第十話 ケファンの森

─── ケファンの森


 キュルキセル大森林最北部にひっそりと存在する、断崖絶壁の岩山に囲われた森。

 それは実際の地図に、名前の載っている地名じゃあない。

 旅立ちの時、ダグ爺にもらった古地図にはあったけど、今流通している地図には記載されていなかった。


 このキュルキセル地方に入る前に、情報を集めようとしたけど、この地名を知ってる者は皆無だ。

 ただ、キュルキセルの大森林の最北部だと言えば、皆が口を揃えてこう言う……。


─── 生きて帰れる場所じゃない、と


 実際に大森林を北上するにつれ、確かに魔獣や魔物が強大化はしてるし、魔力溜まりもそこかしこに見つかるようになった。


 ……言うほどの事か?


 今の所、ティフォの『全怪物の王』の権能を使うまでもなく、ベヒーモスのひとにらみで、逃げて行ってしまうものばかりだ。

 本人も誇らしげに、尻尾をピンと立てて、尻をフリフリ歩いているのが微笑ましい。


「しかし、本当にこんな所に、俺の両親が暮らしてるのか……? さっきから人がいる気配が全く無いけど」


「「…………」」


 大森林の北部に差し掛かり、目印となる岩肌が見られるようになった辺りから、赤豹姉妹は神経を尖らせたまま。

 森に暮らす赤豹族は、アケル大樹海でも見せたように、森の持つ意思のようなものには敏感だ。


「アル様……気をつけた方がいい。この森、何かが大きく歪んでる……」


「歪んでる? 魔力溜まりの事か?」


「……ううん。そういうのじゃないの。もっと森全体が、違う次元っていうのかな……。

お姉ちゃん、なんて言えばいいの、こういうの。私初めてだよ、こんなの……」


「…………あたしだって、こんな感覚初めてだ」


 姉妹の表情は硬い。

 ここは勘の鋭い彼女達の言う事を、聞いておいた方がいいかも知れないな。


「地図で言えば、あの一際せり出してる岩壁から向こうが『ケファンの森』だな。

─── これは俺個人の問題だから、もし、何か嫌な予感がするなら、ここらで待っててくれ」


 その言葉には誰も返事はしなかった。

 代わりに立ち止まった俺よりも、先に行こうとする事で、提案を否定している。


 折悪く、小雨がぱらつき出して来たようだ。


 スタルジャが風の精霊を呼び出して、全員に風のヴェールを掛けてくれた。

 雨を弾く雨具の意味もあるが、危険回避のお守りみたいなものでもあるそうだ。


 そうして口数少なく進んで行く内に、目印の岩壁を過ぎようとしている。

 いざケファンの森に入ろうかと言うその時に、最初の変化は訪れた。


「何だ……これ? 雨粒が……止まってる?」


 森のある部分から先、その境に白ぼやけした壁があると思ったら、空中に止まる無数の雨粒だった。

 いや、よく見れば、その雨粒は非常にゆっくりとだが、落下をしているようだ。


「アルくん……あれを」


「…………?」


 雨粒の境界をまたいで群生している同じ種類の樹々が、奥と手前とで成長速度が全く違っている。

 境界に重なって生えている樹には、手前側に幹が伸び、一度重さで倒れたのか根元でひん曲がって伸びているものもあった。


「─── 時間の流れが……違う……のか⁉︎」


 今は正午を過ぎて間もない、昼の森の中なのに、奥の森は青白くぼやけた明方の森にも見える。

 境界から奥に雨は降っておらず、境界の極薄い範囲で、落下時間の停滞した雨粒が存在しているようだ。


「……俺の両親って……なん?」


「…………止めて……おきますか?」


 消え入るようにそう言って、服の袖を掴んだ、ソフィアの顔色が悪い。

 それはこの先の森への恐怖とかではなくて、俺への心配からなんだろうと、今までの彼女を知っていれば分かる。


「─── いや、俺は行くよ。運命を知りたい」


 自分の生い立ちを知るってのに、ビビってても仕方がない。

 まあ、本当はかなり不安だが、ここに来るまでに二年も掛けて来たんだ。


 それに、俺はソフィアとティフォ、スタルジャ、エリンとユニのためにも、自分が何者なのか知らなきゃいけない。

 ラミリアがシノンカ遺跡で言ってた、予言めいた事も気になるし、備えるに情報は不可欠だ。


─── バシュ……ッ


「うおッ……⁉︎」


 森の境界に足を踏み入れようとした瞬間、強烈な力で弾き返された。

 見えない壁にぶつかる、いや、ぶつかった以上の反発力で、叩き出された感じだ。


 一緒に歩き出したソフィアとティフォは、問題なく境界の向こうへと入り込んでいる。


「……俺だけ、弾かれるのか……?」


 そう思っていたら、スタルジャと赤豹姉妹も弾かれてしまったみたいだ。

 神だけ通す結界か?


