第三話 フォカロムの街

 ロフォカロム公領フォカロムの街並みは、何処かマラルメ達のいるエルフ郷、ケフィオスに似ていた。

 所々で魔力を動力に利用していたり、それに合わせて、街も整備されていたりするせいだろうか。


 大きく違う点と言えば、それらの魔導設備の規模と、大型種族と小型種族に合わせた建物の構造だろうか。

 出入口が大小ふたつ並んでいたり、高い位置に大きな窓と、低い位置に小さな窓があったりもする。


 港湾都市ともあって、倉庫や運河の整備もされていて、そこで使われているトロッコや荷物の昇降装置のような物も魔力で動いていた。


 ……人界の一部の国では、魔道具の開発が禁止されていたりするくらい、魔術の方向性に規制が掛かっている。

 そのせいか、こうした魔導技術の差が大きく開いていて、どうしても目についてしまう。


 そして、街造りに使われている石材は、ムグラ族のシノンカ遺跡や、アルカメリアギルド本部の街に使われているものと酷似していた。


「ここで使われてる石材と、そっくりなの使ってる街が人界にあるんだけど、シノンカ霊王国とかって聞いた事ないか?」


「石材……ああ『ヒード凝固土』のこと? これは石材じゃなくて、魔力で加工しやすい『ヒード凝灰岩』って岩の粉を、流して固めたものなの。

そのナントカって国は知らないけど、ずいぶんと昔に人界に伝えたこともあるって聞いてるわ」


 そう教えてくれるのは、急遽案内人として紹介された、淫魔族の女性だ。

 彼女の名はヒルデリンガ、サキュバスだそうだが、巻角が生えている以外は人間と変わりがない。 


 サキュバスと言えば、コウモリのような羽と、細長い尻尾があるものだと思っていた。

 でも、それは戦闘時だけであって、普段は邪魔だからと消しているらしい。


 それと、やはりサキュバスと聞けば、吸精に関わる性的な話が、まず頭に浮かぶものだろう。


 彼女は顔も整っているし、豊満な肉体である事は分かるが、ノーメイクにラフな格好でそういう空気は全くない。

 何というか、むしろ素朴で禁欲的な感じすらしている。


─── 本人曰く、『魔界なら吸精しなくたって生きていけるんだし、基本自然体』だそうだ


 むしろティフォの方が、淫魔のソレな格好をしてるんじゃないだろうか……。


「それにしても、さっきのは驚いたわ。いきなりあんな魔石出すんですもの。もしかして、あなたたちって、人界では資産家だったりするのかしら?」


「いや、俺達は、ただのしがない冒険者でしかないよ。人界では魔物の生息する環境が、魔界ほど恵まれてないからなぁ。

だから体内に魔力を貯蔵するんだろう。魔石が大きくなりやすいんじゃないのかな」


 公爵家への取次ぎの返事を待つにあたって、特に休憩も必要がなかった俺達は、この街を見て回る事にした。


 まずはこちらの通貨が気になり、ヒルデリンガに尋ねてみたが、もちろん人界の通貨と両替できる為替商などは無い。

 単純に金貨や銀貨の、素材としての価値はどうかと言えば、魔界の方が質が良いくらいで大損だとも分かった。


 で、ダメ元で魔石を出してみたら、彼女は目をひん剥いて驚いていた。


「ふぅん……環境の違いってやつかしらね。こっちでは魔石は相当に長生きした魔物か、悪魔族と魔族の一部しか生み出せないのよ」


「人界だと魔石灯とか、魔道具に魔石を使ってるけど、こっちでは動力はどうしてるんだ?」


「蓄魔銀って鉱石か、マナを変換する術式でまかなってるわね。

さっきの魔石ひとつで、魔道具どころか、相当な規模の国家事業できるくらいのエネルギーになるわよ?」


 こっちは強力な魔物がワラワラいると聞いてたから、相当良い魔石を出さないと、値段がつかないかと思ったがそうじゃなかった。


 古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンの魔石を見せたら、ヒルデリンガは『国でも買いに来たの?』と、初めて感情らしきものを見せた。


 魔界の魔導技術は、魔石の育ちにくい環境にあったせいか、魔力の変換効率の向上が進んで来たようだ。


「さっき魔石を作れるのは、魔物以外に『悪魔族か魔族の一部』っていってたけど、生み出せるのか?」


「生むって言うかね、魔力の供給ばかりが続くとね、体内に出来ちゃうことがあるのよ。

オシッコする時に、それが尿道を通って出てくるんだけど、超痛いらしいわよ?

