第七話 初陣

─── アケル北部州の外れ、獣人の集落が集まる獣人街


 商人の馬車が獣人街に差し掛かると、すぐさま獣人の商会の案内人が近づいた。

 馬車の上にいた、少年の奉公人を連れた、中年の商人はにこやかに手を上げた。


「よう! 買いか、売りか?」


「ああ、こんにちは! 売りだよ、と言うより今日は納品さ。このご時勢だろ? 大手の商会は巻き込まれるの嫌がって、わたしらみたいな小さい行商のかき入れ時ってね!

良い物がありそうなら、多少仕入れて行くつもりだが、大丈夫かな?」


「そっかそっか、なら問題ねえな!

まあ、そンな若い坊主連れてンだ、海千山千の悪い奴じゃねえってのは見りゃ分かる。獣人街へようこそだ!

─── 商会は街の中央、この通りをまっすぐいきゃあ、馬車が集まってるから、すぐ分かると思うぜ!」


「ありがとう、ご苦労様だね!」


 どうやら商会の案内人兼、門番でもあったらしい。

 にこやかに去って行った獣人の背中には、バックラーと曲刀が提げられていた。


「旦那ぁ、獣人街だって言うけど、人間も多いっすね〜♪ 戦地が近いって言うのに、活気がいいや」


「アルフォンス会長の功績ってヤツだな。

この二年で獣人と人間の関わりがガラッと変わっちまったよ。

だいたい、前はこんな簡単に獣人達の地域には、気楽に入れなかったんだ。

─── 商機も増えて、会長様々ってヤツだ」


 街の至る所で、人間と獣人達の話し込んでいる姿が目に入る。

 その多くは商売に関わる、世界情勢や商材の話題だが、最近巷を賑わしている噂はふたつあった。


「……やっぱ、皆んな北部州の帝国軍の話が多いっすね〜」


「お前は本当に耳がいいな。いいぞ、いい商人になる。

皆はどう言っているんだ? オレには馬車の音でよく聞こえん」


「帝国軍は、獣人達の力に驚いてたって。獣人が魔術を使うってだけで、アルザス人はアゴが外れてやがったーって笑い話が多いっす。

─── 後は、勇者の復活かなぁ」


「……またそれか。何か目新しい事は言ってそうか?」


 少年は馬車に揺られながら、目を閉じてジッと街の声に耳を澄ます。

 しばらくそうしてから、ニコッと笑うと主人に報告する。


「そろそろアケルにも現れるかもって、タッセル周辺じゃあ噂みたいですよ?

勇者ハンネスは、白銀の鎧に聖剣、くしゅくしゅの天使さまみたいな金髪に青い目だって言ってます♪」


「 ─── いやに詳細なんだよなぁ……街の噂にしちゃあ。

こりゃあ、教団の入知恵ってヤツが入ってんのかねぇ、なぁんか企みの臭いがしやがる」


 そう話しながら、通りを進み、大きな広場に出た時、主人の目がとあるふたり組の少女に釘付けとなった。


「きっ……君達はっ! え? あれ⁉︎」


 長い黒髪に黒い瞳、ふたり全く同じ顔の少女達は、お揃いのデザインのチュチュにスカート。

 お互いに上下白黒互い違いの、どこか高貴な家の子供を思わせる、洗練された格好で並んで立っている。

 ふたりは瞬きひとつせずに、広場のひと所に佇んでいたが、商人が話しかけると、ゆっくり目だけを動かして視線を合わせた。


「「おぢさん、だれーっ?」」


「いやいや、き、君達とは昨日も会ったよね⁉︎

この街に来る前に、昨日タランベル近くの村でお話ししたよ⁉︎」


 商人が驚くのも無理はない。

 彼らは昨日、ここからかなり離れた村に納品に行き、この獣人街に届ける物品を積み込んだ。

 それから野営をしつつ、ほとんど休みなく移動して来たのだ。


 積み地となった村にいたこの少女達が、何故自分達より先に、この地に居るのか説明がつかない。


「「しらないよ〜♪ あたしたちが、おぢさんと話すのは、初めてだよーっ☆」」


 商人の隣で、少年も困惑していた。

 彼は耳が良く、そして一度聞いた事は忘れないという特技を買われて商人に雇われたのだ。


 この抜けた喋り方、格好。

 そして、寸分違わずにピタリとそろって話す彼女達の奇異な喋り方を、少年が忘れるはずもない。


 だいたいこんな街中で、高貴な服装の年端も行かぬ少女達だけで立っていては、どんな者に目をつけられるのか分かったものではない。

 昨日、商人が話しかけたのも、それが理由だったからだ。


「ま、まあ、きっと他人の空似って……うん、そういうヤツか……な?

