第二話 エリンとユニの新技法

 衝撃波と共に、暗い海の中を青白い光の線が、遥か遠くまで一直線に突き抜けた─── 。


 直後、舟先の海面が大きく盛り上がり、激しい水飛沫が打ち上がる。

 海中に走った光の上では、海面が真っ直ぐに凍りついて、氷の一本道が出来上がった。


「海龍も闘ってくれてるのか……」


 水中で船をいていた、海龍のブレスだろう。

 自ら船に繋いだ鎖を外したのか、海面が大きくうねり、大蛇の一部がそれを追って離れていく。


 ブレスの作り出した氷の道の両脇には、凍りついた大蛇の柱が立ち並び、やがて波に押されて砕け散った。

 海面には巨大な氷の浮島が、点々と漂い、ぶつかり合う重苦しい音が響いている。


 その合間から鎌首をもたげた、透き通った大蛇達が次々と現れ、船を囲い込んだ。

 『どう料理してくれようか』とでも言いたげに、海上に大きく伸びた体をくねらせて、俺達をジッと見下ろす。


「─── 【氷術印アイススペル従動開放リンク】……」


 エリンの口から、再び新型魔術印の名が紡がれた。

 次の瞬間には、彼女の頭上に浮かび上がった複数の魔術印から、青白い光線が発せられる。


 それは日没直後の藍色の世界に、大樹の樹形の如く枝分かれしながら、水蛇達へと次々に突き刺さっていった。


 瞬時に凍りついてゆく、蛇の林の隙間から、後ろに控えていた蛇の群れが現れる。

 仲間であったはずの、その氷柱を崩しながら、大蛇達はエリンへと殺到した。


 海中から新手が現れる速度が増し、いつしか船は、相当数の蛇に囲まれている。

 その数、数十から百はあろうか─── 。


「これは、エリンの手数が足りないか……?」


「ブッ飛ばすには事足りるが、流石にオレの属性じゃ水相手に分が悪い。

エリンってのは武術系かと思ってたが、なんだあのデタラメに高出力の魔術は……」


 浮幽魚を燃やし尽くしたロジオンが、隣に立って感心している。

 確かにエリンの新型術式は、とんでも無く破格で高出力だが、大蛇の数はそれを凌駕してさらに増え続けていた。


「まあ、ジリ貧だな。おいアルフォンス。

手ぇ、貸さねえで─── 」


 そうロジオンが言い掛けた時、船首から海へと飛び出す姿が目に入った。

 体の周りに、色とりどりの魔術印を浮かべ、海上の氷を駆けていくユニの姿だ───




 ※ 




 私はお姉ちゃんほど、武闘派じゃない。

 小さい頃から、勝てるはずのところで力を出し切れない甘ちゃんだって叱られて来た。


 大きい声とか音がキライ。

 がつがつギラギラした人がニガテ。

 ……闘うのは、好きじゃなかったの。


 でもあの時、森でアル様にアンデッドから、お姉ちゃんとふたり救われてから─── 。

 私は強くなりたいと思った。

 あの人の側に居たいと思った、そして、それと同じくらいに……


─── 強さは、正しさを主張する、手段だと憧れた


 自分が正しくないと、誰だって思いたくはないはず。

 だから、正しさは闘って勝ち取らなきゃいけないんだと、私は強く強く思った……。


 幼い頃から、私が困るとお姉ちゃんが、いつも前に出てくれた。

 引っ込み思案な私を、お姉ちゃんは心配ばかりして、守ってくれる。


 自分自身、それに甘えてるのはズルイと、そう思ってた……。


─── でも、魔術印との出逢いが、私を変えた


 闘技場では、初めて人間と闘って、魔術で勝った。

 そして、タイロンとの三人旅、獣人族に魔術印の技法を教える旅で、私は『先生』って呼ばれた。

 ……胸がドキドキしたの。


 自分でも強くなってるのは感じてた。

 でも、そんな中で私は『補助魔術を極めよう』と思った。

 お姉ちゃんが大事だから、アル様たちのお役に立ちたいから。


─── でも、勇者にアル様が斬られた時、私はそれが『逃げ』だったんだと思い知った……!


 私がキライだったのは『闘い』じゃない!

 負けた時に、自分が『正解じゃない』って、そう自覚するのがキライだったんだ!