……ここでは『贅沢病』って言われてるわね」


「「「うわぁ……」」」


 聞いてるだけで、下腹部が痛こそばゆい。

 俺も魔族なんだもんな、魔力はこまめに使っておくとしよう……。


「むごーっ! むごごんごぉーっ!」


 下半身のヒリつく話の脇で、ティフォの触手で雁字搦がんじがらめにされたソフィアが、口を塞がれた状態で騒いでる。


 ヒルデリンガがサキュバスと知るや否や『アルくんから離れなさい、この淫魔ァッ!』とか、暴れ出したのでこの通り。

 ソフィアの噴き上げた殺意の神気も、ティフォがどうやったのか、完全に抑え切っていた。


 『アルくんほど、女性に免疫のないピュア人が、淫魔の毒牙にかからないワケがありませんっ』とか、ハナっから敵意剥き出しだわ、俺の貞操についてバラすわ……。

 久々にそっち関係で取り乱すソフィアを見た気がする。


「ん、だまれソフィ。男に女が近づいた途端、頭から挑みかかるのは、ヤバイおんなのソレ」


「……んごぉ」


 うーん、相変わらずティフォの突っ込みは、鼻っ柱を叩き折る感じで、ゾグゾクするなぁ。

 ようやく毒気の抜けたソフィアは、がっくりと肩を落としつつ、ヒルデリンガに謝っていた。


「ふふふ。気にはしていないわ。貴女、本当にこの男の子が好きなのねぇ。

そういうの、ここ長いこと見てなかったから、ご馳走さまだわ。

─── 大丈夫。私はあまり惰弱な人間の男の子なんて興味ないもの」


「はぅぅ、誠に申し訳ありませんでした……」


「だから気になんてしてないって。だって、ほら、男なんてこんなもんじゃない ─── ?」


 そう言ってヒルデリンガは口元を微笑ませながら、ブラウンの瞳を紅く光らせて、俺を視線で射抜いた。


「うん? どうかしたのか?」


「 ─── あら? どうしてかしら、久しぶり過ぎて、失敗しちゃったのね。

はあ、退屈って人をダメにするのねぇ……」


 ヒルデリンガは、ふぅと詰まらなそうにため息をつき、純白に近い柔らかそうにカールした髪を耳にかき上げた。


─── ヴェオオオォォォン♡


 その時、俺の後ろを通りがかった、荷車を数台引く、巨大な灰色の地龍がえて後ろ足で立ち上がった。


 んん? なんか表情がトロけてるけど、発情期か⁉︎


 赤トカゲの発情期に、こんな感じの顔で追われた事がある。

 龍種は滅多に発情期が来ないものの、繁殖能力が馬鹿高くて、多種族の生物でも孕ませるとんでもない奴らだ。

 こっちによだれを垂らしながら向かって来るのを、ブン投げるつもりで待ち構える ─── 。


「イヤだわ、本当にダメね私。

……ちょっと、アンタに興味なんてさらさらないの。向こう行きなさい」


 劣情に顔をトロけさせた大型地龍が、ハッと我に返って、道へと戻っていく。

 ヒルデリンガの声に応じたようだ。


「へえ、それはサキュバスの力か? 発情期の龍種まで手懐けるとか、スゴイじゃないか!」


「…………失敗を持ち上げられるのは、胸がちくちく痛むわ、やめてちょうだい」


「うん〜? 今のって、ヒルデリンガが地龍を誘惑したように見えたの……。というか、アル様に ─── 」


「あら、そこの猫耳のお嬢さん、可愛いわね。ほんと可愛いわね、こっちいらっしゃい?」


「ひっ、シャアァァーっ!」


 ユニが毛を逆立てて、俺の後ろに隠れた。

 今のはちょっと、サキュバスぽかったな。


「 ─── 何やってんだお前ら……」


 知り合いらしき人に、どこかへ連れて行かれてたロジオンが、ようやく戻って来た。