ど、どちらにしろ、お家の人は、近くに居ないのかい? 君達みたいな可愛い子だけで居たら、怖い人にさらわれちゃうよ?」


「「だいじょぶーっ、あたしたち、つよいから☆

それにね、今はお仕事中なの。冷やかしなら、いったいったー♪」」


 商人と少年は背筋がゾッとした。

 今の少女達の言葉は、一言一句、タイミングもイントネーションも、完璧に一致した形で昨日も言われたものだったのだから。


「そ、そそ、そうかぁ〜! お、お仕事中なら、済まなかったね、き、気をつけてね!

じゃ、じゃあね〜‼︎」


「「フフフ、おぢさん、やっさしーっ♪ じゃーねー☆」」


 ……その台詞も昨日と完全に一致していた。


 商人達は逃げるようにその場を去り、納品を終えると、次の街に届けられそうな物品と、商売用の商品を仕入れて獣人街を後にした。

 ふたりは馬車の上で色々な話をしつつも、恐怖が強いのか、謎の少女ふたり組の話題には一切触れなかった。


─── だが、次の街でも彼らは問題の少女達を見かける事となる


 流石に今度は見て見ぬフリを決めたため、ふたりの正体は分からずじまいであった。

 何か嫌なものを感じた商人達は、中央部州へと商圏を変えた。


 その後、彼らがふたりの少女を見かけた事は無い ─── 。




 ※ ※ ※




「 ─── 【反射防壁スペィエル】」


 街を光属性魔術の相が、黄金色の光で染め上げると、獣人達とアケル軍の兵士達ひとりひとりを光の幕で覆う。

 直後、降り注いだ弓と火球の魔術は、鏡に映したように向きを変えて、発せられた元の位置へと降り注ぐ ─── !


 反射魔術の反応の際に弾けた、光の粒子が粉雪のように舞い落ちる中、帝国軍の隊列はごっそりと地に削り落とされた。

 直後、人獣人連合の陣から、大気を揺るがさんばかりの咆哮が上がり、その振り切れた士気のまま一気に殲滅戦へと雪崩れ込む。


「 ─── はあ〜あ、ホントに僕、必要だったのかなぁ。人獣連合だけで楽勝だったんじゃないの……」


 たった今、ひとりで戦況を確実なものにした術者は、ライトブラウンの髪と瞳を光の粒子に輝かせながら、深く灰色な溜息を吐いていた。


「オイオイ、旦那ァッ! アンタぁ、スゲエのな! 今の光魔術、とんでもねえ代物じゃねぇか!

─── オレぁ、アルフォンス会長を思い出しちまったぜ!」


「…………あのお方と一緒にするな。あのお方に失礼過ぎだよ、こんな程度はさ」


「なぁんだって、アンタはそんなにやさぐれてンだ? 見ろよ、アンタのぶっ放した魔術でよぉ、もう帝国のヤツらなんざ、石ひっくり返した所で騒ぐ小虫みてえに大慌てじゃねえか!

