幕間Ⅸ 紡ぎ行く世界・前編

─── トス……ッ


 森を歩く雌鹿の背に、矢が突き立つと、笛の音のような鳴声を上げて前脚を浮かせた。

 直ぐに逃げ出そうとするも、やじりが腰椎に食い込んだのか、腰から下の力を失い地に伏す。

 尚も前脚で身を起こそうとするが、最早歩く事は出来ず、懸命に首を振って足掻いている。


─── 痛覚、恐怖。いや、その姿には生存への本能故の、反射的な生への執着が垣間見えた


 そこに現れたのは、弓を肩に槍を構えた、壮年のエルフ。

 そして、その後ろに隠れるように、胸の前で弓を両手に握り締めた、少女のエルフの姿があった。


「……サラティナ。お前はこいつを、殺し切れなかった」


「…………は、はい」


 青ざめて微かに震えてさえいる少女に、男は槍を差し出し、アゴで手負いの鹿を示す。


「矢毒が回ると後が面倒だ。直ぐにしめて、血の巡りを止めなきゃならん。早くしろ」


「わ、わたしが……?」


 今にも泣き出しそうな少女の肩に、男は手を置き、真剣な眼差しを向ける。


「我々、風の境界フィナゥ・グイのエルフは、森から命を分けてもらっている。

無駄に苦しませては、あの鹿の苦しみで森が汚れ、精霊達の怒りを買う。

─── 生きるために命を得る、そのためには命を奪う責任を持たねば、森では生きていけない」


「うぅ……で、でも……」


「命をもらう事と、ただの殺しは違う。ただの殺しは魂を抜き去るだけだ。

だが、食べ、毛皮や骨を得る事は、その魂や生きた証を背負い、共に生きる事になる」


「─── !」


「森には魔物もいれば、厳しい自然も病気もある。鹿は六〜七年しか生きられないが、お前の血肉となり、道具とすればもっと永く世に存在するのだ」


 少女は深く頷くと、槍を受け取り、懸命に逃げようと足掻く雌鹿へと近付く。

 不慣れな構えながら、その眼にはもう怯えはなく、確実に急所を見定め、強い意思を宿していた。




 ※ 




 今日は初めてザナゥに、狩りに連れて来てもらった。

 弓は幼い頃から練習して、自信はあったけど、鳥より大きな命を奪うのは初めてだった。


 わたしは肉がキライ。

 でも、この初めての鹿は、食べてあげたい。


─── だって、命を奪った責任は、わたしがこの子の魂を背負って行くことだと思うから


 ザナゥは血抜きの仕方を教えてくれた後、いくつかの狩場を案内しながら、森のことをたくさん話してくれた。

 彼は里一番の狩人で、その収獲は里にもすごく貢献している、尊敬すべき人物だ。


 わたしたちエルフは肉の匂いや味だけじゃなくて、神聖が落ちるからと獣の肉が嫌う人が多いけど、森の暮らしではそうも言っていられない。

 木ノ実や果実の無い時期は、どうしたって動物から得られる栄養が必要になるのだから。


 『生きること、それだけで神聖は汚れるもの』と、巫師ふしラーマはよくそう言う。

 他の命を食べることも、必要なことみたい。


「─── 今年は魔獣が多い。どうも森の東側で龍種の移動があったらしいからな。

住処を終われたものが、この奥の領域に来ているのだろう。

ひとりでは森に入るなよ?」


「……はい……」


「……どうした?」


 ザナゥは不思議そうな顔で、わたしの顔を見てくる。

 せっかく教えてくれてるのに、失礼だとは思うけど、わたしは森の奥から感じる気配に気を取られていた。


「─── 誰かが助けを……求めてる」


「誰かが? ……ああ、の力か」


 巫師ふし

 森の精霊と心を通わす、森の通訳者─── 。


 わたしにはラーマと同じ、その耳が与えられているらしい。

 時折こうして、森を通して不思議な声が聞こえてしまう。

 ……それが普通じゃないのだと、つい最近知ったばかりだ。


 ザナゥはそんなわたしに、文句も言わずについて来てくれた。




 ※ 




「─── こ、これは……龍の幼生か!」


「サラティナが狩りの途中で見つけた。はぐれ龍か、親が死んだかは知らん。

酷く衰弱してるが、病気の類ではないようだ。体の傷は魔獣にやられたんだろう」


 里に連れて帰った子を見て、族長は珍しく興奮してるみたい。

 ザナゥの説明にあいづちを打ちながら、恐る恐る触れようと手を伸ばしては、躊躇ちゅうちょしている。

 その後ろには、族長の息子のハロークが、同じように興奮しながらも、恐々身を隠していた。


「白い体に虎縞とらじま……聞いたことのない種だな……」


「幼生のようだが、角の年輪を見る限りは、五十年以上は生きてるな。

親から与えられるはずだった魔力が、ほとんどもらえなかったのだろう」


 龍種は魔物でも動物でもない、生まれながらに魔力と縁の深い、妖精のような存在。

 母龍から魔力をもらって、幼生の時期は数年、直ぐに体は大きくなるみたい。


「姿形は……黄鱗龍イエロードラゴンに近い。突然変異か」


「かも知れん。大方、親に捨てられ、ひとりで生きて来たのだろう」


「最近、東の方で龍種の移動があったようだからな。その時に置いて行かれたか。

─── 意識のない今の内に殺すか。魔力はほとんどないようだが、霊薬の材料にはなろう」


「─── ! だ、だめツ‼︎」


 思わずわたしは、この子の前に飛び出していた。


「……サラティナ。情が移ったか?