「公爵は明日会うことになった。公爵家に宿泊を勧められたが、断っておいたぞ。

お前らそこらの宿の方が、気楽に過ごせるだろ?」


 流石に子ども本部長、冒険者の心を、よく分かっていらっしゃる。

 お堅い雰囲気とか苦手だし、どうせなら初めて来た街を、楽しみたいもんな。


「この先に、俺の知り合いのやってる店があるんだ。そこで飯でも食おう」


「……あら、じゃあ私はこの辺で、おいとましようかしらね」


「色々教えてくれてありがとうな。お礼に飯でも奢るけど、一緒に行かないか?」


「やめておくわ。変に食欲湧いたら面倒だし。お誘いありがとう、これで失礼するわ」


 飯屋に行くのに、食欲湧いたら困る?

 あ、あっちの方の食欲か。


 俺かロジオンが危なかったって事か?

 いや、ヒルデリンガの視線は、警戒し切ったユニに向けられている。

 ……うーん、キケンな想像に捗りそうだ。


 片手をひらひらさせながら、ヒルデリンガは歩き出すと、すぐに人混みの中に分からなくなってしまった。



 

 ※ ※ ※




 ロジオンに連れて来られたのは、港から少し離れた、裏町のバルといった感じの店だった。

 かつてこの街に滞在した時に、この店の料理が気に入って、しばらく通っていたらしい。


「魔界に暮らす奴らは、寿命が長い種族が多いからな。食に快楽を求める文化があるんだ。

何でも美味いが、おすすめはパンだ。驚くぞ」


 魔術で翻訳してるから、メニューの魔人語も読めるけど、いかんせん何の料理かまでは分からない。

 とりあえずロジオンにお任せして、先に出て来た炭酸入りの酒で乾杯する。


「どうだ? 魔界に来た感想は」


「これだけ人種に溢れると、余計にぎやかに感じるもんだな。誰も彼ものんびりしてて、意外だったよ」


 結構な数の人々に話しかけられたが、マイペースというか、ポヤポヤしてるのが多かった。


 途中、魔人族のおっさんにも話しかけられたが、あんまりにテキトーな話ぶりは、旅人ザックを彷彿ほうふつとさせるものがあった。

 ザックのあれは、種族の個性だったのかと、妙に納得してしまった。

 ただ、魔人族がみんなアレかと思うと、正直かなり面倒くさそうだ……。


「魔物もふつうに街で暮らしているのは、かなり驚きですね♪」


「知能の高いのは、共存できてるな。ただ、街の外は気をつけろ。見た目は同じでも、魔物としては人界のより遥かに賢くて強い」


 単なる個体差じゃなくて、魔界の魔物は、行動パターンも強さも違うらしい。

 人界のままの感覚で挑むと、裏をかかれる事があるそうだ。


「獣人族も多いようだけど、魔力操作の多いこの世界で、ちゃんとやって行けてるのかしら?」


「まあ、肉体労働に偏りがちではあるな。魔力の扱いが苦手でも、魔道具なら魔力さえあれば問題ないんだろ。

どの種族でも魔力分配の恩恵はあるから、生まれつきの家業を継ぐ以外は、日銭稼ぎで事足りるんだ」


 皆んなが皆んな、仲良しってわけでもないが、特に種族や経済力で上下関係も無いらしい。

 最低保証(生命としての魔力分配)がある暮らしってのは、こんなにも穏やかになるものなんだろうか、この旅で見て来た人界の国々と比べて平和そのものだった。


「まあ、のんびりってのも悪くは無いが、その分競争がねえからな、あまり二十年前と変わってない。

良いのか悪いのか、判断もつかないがな」


 競争が成長を生む。

 でも、それだけが人々の進む方法じゃなくてもいいんじゃないだろうか。


 そんな事を考えていたら、ワゴンを押した店主がやって来た。


「 ─── あいよ、お待ちどう」

 

