第十六話 花歌う世界

 荘厳なシャンデリアに、赤い光が反射して、アーキモル宮殿の玉座の間は、炎の揺らめきの中にあるかのようだった ─── 。


 否、それは直ぐに現実のものとなるであろう。


 悲劇の英雄、炎帝ロジオン。

 白い中折れ帽と毛皮のコートを、炎と見紛う赤い魔力の揺らぎで、暁色に染め上げて佇んでいた。


「…………たく。気絶すんなら、加護も消していけってんだよ」


 床にぶっ倒れたペルモリアをにらんで、思わずそう溜息をつくも、肺の息を全て吐く事ははばられた。

 それだけ、気を抜く事すら出来ない。


 月並みな語彙力で申し訳ないが、ロジオンやべえ……。

 さっきは、本格的に洗脳される直前だったから、何とか腹を殴って無力化できたけど。


─── 魔界に名を馳せたのは、伊達じゃない


 今は完全に呪いの炎を制御し切って、炎の塊そのものになろうとしている。


 もう、冥界の蟲を召喚した所で、あっという間に消炭だろう。

 単なる負のエネルギーの塊だったのが、今や完全な炎そのもの、呪術として処理するのは無理だ。


 これで勇者ハンネスに届かなかったとか、一体何の冗談だってんだよ、あの時はお腹でも壊してたんじゃねえのか?


「 ─── ロジオン?

いい加減に目を覚まさないと、例えあなたであっても、許さない。アル様の前に立ちはだかるなら、あたしが……」


 エリンもやべえ、ロジオンと同じくらいやべえ。


 魔術を使えなかったはずの獣人族の彼女が、自然と言葉に言霊を乗せていた。

 おそらく無意識にだろうけど、ロジオンの炎に対抗すべく、超低温の空気の層からなる、複数の多重結界で完全に遮熱しているようだ。


 見ればユニもオロオロとしているようで、エリンの魔術印に、高速で加筆を繰り返している。

 ここ最近のふたりの成長っぷりは、驚異的の一言だ。


 ……これなら、炎と化したロジオンでも、エリンの爪が届くかも知れない。

 だが、勝つ事も不可能だろう、それはどんなに贔屓目に見ても事実だ ─── 。


「エリン、ユニ。ここはいい、俺がやる」


「……で、でも!」


「大丈夫、何とかなるさ」


 本当はかなり参ってるけどな。

 多分勝てる、勝てるけど……殺してしまう。


─── 思ってた以上に、ロジオンに掛けられた呪いってのは、厄介なやつだ


 勇者ハンネスと闘っていた時、彼は体を炎に変えてすり抜ける事で、魔剣の一閃をやり過ごしていた。


 三百年以上前、彼は呪いを受けた時、すでに肉体を失ったか、別次元に飛ばされている。

 この世に残った魂と幽星体アストラル・ボディに、呪いが創り出した仮の肉体で、ロジオンが再現されているに過ぎない。


 彼の姿が子供なのは、肉体を再現している呪いの強さに対して、彼自身がそこまでしか自分を取り戻せていないからだろう。

 そして今、見た目はいつものロジオンでも、肉体に実体が無くなっている。


 ……肉体はここに無い。

 気絶させるとか、肉体的苦痛に自由を奪う事は不可能だ。


─── 洗脳を解くか、封印するか……

魂のそのもを滅ぼすしか方法が無い


 ペルモリアを叩き起こすか?