龍は人と相容れぬ、目覚めれば襲われるのはお前なのだぞ」


「でも、でも! この子は助けを求めてる!」


 今は意識がないけど、あの時確かにわたしは聞いていた。

 ……この子のか細く、でも悲痛な声を。


「─── なに、手に負えなければ、放てばよかろう。森の声を無下にしては、それこそわしらの神聖が落ちる悪手じゃてなぁ」


「ラーマおばあちゃん!」


「……むう、ラーマがそう言うのであれば、そうするしかないが……。

─── 里に害を及ぼすようであれば、始末する。よいな?」


「はいっ!」


 そうして、わたしはこの小さな幼龍の世話をすることになった─── 。




 ※ ※ ※




「サラティナや、今日は水龍の月の縁友日じゃった、水精霊さまの祠に行くよ。すぐに用意しておいで」


「はいっ、ラーマさま!」


 あれから五年が過ぎた。

 成人の儀を受けたわたしは、森の神ラーフマの加護を得て、巫師としてラーマの弟子になった。


「ああ、そうじゃ。今日は膝の調子が悪くてな、申し訳ないがあの子を連れて来てはくれんかね?」


「あ、はい!」


 窓の外に向かって指笛を吹き、わたしは儀式に使う道具と精霊酒を鞄に詰め、くらを持って外に出た。


─── クルルァ……


 直ぐに風穴の方の空から鳴声が聞こえて、あの子が飛んでやって来る。


「おはよう、ディアグイン! 今日はラーマさまと水精霊さまの祠に行くよ」


「キュア!」


 長い首を伸ばして、わたしの体に擦り付けてくる。

 白い体に黒い虎縞模様の龍、あの時拾った子は、今はもう馬位の大きさになった。


 いつか龍達の群れに帰れるように、離れてくらすようになったけど、甘えん坊さんなのは変わらない。


「うお! そ、そいつ、またデッカくなったんじゃねぇか?」


 丁度通りすがった、幼馴染のケルナムがディアグインの姿を見て驚いている。

 彼は昔、ディアグインにお尻を噛まれてから、未だにこの子の前では及び腰だ。

 ……今ではもう戦士の有望株だって言われてるのに。


「おはようケルナム♪ この子も最近は自分で魔獣狩りしてるからね、魔力量が上がって成長期なんだよ」


「ハァ、まだデッカくなんだよなぁ……。にしても、ホント大人しくなったよなぁそいつ」


「あれぇ? もしかしてケルナム、まだこの子が怖いんだぁ〜?」


「ば……ばか言うんじゃねえ! 俺は誇り高き風の境界フィナゥ・グイの戦士だぞ……っ⁉︎

龍如き俺の魔術で─── 」


「ディア、お手」


 伏せて甘えていたディアグインが、起き上がって腕を持ち上げると、ケルナムは尻餅をついて目を白黒させた。


「あははっ、龍種狩りはまだ大分先になりそうね!」


「て、てめ!」


 そう言って笑うと、ケルナムも立ち上がってバツが悪そうに頭を掻いて苦笑した。

 彼はすごく強くなったけど、こうして鼻にかけない所が良いと、最近女の子たちの間で人気だ。

 わたしには、昔から変わらずの、やんちゃなだけにしか思えないけど。


「でも、本当によく懐いたよなぁ。みんな『龍種と人は相容れぬ』って、いつかお前が食われちまうんじゃないかって、噂してたけどな」

 

「フフフ、龍にも心はあるんだよ。わたしはただ、ゆっくり待ってただけだよ?」


 そう。

 最初は大変だった─── 。




 ※ 




─── フーッ! フーッ!


 納屋で目覚めた途端、部屋の片隅に走って逃げて、壁にぶつかった。

 体の傷から血が噴き出して、乾いた土間の埃に染み込んでいく。


「大丈夫。怖がらないで? ちゃんと手当しないと、病気になっちゃうよ……?」


「…………フーッ!」


 体を大きく見せようとして、余計に傷が開いてしまった。

 その痛々しい姿に、思わず目を背けたくなってしまう。


「……お願い。あなたを助けてあげたいの」


 しばらく静かにして、落ち着いたようにも見えたから、わたしはそう言って一歩近づいた。


─── グルァ……ッ!