 色々と話し込んでいる内に、店内にはすでに美味そうな匂いが、これでもかと漂っている。

 テーブルに置かれた料理を見て、皆んな思わず息を飲んだ。


 サラダ、スープ、魚のサイドディッシュに、肉のメインディッシュ。


 献立はオーソドックスで、人界と変わらないが、盛り付けからこだわり抜かれた仕事が見えてくる。


「ムグラたちも、ヒマだから料理に没頭したと言ってましたけど、これは……」


「手をつけるのが、勿体ないの。ああ、でもお魚さん、いい匂い♡」


 サラダに使われている野菜は、色づく前のまだ若い葉が複数種、その上にサッと湯がいた豆。

 白く透き通ったとろみのある液体が、油の粒をキラキラさせながら流れている。


 とりあえずサラダからと、一口運んで見れば、若い葉菜の柔らかくもシャキシャキとした瑞々しい歯ごたえ。

 上に振られたものは、酢のほんのり利いた、柑橘の香りを含んだあっさりとしつつ、深みのあるソースだ。

 葉菜の種類によって、味わいが変わり、味の微妙な凹凸の変化が楽しい。


「はんっ♡ これは……手厳しいニャン」


 ユニが妙にしっとりした声を漏らしたのは、オグチという白身魚の一皿だ。


 白身魚の切身に、小麦粉をはたき、カリッと焼き上げてある。

 皿には色とりどりの、香味野菜が細かく賽の目に刻んだものが入った、黄色いソースがたっぷりと敷いてある。

 ナイフを当てた瞬間に、焼き色のついた小麦にカリッとした手応えが感じられ、ほっくりと身が割れた。

 身の間から上がる湯気は、バターの甘やかな香りと、ほのかにレモンの香気が含まれている。


 それだけでも、唾液腺が刺激されて、あごの脇がツンと痛んだ。


「むお……っ、ホックホクだこれ! 淡白なのにしっかり旨味のある魚だなぁ、バターのコクが引き出してるのか? 

