第八話 闘いの爪痕

 廊下の壁に塗られた白い塗料は、所々げかけ、より古く乾燥した雰囲気をかもし出している。

 窓から見える風景で、この建物が海岸沿いの高台にあるのだと分かった。


 海を目にしたせいか、この廊下に漂う空気に、薄っすらと磯の香りが混じっていたのだと気がつく。

 普段こういう匂いとかに敏感な方だけど、流石に俺も、今は余裕が無いらしい。


 ここはローゼンが招かれ、滞在するために用意された、貴族の古い別荘なのだそうだ。

 他にもきらびやかな屋敷を提案されていたが、この立地が気に入って、恐縮されながらも選んだらしい。

 廊下で度々使用人の姿を見かけたが、一礼するその所作に、一流のスタッフである気品が感じられた。


─── これだけの待遇、ローゼンの患者は、相当な権力者なのだろう


 いや、招いた人物が『プロトタイプ』を知っているのなら、彼女の知識を含めても、相応の待遇なのかも知れない。


 一週間近くも寝ていたせいで足腰が弱ってしまい、ソフィアとエリンに肩を貸してもらって、長い廊下を歩いていた。


「─── ここ……なのです」


 ローゼンに案内され、奥の部屋へと通された。

 入口脇には、見張り役のように、使用人がふたり立っている。


 中にいる者を大切にしているのか、それともそれだけ容態が良くないのか、物々しい雰囲気に不安が押し寄せた。


「─── これは……?」


 部屋の中央に、天蓋てんがいの掛けられたベッドが一台。


─── その周りを、小さな光が無数に浮かび、ふわふわと漂っていた


 精霊か……?

 薄っすらと彼らからは、魔力や生命エネルギーが、高い水準で内包されているのが感じられる。

 普通、精霊にはそう言った反応は、あまり見られる事がない。


 不思議に思って見ていると、精霊達は俺に向かって、スゥっと飛んで集まって来る。

 それが俺に触れそうになった瞬間、ベッドの中から魔力が発せられ、何者かが精霊達を引き戻した。

 その主が、やや間延びしつつも、慌てた雰囲気の声を出す。


『─── アルフォンス? ちょっと助けて!』


「その声、ミィルか! お前も無事だったんだな⁉︎」


『─── うー、そーいうのは後で! このままじゃスタがれちゃうよぅ!』


 ベッドに近寄って天蓋を開くと、無数の精霊に囲まれて眠る、スタルジャの姿があった。

 呼吸をしているのは、微かに上下する胸元の動きですぐに分かったが、嫌に彼女の気配が薄い……。

 そして何より、彼女の姿に違和感がある。


─── 肌が褐色の、ダークエルフのままの姿で、彼女は眠っていた


 勇者に斬られ、自動蘇生の魔術が発動した時から、彼女の体は闇に染まっていた。

 その胸元に透けるようにして、黒い小さな渦が見え、ミィルがそこに居るのが確認できた。


「……一体、何がどうなってる?」


『─── まだアルフォンスを守ろうとしてるの。もうたたかいはおわったのに、スタはまだ、魔力と生命力を、アンタに分けて生かそうとしてるんだよ〜ッ!』


「スタルジャ……!」


 彼女をよく見れば、確かにそういう術式が、強力に刻み込まれている。

 例え意識を失っても、その術が生きるようにと、深く強く……生命力譲渡の精霊術が掛けられていた。

 しかも、この術式は、呪術に近いくらい、想いを乗せた強力な物になっている。

 ……まるで、自分が死んでも、体内に残る全ての力を、与えようとしているかのように。


 その時の本人の意思が余りに強くて、ミィルではそれが解呪出来ず、今まで必死にスタルジャの魔力放出を食い止めていたらしい。


「くっ……! スタルジャ……今すぐ、解呪するからな……!」


 術式に魔力で働き掛け、術式を解こうとするが、強力に刻み付けられていてビクともしない。

 こちらも解呪に魔力を注ぎ込むが、シンプルな術式のはずなのに、まるで必死にしがみつくように耐え切ろうとしていた。



─── ……生きて……アル……



 精霊の光のひとつが、俺の頭に触れた瞬間、スタルジャの声が聞こえた気がした。

 術式の通りに働こうとする精霊達に、彼女のその時の気持ちが、そのまま残っているのだろうか……。

 その彼女の必死な想いが、胸の奥に突き刺さり、涙で前が見えなくなってしまった……。


─── これ程に、彼女は俺を救おうと……してくれていたのか……!