 思いっきり体当たりされた。

 大きさはわたしより少し小さいくらい。

 ……でも、流石にその力はすごかった。


「きゃう! ……ぐっ、い、いたいっ!」


「がぁうっ、グルゥ!」


 そのままわたしを押し倒して、腕に噛み付き、グリグリと頭を振る。

 小さな歯が突き刺さって、血が溢れ出すのが見えて、わたしは怖くなってしまった。


─── やっぱり無理なのかな……


 そう思った時、わたしはそれに気がついて、泣きたくなってしまった。


「あなた……歯が折れてる……」


「………………グゥ……」


 幼龍の牙はわたしの腕を噛んだだけで、ほとんどが抜け落ちて、ポロポロと落ちて来た。

 よく見ればガリガリのこの子は、きっとろくにゴハンも食べられて無かったんじゃないだろうかと、胸が切なくなってしまった。


 気がつくと、わたしは噛まれていない方の手で、その首元を撫でていた。


「大丈夫、怖いことも痛いこともしないよ。お願い、あなたのケガを治させて?」


 そう言って【安静ローフィス】の魔術を掛ける。

 魔力に驚いた幼龍は、一瞬びくりとしたけど、金色に光っていた眼は褐色に戻っていた。


 この魔術だけは得意なんだ。

 ママが早くに死んでしまった時、夜中に怖い夢を見て泣き叫ぶわたしに、パパがよく掛けてくれた優しい魔術だから。


「ありがとう。じゃあ、手当の続きするよ?」


 その後はしばらく大人しくしてくれた。


 なんとか手当を終えたから、次はゴハン。

 歯がほとんど折れてしまったから、冬の間に残った干し肉を入れて粥を作ってあげたけど、食べようとはしてくれなかった。

 それどころか、一旦部屋から出たわたしに、幼龍はまた鼻を鳴らして威嚇していた。


 何日も何日も、わたしはこの子に【安静ローフィス】の魔術を掛けてから手当をして、ゴハンを作り続けたけど食べようとはしない。


─── 初めてゴハンを食べてくれたのは、二週間も過ぎた頃だった


 わたしが見ていない時にしか食べないし、相変わらず納屋に入ると、威嚇するのはそのままだったけど……。

 威嚇が無くなるまで半年、目の前で食べてくれるようになるまで、さらに半年。


 ただ、わたしが【安静ローフィス】の魔術を掛けている時だけは、目を閉じて柔らかな表情をしていたのは確か。

 他の人に怯え無くなるのには、もっと時間が掛かったけど、ちゃんとこの子は人に順応していってくれた。


 その辺りで私はこの子に『白黒ディアグイン』と言う名前を付けた。




 ※ 




「うーん、ザナゥのおっさんが言ってたんだけどさ。それってお前の魔術のおかげじゃないか?」


「わたしの……魔術?」


「ああ。【安静ローフィス】の魔術を掛け続けてたんだろ? 龍は母親から魔力をもらって成長するし、その魔力の質で性格が決まるんだってさ」


「……へえ〜! そうなの? ディア」


 そう言ってディアグインの方を見ると、また首を伸ばして『なでれ』ってあごを寄せていた。


「お前のこと、母親だって思ってんだろうな。俺たちは群れの『その他』。だから襲わなくなっただけじゃねえの?」


「へへぇ、わたしがママかぁー♪ ……最初の声は聞こえたけど、あれ以来、この子の声を聞いたことがないからなぁ……。

─── ほら、ママって呼んでごらん?」


「ぐぁ〜」


「ハハ、なんか猫みてえだよなコイツ」


 そう言いながら、及び腰なケルナムに思わず笑ってしまった。


「今日もラーマと森に入るのか?」


「うん。今日は水精霊さまのところに行くよ」


 そう言うとケルナムは少し険しい顔になった。


「ここらは大丈夫だろうけど、最近森の外れの亜人が、人間に襲われてるって聞いた。

─── アルザスが亜人種狩りを始めてるらしい」


「え……! な、なんでそんなことするの⁉︎」


「分かんねえよ、ニンゲンの考えることなんて。

─── とにかく、お前も気をつけろよ?」


「あ、うん。ありがとう……」


 ケルナムは急にわたしの手を掴んで、真剣な顔でそう言った。

 なんか見慣れない彼の表情に戸惑って、顔が見られない。

 変な感じだから、いつものようにからかってやろう。


「で、でもさ! もし、闘いになったらケルナムも闘うんでしょ?