なのにレモンの風味が、バターの油っぽさを消してる」


 塩と香辛料を振ってある切身は、それだけでも美味いのに、ソースと付け合わせがまた秀逸だった。

 湯がいただけのインゲンと、細く切りそろえられたタケノコ。

 魚の身と一緒に噛めば、フレーク状に解れる身の歯ごたえに、瑞々しいきゅりっとしたインゲン。

 しゃくしゃくした、ほんのり塩っ気のあるタケノコが、甘味と共に食感の膨らみを持たせる。


 ソースは塩気の効いた、小麦の甘みとまろやかさの加わったもので、こちらにもバターが利いている。

 一緒に煮込まれた、賽の目の香味野菜は、甘味とほのかな酸味で魚の印象を大きく広げた。


「さて……肉の前に、このパンを」


 チーズを練り込んで焼いたのだろう丸いパンは、ほんのりと温かく、甘く芳醇な香りを漂わせていた。

 ロジオンは『驚くぞ』と言っていたが、見た限りでは人界のものと、それ程大きな違いはない。

 ただ、割ってみようと手に取った時、それが思った以上に軽く、柔らかいのにまず驚いた。


「わ、このパン、中が真っ白だ」


「小麦の加工が進んでてな、こっちのは混ぜもんも無しで、そうやって白いパンが多いんだ。食ったらもっと驚くぞ」


 白くてふかふかの断面には、細かくて均一な気泡の穴が並び、所々に練り込まれたチーズが黄色いアクセントをつけている。

 生地の外側にはみ出したチーズは、焦げ色がついて、食感に見事なアクセントをつけていた。


「ん、あまい。すっごいふかふかなのに、もちもち」


「発酵が違うのでしょうかね? 風味と味に深さがあって、鼻に抜けていきますよこれ。

ああ、これ好きです〜♪」


 あっさりなのにコクがある、優しいのにパンチがある、美味いものにはこういう矛盾がよくあるものだ。

 このチーズパンも例に漏れず、軽いのにコクが舌に残り、ふわふわなのにもっちりとした食感がたまらない。


「ああ、料理の組み合わせが完成され過ぎてて、酒に手が伸びないや……」


 思わず嬉しい悲鳴を上げると、エリンがぐいっとカップを煽り、おかわりを頼んでいた。


「大丈夫、このステーキ食べたら、そんなこと言ってられないわ……」


 エリンの目が座ってる。

 肉料理専門の彼女が、これだけ感情移入するのは、相当だな……。


 一種の覚悟を持って、メインディッシュのステーキに向き合う。


 分厚い石のプレートに盛られた牛肉は、焼き色は申し分なく、表面に軽く香辛料が振られているのみ。

 小皿には赤味を帯びた粗塩と、褐色のソースが添えられていた。


「 ─── ん? この肉、厚みがあるのに、スッとナイフが入っていくぞ⁉︎」


 切り口を覗いてみれば、芯がほんのり赤く、申し分のない火の通り具合。

 肉汁は溢れ出るんじゃなく、しっとりと断面をつややかに滲ませる、静かな景色。

 ……これ、食わなくても分かる。


─── 絶対、美味いやつだ‼︎


 まずはそのまま、小さく切っただけのステーキを、一口頬張る。


「 ─── ッ⁉︎」


 噛む程に旨味をグイグイ放出して、確かな歯応えを見せたのに、口中で消えた ─── !

 口に残ったのは、牛肉本来の風味と、ナッツのようなほんのりと甘みを孕んだ香気。


 気がつけば、酒の注がれたカップに、手が伸びていた。


 透き通った酒は、このロフォカロム公領の名産、ウォルデグという火酒を炭酸水で割ったもの。

 度数は控えめながら、柑橘系の酸味とほのかな苦味が、喉にくる酒精を強く感じさせる。


 爽やかで刺激的な喉越しが、肉の旨味をやんわりと消し去り、更なる肉の味を恋しくさせる悪いヤツ。


「くぅ〜っ、これだこれ。これを食うと魔界に来たって気がするぜ」


「これ、なんでこんなに柔らかいんだ? それに旨味がとんでもない勢いで噴き出してくる」


 ため息交じりにそういうと、店の主人がニッコニコで話し掛けてきた。


「いやぁー☆ あんたら、ホントに美味そうに食ってくれるよなぁ!

さっきから見てて気持ちがいいや!

その肉はさ、ロフォカロム公領の一級認定された、熟成牛肉のリブロースだよ」


「一級?」


「牛に等級を振るんだわ。皆んな牛肉が好きでよ、餌から寝床から、全部こだわり抜いて育ててんのよ。

うちのステーキはな、最上の特急までは出せねえにしても、二番目に美味え一級だ。

そいつを四十日以上、乾燥熟成させてんの」


「四十日⁉︎」


 肉はおろし立てだと、旨味が少ない。

 肉を寝かせる事で、旨味が出て、肉質も柔らかくなるもんだ。


 ただ、温度管理と湿度管理が難しく、失敗すれば水の泡。

 乾燥熟成は解体した肉を、熟成室で吊るして休ませ、余分な水分を飛ばしながら旨味を凝縮させる方法だ。

 管理の難しさから、通常は長くても二週間程度。

 四十日ともなると、相当な経験と知識が必要になるだろう。


「このフォカロムはよ、人魔海峡の湿った風と、寒流に冷やされた風が吹くんだ。

海岸にむろを造りゃあ、理想的な熟成が出来るってもんよ。この街の誇りだね」


「道理で柔らかくて濃厚なわけだ……」


「塩はパルモル領の岩塩、ソースは同じくパルモルの干しトマトを使った、うちの秘伝よ!