 すでに彼女には、回復魔術を掛けたが、回復魔術じゃあ意識や心には働きかけられない。

 ……それに、もうそんな余裕はなさそうだ。


『……じょ、女王さまの……ため……に』


 うん、ダメだねこれ。

 眉間をピクピクさせながら、ロジオンはかすれた声でつぶやき、帽子のつばを押さえ、半身に構える独特な構えを取った。

 膨れ上がる覇気を前に、想定していたパターンが次々にへし折れて行く。


 姉さんの事もある。


 もしかしたら『義兄さん』とでも、呼んだ方がいいくらい、大切な存在だというのに。

 やっとこさ、ペルモリアとの闘いで『大事な人を守る』ための覚悟が分かりかけたってのに。


 ……その直後には、身内を殺す覚悟を求められるとはな。


「姉さん……。イロリナを、姫さんを助けなくていいのかよ」


『…………阻む者は……焼き尽くす……』


 顔の前で上向きにしていた手の平を、グッと握る仕草。

 その挙動に呼応して、ロジオンの足元から、炎の竜巻が何本も現れ、回転を始める。


─── 来る……ッ‼︎


 手加減は出来ない。

 そんな事で渡り合える程、彼は弱く無い。


 覚悟を決めた瞬間、ロジオンの手が、勢いよく突き出された ─── 。


─── タァンッ‼︎


 強烈な破裂音。

 洗脳された直後に放った炎龍とは、比べ物にならない速度で、複数の火炎が細く白熱して光線のように鋭く撃ち出された。


 横に飛んでかわすも、炎が空中で進路を変え、速度を一切落とさずに追尾してくる。

 転位魔術を小刻みに駆使しながら、回り込むように駆け、こちらも炎魔術をぶつけてみるも、術式ごと焼失。


 ……やっぱりだ、この炎は物理的なものなんかじゃない、魔力で再現された圧倒的熱量の、霊的な力だ。

 呪術の域も超え、最早、ソフィア達の使う奇跡に近い。


─── 今の俺には、この炎への、有効的な対応策が無い


 追尾して来てくる炎を、方向転換を激しく織り交ぜ、交わしながら石柱に誘い込んでぶつける。

 結果、炎が当たった範囲より大きく、石柱は融点を超え、赤黒い溶岩となって床に飛び散った。


 やはりこれは、ただの炎じゃない。


 手の平には、夜切達の戸惑うような振動が、ドサ袋の中から伝わってくる。


(……これは、長くは逃げ切れそうにないな)


 溶け残った石柱の上の部分が、天井の一部を道連れに崩落し、床を揺らす。


『『うーん、ダメっぽいねー』』


「……何がだ?」


 珍しくしおらしい声で呟く、マドーラとフローラ。


『『ロウソクはね野郎の加護なら、ロジオンの炎と似てるから止められそうだけど、まだパパにちゃんとなじんでないの……。たぶん食べられちゃう。ガッデム』』


「そりゃそうだよなぁ、まだ俺、ほとんど『日照り神』使ってないし。

セィパルネの加護ならどうだ? 水属性だろ、炎に相性良いんじゃないのか」


『『むりー。今は水脈の固定に、いっぱいいっぱい。この辺が流されてもいーならやるよ?』』


「……はぁ、仕方ないよな。いきなりだもん。

分かった、何とかやってみるさ」


 殺気と魔力を調整して、部屋の至る所に俺の気配のダミーを散らす。

 そうしてロジオンを引きつけながら、氷の魔術のイメージを描く。


「 ─── 【氷刃レウ・ラフェン】」


 拳大の氷の刃が、二十〜三十程現れると、ロジオンへに向かって一斉に飛び立つ。

 その隙に部屋の隅に立ち並ぶ、石柱が乱立したスペースへと逃げ込んだ。


 いっぺんに氷をぶつけては、まとめて焼かれるだけ。

 縦横無尽に、めちゃくちゃな進路を飛んで、時間差で直撃するよう術式をいじる。


 これで少しは時間を稼げるか?


 運が良ければ、ペルモリアが起きるかも知れないし、ダメ元でロジオンを封印するって手も試したい。

 ただ、あれだけの炎を操る彼が、大人しく封印されてくれるとも思えないが……。


「 ─── ッ⁉︎」


 その瞬間、自分の考えの甘さが、嫌という程に気づかされた。


 周辺の温度が急激に上がり、俺を常時自動で守っている耐魔結界が、ビリビリと揺れる。

 直後、操っていた【氷刃レウ・ラフェン】がまとめて制御を失った。


(一瞬で焼き尽くされたか!)


 【氷刃レウ・ラフェン】は、氷を飛ばして、相手に突き刺す物理的な魔術。

 だが、俺のは特別性だ。


 かすって傷のひとつもつけられれば、そこから凍結させて、相手を封じ込めるよう設計している。

 炎属性魔術で対抗されるのを見越して、対炎結界でコーティングしてあるのに、それが一瞬で掻き消されてしまった。


『……そこか』


 石柱を貫いて、ロジオンの殺気が向けられる。

 それと同時に、耐魔結界に阻まれてなお、肺を焼くような灼熱の空気に囲まれた。


「 ─── 夜切、来い」


 覚悟を決めた。

 どの道、このまま俺がやられてしまえば、エリンもユニも生きては帰れないだろう。


 ……ロジオンを失う事を恐れるあまり、ふたりを死なせるわけには行かない!


