参加するって決まった時、アルやソフィがそう言った。

 ここで生まれ育ったエリンやユニもそれに同意してた。


 私が今ここに居るのは、アルが『背中を気にせずに居られる』ための、彼の代理なんだもん。

 テキトーなことしたら、アルが困っちゃう。


─── ……いいや、それもそーなんだけどよ。

空からなんか来てンぞスタ。今までとは違う、もっとメンドクセー感じだ……


 アマーリエの声、ほんと、もうひとりの私と喋り方そっくりなのは、ダークエルフだからかな?


─── ……スタルジャさん。おそらくこれ以上の帝国軍の追加はないでしょう。さっきの増員以降、何も視えません。

先に残りの通りを叩いて下さい。そうしないとかなり苦戦する未来が……


「⁉︎ わ、分かった。じゃああっちも片付けるね!」


 頭の中で『んだよ、オレだってそう言っただろーが……』ともうひとりの私のヘソを曲げる声がして、ちょっと吹き出しちゃった。


 眠りから覚めて以来、私の中ではこうして三人で話をよくしている。


 ふたりのアマーリエは、予言者としての能力は小さくなったとは言うけど、教えてくれる未来が遠くなくなっただけ。

 近い将来の予知を、いくつかのパターンで教えてくれる。

 ……かえってすごくなってない?


 そして、もうひとりの私も、時折力を貸してくれるようになった。


「かあ、見てらんねえ。ちょっと体借りるぜ、


─── ……あ、くれぐれも皆んなに被害ないようにね!……


 『わあってるわ、そんなモン』って毒づいて呟いてるけど、耳が熱くなる感覚が来た。

 多分、アルに迷惑が掛かるって考えた瞬間に、アルのことを思い浮かべちゃったんだろう。


「 ─── そんじゃあまあ、やっちまいますかね……ッ!」


 魔力がグンと削り取られる感覚がして、体のどこを魔力が駆け巡っているのかが分かる。


 黒スタは精霊術を好まない。

 人に何かしてもらうのがキライなんだって。


 その代わりに、アルでも時々驚くような、難しい魔術を使ったりする。

 ……魔力消費が激しくて、すごく疲れるんだけど、この感覚は私の術式研究にも、大きなヒントをくれるから断らない。


「くははっ、まとめて仲良くおっ死んじまえ!

─── 【死よルゥドハ=ド】ッ‼︎」


 即死魔術が広範囲にばら撒かれる。

 アルもたまに使ってる魔術だけど、すっごく魔力使うからなぁこれ……。


─── ……って言うか、帝国の人たち、魔術抵抗が高いよ? レジストされちゃわない?……


「んあ? 見てみろよホレ。ばったばた倒れてんだろうが。

あんまし、オレの魔術なめんなよ?」


 あ、ホントだ……。

 何でだろう、私の時は結構色んな精霊魔術をレジストされちゃったのに。


「あの鎧と盾だ。バカみてえに魔術耐性を引き上げてやがんだよ。だからフツーの属性魔術は通りにくいの。

……即死魔術だの、麻痺系の魔術なら、完璧に術式の対応をさせるか、相手より魔力が遥かに強くねえとレジストできねー。魔術の鉄則だ、憶えとけ!」


 あ、なるほどね。

 それなら効きが良いのもわかるかも。


 即死魔術なんて、普通は見ることすらないし、術式が複雑過ぎるもんね。

 まさか兵士全部に防ぐ魔道具を持たせるなんて、そんなお金の掛かりそうなこと出来ないよね。

 ……黒スタはこうやって、口は悪いけどちゃんと教えてくれたりするから、結構好きだったりする。


「 ─── っと、アマーリエ達の言ってたとーりになりそうだぜ?

見ろよ、真打のお出ましだ……」


 そう言って遠く見つめた夜空の向こうに、ものすごい数の白い影が見えた。

 その数は……今日の日中に殺した全部の、半分より少ないくらいかな?