 何としても彼女を助けたい……!

 何が何でも彼女を助け、彼女に守られた俺が無事だと、その感謝を伝えたい。

 もう一度、あの人懐っこく笑う、彼女の姿が……声が……聞きたいんだ。


 だが皮肉にも、彼女が俺を守ろうとしてくれた想いが強過ぎて、術式が解かれようとしてくれない。

 まるで術式が命を与えられ、自らの意思でそうしているかのように、俺の解呪に耐えようとつづりを高速で変えて行く。

 …………ふと、俺に備わっている契約不備の力を思い出し、彼女の術式に指先で直接触れてみた。


─── ……バチィッ!


 青白い火花を散らして、術式が全く別物の、強力なものに書き換えられた。

 彼女の術式から想いが解放され、ようやく俺の解呪が通用して、精霊達はふわりと散って消えて行った。


「スタルジャ─── ッ!」


 彼女を抱き起してその体を検めると、俺に送ろうとしていた魔力や生命力が、彼女の中に戻って行くのが確認出来た。

 みるみる肌がツヤを取り戻し、呼吸が深くなる。


─── だが、目覚める気配は無い


 ローゼンの方を振り返ると、彼女は首を振っている。

 ソフィアやティフォ達も同じだった。


 ミィルが抑えていてくれたお陰で、魔力の枯渇が起きているわけではないようだが、彼女はもう俺と同じ期間寝続けている事になる。


「うはっ! やったねアルフォンス! 取り敢えず第一関門突破だよ〜。さすが禍々しい暗黒魔術師だね☆」


「ミィル、お前が居なかったら……スタルジャは今頃……。本当に助かった、ありがとうな!」


「え? えへへ、そうかなぁ、そうだろうなぁ〜。うん、褒めて褒めて☆ さあ褒め……」


─── ぐぅ〜ぎゅるる……


「ご、ごめん……。その前に、ごはん……ちょうだい……」


「あ、一週間、不眠不休だったのか……⁉︎」


 スタルジャの容態は、今すぐにどうこうと言うわけではないらしい。

 取り敢えず、この小さな功労者に食事を与え、労わなくては!




 ※ 




「─── スタルジャは一体、どうなっちゃったんだ……?」


「ん、その前にぃ〜♡」


「え、えらいッ! ミィルはすごいっ、女王さまッ、大妖精ッ!」


「えへへ。えへへへぇ……」


 胸にクリクリ押し付けてくるミィルの頭を、これでもかと撫でる。

 目の下にはクマ、そしてそれほど食事を必要としない彼女が、だいぶ痩せてしまっていた。

 余程、スタルジャを救う為に、魔力を酷使していたのだろう……。

 ……相変わらず奔放な口調なだけに、献身的で健気な彼女の、小さな背中が切なく思えた。


「……ミィルもひとりで頑張ってたんだもんな。心細かっただろ、済まなかった」


「へ? あ、ちょっ、そそそ、そんな事ないよー! 大妖精のあたしが、そんなわけないじゃん⁉︎」


 顔真っ赤で涙目だ。

 こりゃあ、余程辛かったんだろうなぁ、スタルジャとも仲良しだったし……。

 背中を撫でながら、魔力を彼女にたらふく、送り込んでおこう。


「…………スタはねぇ、体の傷はそこのが、綺麗さっぱり治してくれたんだけどね」


「バ、バケ……お、おう。幽星体アストラル・ボディの方は大丈夫なのか……?