女の子たちにモテモテになれる、絶好のチャンスじゃん♪」


 『バカ言うなよ』って、そう返してくるかと思ったら、彼はわたしの手を握ったまま見つめていた。


「……他の女なんて、どうだっていい。

─── 俺はお前が……」


「サラティナや、準備は出来たね? おや、ケルナムじゃないかい、あんたもだいぶ精悍せいかんな顔つきになって来たじゃないか。

最近まであんなに泣き虫だったのにねぇ〜♪」


「ば、バカ言うなよラーマ婆! それはガキの頃の話だろッ⁉︎」


 顔を真っ赤にして、慌てて手を離した彼は、しどろもどろになってる。

 ……いつもの彼だ。


「ひゃっひゃっ、わしからすりゃあ、皆んなまだまだガキさね! ほれ、今日も修練と仕事があるんじゃろ? サボっておらんで行って来い」


「うるせえ! じゃあなサラティナ、気をつけんだぞ!」


「……あ、う、うん!」


 そう言ってズンズンと歩いて行ってしまう彼の背中を見ていたら、急に耳まで熱くなってしまった……。

 もう、今日のケルナムは何か変だったなぁ。


 でも、パパが居て、仲良しの皆んなが居て、尊敬できる人たちが居て。

 今もこうして心配してくれる友達がいて、わたしは幸せなんだと思う。


─── きっと、この幸せがずっと続くと、そう信じていた




 ※ 




「─── ば、馬鹿な! サイドゥル・カレ族が……人間に負け……た⁉︎」


 族長の大声で、皆が集まって来ても、話を切ろうとはしなかった。

 それだけ、族長のショックは大きかったのだろう。


 これでこの森に生き残る、エルフの氏族はふたつだけになってしまった……。


「事実だ。俺たちは沢西の谷まで行って、直接見て来たんだ。生き残りから話も聞いたよ……侵攻の理由も分かった」


「な、何と? 人間達の、アルザスの狙いは何だと言うのだ⁉︎」


 この数ヶ月、この森は戦火に包まれている。

 きっかけは、人間の勇者に魔王さまが殺されてから─── 。


 私たち亜人種を、人間達は魔族の仲間だと疑い、迫害が始まってると魔人族から聞いた。

 何故そんなことをするのか、何故そんなことが出来るのか、人間のすることは分からないし、分かりたくもない。

 でも、この森みたいに、攻め込まれるのは聞いたことがなかった。

 ずっとこの数ヶ月間、何故闘いが起こっているのか、分からないまま皆んな不安に思ってる。


「─── アルザスの創る太平の世に、は要らない」


「「「─── ⁉︎」」」


「アルザスは王国から、アルザス帝国を名乗り、全世界の調停者になると宣言したらしい。

このアルザスの周辺に、力のまばらで意思のそぐわぬ我々は、邪魔者でしかないそうだ」


「─── ふざけんなッ‼︎ 魔力も力もねえ人間が、何だってそんなに思い上がってんだよ!

魔族に勝てたのだって、調律神に選ばれた勇者がいたからだろ⁉︎

アルザスは関係ねえだろうがッ‼︎」