……いや、凄かったぜ‼︎」


 黒豹獣人が興奮抑えられぬ様子でそうまくし立てるのを、術者は半目で聞き流す。

 そして、無精髭の生えた頰をジョリジョリと撫でると、白銀の杖をくるくると回して腰ベルトに納めた。


「なぁんもだよ。だいたい、さっきのは『すっげぇ魔術』じゃなくて、単なる中級の光属性補助魔術だかんね。大したモンなんかじゃないよ。

─── 何でも跳ね返せるってワケじゃなくて、特定のベクトルを与えられた飛来物を、光の粒子で術式化。

そのベクトルを逆向きに書き換え、術の保護対象になった対象の魔力を速度に上乗せ、確実に発射された地点をそれぞれ補足させ……うんぬんかんぬん」


「アンタ……魔術の事だとしゃべりまくるのな。スゲエ早口でさっぱりだわ。すまねえ……」


「ああ……またやってしまった。

僕はあのお方に追いつかなきゃいけないんだよ。せめて、あの偉大な背中を守れる位には……。

そう、そして、あの子の事も僕は守りたかった……う、ううっ」


 突如、涙し出した青年に、黒豹獣人は慌てつつも、気を取り直して肉体強化に魔力を注ぐ。


「 ─── ま、まあ、よっく分かんねえけども!

話しくれえならオレが聞くぜ、酒でも飲みながらよ! とっとと残りを掃除して、後で美味い酒飲もうや旦那ッ‼︎」


 黒豹獣人の男は、矢のような速度で前線に向かい駆け出した。

 中央部州西部、ガグナグ河沿いの港河都市の戦闘は、アケル陣営の圧倒的な勝利に終わった。


 帝国が十日の沈黙を破り、再び『ゲート』を発動させた最初の闘いであった ─── 。




 ※ 




「そうかぁ……! どうりでアンタ、強かったはずだぜ! バグナスのA級冒険者リック・アルバレンだったのかよ。

─── オレでも知ってる有名人じゃねえか!」


「有名……? そんなこたぁ、どーだっていいんだよ、ヒック!

僕ぁね、君ぃ! あるじさ……アルくん様のお役に立ちたくてねぇ、それが使命だったんだよ!

…………聞いてる? 聞いてんの? うわぁ〜んっ!」


 今回の戦闘の立役者の彼こそ、かつてバグナスの迷宮で、ギルド初仕事のアルフォンスに彼の幼馴染の相棒ミリィと共に救助された青年。

 そして蘇生の後に、聖戦士としてバグナスギルドで活躍していた、あのリックである。


 黒豹族の男と、周囲に車座で呑んでいた獣人達は苦笑する他は無かった。

 二杯程飲んだ辺りから、リックは天性の泣上戸を発揮していたのだから。


「うわぁ、噂以上の泣上戸だなぁ……。

聞いてる、聞いてるよ!

─── でもよ、別れてから一年も経ってんだろ? もう、そんな女の事ぁ忘れて、次行こうぜ、な?」


「……ヒック、ぐすん。

『愛する者を大切に、その夢や希望を各々大切に生きよ。土地を愛し、人を愛し、それらに愛されて生きよ』 ─── だっ!

その愛する者に捨てられたんだよ僕ぁねッ! アルフォンスあるじー様くんの使命を、そっこーで失ってやんの♪

ほら、笑え、笑えよ! てめえ、ナニ笑ってんだコラァッ‼︎」


「「「どうすりゃいいんだよ……」」」


 激しく吐露すれば、しばらくは力尽きたように黙り込み、チビチビと呑むだけの無害モードになる。

 早くもリックのヘベレケパターンを見極めた獣人達は、ここぞとばかりに今日の呑みの本題に熱狂した。


「 ─── しっかしよぉ、帝国も『世界最強の軍事大国』って割には、弱すぎだよな♪」


「そうそう! 俺たちの動き、目で追う事すら出来ねえってんだから、勝負にもならねえや」


「オラッちはよ? 帝国軍の装備は対魔導術式が掛けられてるって聞いてたんだよ。

なぁんて事ァねえ、オラッちの氷魔術一発でブチ抜いちまって腰砕けよ!」


 圧勝。

 帝国軍の強さを、今まで散々耳にして来ていたアケルの民は、その余りの脆弱さに面食らっていた。


 最初に起きたペリステムでの戦闘以外、今までアケルは全て勝利を収めている。

 アケルの人々は、魔術印を得た獣人の破格の戦闘力と、魔道具と新戦術を取り入れた、アケル正規軍の圧倒的な効率を誇るその力に酔いしれていた。


 人獣連合軍の結束は硬く、初めての対人共闘戦線は、多くの発見と確信をもたらしている。


「タッセルの方はもう黙っちまったんだろ?