俺と同じ、魔剣での傷だったはずだが……」


「はいです。そこのの言う通り、スタちゃんの傷は、完治してるです。

ダーさんと違って、腹部だけでしたし、傷が綺麗だったのが幸いだったですよ。

ソフィの治療だけでも、ほぼ埋まってたです。私は仕上げに、表皮の再生を整えて、呪いを解いただけですから」


 そう言われて見れば、俺の傷も腕は重症だが、腹の傷は何ともない。

 傷跡すら残ってないのは、流石ローゼンの技術だ。


「……じゃあ、何でスタルジャは、眠ったままなんだ?」


「─── 精神的外傷トラウマなのです。幽星体アストラル・ボディの損傷が、精神に負担を掛けるのは、先に説明した通りなのです。

恐らく、それが引鉄になって、スタちゃんは精神世界に……」


「…………スタはね、アルフォンスを失うのが、怖かったんだよ」


「─── えっ?」


「アルフォンスだけじゃないんだ。スタはね、もう大事な人を、失いたくないって、心の奥でいつもどこか怖がってる……」


 両親を失った過去の痛みか。

 スタルジャは明るいし、慣れた人には人懐っこいけど、妙に距離感に奥ゆかしさがある時があった。

 もしかして、人見知りするのも、単に人間嫌いなんじゃなくて、人と深くなるのに抵抗があったからなのだろうか。

 失う痛手を、増やさない為に……。


「スタが黒スタになるのはね、そーいう孤独とか、さびしさ、無力感が膨らんだ時なんだよ」


「そうだったのか……。

あ、でも、今もスタルジャはダークエルフの姿のままだ。あれはミィルが媒体になって、変身するんじゃなかったのか?

なぜお前がここにいるのに、黒スタのままなんだ」


「……今の黒スタは、マジもんのダークエルフになってるの……。心の奥の、暗い部屋に閉じ込められてるんだよ……」


「「「─── ⁉︎」」」


 ダークエルフのその後を、知る者は居ない。

 それは一重にダークエルフたる、その深い負の破壊衝動が原因なのか、世に絶望して何処かへ去ってしまうのか……。

 ……それとも、何らかの崩壊が、待ち受けているのか。


「スタちゃん……。

今スタちゃんは、ダークエルフ化こそしてますが、それよりも意識がありません。せめて、精神世界から連れ戻せれば」


「ああ。まずはそこだ。

ミィルだっている、スタルジャの心の傷が原因なら、それこそ『俺は大丈夫だ』って伝えてやりたい」


 ダークエルフ……確か予言者アマーリエも、ダークエルフ化したひとりだったな。

 彼女が魔界に渡って、どうなったのか、確かめる必要があるか……。


「ん、オニイチャ。タージャの夢の中、いけない?」


「─── ! それも有りだな! 夢を見ているかどうか、分からないけど……。

夜切みたいに、スタルジャの中に独自の世界が作れれば、もしかしたら……」


「あ、それならあたし、できるかも!」


「本当か⁉︎」


「アルフォンスと妖刀の関係って、取り憑いてるみたいな感じじゃん?

あたし、スタとそんなカンケーだし、多分できるかも。今夜あたり、アルフォンスの夢の中、連れてってよ!」


 考えられる手が無いわけじゃない。

 ここに居るのは、何かしらのプロフェッショナルばかりなんだ。


─── 待ってろよ、スタルジャ……!