 ……幼い頃、お姉ちゃんは私を守った後に、よくこう言ってくれた。

 『ユニはね、本気を出したら、私より強いんだからね』


 あの頃は、私にやる気を出させるための、お姉ちゃんの出まかせだと思ってた。

 でも、ローデルハットでお姉ちゃんと『共闘』を誓ってから、私は気がついた ─── 。


─── 私はなの


 あれから二週間、死に物狂いで、今までを思い返した。


 アル様たちの魔術は? 

 闘い方は?

 補助ってなに? 

 攻撃ってなに?

 獣人族ってなんなの?


 そこから生まれた、新しい私の闘い方。

 それは……こうだニャ─── ッ‼︎




 ※ 




 ユニが海上に躍り出てから、エリンの攻撃が緩められた。

 海面に散らばる、氷の舞台の上を、ユニは肉体強化を重ねて高速で移動している。


「─── まさか、エリンの凍結魔術は、ユニの足場作りのためか……⁉︎」


 ユニは自身でも凍結魔術を放ち、海上に氷の柱を作りつつ、船の外周を大きく周り切る。

 そうして今度は、風の魔術を発動して、船の真上の空へと飛び上がる。


「─── 【耐性固定レジストアンカー従動解放リンク】……!」


 ユニの声と共に、海上に巨大な魔術印が複数重複して描かれて、大蛇達がすっぽりと収められた。


─── ドグン……ッ‼︎


 水の大蛇達が一斉に、全身を大きく痙攣させると、ビタリと動きを失う。


「…………なんだこの術式。

こんなの……見たことないぞ……⁉︎」


 時間停止でも、即死魔術でもない。

 俺の属性付与にも似てるし、単なる攻撃強化魔術にも似てる─── ?

 いや、術式として成り立ってるのかすら、よく分からないつづりだ。


 ……それなのに、海上に顔を出していた数百の大蛇全てが、ピクリともせずに硬直している。


─── シュルルル…………ストッ!


 ユニは上空から甲板の上へと、猫よろしく手足を着いて、しなやかな着地を決めた。

 すぐにスクッと立ち上がると、俺にウィンクをひとつ、エリンとハイタッチをかわす。


 少しの間を置いて、弾けるような破裂音が、周囲一帯に重複して響いた─── 。

 やがて、大蛇の肉体が崩壊して、巨大な肉片が海面を叩き、地鳴りのような音と共に船を揺らす。


─── ドドドドドドド……


 辺りは激しい水飛沫が上がり、冷たい霧を孕んだ風が、容赦なく吹きつける。


「今の魔術印は……? あれだけ広範囲を魔術印で制圧するのは、もう見事の一言だけど……。

─── 術式は不完全だったよな?」


「ふーっ、ふーっ……実験大成功ニャ……。

でっかい魔術印は、モヤ〜ンってした、ダメダメ肉体強化魔術ニャ!

肉体情報に、モヤ〜ンとした強化魔術を、どす〜んって刻み込んだのニャン!」


 不完全な肉体強化で、肉体情報をいじる?

 …………んん、なんだそりゃ?


 珍しく興奮したユニは鼻息荒すぎて、何を言ってるのか、正直ちょっとよく分からない。


「んでもって、情報を変えた大事なところを【解毒ダドゥエン】の魔術で、まるっとかき消してやったのニャ……。ハアハア」


「肉体情報……ダメダメにしてから【解毒ダドゥエン】?

…………あ⁉︎ もしかして、そういうアレ⁉︎」


─── やっと分かった


 ユニは肉体強化系の魔術を、わざと失敗させて、元々の肉体情報を改変させた。

 

