幕間Ⅸ 紡ぎ行く世界・後編

 ママがおばあちゃんの家から、とびだしていった。


 ディアのおうちにむかったみたい。

 森でせんそーがはじまってから、ディアはおうちにかえってない。


 だって、あの穴からも、にんげんのにおいがしてたから……。


 そらをとぼうとしたけど、そらにはみえないかべがあって、うまくとべなかった。

 はしっておいかけたら、ママはディアのおうちのまえで、すわりこんでた。



 ※ 



「みんな……みんなどうして……?」


 心調絃風穴タンブル・オゴフの前には、たくさんの死体が転がっていた。

 里の人たちもいれば、鎧を着た人間の姿も混じってる。


─── ……うぅ……


「! い、今たすけるからね!」


「…………サラ……ティナ……か……?

近づ……くな……おまえ……まで、呪い……に」


「─── ッ‼︎」


 幼馴染のフリアンのお父さんだった。

 おじさんの体には深い傷が口を開いて、そこから黒い呪力が、炎のように立ち上がっている。

 わたしが近づくと、その炎にびっしりと目が浮かび上がって、こっちを凝視していた。


「…………魔剣……だ。……やつら……は、風穴からも……向かって……」


 おじさんたちは、心調絃風穴タンブル・オゴフの周りにいた人間の兵士達と戦って、その時に魔剣で斬られてしまった。

 何とか勝てたけど、風穴から第二、第三の軍隊が迫っている事が分かった。

 今も風穴の奥で戦っていると言った。


「…………風穴は……だめ……だ、子供……たちを……連れて……他に……逃げろ……。

ハロークは……南に……逃げ……たはず……」


「お……おじ……さん……? い、いや!

だめ、だめだよおじさん! フリアンはどうするの! 死んじゃだめ!」


─── ……ガッシャア……ッ!


 その時、風穴から何人かのエルフが飛び出し、ひとりが激しく転倒した。


「よ、よかった、まだみんな生きて─── 」


「─── ! さ、サラティナ⁉︎

馬鹿野郎! なんでまだこんな所にいるんだ!

とっとと逃げろッ‼︎」


「ケルナム! ああ、ケルナム! ……あなたも無事だったのね‼︎」


「近づくなッ‼︎」


「─── ッ⁉︎」


 ケルナムの胸に刺し傷、そしてそこからは、おじさんと同じ黒い炎が上がっていた─── 。


「……ぐっ、うっ……。俺はもう、助からない。

早く逃げろ……ッ、この呪いは、仲間を求める……!」


「い、イヤ! 今、今助けるから─── 」


「近づくなッ‼︎ 

…………もう、無理だ。俺の心が……る、それ以上近づいたら、呪いが……!

─── ハッ! 奴らが来る! 早く……」


─── ヒュカカカカ……ッ!


 嫌な音が木霊して、ケルナムは口から血を噴き出してよろめいた。

 その背中には黒い矢が無数に突き立っていた。


「ケルナム! ケルナム─── ッ‼︎」


「…………来る……な……ゲホッゲハッ!」


 もう、わたしには逃げるなんて選択肢も、今の状況も無くなってしまった。

 ただただ、ケルナムを失いたくない気持ちで、わたしは彼を抱き締めていた─── 。


「…………ば……か……やろ……」


「いや! 死なないでケルナム! 死んじゃいや! あなたが居なくなってしまったら……!」


 彼の体から、黒い炎が噴き出して、わたしの中へと入り込んで来る。

 これは……この呪いは……怒り、哀しみ、怨み。


 殺されて来た同胞達、人間達の怨嗟が、黒く冷たく渦巻いている。


「─── へえ、人間もどきのメスエルフってのは、どいつもこいつも生意気に美しい」


「…………あ、あなたは……?」


 青い装飾の入った白銀の鎧、それに身を包んだ男は、わたしが口を開いた途端に不快な顔をして見下ろした。

 直後、倒れたケルナムから身を起こしたわたしのお腹を、脚甲の足で蹴り上げた─── 。


「─── ……うぐ……あ……ぅ……!」


「口を開くな人間もどき……けがれた声で、私を汚す気か─── ?」


─── グルルァッ!