 ※ ※ ※

 



 目覚めてから四日が経った。


 勇者との闘いから六日間、眠り続けていたツケは思いの外に大きく、特に太ももを中心に足回りの筋肉痛が酷い。

 体重を支える筋肉が、如何に普段からよく使われていたのだと、改めて認識させられる。


 歩くだけで、今の俺には筋トレだ。


 夢の世界では筋肉痛だの、疲労だのは関係が無いが、体というのは不思議なものだ。

 あちらで頑張った筋肉は、現実世界でそれに追いつこうと、成長しようとする。


 ローゼンとミィルも参加して、連日の夢の世界では、筆舌に尽くしがたい猛特訓が繰り広げられていた。

 ただ修練を積めば、勇者に届くと思っているわけじゃない……。

 勇者とリディのように、契約者と守護神の関係として、今よりも深く繋がる方が重要だろう。


 ……それでも修練に走るのは、単にジッとしていられない焦りが、皆にある事と……。


─── スタルジャの夢の世界には、入る事が出来なかった


 その行き詰まり感が、余計に気持ちを抑えられないという心境を、皆んなに作り出しているのだと思う。


「「「ただいま……」」」


 ローゼンと精神世界に関する、何か有効な治療法がないかを相談し合っていたら、ソフィアと赤豹姉妹が帰って来た。


「おかえり。そっちはどうだった?」


「……目ぼしい文献はありませんでした。やはり、ダークエルフについては、ほとんど情報がないみたいですね」


「こっちも。精神に働きかける術式の話はあっても、精神世界に入り込むっていうのは、まず見当たらない……」


「……ごめんなさいなの……」


 そりゃあそうだ。

 魔術王国とは言え、ここは人間族が起こし、中心となって発展した国。


 世界に『絶対中立』を宣言しているだけあって、亜人種は結構多く暮らしているが、エルフはまず居ない。

 そもそもエルフは、人間よりも遥かに魔術に優れた種族で、むしろ人間の造る魔術王国自体に寄り付く理由が無い。


─── エルフの情報は、基本人間の社会には、入って来ないのが現状だ


 そして、精神世界への介入に関しては、まず日常ではそれをする場面など、有り得ないのだから。


 ここ連日、彼女達三人はこの港町エブラクトにある、一番大きな図書館に入り浸っていた。

 ……でも、現状はかなり厳しい。


「アルくんたちは、どうでした?」


「考えうる限りの、精神に関する術式は、挙げたと思うんだけどな。やっぱり、人の精神世界に入り込む方法となると、難しいな……」


 ミィルもスタルジャの内側から、色々と働き掛けてはくれているが、精神に作られた仮想世界には届ける手立てがないそうだ。


「───明日からは、王都の王立図書館に行ってみようかと」


「ローデルハット王立魔導図書館か。俺もそっちに合流してみようかな」


「上級冒険者なら、特に手続きも無く、図書館利用できますよ。S級なら一般非公開の禁書庫まで、顔パスです」


 流石は世界を股にかけた冒険者ソフィアだ。

 過去にも王立魔導図書館を利用していただけに、色々と詳しく教えてくれた。


「……ただ、魔術王国とは呼ばれて居ますが、建国から二百年の新興国です。おそらく余り期待は出来ないかと─── 」


「いや、それでもいい。今は広い知識が必要だ。その為にも、関わりのありそうなものは、調べておいて損はないよ」


 ローデルハットは、元は貿易で栄えた貿易大国だった。

 それが二百年前、不死者リッチの出現で、国の存亡を懸けた闘いが起こる。