 戦うのは初めて。

 でも、鬼族の里に来てたラブリンと、セバスティアンの鎧とよく似てる。


─── 極光聖騎士団が大挙して空に集結しようとしていた




 ※ ※ ※




 混乱、そして一気に重くなる自分の体や思考に、アルフォンスは激しく動揺していた。

 何よりも、ソフィアの安否が気になり、集中力がいちじるしく損なわれている。



─── ……アル様、大丈夫。ソフィは死んでないの……


─── ……ほ、本当かッ⁉︎ なら、どうして加護が……


─── ……加護? 加護がどうかしたの?……


─── ……いや、それは今はいい。それよりソフィアの様子はどうなってる?……



 念話の向こうで、ユニが沈黙した。

 嫌な予感が膨らみ、アルフォンスが思わず叫びたい衝動に駆られた時、背後にハンネスの気配を感じた。

 アルフォンスは飛翔魔術を行使して、ソフィアの落ちたであろう辺りを目指しながら、勇者を空に惹きつける。


─── 地上に残るティフォ、エリン、ユニの三人に、さらなる勇者の凶刃が向けられる事を恐れたのだ


 ティフォとユニが、ゴランモールと死闘を繰り広げている所から離れつつ、ソフィアの元へとコースを変えた時、目の前にリディが立ちはだかった。


「ソフィアに……何をしたお前えぇッ‼︎」


 急停止して声を荒げるアルフォンスに、リディは答えず、ただニコニコと微笑みを浮かべているのみ。


 今までとの表情の違いに、アルフォンスの背筋に冷たい物が走る。

 感情の無いはずの女にに似た何かが息づいているのだと直感したのだ。


 『これはソフィアの身に何か重篤な事が起きた』と、本能的にそう感じて、ソフィアの元へと最高速度で向かおうとする。


 だが、その先を今度は勇者が阻む。


「もう休ませてやんなよ。

やっと背負わされた重荷が無くなったんだからさ。

男らしくないんじゃないかなぁ、失った女に固執するのはさぁ……」


「 ─── それはお前だろハンネス・オルフェダリア!」


 アルフォンスは肉体強化を最大限に重ね、四肢に闘気と魔術付与を瞬間的に施すと、ハンネスへと飛び掛かる。


 武器はもう無い。

 ならば上級魔術師のセオリー通り、己の肉体を限界まで高めた、肉弾戦へと勝負を持ち掛けるしか無いだろう。

 悲しくも、禍々しい魔力が失われた事で、全ての術式は、驚く程素直にその効力を発揮した。

 その感覚は、単に成人の儀前の自分に戻っただけだと言うのに、今はそれがソフィアとの絆が幻だったように感じられてならなかった。


「 ─── なるほど、君は本当に元から強かったんだね。

そりゃあそうか、魔王フォーネウスの孫なんだし」


 アルフォンスの強化された肉体が放つ体術は、勇者をギリギリでかすめる程に肉薄していた。

 だが、拳での一撃を難なく押さえられた瞬間、それは勇者があえてそう見せていただけだと確信する。


 里で鍛え上げた闘いの感覚が、その絶望的な差をありありと告げている。



─── 今、目の前に立つ相手は、命の与奪をでしか捉えていない……と



「もう君を殺す価値は無くなっちゃったね。

むしろ、無茶苦茶な契約下で、必死に神々の手前勝手な運命に応えようとしていたであろう君に同情するよ……。

─── 護りたいものが守れない。

君の慟哭どうこくが天に届けば、あるいは神々も多少なり反省するかな?」


「…………黙れ」


「ガストン君にもそうさせてあげたかったけど、彼は君達に希望を持つなんて、やはり神々の与えたオモチャに騙されてしまった。

……君に責任は無いよ、これもだなんて綺麗事で押し付けられた、絶望そのものなんだから」


「…………黙れよ」


「君は最初から用意されていただけの試練の数々に、神を感じていたかも知れない。

─── でも現実はこうだ。

そもそもそれ程に人類の営みを愛しているのなら、何故、主神マールダーは沈黙を守っているんだろうね?」


「…………黙れ!」


「やれやれ。君は本当に『適合者』なんだね……。正に神々の傀儡くぐつになるのに、持ってこいな人材だよ。

─── 教団の人間と変わらないね、滑稽だ」


「黙れッ! 黙れえぇッ‼︎」


 爆発的に高まったアルフォンスの魔力が、勇者を押し返し、よろめかせた。

 その瞬間、アルフォンスは胸の前で印を結び、強烈な光に包まれると、言霊を紡いだ。


 全てを懸けた勝負に出る ─── !


『 ─── 新しき神、暗黒の引綱。光の揺かごに始まりの呪詛を、拒絶の虹、虚無の叢雲、大いなる死の福音を捻りて捧げん!