 例えば内臓そのものを『異物』とさせる。

 そして解毒魔術の中には、体内に入り込んだ毒や汚れを、肉体情報を元に『異物を消し去る』なんて仕組みのものがある。


─── ユニは相手の肉体の重要な部分を、毒だと誤認させて、解毒魔術で奪い去った


 状態異常を引き起こすような、マイナスに働く魔術は、相手が強ければ効かない事も多い。

 魔術耐性の多くは、拒絶が大きな引金になるからだ。


 しかし、補助魔術なんかの、プラスに働く魔術は、まず弾かれる事はない。

 【解毒ダドゥエン】も同じで、プラスの魔術なのだから弾かれたり、耐性を持たれる事もない。


─── 超低コストで、回避不能、防御不能


 姉妹そろって、とんでもない術式、いや……技法を編み出してしまった。

 ふたりは未だ興奮気味で、挙動不審なくらい落ち着きがないが、仕方がない……。


 ……それだけの大それた事をしたのだから。


「あ、アル様! ユニは『正解』したかニャ⁉︎」


「……ああ、凄すぎて、何て言えばいいのか分からないくらい、凄い……!」


「やっぱ私は、天才だったニャーっ‼︎」


 雄叫びを上げたユニは、タックル気味に飛び込んで来たと思ったら、俺の脇腹に首元をグリグリ擦り付けて来た。


 頭をでてみると、ゴロゴロのどを鳴らして、本当の猫みたいになってる。

 赤豹族にも、このゴロゴロ機能ついてたのか。

 そう思って撫で続けていたら、足元にポタポタと滴るものがある。

 ……ユニは



「うん、凄かったよ。ユニはよく頑張ったな」


「……ふぐぅ〜っ、私……がんば……っ、えぐぅっ」


 ふと船首の方を見ると、エリンは魔術印を浮かべて、難しい顔で何やらブツブツつぶやいている。

 何やら反省点があったらしい。


 ……こりゃあ、まだまだ強くなりそうだな、このふたりは。


「ん、おつかれオニイチャ」


「おー、ティフォもお疲れさん。船尾側、ひとりでさばいてくれてたのか?

……俺は何も仕事してないよ。こっちは、エリンとユニがやってくれたしな」


「ん。途中から見てた。あれは、まだまだ改良できそう。おもしろい」


「うん。エリンの方は、術式の基本を洗い直すだけで、とんでもない事になりそうだ。

ユニの方は……現時点でヤバイ。

ティフォの方はどうだったんだ? 全然闘ってる気配も無かったのに、気がついたら片付いてたみたいだけど?」


「ん、こっちも実験はせいこー。次はまけねー……」


 ギリリと歯ぎしりをする彼女は、いつも通りジト目だが、やっぱり勇者戦には相当な遺恨が残っているようだ。

 最近、ソフィアとふたりで、奇跡の研究に勤しんでるのを目にしてたけど、ふたりもしっかり前に進んでるんだなぁ。


「エリンちゃんとユニちゃんは、後で術式のお勉強会やってみましょうかね♪

たぶん、すっごいことになりますよ〜☆」


 ソフィアが上機嫌でやって来た。

 彼女の奇跡の結界も、魔術で考えたら規格外の性能だったし、結果にご満悦なんだろう。


 ひとしきり姉妹達とはしゃいだ後、ソフィアはロジオンの方に、真面目な顔で振り返った。

 それで気が付いたが、さっきからロジオンは眉間にシワを寄せて、何か考え事をしているようだった。


「今の海蛇さんたちは……ただの魔物の群れじゃあありませんよね? あれだけ大きな個体の集まりなのに、統一された意思を感じました。

何か思い当たることがあるんですかロジオン」


「断定は出来ないが……。お前の言う通り、あれは別個の魔物じゃねえな。

今まで魔界調査で向かったのと、同じコースを進んでたワケだが、あんなもん初めて見る」


 ロジオンはそう言って『この話はどっかで……』と、腕組みをして思い返している。

 やがて、彼はハッと顔を上げ、表情を険しくさせた。


「考えられるとすれば、ありゃあ人魔海峡の守護神『クラーケン』の一部だ。

昔、魔王さんから、配下自慢されたことがあってな、その中でさらっと言ってたんだ……」


 巨大な体に、強力な無数の触手を生やした、魔王海軍最強の神獣。

 何せ三百年以上も前の、軽い会話の内容だっただけに、ロジオンもたどたどしく話す。


「魔術の類が一切効かず、無尽蔵の再生能力で武器も役に立たない。

確か……触手の一部を大海蛇に変化させて、世界中の海に根を張れるとも聞いたが……。

さっきのは、それだったんじゃねえか? この海域に透き通った巨体の、大海蛇がいるなんざ聞いた事がねえ」


 確かにあれだけデカい個体が、フィヨル港の観測員達のゴーグルに、見つからないわけがない。

 ソフィアの言うように、別々の意思で動いているにしては、妙に統率が取れていた。

 

「普段は海底で寝てるだけの、人畜無害な生物だが……

─── 力を見せて契約した、魔王の命令を受ければ動く」


「…………⁉︎ って事は、今出て来たのは勇者の指示か!」


「「「 ─── ‼︎」」」


 全員に緊張が走る。

 だが、ロジオンは首を静かに振った。


「その可能性も考えたが、だとすれば本体が出てこないのは何故だ?