 当時、若き英雄王ローデルハットと、この地に居た悪名高い『灰色の魔女』とが手を組み、大魔導の怪物リッチを魔術で倒した。

 その英雄譚えいゆうたんが元で、ローデルハットは魔術の重要性を強調し、現在の魔術王国へと成り立った。


「元々、海上貿易が盛んな国でしたから、信仰は『風の神フォンワール』なんですよ。

勇者伝の英雄テレーズの守護神なので、エル・ラト教も強くは出られず、貿易立国で帝国もおいそれとは手が出せない。

滞在する分には、安心なんですけどね」


 今居る場所の安全と言う分には、かなり安心できる環境ではある。

 この屋敷の持主も名前こそ伏せているが、ローゼンはもちろん、俺達にまで相当な気の使い様だ。


「ロジオンも、ギルドで色々と当たってみてくれるとは、言ってくれているけどな」


 ロジオンもこの屋敷に運ばれたが、二日後にはアルカメリアのギルド本部に、戻って行ってしまったそうだ。

 俺が目覚めてから、何度かマドーラ達を通して、ギルドにいる子マドーラで遠隔会話もしている。


「ディアちゃんたちも、一度エルフの里に戻ってから、こちらに来てくれるって言ってました。その時にでも、ダークエルフについて、聞いてみましょう」


「ああ。……後は、俺達自身のケアも必要だな。

─── 俺にどんな精神的外傷トラウマが出来てるかは、分からないしな」


 幽星体アストラル・ボディの傷は、精神に深い影響を残す。

 今の所、自分で変化は感じて居ないが、ローゼンは要注意だと、口を酸っぱくして言ってくれている。


 ソフィアは『俺達自身のケア』という言葉に、表情が少しかげるのが感じられた。

 彼女達は魔剣傷を負ってはいないが、あの勇者との闘いに、それぞれ何かを抱えてしまったようだ。


 スタルジャの事もあるだろうけど、ソフィアとティフォ、そして赤豹姉妹も、やはり何処か元気が無い─── 。




 ※ ※ ※




─── 八日前、ロジオンが目覚めた直後


「……そうか、緑の帯ランヤッドのエルフ達に助けられたのか。じゃあ、アルフォンスのお陰ってなもんだな。

礼を言いたい、エルフ達は今どうしてるんだ?」


 ロジオンはリディの【神の呪い】に押し潰され、勇者に背中を斬られた時、意識を失っていた。

 そこからの流れをソフィアに教えられると、彼はベッドから身を起こして、水を飲み干した。


風の境界フィナウ・グイのエルフ達とは、ティフォちゃんの転位魔術で、ここに来る時にお別れました。

旅支度をし直したいからって、お別れしましたけど、近いうちにディアちゃんはここに来たいと言ってましたよ」


「エルフ達の使った、守護神封じの術。それに神龍の使った、加護の妨害の魔術印か……。

是非とも詳しく聞きたい所だな」


 リディが勇者を抱えて姿を消した後、ソフィアはディアグインとエルフ達から、彼らの闘い方についてある程度聞き出していた。

 ただ、アルフォンス達の容態が芳しくなく、詳細は再会した時にと、彼らと約束している。


「勇者自身は、それ程脅威じゃねえ。あれなら、アルフォンスが動けていれば、勝ててただろうさ。

問題はあのクソ女神……すまん。大魔導士リディだ」


「ええ。……私がもう少し、守護神としての覚悟があれば、アルくんを……大事な契約者を危険に晒すことはありませんでした。スタちゃんのことも、貴方のこともです。

─── 申し訳ありませんでした……」


 ソフィアが深く頭を下げると、ロジオンは困った顔をしてうつむいた。

 リディはソフィアと同じ、オルネアの化身。


 それをざまに罵ったのは、ソフィアを責める事にもなろうかと、失言を後悔した。