 ディアグインが怒りに眼を染めて、男に突進した。


「……だ……め、ディア……にげ……てぇ……!」


「龍種? 見ない種類だな。エルフに手懐けられたゴミか─── 」


─── バシュッ


 わたしの前に立つディアグインの背中が、血飛沫に染まった。

 黒い炎を纏った血塗れの剣を肩に担いで、男はディアを蹴飛ばして転がす。


「……他愛も無い。だが、その柄は面白いな。

後で剥製にでもしてやろう。

─── おい、お前ら、このは確保しておけ!」


 男が後ろに向かって怒鳴ると、風穴から大勢の足音が近づいてくるのが聞こえた。


 わたしはディアグインの傷口に手を当てて、回復魔術を掛けようとしたけど……。

 呪いが邪魔をして、術式が掻き消されてしまう。


「……チッ、ちょろちょろと目障りな……」



─── ズグ……ッ



 背中に熱くて冷たい刺激。

 途端に体が火傷しそうに熱く、力が抜けて手足が動かなくなった。


 わたしのお腹から、冷たい鋼の刃が生えている。


「─── ここにはもう、エルフどもは居ないな。

いよいよ本拠地だ、一匹足りとも残すなよ?」


「「「─── ハッ‼」」」


 男はちらりとわたしを一瞥して、白銀の鎧の兵を連れて、里に行ってしまった。


「…………ディア……し、死なないで……。せめてあなただけ……でも!」


 わたしはディアグインの胸に、血で魔術印をしたためる。



─── ……マ……マ……なに……する……の……?



 もうわたしもいよいよダメみたい。

 ディアの声が聞こえた気がした。


「……森の精霊……命の歯車……エインズミュールよ……。…………我が魂を……削りて……この者に……生の営み……血の温もりを……」


 全身から温かさが、力が、魔力が抜ける。

 命を分け与え、魔力を注ぎ込む、禁断の精霊魔術がディアグインへと発動した─── 。



─── ……だめ! ……ママやめて、ママしんじゃう……!



 ああ、この子の声だったのね……?


 澄み切った、なんて可愛らしい声なんだろう。

 『ママ』って呼んでくれた……。

 こんな不甲斐ないわたしを、この子は母と慕ってくれた……。


「……ディア……わたしを……わたしを……食べて……」


─── ⁉︎


 傷口が塞がれたディアグインの体がびくりと動いた。

 言葉が通じてる、それだけがただ嬉しかった。


─── イヤ! ママしなないで、ママを食べたくなんかない!


「ふふ……優しい……子。あなたは本当に……いい……子。

でも……ママは……もう……ダメみた……い」


 傷口から呪いの炎が上がり、わたしを暗闇で満たして行く。

 焼けるような痛み、でも、心の底から冷えるような孤独感が、わたしに死を実感させていた。



─── ぽたっ……ぽたた……っ



 温かい何かが頰に触れた。


「……ディア……? あなた……泣いて……」


 『人と龍は相容れぬ』なんて、嘘だったのね。

 ほら、やっぱりこの子にだって心がある。

 家族との別れに胸を痛め、涙を流す心が、この龍にもあったのよ……。


「……ディア……? …………魂は……死なない。

命を……奪った者に……奪われた……魂は宿る……。

あなたが……わたしを……食べれば……ずっと一緒……」


─── ……い、いや……ママ……死なない……で


 ああ、ラーマの気持ちがやっと分かった。

 生きて欲しい、この子に幸せに、ただ生きて欲しい……。


「…………わたしの……魂は……特別……なんだって。……きっと、きっと……あなた……は、ステキな龍になれ……る。

そしたら……ここを……離れて……しあわせに……生き……て……」


─── ま……ママ? ママぁ‼︎


 闇、暗闇。

 冷え切った体に、この子の温かさが、ただ心地よかった───




 ※ 




「…………はや……く、食え……!」


 ママの力がぬけて、こころがまっしろになったディアに、ケルナムがさけんだ。


「……サラ……ティナの……最期の……願い。きいて……やって……くれ……。

それと……つぎは……俺を…………食え!