「……流石本部長、逃場は無いな。

分かったよ、本気でやり合お ─── 」


「おっらあぁぁっ! ロジオン何やってんだコラァー‼︎」


 壁の穴から、黒い何かが高速で飛び込み、ロジオンに直撃した。

 その軌跡を、黒い粉がふわりと漂って描き出している。


 俺に気を取られていた彼は、まともに飛び蹴りを食らい、きりもみしながら壁に打ち付けられた。


「ミィル!」


「おまたー☆ 言われたとーりに、全部やっといたよ♪ えらい? ねえ、えらいよねあたし!

─── ところで、あのは、なにをイキってんのさ?」


 ペルモリアと本格的に闘う前に、ミィルにはある頼みを聞いてもらっていた。


「ありがとう、上手くやってくれたんだな。流石は妖精女王だ。

─── ロジオンは、言いにくいんだが、ペルモリアの能力で敵に回っちまった。

打てる手がない……失いたくないが、ここで旅のお終いにされるのも御免だ……」


 ミィルは『ごめん、よくわかんない』と眉を下げる。

 そうだった、この子、ちょっとおつむがアレだったな。


 ロジオンの反撃に備え、あまり集中を逸らしたくはないが、ミィルにもう一度、分かりやすく説明する。

 彼女はため息混じりに『なるほどねー』と漏らしてうつむいた。


 やっぱ、流石の妖精族の長でも無理か ───


「アルフォンス、あんたバッカじゃないの?

あたしが何様か忘れたわけ⁉︎」


「へ? なんか手があんの⁉︎」


「さっきのが、ただのドロップキックにでも見えた?」


 いや、ただのドロップキックだったろ?

 そう思いながら、やれやれとロジオンの様子を見て、唖然とさせられた。


 なんか、うろうろしてんだけど。

 眼鏡探して『眼鏡、眼鏡……』みたいに。


「え? なにあれ、何がどったの⁉︎」


「ロジオンはさー、ヤバさで言ったら、精霊神クラスだと思うよ?

でもさぁ、所詮は人間じゃん?

─── 森で妖精が人間にする悪戯ベスト1っつったら、なによ」


「 ─── あっ!」


 妖精は悪戯好きってのは有名だ。


 特に、無用心にもテリトリーに入るのは、霊的感覚の鈍い人間ばかり。

 そういう人間に、妖精はそりゃあもう、可愛げのある悪戯から、シャレにならない悪戯まで好き放題やるって話だ。

 その中でも特に有名なのは……。


「 ─── 【妖精杖ワンダ・ワンドの輪踏・ロンド】か!」


「そ♪ こっちが飽きるまで道に迷わす、たのしー遊び。

どんなに長生きしてよーが、能力を身につけよーが、相手が人間なららくしょーよ!