まあ、楽しんでってくれや♪」


 そう言って、店主は高笑いしながら、厨房へと戻って行った。

 喋り方は男前だが、身長はロジオンと同じか、やや低いくらいの小人族ハーフリングだ。

 何となく、ロジオンがこの店に通った理由が、味だけじゃ無いんじゃないかと、邪推してしまう。


 テーブルの端っこには、自分より大きなステーキに、正座してかぶりつくミィルの姿がある。

 テーブルの下では、ベヒーモスがうみゃうみゃ鳴きながら、ステーキを食べている。


 人種のるつぼ、魔界に驚いてはいたけど、俺達の組み合わせもまあ、なかなかにアレだ。


「帰りにはスタルジャにも、食わせてやりたいよな」


 ポツリと呟くと、皆んながうなずく。

 その後には、黙々と食べる作業に取り掛かり、なんとも静かな食事風景となった。


 美味すぎる飯は、和気あいあいにはならないもんだと、改めて実感させられる ───




 ※ ※ ※




 夜、宿の大部屋で、窓から夜の海を眺めながら、あれやこれやと話をしていた。


 ロジオンは『婚約者だらけのお前らと同じ部屋は、独身者には地獄でしかない』と、別の一人部屋を選んだ。

 俺だってこれがイケメンヴァンパイアのシモンと、その子猫ちゃん達との旅だったりしたら、迷わずロジオンと同じ答えを選んだだろう。


 ……ただ、実際ロジオンは魔界の知り合い達に連絡を取るべく、忙しそうにしていて、そっちで気を使ってくれたんだろう。

 彼は宿を訪ねて来た知り合いと出掛け、帰りは夜遅くなると言っていた。


 流石はかつて魔大陸に名を馳せた『炎帝』だ、彼の帰還は信用のおける伝手を通じて、息のかかった人々に広がっているらしい。


「なあ、エリン、ユニ。ふたりが使ってた魔術印の事、教えてくれないか?」


「ん、分かった。……でもその前にアル様、さっきからそこに、しれっとぶら下がってるコウモリが気になって仕方がないわ」


「ん、エリン修行がたりない。もう、そこに触れちゃったのか」


 うん、子犬サイズのコウモリが、部屋にぶら下がってて気がつかないわきゃあない。

 それも、ビン底みたいな眼鏡着けてるコウモリなんて、まあ他に考えられないわな。


「……ローゼン。そこで何やってんだ?」


『えっ? ち、違うのです。私は通りすがりの、ちょっとキュートでおしゃまな、ただのオオコウモリなのです……プフッ』


「自分で言ってて、笑うなら言うなよ」


『よく私だと気がついたのです。流石は私のダーさん、愛の力ってすごいのです。頭がクラクラしちまうですよ』


「それは、逆さまにぶら下がってるからじゃないか?」


 『おお、それなのです』と呟いて、オオコウモリがぷるぷるしながら、腹筋で体勢を戻そうとするも苦戦していた。

 仕方なく助けてやると、俺の胸に顔を埋めて、すうはあされた。


「旅について行くのは、プロトタイプの誓いを破るんじゃなかったのか?」


『これは使い魔に意識を乗せてるだけなので。私ではないので、問題ないのです』


「どうした。何かあったのか?」


『…………ボソッ』


「え? なんだって?」


『…………のです』


「ごめん、声が小さくてよく聞こえ ─── 」


『寂しくなっちまったですよぅッ! 分かれよちくしょーなのです!』


 待つのは慣れてるって言ってたのになぁ。

 ローゼンオオコウモリは、うわあぁと叫びながら、俺の胸でバタバタしている。



─── 数分後。



『大丈夫だと思ってたのです。……でも、皆さんとお別れして、屋敷に戻ったら、なんだか部屋が広くて』


「あー、結局誰の屋敷か分からずじまいだったけど、あの家でっかいもんなぁ」


『そうじゃねえ。そういうことじゃねぇですよ! あんま上等こかないで欲しいのです』


「じょ、上等こく……? すまん、ちょっと可愛くてからかいたくなったんだ。許してくれ」


 寂しさからか、ローゼンの気が短い。

 怒らせちゃいけない相手だと、今更ながら思い出して、テーブルにあったバナナを食べさせた。


『んぐっ。へぇ、冬なのにバナナがあるとか、魔界はやっぱり進んでるですね〜♪』


「ん、ローゼンもちょろい」

 