ほんと、弱っちいよなぁアイツら」


「初っ端から、最高戦力の軍団が開始十分も掛からずに終わってんだ。もう出てこれねえやな」


「 ─── それもこれも、アルフォンス会長の『新シリル式戦術書』がデケェ!

オレぁ、また痺れちまったんだよ! ……もうな、序章の書き出しからヤラレちまったもんよぉッ!」


「「「 ─── 『今の常識が永遠と思う事なかれ、流れる川は一本の枝を切っ掛けに、その流れを変える事がある』ッ‼︎」」」


 獣人達は立ち上がり、アルフォンスがシリルに残して来た、新戦術と各戦闘技術についてのレポートの一文を高らかに叫んだ。

 広場の至る所からも、その声に『いいぞ!』と、盛り上がる様子があった。


「そーなの。大事な人を守るにはね、それはもうどんどん変わって行くくらい、自分を高めなきゃいけないんだよ……!

じゃないと、僕みたいにさ! ある日突然、手紙ひとつでフラれるんだよ!

─── うああっ! クッソォアアッ! ミリィ! ミリィィッ!」


「あンだよ旦那、もう復活かよ……。

まあいいや、呑め呑め! その……ミリィってのか? そんな女の事は忘れっちまえって‼︎」


「ああッ⁉︎ 忘れられるワケないだろッ‼︎

ミリィだぞ? ミリィはなあッ!」


 リックの目はもう開いていない。

 降霊術中の霊媒師よろしく、彼はロクロでも回すかのようなポーズで語り出す。

 それを周囲の者達は苦笑したり、温かな目で眺めたりと、一種保護動物を愛でるような空気が流れている。


─── その時、そのすぐ近くで白い光が瞬いた


 その場にいた誰もが驚いて固まる中、そこに白いシルエットが現れ、それが転位魔術なのだと分かると、数名がそっと構えて警戒した。


「ミリィはなあ……ミリィはなぁッ!」


「久しぶり! 私がどーかしたのリック?」


「……ふぁ? おお、ミリィ丁度いい所に来たね! 今みんなにね、君の素晴らしさを……

─── ハァアッ⁉︎ ミリィィィッ⁉︎ ハァアッ⁉︎」


 転位魔術で現れたミリィ。

 その突然の一年ぶりの再会に、リックは非常に抑揚の効いたリアクションを繰り出し、思わず飛び退いて黒豹族の男に抱きついていた。


「やっと会えた! もう、散々探したんだかんねッ?

ガストンさんも探してたんだよ⁉︎ 連れて来た途端に戦場を渡り歩いて行方不明だって。

何やってんのよ〜!」


「…………へっ、今更なんだいミ、ミリィさんよぉ。昔の男に、な、なな、何かようかい……へっ!」


 考え得る限りの冷静な男を演じるリックに、ミリィは激しく動揺を見せた。


「ハァアッ⁉︎ 昔の男って……なによソレッ‼︎」


 リックの酔いが吹き飛んだのか、しかし困惑した顔でしばらくミリィを見つめてプルプルするも、キッと睨み直して立ち上がる。

 懐からボロボロになった便箋を取り出して、彼女に突き付け、その怒りを露わにした。


「なによって、何だよ! ある日急にこんな手紙ひとつで、僕を捨てて行ったのは君じゃないかッ‼︎」


「……うわぁ、別れた女の手紙を持ち歩いてンのかよ……」


「そこっ、うるせぇハウスッ‼︎

─── 君の事を守るって、一生を捧げようって思っていたのに……それをッ! クッ‼︎」


 泣き顔を見せまいと、腕で鼻から下を隠すリックに、ミリィは顔を真っ赤にして、目の端に涙を溜めて震えている ─── 。


 その後ろでリックに叱られたイタチ族の男は、物陰にすごすごとハウスして、膝を抱えて座った。


「ど、どう言うことよ……っ! 私、あなたと別れようだなんて、これっぽっちも思ってないッ‼︎」


「え?」


「え?」


 リックは便箋を慌てて開き、改めて文面を前に突き出した。


「 ─── じゃあこれはなんだよッ!