「いや……頭を下げないでくれ。戦闘ってのは時の運だ。それまで培って来た事がゼロなんじゃない、あのタイミングで出くわした事が、不運だったんだ。

…………でも、アルフォンスもスタルジャも生きてた。なら、それは次に繋げるための、経験のひとつだと、オレは思うがな」


「─── っ! ありがとう……ございます」


 余程自分を責めていたのだろう、目の前で涙ぐむ調律神オルネアに、ロジオンは人間味を感じて微笑んだ。

 神とは言え、失敗もおかせば、それを後悔もし、そして責任を感じていると知り、己も何か肩の荷が降りたような気さえしていた。


「なぁんかよ、オルネア様ってのは、もっとおっかねえ存在かと思ってたよ。人の世界の調律するなんざ、並大抵の精神力じゃ無理だろうからな。

……安心したぜソフィア、アルフォンスの事、くれぐれも頼む」


「…………はい。彼がまだ、私を必要としてくれるのなら」


 『そうじゃねえだろ』と喉元まで出かけたロジオンだったが、その言葉を飲み込んだ。

 それは彼女の表情に、思い詰めたものを感じてしまったからである。


─── こいつも、心に傷を負ったんだな……。

今はそっとしておいてやるか


 そう思い直して、周りにいる者達を見回した後、とあるひとりの人物に視線が釘付けとなる。


「しかし……お前らそろいもそろって、おっかねえ女が集まってるのは、アルフォンスの存在を考えれば納得なんだけどよ……。

─── オレを治してくれたのは『ローゼン』だったか。そこにいる姉ちゃんは、一体……何者なんだ?」


 栗色のお下げ髪に、分厚い眼鏡、どう見ても芋臭い女でしか無い。

 いや、恐らく眼鏡を外せば、それだけで恐ろしい美女なのだろうとも思える。

 だが、ロジオンは一目見た時から、背筋に冷たいものが流れるのを感じていた。


「え、私です? 私はアルさんとの運命に引き寄せられた、迷える恋の子羊ちゃんなのですよ」


「恋の子羊……。ああ、あいつはまだ婚約者抱えてたのか。甲斐性の権化ごんげだな……。

─── で、ローゼン、あんたももしかして、女神か何かか?」


 その言葉に、彼女はニイッと口元を歪めて笑みを浮かべた。

 その貼り付けたような笑顔に、ロジオンは内に秘めた呪いの炎までもが、凍りついたような感覚におちいった。


「デュフフ、この私が女神だなどとは、とんでもねえですよ☆

私はただのヴァンパイアの試作品、知識とダーさんをこよなく愛する、ブラド神族の『プロトタイプ』です」


「ああ、何だヴァンパイアね。なるほど道理で覇気があると思ったぜ。

しかもそのプロトタイプってなりゃあ、余計にな……プロトタイプだもんな、プロトタイプったらしょうがねぇ……。

─── うん? ……⁉︎」


「あら、ローゼンさん。アルくんのこと、いつからそんなに、好きになってたんですか♪」


「ヌフ、ヌフフフ。良いなぁって思ってたのは、最初からなのです。でも、彼とお別れした後、ちょっとしたおまじないで『彼こそが運命のダーリン』と、知っちまったですよ〜♡」


「わぁ〜、何ですかそのおまじないって、素敵じゃないですか〜! じゃあ、この後は親睦しんぼくを兼ねて、アルくんの良さについて語り合うとしますかね♪ とりあえず今後は『ちゃん付け』で呼んじゃいますね☆」


「「でゅふっ、でゅふふふ♡」」


「─── ちょっと待てええぇぇッ⁉「」︎


「もう、なんです? ダーさんの上司だって言うから、治療はしましたけど、恋路を邪魔するなら分子レベルで崩壊させるですよ?」


「ひぃっ……⁉︎ ち、違う! そうじゃねえ!