ふっふ〜ん、あたしにまっかせなさい☆」


 なんだろう、初めてミィルが頼もしく見える。


 長い黒髪を、誇らしげに肩から払い、両手を前に手の平を広げた。

 途端に、視界にある全てが、薄緑色の光に包まれ、空気が大きく揺れ出す。


 ミィルが歌っている。


 ただ、人の耳では聞き取れない音域なのか、若干耳鳴りがするくらいで、その声は聞き取れなかった。

 ただ、マナの濃度が急上昇して、暖かな風が吹き荒れる中、その言霊だけは聴き取れた。


─── 『花歌うビルデ・ブラダウ世界・カヌ


 おそらく、意味合い的には、自然界の喜びを表す祝福。

 セラ婆の古代エルフ語講座で、これに近いニュアンスの言葉を習った事がある。


 ミィルがスタルジャの中によく出入りするように、実は妖精とエルフは存在が近い。

 もしかしたら、この歌声はスタルジャが聞けば、ちゃんと歌として耳に届いたりしたのだろうか。


 そんな中、ロジオンの炎が消え、糸が切れたように地面にへたり込んだ。

 どうやらペルモリアの力から解放されたらしい。


 ただ、俺は今、それどころじゃあなかった。


─── 俺との守護神契約を通して、スタルジャとの繋がりを、温かく確かな糸のようなものとして感じられていた


 ペルモリアが目覚めたら、この答え合わせをしよう。


 俺がなぜ、ここに来る事を、アマーリエが望んだのか。

 もうすでに、俺の中には答えが見えているような気がしていた ─── 。




 ※ ※ ※




「 ─── 申し訳ないッ‼︎」


 その言葉を最後に、ロジオンは大いにショボくれていた。


 そりゃあ、操られてたとは言え、仲間に手を出したとなれば、この生真面目な子ども本部長は自分を責めるだろうとは思ってたけどさ。

 そんな彼にどう言葉をかけたものか、考えあぐねているのだが、言葉が出ないのは同情だけではなくて、彼の姿による。


─── なんかちょっと大きくなってる


 十歳くらいの『カブト虫好きそう』な見た目だったわけだが、今は十三〜四歳って所か。

 服のサイズも合わなくなって、今現在、働きアリさん達が、絶賛仕立て中だ。


 これくらいの年頃の背格好だと、明らかに『大きくなったなぁ〜☆』とか、親戚のお兄さんポジションで言えそうなものだけど……。

 一応、ギルドの本部長で中身はおっさんだと思うと、そう軽々しい事も言えずに戸惑ってしまう。


「怪我とかしてないか? オレの炎で負った火傷なら、すぐに治せる。言ってくれ」


「んー。私は何ともないの、気にしないで」


「あたしも無傷よ。アル様にしか攻撃してなかったし、操られてたのなら仕方がないじゃない」


 ふたりはそう答えるが、エリンにはやや緊張がある。

 『あたしが消すわよ』とか言っちゃった手前、気まずいのかも知れない。

 俺としては守ろうとしてくれたのが嬉しかったけど。


「俺も何ともないよ。本格的にやり合う前だったし、ロジオンも完璧に熱の制御してたしな。

被害は最小限だった」


「……そうか。それは不幸中の幸いだ……。

本当に申し訳なかった。以後、こうならないよう、対策を考える」


 ロジオンは、エリンとユニが『アーキモルの笛』の影響を跳ね除けたと聞いて、驚いていた。

 『どうすればいいんだ?』とか『その術式を教えてくれ』と、ユニに迫る。


 ソフィア直伝の【生命維持】の魔術。

 神の技を教え合うとか、実際は凄い事なんだけどな。


 うーん、真面目だなぁ。

 力を持つ者は、これくらい責任感を持たなくちゃなぁ。

 だからこそ、彼は炎の能力に向き合えてこれたんだろう。


 彼の能力がしっかり制御されていたのは確かだ。


 石柱を一瞬で沸騰させた時も、それ以外の被害が無かった。

 あんなに一気に超高熱を起こせば、周辺の空気や塵で爆発でも起きていたかも知れないのに、それすら起きなかったからな。

 あんな唐突でべらぼうに高い熱量、自然界で急に起きたら、とんでもない事になってただろうし。


─── それに、気のせいかも知れないけど、彼の心の根底までは、奪われてなかったフシもあった


「……途中の記憶、ないのか?」


「ああ、いきなり真っ暗になって、そこから意識は無かった。

……少し、夢を見ていたくらいだ」


「夢?」


「いや、他愛も無い夢だ。そこは触れないでくれ。大した事じゃない」


 そう言われると、逆に気になるんだが、本人も参った顔してるから触れないで置こう。

 今はまず、元気を取り戻してもらわなきゃな。


「操られてたかも知れないけどさ。ロジオンはちゃんと目的は見失って無かったと思うぞ?」


「…………?」


「俺が『姉さんの事はどうする』って聞いた時、ロジオンは『阻む者は、焼き尽くす』って言ってた。

俺の質問の答えになってるし、これって、姉さんを助けるために邪魔になる存在に対する言葉だったんじゃないかな ─── 」


 ロジオンはハッと目を見開いて、自分の手に視線を落とすと、指を開閉するのを見つめていた。


「…………そう……そうか。オレはそう答えたのか……。意識のない所で……。

……ありがとう、良く教えてくれた」


 なんだか少し、表情が和らいだかな?