『あなたについていけない。私は自分で進める』って!」


「……うわぁ、別れた女の手紙、暗唱できるのかよ……」


「う、うるせぇ外野ッ、ハウスッ‼︎」


「 ─── 意味分かんない。なんでそれが別れるってことになるのよ……ッ⁉︎」


「え?」


「え?」


「「「え?」」」


 広場が静まり返る。

 物陰のイタチ族の隣に、トカゲ族がすごすごと座りハウスする。


 辺りにはリックが口をパクパクさせる音だけが、雨垂れのように響いていた ─── 。


「こ、こんなのどう考えても、僕に愛想を尽かして出て行く手紙だよッ!」


「はぁッ? どうしてそうなんのよ!

それは主人様から聖戦士にしてもらった私たちなのに、あなたがどんどん先に強くなって行くから……っ!

だから私も特訓して来ますって事でしょッ⁉︎」


「 ─── え?」


「 ─── え?」


「……あっちゃ〜、お嬢さんそりゃあねえわ。言葉足らな過ぎだってよ。そんなんオレだってもらったら勘違いするわ〜、ないわ〜」


「う、うるさいわよッ、外野はハウスッ‼︎」


 再び広場は静まり返る。

 黒豹族の男がすごすごと、イタチ族、トカゲ族の隣で膝を抱えてハウスした所で、リックはようやく口を開いた。


「じゃ、じゃあつまり……。これは僕へのサヨナラじゃなくて、ちょっと『鍛えて来ます』って事……なの?」


「……そうだよ。私がリックのこと、キライになるワケ……ないじゃん……ぐすっ」


「か〜っ、姉ちゃんそりゃダメだぁ。主語っての? 何のために、どうするって書かなきゃ」


「「ハウスッ‼︎」」


 イタチ族、トカゲ族、黒豹族の男の隣に、鹿族の男がすごすごと並び、膝を抱えた。


「…………だって私、村でちゃんと習う前に出て来ちゃったんだもん、作文。読むのは得意だけど……」


「 ─── ミ、ミリィ……さ、作文からやり直そう……僕達……」


「…………うん」


「これからも……君を守りたいんだミリィ」


「くすっ、それはダメだよ」


「なっ、何でさ……っ⁉︎」


 ミリィはリックに近づき、彼の胸に額をつけて、シャツの胸元をつまんで囁く。


「主人様が言ってたでしょ?

─── 『愛する者を大切に、その夢や希望を各々大切に生きよ』って……あなたの夢が、私の夢だもん。私もリックを守りたいの」


 広場の人々が一斉に口笛を吹き、拍手をする中、ふたりは一年分の想いを込めた抱擁を重ねた。


「一体今までどこに居たんだよミリィ。バグナス中探してたんだぞ……?」


「北マスラ国だよ。マスラ連山で魔物相手に闘ってたの」


「海を渡ってたの⁉︎ 道理で見つからないと思ったよ……って、あそこはA級指定の魔物と魔獣だらけじゃん⁉︎」


 マスラはバグナスに広がる南海マスラ湾を挟んで向かいのマスラ半島北部である。

 アケルとマスラ連山を挟んで西に位置する国ではあるが、空は翼龍とグリフォン、大地には大型の魔物が闊歩する危険地帯で、まず好き好んで足を踏み入れる者はいない ─── 。


 良さげな雰囲気を読んで、ハウスから戻ろうとした獣人達は、そこで一年を過ごしたという彼女を見て目を丸くする。


「だって……。それくらいしないと、リックに追いつけないんだもん。守られるばかりはイヤだよぅ」


「うん。分かったよミリィ、ありがとうね。僕と一緒にこれからは守り合おう」


「うん!

─── あ、バグナスギルドに帰ってビックリしたんだかんね! 