「ティフォ、今はそっとしてあげなさい。

─── まあ寂しくなっちゃったんだからしょうがないよな、ゆっくりして行けよ」


「ん、オニイチャ。初日の夜から毎晩、船の周りパタパタしてたよ?」


 重症じゃねえか……。


『ああ、話の腰をバッキリやっちまったですね。面目無いのです。

─── アレは私も是非お聞きしたいのです、エリンちゃん、ユニちゃんお願いするです』


 どうやらローゼンも、ふたりの新魔術技法を見ていたらしい。

 彼女が興味を持つって事は、やっぱり前例の無い技法なのだろう。


「これを見て欲しい ─── 」


 そう言ってエリンは背中を向けると、服を脱いで肌を露わにした。


「「「 ─── !」」」


 エリンの背中、めちゃくちゃ綺麗だな……とか、そんなスケベ心は軽く吹き飛んだ。


「エリンちゃん、その魔術印は一体……?」


「私にもあるの。呪符魔術用のインクで、お姉ちゃんと描きあったの」


『これは……魔術印を重ねて描かれているのです。それも、インクを変えて印が混ざらないようにしてるですね?』


「流石ローゼンね。そう、私たち獣人は、細かい魔力操作が出来ないから、魔術印に頼るしか無かった。

でも、魔術印は術式を簡略化したものだから、複雑なことはできないし、新たに創り出すのも難しい……」


 ユニはカバンからインク壺をふたつ取り出して、右の手の平に『炎』の印、左の手の平には『風』の印をそれぞれ違うインクで描いた。


「魔術印は混ぜちゃうと、術式が壊れちゃうから、それなら重ねたらどうかなって思ったの」


 ユニは両手の平を合わせて、魔力を送り込んだ。


─── ゴウッ! ……シュルルルルル……


 目の前の空間に、小さな火球が現れると、風がその周りを回転して火の竜巻を生み出した。

 小さな炎が、風の空気を取り込んで、白熱していく。


「魔術印では、複雑な合成魔術が出来ないから『火炎龍』は出来ないの。でも、こうして重ねて発動させれば、似たこともできるって閃いたの。

天才なだけに ─── 」


 熱量の急上昇で、発光を始めた火柱に照らされ、ユニがドヤ顔を決める。


「ユニは補助魔術の研究をしてたから、組み合わせていくことの大事さは、元々知っていたみたいなのよ。

まさか、インクから変えて行くとは、思わなかったけど……」


 目からウロコがボロボロ落ちた気がする。


 魔術印は獣人族に、とりあえず魔術を使わせる為の応急的な対応だった。

 俺自身、あまり使って来なかっただけに、こんな考え方をした事はなかった。


「じゃあ、その背中に描かれた、模様の数々は全部その重ねた魔術印なんですか⁉︎」


「手だとスペースが狭いし、ちょっとしたことで暴発しちゃいそうなの。だから背中に描いて、発動する時は、そこに魔力を意識するの」


 獣人族は魔力操作が苦手なのは確かだ。

 それは肉体強化との相性が高過ぎて、体に魔力を巡らせようとすると、肉体に持っていかれてしまうからだと聞いた。


 ただ、肉体強化に関しては、筋肉の部位ごとに強化できるくらいの器用さがある。

 エリンの背中の印は、それぞれ大きめな筋肉の上に描かれていた。


「ユニが思いついてからは、私は成功率を上げるために、魔術印の描き方を試し続けて……」


「私は補助魔術の特性を活かして、ソフィ達の使う奇跡みたいに、防がれない方法を考えてたの」


 ポカーンだ。

 この姉妹、もの凄い事を編み出したぞ⁉︎


「……すごい。魔力そのものを体内で動かす獣人族ならではの新技法じゃないか! いや、これを応用すれば、魔術がもっと身近になるし、新しい術式だって生み出せるかも知れない……!」


「「 ─── ッ♡」」


 褒めた瞬間、ふたりが飛び込んで来た。

 いや、ちょっとエリンさん、あなた今トップレス……ッ‼︎


「えへへ♡ ユニえらい? 天才ニャ?」


「アル様、あたしも頑張った。エライにゃ?」


 ぐああっ、エリンのふたつの赤豹族が、シャツ越しにニャンニャンしてくる!

 それも衝撃だが、この技法も衝撃的過ぎて、ギリギリ理性が仕事してくれていた。


「お、おう! ユニは天才だし、エリンの努力もすごいぞ!

俺が目覚めた夜から始めたんだって? この短期間でよくここまで ─── !」


「ああ、だからエリンちゃんの術式は、整い切れてない箇所があったんですね?」


 そう、それだ。

 つづりがデタラメだったり、効果の被りがあったりしたのは、きっと魔術印の調整の…………


「それはあたしが……おばかちゃんだから」


 気の毒な空気が、大部屋を薄暗くした気がする……。

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