─── 求めるは死への始まり、終わりの約束。星の終わり、古き神の消失。

おお、時は来たれり。福音の解放、求めし業の円環を解き放て……』


 朗々と詠唱するアルフォンスに、ハンネスは思わず吹き出していた。


「今更魔術かい? 無詠唱すら操れる君が、わざわざ詠唱までするなんて……ハハハ!」


─── ガリィ……ンッ‼︎


 その時、トランス状態にあるアルフォンスに、リディの放った【斬り刻む】神威が牙を剥いて襲い掛かった。

 しかし、その無数の爪は、アルフォンスの周囲に現れた、青白い光に阻まれて砕け散る。


「ど、どうしたんだリディ……今のは神威か? どうして今更コイツに手を出すんだい……?」


 これは結界なんて代物では無い、リディの神威を遥かに凌駕する、想像を絶した魔力の高まりに弾かれたのだと、彼女は気づいていた。


「……くっ! 逃げてハンネスッ、この詠唱は……余りに ─── ッ‼︎」


 リディの悲鳴にも似た叫びが上がった直後、アルフォンスは煌々と紅い瞳を輝かせて、詠唱の最後を結んだ!



─── 【星の始まり・星の終焉ウルティメイト=ライ



 ハンネスの目の前に、ウズラの卵程の小さな漆黒が、ポッと唐突に生まれた。

 その滑稽な現象に、思わず笑い出した瞬間、ハンネスの周囲を光の幾何学模様が囲い込んだ。


「 ─── 間に合って!」


 リディの神気が更に高まり、ハンネスを護る光の幾何学結界はその密度を上げ、彼を覆い隠した。



─── その直後、世界は音を失った



 あらゆる色調が反転され、夜の闇が真っ白に切り替わった、遠近感の失われた平坦な世界。

 ハンネスとリディの立っていた辺りは、漆黒の球体に包み込まれ、黒く細い集中線がその中心に向かい、高速で収束して行く。


 漆黒の球体は膨張と収縮を繰り返し、やがて超圧縮されたエネルギーに崩壊、小さな黒い爆発を複数回繰り返した直後 ─── 、


─── 世界は漆黒の光に塗り潰された


 直後に色調を取り戻した風景は、巨大な光の柱が天空に立ち昇り、夜の暗闇を押し退けて朝よりも明るく世界を照らし出している。


 それらが収まった頃、アルフォンスは魔力で高速化していた思考力に限界を迎え、力無く両膝を地に落とす。


─── 何故、詠唱魔術だったのか


 無詠唱魔術は、その術式を完璧にイメージし、肉体を流れる魔力すら完全に再現するテクニックである。

 しかし、余りに複雑な制御と術式が必要な場合、それはイメージングすら難しくなってしまう。


 詠唱は仕様書のようなものである。

 それを唱え、魔力量を調整するだけで、生まれ持った特性さえ合えば、誰でも発動が出来るという利点がある。

 ただし、術が複雑になればなるほど、その構文は長くなってしまう。

 『火を起こせ』と『核爆発を起こせ』では、必要な現象の制御に、大きな開きが出るからだ。


 アルフォンスがあれだけの短い詠唱で、究極とも言える大魔術をこなせたのは、無詠唱と詠唱のハイブリッドだっただけの事。

 元より、禍々しい魔力の使い手となってからは、魔力の出力が上がり過ぎて不可能だった魔術であった。


─── 悲しいかな、今その魔力ブーストが消え去った事で可能となった


 完全なる術式制御の下、彼の紡ぎ出した魔術は炎と光と闇の究極。

 それぞれの神聖級魔術の合成魔術を放ち、ハンネスとリディを捕え、超新星爆発に匹敵する破壊をもたらしていた。


─── 本来、神聖級魔術とは、その名の通りに神聖なる叡智の結晶などでは無い


 人間を捨ててまで、魔術の高みを目指した、リッチなどの一部が編み出した産物である。

 神の起こす事象、それを魔術に置き換える研究の末に、世界の存続すら左右する程の変化をもたらす禁断の術式。

 そんな代物を、手放しで人に授ける程、闇神アーシェスや癒神セラフィナは愚かではない。


 【星の始まり・星の終焉ウルティメイト=ライ】は、その二柱の守護神が手を加え、アルフォンスが更に最適化した術式である。

 その破壊は完全に制御され、極薄の虚数空間に覆われた小さな隔離世界の中で完結されている。

 範囲外への被害は、何ひとつ及ばさない、正に人類が出来うる最高の奇跡と言えよう。


 しかし、超々高度な術式の制御を行う為に、強制的に高めていた思考力は、その反動でアルフォンスの意識を混濁させていた。



─── ズズゥ……ンンッ



 アルフォンスの背後で、ゴランモールの地鳴りのような断末魔と、崩れ落ちる音が響く。

 ティフォが死闘の末に、伝説の海の主を倒した。


「 ─── オニイチャッ‼︎」


 沈み行くゴランモールの立てる白波に、ティフォの声は掻き消されそうになりながらも、アルフォンスには届いていた。

 だが、反応が出来ない。


 エリンとユニは、怪物に生命の反応が無くなるのを見届けながらも、アルフォンスを見つめている。

 ティフォがアルフォンスの所へ向かおうと、飛翔魔術に意識を傾けた時、彼女の触手がピクリと反応を示した ─── 。


 アルフォンスはただ一言『ダメだったか』とだけ弱々しく呟く。


─── バシュウウゥゥ……ッ!