何よ、あなたの二つ名、前は『微笑みの聖僧侶ライト・クレリック』だったのに……。

今は『やさぐれ男グレリック』って何なの⁉︎」


 この一年、グレにグレたリックは、しっかりとギルドの依頼をこなしながらも、各酒場で呑んだくれてはクダを巻いて来た。

 その可視化さえする程の、灰色の濃厚な溜息と、精神の落ち込みようから、いつしかそう呼ばれるようになっていたのだった。


「 はは……っ、君が居なくてちょっと荒れてたんだ。これからは……。

いや、今ここで改めて言うよ。僕は君の事がす ─── 」


「あっ! いけない! ガストンさんから呼ばれてたんだった……‼︎

ほら、行くよリック ─── 【転位イスト】!」


「いや……ちょっ、あの……っ⁉︎」


 白い光に包まれて、ふたりの姿が広場から消える。

 獣人達はしばらく呆然としつつも、そのすぐ後には、広場は彼らの大笑いで包まれていたのだった ─── 。




 ※ ※ ※




「「あッ、ぱぱぁ〜っ♡」」


「よしッ! この辺りで予兆が始まったんだな? でかしたぞふたりとも、終わったらたくさん遊ぼうな‼︎」


「「ヤッター☆」」


『『え、ずるーい!』』


「マドーラとフローラはずっと一緒だし、どうやって籠手の状態で遊ぶんだよ……」


 北部州ペリステム近く、商館の多く集まる街ベリニズの中央広場で、ふたりの子マドーラに抱きつかれた。

 すぐさま彼女達ふたりの口に飴玉を放り込み、至福の頰に思わず両手を添えた瞬間に引き離す。

 ええと、確かこの顔は百六十六子マドーラと、三百十三子マドーラだったか……?


「「さっき気配がね、はじまったの〜♪」」


「これは……血の臭いか……。それと、わずかに詠唱、いや呪術の呪詛が高速で繰り返されてるな……。

─── 『ゲート』は呪術の類いか⁉︎」


「「すっごく遠いとこからだね〜☆ ばかみたいにバカ高いえねるぎーがこもってるよ〜?」」


「流石は魔導人形だな、解析してローゼンに送ってくれ!」


 魔導人形使いの最高峰、第二百六十四代魔王イシュタルの作り上げたマドーラとフローラ……の、フローラがマドーラ恋しさに悶々と作り続けて来た魔導人形だ。

 超高度な術式の使い手である事はもちろん、その解析能力は、俺なんかよりも遥かに上。


 彼女達四百二十二子マドーラの内、このアケルの各地に百九十七子マドーラを配置して、ずっとゲートの発生を待ち構えていた。


「「ぱぱぁ、どーするのー?」」


「人獣連合が来るのは、もう少し掛かるだろ。そう何度もアケルが攻撃されるってのも面白くないしな。

─── ゲートの向こうへ、俺が押し返す」


「「わっ、ボクたちもーっ! 殺りたい、殺りたーい☆」」


「……なぁんか『やりたい』の言い方おかしくねえか?

─── それより一先ずは術式の解析を急いでくれ。ここは最短で押し返す。他にもいくつか来てるみたいだから、その時一緒にやるか?」


「「やったー☆」」


 殺気が無いのに殺気だらけな笑顔って、何でこんなに怖いんだろう。

 子マドーラ達の天真爛漫な殺意に、思わず背筋が冷たくなった時、血の臭いと呪詛の反響が更に激しさを増しているようだ。

 周囲からは五感の鋭い獣人達の、苦しげな呻き声が聞こえ始めていた。


「 ─── 【召喚サモン:ラピリスの白壁】」


 エネルギーが固まろうとしている、ゲートの範囲に向かって、白い騎士団が現れてぐるりと囲んで大楯を構える。


 今は臭いや呪詛を結界でカットしたりは出来ない。

 ゲートの全てを見極める為に、完成まで見届けなきゃならないからな。

 せめて、街の人々が巻き込まれないよう、物理と魔術両面で、鉄壁の守りで守る。


─── ブゥ……ン…………!