「そうだッ! ただ数が多いだけだろ、あんな奴ら……やっちまおうぜ‼︎ 

─── 風の境界フィナゥ・グイの誇りを、エルフの力を見せてやるッ‼︎」


「「「オウッ‼︎」」」


 怒りに森が震えてる。

 人間の思い上がりは許せない、でも、神さまから頂いた神聖な魔力に、怒りを注ぎ込む里の皆んなが怖くも感じた。


「ラーマ! 今こそ巫師の力が必要だ、この里の周辺に、森の呪術をありったけ仕掛けよ!

触れてはならぬものがあると、人間どもに知らしめるのだ!」


「─── ああ、これはもう止められないねえ。

分かったよ、わしが全ての業を背負うつもりで森に願おう。

……いいかい、でもね。人間は魔力も力もないが『弱くはない』んだ。

くれぐれも甘く見ないことさね」


「ふん。説法は彼奴きゃつらの骸の前で聞く。

─── 今はこの里の存亡を掛けた、種族の闘い。手を抜くつもりは一片もない!」


 巫師は森の声を聞くのが仕事。

 でも森の力を借りて、外敵をはらうマナ術師、それが本来の姿─── 。


 駆け出しのわたしに何が出来るのか、胸の底から来る震えは、その不安だとこの時は思っていた……。




 ※ ※ ※




 血のにおいがする─── 。


 森から帰ってくるみんなから、血のにおいがする。

 いや。こわい。


 でも、ディアにはママがいるから。

 ママはいつも『大丈夫』って、いってくれるから。


 ディアはママがすき。

 ママはいつもやさしくて、あったかい魔力をくれるから、わらいかけてくれるから、すき。

 ママは森が血のにおいになっても、ディアにやさしくわらってくれた。

 ディアをしんぱいする、ママのきもちが、ディアのこころをあったかくしてくれる。


─── けど、ママのこころは、すごくかなしそう


 ディアはママをたすけてあげたい。

 それなのに、ディアは魔術もブレスもまだつかえないダメな子……。

 ママはなにもいわないけど、おやくにたてないディアは、むねがくるしいの。


 おちこんでいたら、ママがなでなでしてくれた。


「ディア……大丈夫。きっと皆んなが守ってくれるからね。ラーマだって、族長だって、里のみんなだって。

それに……ケルナムがね、絶対に里を守るからって言ってくれたから、大丈夫よ。

あなたは強い龍なの、大人になるまでは、みんなであなたを守るからね─── 」


─── ママ、ディアはだいじょうぶだよ?


 どうしてディアは、ママとおはなしできないんだろう……。

 ディアはママがすき。

 ママのなかまもすき。


 守るチカラ、ディアもほしいなぁ……。


「た、大変だッ! 族長が倒れた、すぐに来てくれサラティナ、回復魔術が効かない!」


「─── ! わかった、今すぐ行く!」


 ママがいっちゃった。

 さいきん、みんながどんどんよわってる。


 下からわいてる、このくろいヘビのせいかな……?