 未だ膝をつき、両腕と首をだらりと下げているアルフォンスの前に、光の幾何学模様に覆われた結界が再び姿を現した。


 その結界が解かれると、中から全身を焼けただれさせたリディとハンネスが現れ、地面に膝をつく。

 顔の半分の皮膚を失い、苦悶の表情に歪んだリディの口が開き、かすれた声を漏らす。


「 ─── ま、まさか……神の隔離世界の中にまで、熱を伝えて……く、くるとは……。

オルネアとの契約を失い……魔王の資格すら集めていない……この男が……?」


 リディは驚愕していた。

 加護も無く、次元の壁さえ超える魔術など、いくら魔王フォーネウスの孫とは言え、有り得ない。


 神の奇跡ですら、これ程の極大破壊を起こすのは至難の技。

 ましてやそれを、完全に制御し切って、他に破壊をもたらさないなど……。


─── 間違い無く、この男は史上最強の魔術師だ


 その隣で倒れていたハンネスは、彼女よりも更に重症であった。

 速くも加護のひとつである『超再生』によって、シュルシュルと焼き切られた筋繊維や血管などをうごめかせているが、完全に炭化させられた左腕から胸の付け根までの部分は流石に反応が鈍いようだ。

 それでもハンネスはよろめきながら立ち上がり、回復の終わり切っていない右腕で曲刀を握り締めた。


「……ぐっ、うあ……っ、な、何故だ?

何故……アレ程の力を……持ちながら、契約下にある時に……使わなかったッ‼︎

いや……もういい。死ね─── ッ!」


 ハンネスの曲刀が振り下ろされる。

 未だ意識の混濁したアルフォンスは微動だにしない。


「 ─── オニイチャッ‼︎」


 ティフォは腕を突き出し、ハンネスを握り潰そうと神威を放つ。

 ……だが、それはリディがにらみつけただけで、宙で砕け散った。


 エリンとユニが絶望に我を失った時、ハンネスの曲刀はアルフォンスの首から、袈裟懸けに振り下された ───


 

─── ガギ……ッ! パッキィィ……ン



 今度はハンネスが驚愕に目を見開いた。

 アルフォンスの体の前で、鏡の如く磨き上げられた金属が、わずかな月明かりをきらめかせて空を舞う。

 その瞬間、アルフォンスは何かに気がついたようにピクリと反応し、その存在を見つめる。


─── 主人との繋がりを失い、沈黙したはずのが盾となり、その刀身を折られた瞬間であった


 ソフィアとの契約を失って以来、呪いの武器達の声は聞こえず、繋がりすら断たれている。

 だが、アルフォンスの耳には、最期に何かを呟く夜切の声が聞こえた気がした。


「……ハン……ネス!」


 目に力を取り戻したアルフォンスに、ハンネスは恐怖を覚えた。

 しかし、彼はそれを払拭するように宙に浮き上がり、曲刀に神気を集め始める。


「 やっぱり僕は君が嫌いだよアルフォンス!

その意思、叩き折るつもりだったけど、君は折れそうもない……!

…………これで本当に最後だ、君を殺し、後ろに控える君の仲間も殺し、僕は世界を救う使命に戻ろう!」


 ハンネスの神気が爆発的に高まり、何らかの奇跡が起こされるのが誰の目にも明らかだった。

 ……だがその時、エリンとユニの近くに、ハンネスには見覚えの無い人物の姿が現れた。



─── 燃えるような真紅の長い髪、それと同じく目を奪う真紅のドレスを纏った、妖しいまでに美しい女の姿



 ポシェットの中の魔石を全て飲み込んだティフォが、ゴランモールの血肉さえ奪い取り、ハンネスを睨みつけている。


 アルフォンスと共に生きる事を決めた彼女にとって、これ程の魔力を必要とする事など、もう永遠に無いと思われていたにも関わらず……


 彼女は完全体一歩手前まで、その力を取り戻していた───

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