殺る気なら、とっくに全力で、潰しに来てるはずだ。勇者がクラーケンと契約してるんなら、そうするはずだろ」


「確かに。あの蛇さんからは、そういう契約の気配はありませんでしたね。

個人的なご挨拶でしょうかね、クラーケンさんの」


「あんまり、お近づきになりたくないなぁ。触手はもう間に合ってるし……」

 

 もう周囲には、索敵に引っ掛かるような、敵の気配はない。

 その代わりに、遠くまで大海蛇を惹きつけてくれていた、海龍が戻って来た。


「ん、おまえもごくろー。どれ、角砂糖をやろー」


「ティフォ、変なもんやるなよ? 腹でも壊されたら、この後大変だからな」


『グェヴォッ♪ グェヴォッ♪』


 ティフォが海龍の口めがけて、ポシェットから取り出した角砂糖を、全力で投げ込んでいる。

 『オェッ』ってなったりしないか心配だったが、微妙に気持ち悪い鳴き声を上げて、海龍も喜んでいた。

 ああ、水棲生物だから、声門とか違うだろうし、仕方がないが。


『ゥグェヴォッ♪ ……ぱくんっ♡』


「あ……」


 テンションの上がった海龍が、角砂糖を投げようとしたティフォの手ごと、パクリと頬張る。

 満足したのか、海龍が海中に戻ると、肩近くまで唾液でネロッネロになったティフォが船首に立ち尽くしていた。


 ああ……テカってる、すごくテカってる。

 俯いて微動だにしない彼女に、どう話しかけたものか一向に浮かばず、ふと視線を外した瞬間……。


 目前にティフォの顔が迫っていた ─── !


─── 抱きっ!


「ん、オニイチャ、すき」


「おいッ! 抱きつくな! こんな時だけ、素直な告白するのは止せ……!