彼女と……共に……おま……えの……中に……」


「…………うぅ……私も……食って……くれ……」


 たおれてた里のみんなが、つぎつぎにいった。


 ディアはおもった。

 みんなのねがい、かなうなら、ディアはあくまにだって─── なるッ!


 ひとり、またひとり。

 ディアはみんなのねがいを飲み込んだ。


─── 口に広がる、知った匂い


 知ったかおりの血の味、やわらかな肉の感触に、吐き気をもよおす。


 でも、吐いちゃだめ。

 みんなを私の中に─── !


 ひとり、またひとりと飲み込む度に、牙が伸び、爪が伸び、体の筋肉が軋みを上げて伸びて行く。

 鉄のような鱗が、私の体を覆い、魔力のヴェールが包み込んだ。


 私は強くなる。

 私は龍、地上最強の種族のひとり。


 ママの魂も、皆の魂も乗せて、私は生き続けると誓った─── 。


─── でもね、ママ。これだけは許して。

私はこの里を守る、ママのいた、優しいみんなのいた、この土地を守りたい


 魔力は呪力に、想いはブレスに。


 突き込まれた呪いは、確実に私を蝕んだ。

 それでも、矮小な人間など、今の私の足元にも及ばない。


「─── 我はディアグイン!

エルフの魂を継ぎし、風の境界フィナゥ・グイの龍なり!

この里に貴様ら、指一本足りとも触れる事、この我が許さん!」


 魔力の使い方は、体が教えてくれた。

 私の想いは呪力が叶えてくれる。




 ※ ※ ※




「神龍さま……。

いいや、辛くはないかね、ディアグイン」


 ラーマ婆が【時間停滞】の魔術の更新に来てくれた。

 暗い風穴の中、ラーマ婆は弱った体でいつも来てくれる。


「もう少し……もう少しで三百年。長いようで、あっと言う間だったねぇ。

ディアグインよ、魔王さまが来る。いよいよ、魔王さまが来るよ。お告げも出た、森も噂しっぱなしさね。

─── あんたが、みんなが紡いでくれた里は、相変わらず幸せさ」


 ラーマ婆はいつも同じ話をする。

 でも、それが約束みたいで、私は安心してしまう。


 魔王さまが来たら、この里は自由になるって、みんなが信じてる。

 そうなったら、私も自由になれるのかな……。


「─── じゃあ、また来るよディアグイン。

……次に来る時は、魔王さまを連れて来れるかも知れない。精々、お互いに命を紡ごうじゃないか」


 私はラーマ婆の声に返事が出来ない。

 あの忌々しい魔剣の呪いは、今も私を蝕んでいる。

 それを止めるために掛けられた【時間停滞】で、意識は朦朧もうろうと微睡んで、声を出す事も出来ない。


 私は瞬きで、ラーマ婆に返事をする。


「ふぇふぇ……いい子だ、あんたは本当にサラティナの自慢の子だよ……。

じゃあね、また来るからね─── 」


 ラーマ婆の約束は心地よい。

 外の時間が確かに進んでいると、里が続いていると、教えてくれるのだから。


 そうしてまた、ひとりになった。



─── ママはひとつだけ、嘘をついた



 一緒にいられるって言ったのに、あの日からママの声は聞こえない。

 あの時食べたみんなの気配も感じられない。


 でも、私は語りかける。

 私の魂に背負った、ママに、みんなに。


 あの温かな声が、もう一度だけでも、聞きたくて─── 。




 ※ 




─── カツーン、カツーン、カツーン……


 風穴を何かが歩いてくる音で目が覚めた。

 もうラーマ婆の来る日? あれからどれだけ寝ていたのか、分からない。


─── オニイチャ、神獣、かーさまと同じなの?


─── 多分な。そうで無けりゃあ、人間の考え出した呪術程度、エルフ達はとっくに解呪してるだろうし


 声が聞こえる。

 ラーマ婆の声じゃない、里のエルフの声じゃない。


 ……それにこの禍々しい魔力は……何?