 空気が激しく振動し、街の至る所から黒い霧が立ち昇ると、白い騎士団の囲いの中央にそれは現れる。

 半透明の黒い門、装飾が施されているが、人が造った物とは思えない、イメージが具現化されたような禍々しいものだった。

 更に強いエネルギーが中央に集まると、その二枚の扉は、音も無く開かれて、白い光を漏らしていた。


「へえ……そりゃあ、こんなもんポンポン扱えないよな。

こんなユウルジョウフ並みのエネルギー、どっから掻き集めてるんだ……?」


 扉が開いて行くに連れ、白銀の甲冑で揃えた軍団の姿、そしてその向こうに、古い中央建築風の剛造りの建物が薄っすらと見えた。


─── 単に兵を移動させているんじゃあない、これは空間を帝国と繋げているんだ


 そりゃあ術式の痕跡も残らなきゃ、魔力の残滓ょうひとつ落としていかないはずだ。

 向こう側から開いて、向こう側で術は完了しているのだから。


「 ─── 【着葬クラッド】……!」


 今正に全開となる扉の真ん前に立ち、漆黒の鎧を纏って、魔力を練り上げて待つ。

 俺の姿に気がついた帝国兵達は、動揺を見せ、その隊列が揺らいでいた。


「「ぱぱーっ! 解析しゅーりょーだよ☆」」


「おう! 助かるよ、じゃあもうここは……

─── いいよな?」


「「うんっ♡」」


 扉はまだ完全には開き切っていない。

 これ程のエネルギーを使う現象だ、そう簡単に途中で止める事など出来ないだろう。

 完了するのは恐らく、用意された兵達が通り切るまで。


─── 今なら、そっち側も丸見えだぜ?


 片手をゲートへと向けて突き出すと、前方の兵士達は俺の姿に気がついて逃げ惑い、後続と揉み合いが始まる。

 前に踏み出してくる者は、ひとりとしていない。


─── これがアルザス兵か、これが世界最強の軍事国家の軍団か……情けない


 一抹の虚しさが胸にしんと触れて行くも、こちらの意思に迷いは無い。


「ああ、そう言えば本当の戦争って初めてだ。

これが……俺の初陣だったのか。フフッ」


 光が手の先に集まり、回転収束を始める。

 足下の埃が吹き飛び、石畳が軋みを上げると、赤熱して飴状に隣合うの石材同士が混じり滑らかに延びた。

 街に吹き荒れる熱風を、白い騎士達が大楯から発するオーラで食い止める。

 ちらっとそれを横目で確認して、俺は術式を展開させた ─── 。


「 ─── 【光矢レイ】」


 瞬間、閃光が世界を塗り潰す。

 衝撃も音も反動も無く、ただ手元の空気が揺れただけ。

 だが、ゲートの手前からその奥に、一瞬の間を開けて、地響きのような重苦しい音が鳴り響いた。


「 ─── 光魔術が禍々しくなってないのは、ラミリアの加護のお陰か?」


 思わずそう呟いた。

 心が動いたのはそれだけだ。


 響続けている音は、帝国兵が倒れて、地面に叩きつけられる音だと言うのに、それで心は動かなかった。


─── 送るべき者達が、あちら側から居なくなった事でゲートは消え失せた


 巨大な扉が消えた街には、眉間に拳大の穴を開けた帝国兵の死体が、ずっと街の外れまで続いている。

 静まり返った街には、子マドーラふたりと、左の籠手がはしゃぐ声だけが聞こえている。


「 ─── これは……アケルが闘う価値はないな」


 そう呟くと、胸の奥にズンと何かが揺れ動いた。

 ああ、そうか……。

 そこで見てるんだもんな。

 俺達の全てを壊したきっかけの帝国。

 アルファードの苦しみを生み出したのは、アルザスの陰謀がきっかけだったのだから。


「このまま……

─── ペリステムも取り戻しておくか」


 胸の奥の黒い渦が、ズンともう一度大きく揺れた。

 子マドーラ達が両腕を掴み、ぶら下がったり、ブンブン振っている中、人々の歓声が街を揺るがす。


 俺はその数千の声が奏でる音を聴きながら、転位魔術の術式をイメージしていた。

 ……行く先は北部州首都ペリステム。


─── 胸の疼きに衝き動かされるように


 頭の中ではかつてこの手で取り戻した街の、中央広場を座標にして、体に巡る魔力で術式の旋律をなぞっていた。




■アケル戦線、アルフォンスの初陣


 場所:アケル北部州ベリニズ市街、中央広場

 被害:死者負傷者無し、広場石材一部融解

 戦果:帝国兵、六千八百余りを殲滅

 戦力:アルフォンス・ゴールマイン、一名

 戦術:光属性初級魔術【光矢レイ

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