─── ひぃっ、糸ひいた⁉︎ 拭いただろ、今俺で拭いただろそれ!」


 間も無く海中から鎖の張る音と、船の動き出す振動が伝わって来た。


 結局、クラーケンが何しに来たのかは分からなかったが、追撃される事もなく、静かな夜の船旅となった。




 ※ ※ ※




 人魔海峡は、文字通り人界と魔界の間に挟まれた、北東から南西に伸びる海峡だ。


 海峡の北端に広がる『極氷海』から、常に流れ込む冷たい海流で、魔界の海域は霧に包まれている事が多い。

 切り立った岸壁と、変化の激しい岩礁がんしょう地帯に海流は入り乱れ、人の侵入を拒む。


 東西に広がる魔大陸西部からは、海峡も途切れ、一転して穏やかな『大西海』が広がる。

 ……だが、そこには大型水棲魔獣や魔物のはびこり、今の造船技術では、生きて通れる場所じゃない。


─── 魔界は海と魔物によって、人界からの進入を、阻まれている


 人界に出回っている世界地図にも、魔界は北西の切れ端に、ちょっと顔を出している程度。

 その先にどんな世界があるのかは、人界では語られていない。


 それは魔界についての情報が、世界的に規制されているからだとは、この旅に出るまで分からなかった。

 ……まさか自分が魔界に渡るなんて、これっぽっちも思っちゃいなかったし、義父さんの生き様を知る旅でしかなかったはずだ。


 魔界が関わって来るなんて、想像すらしてなかったのだから仕方がない。


─── だが俺は今、確かに自分の目で、その風景をとらえていた


 切り立った岸壁が終わって現れた湾。

 その奥には、巨大な港と白い建造物の建ち並ぶ、美しい街の姿がある─── 。


「あれが……フォカロムの街なのね……。

そして、あそこからが ─── 魔界」


 エリンの呟く声に、思わず唾を飲み込んだ。

 魔界に辿り着いたんだという実感よりも、状況把握を鈍らせる、一種の放心状態ばかりが続く。


「な? 瘴気しょうきなんざ出てねえし、街だって綺麗なもんだろ。あれが魔界の入口、七魔侯ロフォカロム領の首都『フォカロム』だ ─── 」


 ロジオンの声に、ようやく人心地がついた気分だった。


 魔界と言えば『瘴気が噴き出し、草木は絶え、魔物の跳梁跋扈する死の大陸』だと、そう勇者伝やアルザスの伝記には書かれている。


 人魔海峡から見た魔大陸は、確かにそんな雰囲気があったけど、このフォカロムの街並みは洗練された港湾都市にしか見えない。

 その事実が、人界にはびこる情報操作を実感させ、困惑していた頭がハッキリとして来た。


─── あれが、俺の生まれた祖国なんだ


 と、感傷に浸っていたら、頭の横で見えない壁を激しくノックする音が響いた。


「おお、悪い。今出すよミィル」


 手の平で魔法陣を展開すると、黒い羽の妖精女王が飛び出した。


 ズダ袋の空間魔術を引用して、今はスタルジャも俺の時間停止空間に寝かせたまま、この旅にも連れて来ている。

 ミィルはスタルジャの体調を整えながら、精神世界へのアプローチを続けるため、彼女の体内に入ったままだった。


「ふわーっ! 来たね来たねついに!

あれが魔界かぁ〜☆」


「ああ、あれが最初の街のフォカロムだそうだ」


「いいねーっ、よいよ! 精霊も妖精もブンブンたかってるじゃん♪」


「たかってるて……」


 ミィルのはしゃぐ理由もよく分かる。

 この大地は、エネルギーはもちろん、霊的にも神聖な生気に満ち溢れてる。


─── ぐぎゅ〜るるる……


「あ、お腹なっちゃった☆

─── ロジオ〜ン、あそこって、なんか美味いもんあんの〜!」


 感傷もぶち壊す大声で、ミィルはロジオンにまとわりつきに行った。

 ……ミィルのやつ、またちょっと痩せちゃったな。


 スタルジャのいる空間は、肉体的な時間経過は止めても、精神活動はゆるやかに時間が動くようにしてある。

 それはミィルからのたっての願いで、スタルジャ自身でも闘えるよう、心までは止めないでやってくれと言われたからだ。


 返して言えば、ミィルはずっとスタルジャを助けようと、頑張ってくれているって事でもある。


「なあスタルジャ……。フォカロムがもう目の前だぞ」


 彼女の眠る空間に繋がる魔法陣に、そっと語りかける。

 もう、彼女の声が聞けなくなってから、二ヶ月が経とうとしていた。


 でも、彼女の守護神になってから、定期的に彼女の精神世界へと、夢の中で連れて行かれている。

 彼女には依然、気がついてもらえないままだし、彼女の辛い過去を見せられるばかりだ。


 それでも、彼女と繋がっている事だけは、守護神の俺が分かってる ─── 。


「フォカロムでデートするって約束したもんな。待ってろよスタルジャ、絶対に『おはよう』って言わせてやるから……」


 もちろん返事は無い。

 聴こえているのかも分からない。


─── でも、彼女の笑顔は、そこにあるかのようにハッキリと思い描ける




 ※ ※ ※




「えぇ……マジで?」


 思わず口をついて出てしまった。


 ……そりゃそうだ。

 だって港に着くなり、ギラギラした眼の住人達に、ぐるっと船が取り囲まれてんだもん。


 種族は驚く程に多種多様、獣人、魔人、龍人、リザードマンにドワーフ、上級の魔物とおぼしき姿もある。

 初めて見る種族も多く、魔王軍が勢揃いと言われれば、人界の人なら誰でも信じそうな感じ。


「…………(ロジオンさぁ、やっぱ俺達の事、勇者通じてバレたんじゃ?)」


「…………(大丈夫だ。まだ慌てる時間じゃない。多分、きっと、メイビィ)」


 小声でロジオンに相談したが、彼も動揺してるのが分かってしまい、かえって不安がつのる。


 この雰囲気は何だろうか?

 魔界の敵として狙われてんのか、密航者扱いでしょっ引かれるのか、どうなるのか分からない。


 まず、よく考えたらだよ?