 これ、ディアはなぜかわかる。


─── 『のろい』だ


 ママとラーマはだいじょうぶ。

 でも、みんなこれに魔力を吸われてる。


 どうしてディアはママとしゃべれない?

 おしえてあげたら、ママはきっとよろこぶのに、ほめてくれるのに、どうしてしゃべれない?


 せめて、ママにっていいたいのに……。




 ※ ※ ※




「ラーマさま、しっかりして! 今、霊薬を」


「おやめサラティナ。霊薬は他の若いのに使ってやんな……。

やっと分かったよ……これは呪いだ。人間どもめ、エルフに勝つために、相当知恵を集めたね。

ご丁寧に……隠蔽いんぺいの呪術まで、掛かってるじゃないか……」


「─── 呪い⁉︎ じゃ、じゃあ、術者を殺すか、この里を捨てるしかない……!

……くっ、わたしも、わたしも闘う!」


 ラーマはわたしの肩に手を伸ばして、静かに首を振った。


「バカだねあんたは。今のあんたじゃ何も出来やしないよ……」


「─── !」


「おっと、勘違いするんじゃないよ? 何も出来ないのは、今だからさ……。

あんたは強くなる、巫師の魂は、森の神さまの特別製だからね……。今は弱くても、魂に約束された魔力は特大なんだよ……」


「でも! 今戦わなきゃ、今力を使えなきゃ、里を守れない……!」


 自分の無力さに涙が出る。

 でも、泣いたら負け。


 必死に嗚咽おえつを堪えていたら、ラーマは優しく笑って肩をさすってくれた。


「─── 族長とね、族長が死ぬ前に、話したんだよ。

サラティナ、あんたは族長の息子ハロークと、まだ幼い子らを連れて、ここからお逃げ……」


「─── い、いや……! ど、どうしてそんなことを言うの……⁉︎」


「さっきも言ったろう? あんたは強くなる。でも今は……早すぎる。だからね、生きてさえいりゃあ、みんなを守れるようになる。

里はね、人さえ生きれば続くんだ……。あんたたちが、誇りを紡いでいくんだよ。

それには、若い力が必要なんだ……」


 もう、ほとんどの戦士達が死んだ。

 パパも死んだ、ザナゥさんも、幼馴染達もたくさん死んじゃった……。


 森の結界も全部破られて、今はもう最後の戦いだって、残った皆んなが武器を持って戦ってる。

 皆んな、ラーマと同じ病に侵されてるのに、誇りを掛けて闘ってる……!


 それなのに、わたしだけ逃げる?

 絶対イヤ、強くなんてなれなくていい、死ぬ時はこの里の皆んなと─── 。


「サラティナ! ここからみんなを連れて、風穴に逃げろ! あそこからならファルブ山の辺りに出られる!

今、ケルナム達が風穴の入口を抑えてる、早く行けッ!」


 扉の外で誰かがそう叫んで、また走って戻って行ってしまった。

 扉の外には、さっきの声の主の血が、点々と落ちている。

 きっとまた、闘いの場へ戻っていたのだろう─── !


「さあ、お行き……サラティナ。外の世界がお前を待っているんだよ……」


「い、いや……!」


「いい加減におしッ!」


 ─── 頰を打たれた。


 口は悪いけど、いつも優しいラーマが初めて声を荒げて、わたしを打った。


「エルフの魂は森に残る。いつだって、あんたをみんなが見守ってるんだよ。

それにね、あんたが今死んじまったら、今まであんたに魂を託して来た者達が、無駄になっちまうんだ」


「─── ッ!」


 死んでしまったみんなの顔が浮かぶ。

 そして何故か、初めての狩りで鹿を殺した時が、まざまざと思い返された。


「命を……繋ぐ」


「ああ、そうだよ。あんたにそれを望んでたから、皆んな命をかけたんじゃないか……」


「ラーマ……おばあちゃん……」


「これ、その呼び方は無しだ。ほら、早く行きな、わしはあんたの幸せを祈ってるからね……」


 わたしは、優しくて強い師匠の手を、強く握りしめてから部屋を飛び出した。


 生きるために、命を繋ぐために、わたしは風穴へと急いだ───

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