 しかし、本当に姉さんの事が好きなんだなぁ、言葉に出した途端に、目に力が戻って来た気がする。

 義理の兄になるかも知れない人を、手にかけずに済んで、本当に良かった ─── 。


「俺達に被害は無いし、気になんかしてないよ。それに礼ならミィルに言ってやってくれ、あいつが妖精の力で、引き戻してくれたんだ」


 そのミィル本人は、一足先に別室で飯を食ってる。

 ひさびさに、妖精の力を使ったら相当に腹が減ったらしく、給仕のアリさんに『オ食事二、ナサイマスカ?』と聞かれた途端、助走つけて飛び出していった。


 俺達もペルモリアから、会食に誘われていたが、ロジオンが目覚めるまで待ってもらう事にしていた。


「 ─── 妖精女王か。本当にお前の周りにいるヤツは、とんでもない人物ばかりだな。

ハンネスの時といい、ひとりでも欠けていたら、どうなっていたか分からん」


「ふふ。それはロジオンも一緒だろ。

あんたが居なかったら、勇者に斬られて全滅してただろうし、アマーリエの予言の通りにも、辿って来れなかった。

俺達が一緒にいるのは運命だ、お互い様だよ」


「……そう言ってもらえると、助かる」


 良かった。

 大分元気が出て来たみたいだ。

 ロジオンはベッドの脇に置いてあった、自分の中折帽を手に取って、柔らかな表情で眺めている。


「運命……か。もしかしたら、ここで操られたことも、ひとつの運命だったのかもしれんな」


「ん? どうしてだ?」


「少しばかりだが、自分の呪いと向き合えた気がする。ある意味オレは、呪いによって人生を失い、そして新たな人生をもらった。

制約は色々ついてしまったが、出会えた運命は、かけがえのないものばかりだ。

─── それに……」


 ロジオンはそっと帽子を頭に乗せる。

 もう小さくなってしまったそれは、彼の頭には持て余す、不恰好な物になっていた。


「…………意識が無い方が、呪いは大きく動いた。それは、オレ自身が呪いと向き合えていないってことだ。それが分かっただけでも、ひとつ前に進めたのかも知れん」


 呪いによって再現された姿。

 それが少し、洗脳された事によって、彼の時間を進めた。

 彼が自身に掛けられた呪いと、何らかの進展を見せたという証拠だろう。


「ああ。きっとそうだろうな。

無駄じゃなかった、大抵の事は一歩進んだ時にそう思えるもんさ」


 帽子のつばで目元が隠れて、彼の表情は分からない。

 ただ、少し寂しそうに、口元が微笑んでいるのだけは見えていた ───




 ※ ※ ※




 地中に埋まる巨大な岩盤に、複雑な通路を掘って繋げられた、部屋の数々。

 前回の遷都から四百年経った今も、それらは広がりつづけ、アーキモル宮殿は莫大な部屋数を誇っている。


 その一室、俺とロジオン、エリンとユニの四人は、ペルモリアの待つ広間へと案内された。


 ちなみにミィルは、すでに移動していて、さも今食べ始めたかのようなペースでガッついていた。

 こういう辺りが、彼女を妖精のイメージから遠のかせる要因じゃないかとも思う。

 皿の上、肉ばっかだし。


「如何デス? お気に召された品があれば、いくらでもオモウシツケ下さいネー♪」


 オケラのチャールズが、ヘラのような両手をフリフリ、ご機嫌でお伺いを立てる。


 ペルモリアたっての願いで、堅苦しくない気楽な晩餐を兼ねた会談となった。

 とは言っても、ドワーフの工房で飲み食いをした後で、時間はかなり遅い。


 ミィルは別として、軽食の並ぶテーブルにつき、ワインを共に顔を合わせてつつく形だ。


─── 宮殿の主人であるペルモリアは、開口一番、俺達に平謝りをした


 まず、セィパルネの加護【ツゥプセノムの雫】で彼らの巣を水攻めにした際、室外にいた全ての民をミィルに保護してもらっていたのが大きい。

 ちなみに『ツゥプセノム』ってのは、ロフォカロムの加護の『ヘーゲナ』と同じく、精霊界の神聖な土地の名で、ヘーゲナは炎の世界、ツゥプセノムは水の世界の事をいう。


─── ミィルでなきゃ、精霊界の強力な力の中で、膨大な数のアントリオンの民を救う事は不可能だったに違いない


 『内緒で助けて、驚かしたれ』とそそのかした時のノリノリ具合と言ったら、流石は悪戯好きの妖精だった。

 その後、ロジオンの洗脳まで解いてしまったのだから、今回はミィル様々だ。


 お互いに被害無し、発端はペルモリアの突然のブチ切れと、状況はそう落ち着いている。


 ペルモリアが女王の権威を捨て、プライベートな雰囲気の中、この会を急いだのは、己の勘違いと暴挙を早急に収めたかったのだろう。

 こちらとしても、特に怪我もなく、ロジオンも問題にはしていないようなので咎める気もなかった。