 先代魔王は人界の勇者に討たれたわけで、無条件に悪感情持たれてても、全然おかしくないんだよなぁ……。


「 ─── ま、まあ、ここまで来たんだ。寄ってくよなお前ら?」


 何かロジオンが、飲みに誘う上司みたいな言い方しながら、ロープを桟橋に向かって投げる。

 いや『やめましょう本部長』って言おうにも、もう港の係留係の人が、ロープ繋ぎ始めちゃってるし。

 ……まあ、降りるしか無いんだけどさ。


 その間も、桟橋には住民達がどんどん集まって来てた。

 スルスルと着岸作業は進み、タラップが架けられると、ロジオンが率先して降りていく。


─── ザザ……ッ


 彼が上陸する瞬間、人混みが後退って、空間が開けられた。

 ロジオンは振り返って、俺達に手招きをして、こっちに来いと促す。

 今のところ、いきなり襲われるような雰囲気は、特にはなさそうだ。


 そうして、俺達も記念すべき、魔界の第一踏を叶えた瞬間だった ─── 。


「オゥッ、オメーら! まさか『人界』から渡って来たんじゃねえよなぁッ‼︎」


 俺より二回りも三回りもデカそうな、緑色の肌の巨人族風の男が、大声を張り上げた。

 周囲の群衆には、明らかに緊張が走っている。


 ロジオンはその男の前に、深く被った白い中折れ帽の頭を俯かせ、白い毛皮のコートの裾をたなびかせて近づく。


「 ─── ああ、そうだ!

オレは人魔海峡を越えて、二十年ぶりに、再びここに来たッ!

オレの名はロジオン・サーヴァス。

七魔侯、ロフォカロム閣下に取次ぎを頼みたい!」


 そう大声を張り上げて、帽子をサッと取ると、金色の髪をさらりと風になびかせる。

 自分の三倍近くはある巨人族を、真っ直ぐに見上げて、小さな子どもがたじろがせていた。


 まさかいきなり、ロジオンが名乗るとは思ってなかったから、かなり驚いてしまった。


─── ……あ、そうか


 ロジオンは何度か、魔界に来てるんだもんな。

 寿命の長い魔族とか、このざっくばらんにごった返してる種族の人達なら、ロジオンを知ってるヤツもいるのかも知れない。


 ここで彼が目立てば、俺の正体も分かりにくくなるだろうし、考えあっての名乗りだったんだな。

 

 ……静寂。

 そこにいた人々の誰もが目を見開き、人界からの小さな渡航者に注視している。

 だが、その静寂は突如として破られた。


─── ウオォォォォッ‼︎


 突如、割れんばかりの声が上がる。

 思わずズダ袋の中の、呪いの武器達に意識を繋ごうとした時、四人の婚約者連合からも殺気が走った。


「マジだ! マジで人界からだってよ!」


「すっげえ、おれ初めて見ちゃったよ人族!」


「なんだぁ? あの姉ちゃんたち、えっれえ殺気立ってんじゃねえか。腹ぁ減ってんだろ、おいっ、誰か食いモン持ってこぉッ!」


「よっく来たなぁ〜オメーらぁ、ほれ、まんじゅう食え、まんじゅう食え!」


「ばっか、長い船旅の後だぞ? んなもん、口が渇いてしょうがねえべさ!

ほれ、あんたら蜂蜜パン食うか、おっ?」


 一気に歓声が広がり、興奮した様子で、人々が押し寄せた。

 面食らっていた俺達の手に、どんどこ何かしらの贈物が乗せられていく。

 首には花で作った即席の飾りまで、いくつも掛けられた。


─── 大歓迎じゃねえか……!


 構えてた自分が恥ずかしい。

 ソフィア達も耳を真っ赤にして、へへへと笑っている。

 ズダ袋から『斬らぬのか主様』と、夜切の物騒な確認が聞こえて、慌てて止めた。


「ほれほれ、こんなとこで騒いでちゃあ、みんな邪魔になんだろうが! 港中央広場に移動だ移動、押すなよ、駆けんなよ、戻んなよーっ! 危ねえかんなあーっ!」


 最初に声を掛けて来た、緑の巨人族の男が仕切り、俺達は広場まで案内される事になった。

 ロジオンの依頼した『ロフォカロム閣下への取次ぎ』は、もう誰かが話をしに行ってくれているらしい。


 基本誰もが種族に関係なくニコニコしてて、とにかく陽気だ。


─── 俺の中の魔界観が、音を立てて崩れ去った瞬間だった


 こうして、俺は三百年ぶりとなる、魔界への帰還を果たした瞬間でもある ───

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