─── あんた、もしかして……『メルキアのローゼン』か⁉︎」


「あ、ナンパとかは、間に合ってるですから」


「あはは、ローゼンちゃん手厳しいですね♪」


「そうじゃねえ! これっぽっちも口説いてねえぞッ⁉︎」


 ローゼンの途方も無く自由な勘違いを晴らし、ロジオンは再度確認を取る。

 そうしてようやく、目の前にいるのがマールダーよりも古くから生きる、原初の存在『プロトタイプ』だと理解した。


 世間にはほとんど知られる事の無い、伝説の存在ではあるが、流石にギルドの本部長ともなれば話には聞いてはいたようだ。

 眉唾ものの神話でも、目の前にいるローゼンに宿る、生物として圧倒的な気配に、それを信じる他なかった。


 しかもそれが、アルフォンスと恋仲だと知って、ロジオンは目眩めまいを覚えていた。

 いや、恋仲かどうかは、ローゼンが言っているだけなのだが……。


「女神ふたりにエルフ、有力獣人族の姫に、今度はプロトタイプだと……⁉︎

いや……ちょっと待てよ? 確かハンネスの野郎の気配が近づいて来た時、あいつの紋様もんようがどうとかってやってたよな? あン時、確か『ラミリア』がどうとか……」


「はい。あの時、アルくんの紋様をいじって、魔王としての気配を更に強く消したのは、クソ上……ラミリア様ですね。

神々の戒律を侵してまで、アルくんを勇者から遠ざけようとしました」


 アルフォンスの紋様は、勇者としての気配を隠そうとしたソフィアの神言しんごんだが、それは幼いアルフォンスを守る為の処置である。


 だが、光の神ラミリアも、そこに便乗して神言を施した細工があった。

 魔王としての気配を隠蔽いんぺいするためである。

 結果的に紋様の力は強まり、ソフィアはアルフォンスを見失う事になったのだが……。


 今回もラミリアは、アルフォンスに力を貸そうとしていたのだ。

 勇者ハンネスに、アルフォンスの正体が魔王のもうひとりの後継者『アルファード』だと気づかせぬように ─── 。


「あいつ、本当に最高神の一柱と契約してるんだな……。

何を分泌すりゃあ、そうなるってんだ? 流石に怖くなって来たぜ……」


「ん、オニイチャは、天然。口説こうとか構えてないほーが、知らずにクリティカルヒットする。これ、モテ期づくりの真理」


「あー、あるな……そういうのあるわ、うん。

ああん? いや、ねえな。うん、ねえよ!

それで女神だプロトタイプだって、どんだけ無我の境地で、ハードヒット飛ばしてんだそれ」


 そう慌てながらも、ロジオンはローゼンの力に、舌を巻いていた。

 彼が負ったはずの深い傷は、その痕を探す方が困難な程、完璧に治療されていたのだ。


「……これ程の技術、確かに『メルキアのローゼン』ってのもうなずける。これなら、直ぐにでも動けそうだ。

礼を言うローゼン。お陰で、今直ぐにでも本部に戻れる」


「どういたしましてーなのです。

……一応言っておくですが、魔剣によって幽星体アストラル・ボディが傷ついてるです。そちらは治るのに、もう少しかかりますし、精神に何らかの影響が出るです。

─── 無理は禁物なのですよ、正直、今は動かねー方をおススメしますが……」


 そう言っても、ロジオンが聞きそうにないことは、その目を見てローゼンは汲み取っていたようだ。

 ロジオンは何かしらの礼をしたいと申出たが、ローゼンはきっぱりと断った。

 彼女が欲しい物は無く、人類にはギルドが必要だと思っての事だと返せば、ロジオンはまた燃え上がる。


「大先輩にそう言われちゃあ、男としてひと踏ん張りしねえとな!

じゃあ、オレはこれで本部に向かうぜ。世話になったな!」


「あら、もう行ってしまうんですか?

アルくんに、一声くらい掛けていったらいいじゃないですか。

ロリ……ロジオンさんも、病み上がりなんですよ?」


「だいぶ危ういが、名前を覚える位には、オレに興味持ったか……。

フッ、あいつは直ぐ立ち上がるだろ。なら、オレはその為に、出来る限りの事をするまでだ」


 そう言って彼は立ち上がると、近くに畳まれていた、自分のコートを手に取った。


「ん、そんなら、ティフォ送ってこーか?」


「お! 済まねえな、頼むぜ」


 ロジオンが笑顔で振り返った瞬間だった。


─── ビッシィィ……ッ!


 赤黒い触手が、ロジオンの白い毛皮のコートの上から、酷く淫猥いんわいな形式で縛り上げた。


「あふん! え、何これ……触手?」


「うんどー不足かいしょーに、高速で飛ぶ。ふりおとされんな?」


「あ……ちょ、転位じゃねえのか⁉︎

うン……食い込みが……! 

─── は、恥ずかし……! らめぇッ‼︎」


 白い残像を残して、ロジオンとティフォの姿が消える。

 ソフィアとローゼンは、笑顔で手を振ると、直ぐに今後の事について相談を始めた───

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る