─── ん、治せる?


─── 見てみないと分からないよ。女騎士とか母さんの時みたいに、魂が一定量残っていれば属性反転で聖属性に変えちゃえばいいんだけどな


─── ん、オニイチャ、いた


 エルフじゃない!

 里から人間達がやって来た……⁉︎

 殺す……! 里を汚す人間は、みんな殺してやる!


 体が重い、私を守る【時間停滞】の魔術が、重く重くのし掛かる。

 ……でも、そんなもの、最期の力を使ってでも、私はこの里を守らなければならない!


 魔力を呪力に、想いをブレスに。


─── ママ、みんな、力を貸して!




 ※ 




─── ディア……ディア……。わたしの可愛い子


 懐かしい声がする。

 真っ暗になった私の世界に、突然、金色の温かな光が射し込んだ。


「……ま、ママ……?」


「フフフ、やっとこっちを見てくれたわね」


 ああ、ママだ……!

 顔を撫でる温かい手、優しい声に心が丸くなる。


「ママッ! ママぁーッ‼︎」


「ディア、おいで」


 ママの胸に抱き着く。

 大人になったはずの私の手が、小さく柔らかくなってる。


─── 私、人の女の子になってる!


「ふふ、可愛い。それがあなたの想う姿なのね? 本当のわたしの子みたいだよ?」


「─── ずっと、ずっと逢いたかった!

ママの声が聞きたかったの! 何度も何度も話しかけたんだよ! 何度も……」


「ごめんね、ディア。みんなでね、あなたの魂を汚れから守っていたの。

─── でも、もう大丈夫よ」


 みんな? 顔を上げると、あの頃のみんなの姿があった。

 みんなニコニコと優しく微笑み掛けてくれる。


「……みんな……みんなも元気だったぁ……」


「よ、よお。元気っつうか、みんな死んでっけどな?」


 ケルナムがふざけると、みんなが笑った。

 心があったかくなった。


「ディア? もうここは守らなくていいのよ。あなたは立派な龍なのだから、これからは好きに生きなさい。

これからは、みんな一緒だから─── 」


「ううん、ママ。私は里を守りたい。

みんなの里を紡ぐのを、手伝いたいの。

私は神龍ディアグイン、この里を、エルフを守る神さまになる」


 そう言うと、ママは涙を浮かべて笑って、何度も頭を撫でてくれた。


「─── ありがとうディア。

じゃあ、これからはママとみんなで守ろう?」


「うん─── !」


 こんなに幸せでいいのかな?

 龍になれなかった私が、龍を捨てた私が、こんなにも幸せで……。

 そう思ったら、頭の中にあの人の姿が浮かんだ。


「どうしたのディア、なんだか顔が紅いけど」


「えへへ。ママ、今度紹介したい人がいるの!」


 そう言うと、なぜかケルナムが目を見開いて膝をついた。

 なんでケルナムがショック?


「へえ〜、誰? どんな人♪」


「へへへ、うんとねぇ〜」


 真っ黒な骸骨がいこつの鎧を着た、すごく強くて怖いのに、すっごく優しい人。

 一度も話していないけど、私には分かる。


 あの人の憂いが、あの人の優しさが。


 きっとあの人が

 だから起きたら逢いに行かなくちゃ。


「パパになってくれるかなぁ〜」


「なッ! サラティナがママで、そいつがパパだとッ⁉︎

ゆるさん! そんなもん、俺が許さねえ!」


「どうしたのケルナム。そんなにディアのことが好きだったの……?」


「違ッ! ば、馬鹿、俺が好きなのは─── 」


 急に賑やかになっちゃった。

 でも、すごく幸せ。


 私はディアグイン。

 エルフのママを持つ、風の境界フィナゥ・グイの龍。


 そして、魔王さまを愛する下僕─── 。


 あ、でもまずママに言わなきゃいけない事があったんだ!


「ねえ、ママ?」


「うん? なぁにディア」


 ずっと言いたかった言葉、ずっと言えなかった言葉─── 。


「ママ、だいすきだよ……!」

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