 安心したのか、ペルモリアは貝殻を模した椅子に身を埋めて、色々と話し出した。


 遷都計画の事、地精孔の事、パルモルの事、魔界の情勢。

 おおむね、セィパルネからの情報と重なるが、より経済的な視点に偏りが見られたのは、中々面白い。


 彼女はあの闘いで、俺の正体に気がついたらしく、流石に面倒臭がる自堕落な姿はひそめている。


 頃合いをみて、こちらも正体を明かすため、本題に乗り出す。

 セィパルネの時と同じく、聖魔大戦の真実と、先代魔王崩御、そして俺の現状までの流れは【記憶鏡体】の魔術で見せた。


 ロフォカロムやセィパルネの時は、突如として感情が爆発したものだが、根っからの女王であるペルモリアは、表には出さず、しかし、静かに怒りを湛えている。


「……ふむ。我が子らの集めた情報と、だいぶ異なる点はあれど、大筋は同じ。

これであれば、オリアル陛下の静けさもうなずける。

─── 我ら魔公爵は、魔王様とは一線を敷く存在とは言え、はらわたの煮え繰り返る思い……」

 

「ああ、ロフォカロムとセィパルネも、随分と荒れたよ。

爺さ……先代魔王との面識は?」


「妾はあの能力ゆえ、万が一、億が一の危険性を鑑みて、必要最低限でしかお会いしておりませぬ……。

しかし、あの泰然とした振る舞い。己と、そして生ある者のなすがままを愛される人柄は、まさに魔王。尊敬しておりました」


 魔界各地の統治は、魔公爵に一任。

 魔王はどちらかと言えば、魔界の象徴であり、魔力を分配する親のような存在。


 発生は魔公爵の方が古くても、お互いに尊重し、その方向性は定期的に開かれる、諸侯会議で調整されていたらしい。

 それが父さんの代になって以来、直接顔を合わせる事はなくなり、ここ三百年の間は、魔術を使用した音声でのやりとりだけになっていた。


 そもそもが、顔を合わす機会のない魔王が、会う事もせず、あまり言葉も発さない事から『沈黙の魔王』とか言われているそうだ。


 ……当の本人である父さんとは、かけ離れた評だなと、思わず笑いそうになる。


「アルファード殿下。して、殿下はこの後、如何に振舞われるおつもりで?」


「あー、その前に、今はアルフォンスで通してる。情報漏洩と混乱を防ぐためだ。

……俺自身、ずっとその名前で来たから、そっちの方が助かる」


「承知いたしました。

─── 勇者をくびり殺すのは、いつ頃?」


 ペルモリアの声に、殺気がこもってる。


 彼らにとっても、魔王が人間の、しかも先代魔王を手にかけた存在である事は許せないようだ。

 どう返したものか考えていたら、代わりにロジオンが口を開いた。


「今回はそこまで進めない。

それだけ、ハンネスの野郎は……力をつけているからだ。

まずは混乱を防ぐために、民間には事実を伏せ、各地の有力者に根回しをするつもりだ。

─── 来たるべき時に備えてな」


「ふむ。確かに事を急いては、大きな混乱を生むばかりか、先んじて手を整えられる可能性が高くなるか。

承知した、このペルモリアもその時には協力を惜しみませぬ。

いや、我が一族の力、この魔界のために振るいましょう」


 細かい事は後で決める事となり、会食は再び軽い雰囲気となる。

 そこで、この旅のもうひとつの目的を話すと、ペルモリアは食い気味に興味を示した。

 アマーリエの予言と、スタルジャの救助だ。


「ダークエルフを助ける……と。

それは難儀な、いや、だからこそ、この地に来たと……。して、その者と殿下のご関係は……」


「婚約者だ」


 そう答えた瞬間、ペルモリアは柔らかそうな椅子から、ガバチョと立ち上がった。



「え、うそ、マジ⁉︎ ダークエルフと王子の……っ!?

─── ヤダ、じゃあ〜ん‼︎」


 誰だよお前。

 そう言いたくなるペルモリアの豹変ぶりに助けを求め、オケラのチャールズを見れば、何やら涙ぐんでいる。



「こ、これは……女王さまの『タメ口』!

おお、実に数百年ぶりになりましょうか〜」


「えっと、チャールズさん? 『タメ口』ってなんなの? すごいことなの……?」


 困惑したユニの質問に、チャールズはハンカチで目尻を拭って答える。


「古きパルモルの先住民の言葉でございます。『身分の上下を撤廃した、親なる愛の口調』でございまして……。

─── なにぶん、女王さまはコミュニケーションへの積極性がアレでして、長いことお友達がおらず……」


「……そ、そうなの(え? アル様って友達なのこれ)」


 なんだろう。

 ユニの心の声が聞こえた気がする。


 ペルモリアは息継ぎなく、猛烈な勢いで質問のひとり一斉掃射を展開してゆく。


─── 長い夜になりそうだ……。

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