「─── どうしました⁉︎」


「ソフィとティフォ以外は、弾かれるみたいだ。しかも、何だこの結界、魔術じゃない……?」


「─── 確かに……これはそんじょそこらの、術式ではないようですね。ちょっと調べてみます」


 ソフィアが目を閉じて、何かを感じようとしている。

 

 魔術で起きてる現象なら、俺にも術式が読み取れるけど、精霊術や奇跡に近い呪術の類なんかは流石に読み取れない。

 術式そのものが現象を起こしていなければ、手掛かりの掴みようが無いからだ。

 精霊術なんかの場合、働いてる精霊は分かっても、その精霊が起こす現象は読み取ったり書き換えたりは出来ない。


 ソフィアが調べている間、俺なりに考えてみようとしていたら、ティフォが何やらくんくん鼻を鳴らしていた。


「……何か匂うのか?」


「ん……なんだろう。どっかで嗅いだよーな気がする、けど、思い出せない……」


「どんな匂いなんだ?」


「粉っぽい」


 辺りは森の湿った樹々の香りしかしない。

 鼻の良いスタルジャや、赤豹姉妹もよく分からないと言う。


「……あ、分かりましたよアルくん。

─── これはハイエルフの使う精霊術の一種です、ほら、シャリアーンが使った『迷いの呪術』。あれに近いです」


「ああ、セオドア達と初めて共闘した時のやつか」


 ハイエルフが使う古い精霊術、その土地の水脈なんかを利用して、土地自体に術の力場を作るやつだ。


「え? て事はまたシャリアーンが?」


「いいえ、あんな生っちょろいもんじゃないみたいです。これは相当に高位の術者……下手をすれば本物のハイエルフか、それ以上の……」


「─── 俺の両親って、本当に何なん?」


 せっかくここまで来て入れないとは、何とも情け無い話だが、うーん、ソフィア達に呼んできてもらうか……?

 いや、それも負けた気がするな。


 溜息混じりに、その厄介な結界にそっと触れた時だった。


─── ……シュウゥゥゥ……


「熱ッ‼︎ な、何だこれッ⁉︎」


 首回りの黒い紋様が、急に熱を発して、服がみるみる焦げて行く。

 慌ててシャツを脱ぐと、炭火のように真っ赤に赤熱して、模様が激しく入れ替わっていく。


─── ……ズキンッ……ドクン……ドクン……


 額の両側に痛みが走って、押さえつけられるような圧力が生まれ、そこが強く脈を打っている。

 そして、ドス黒く禍々しい魔力が、俺の意思とは無関係に、体の奥底から溢れ出す。


─── シャリ……ィィ……ン……


 薄い刃先を重ね合わせるような、軽く甲高い音が響き渡ると、俺が触れていた場所を中心に、森全体に薄緑色の淡い光が走り抜けた。


「うぐ……結界が……破れた……?」


「あ、アル……? 体の紋様が……!」


 スタルジャのかすれた声に指摘され、守護紋の変化に気がついた。

 首の付け根から鎖骨、胸板の少し上を通り、背中まで一周していた紋様。

 それが震えるように形を変えて、胸の中心に紋章のような形に集まって、淡く点滅していた。


 そのスタルジャの声も、どこか遠く感じて、自分の感覚が鈍くなっている事に気がついた。

 世界の音が、水の中で聴いているように、一層幕が張った閉塞感がある。


「うっ、お、オニイチャ……」


 ティフォの苦しげな声に振り向くと、彼女の体にも魔力の高まりが始まっていて、全身を紅いオーラが包んでいる。

 普段から俺の魔力に依存していたティフォは、契約を通して、今の俺に起こった異様な魔力上昇の恩恵を受けているようだ。


 俺はと言えば、思考がまとまらずに脳内がいっぺんに何かを整理している感覚と、全身の深い脱力感にさいなまれている。


─── ソフィアとの契約更新の時に感じた、感覚や知覚の、再構築の感覚に似ていた


 まるで自分が体から抜けて、少しズレた所にいるような朦朧とした世界の中で、俺の足は勝手に進み出す。


「……あ、アルくん? 少し休んだ方が……」


「………………」


 頭の中じゃない、これは俺の体が、知ってるんだ……。



─── この先に行かなきゃならないって事を



 ぼんやりと隔離された意識の中で、俺は目に入る景色が進んで行くのを上の空で感じながら、そんな本能にも似た使命感を当然の事のように思えていた。




 ※ 




─── 気がついたのは、もう辺りがすっかり暗くなった、夜の事だった


 夢見心地に焚火の爆ぜる音で目を覚まし、自分がテントの中で、ひとり寝ていた事に気がついた。

 体の脱力感や、薄布でも被されていたような、思考の混迷はもう治っている。


「あ! アル様、もう大丈夫にゃ⁉︎」


「ああ、おはよう……でいいのか……? ごめん、どうして寝ていたのか、記憶にない……」


「良かったぁ、ソフィの言う通りだったね〜。力が馴染むまでの、混乱だったんだぁ」


 そう言って、スタルジャは俺の近くに駆け寄って、魔力の流れを診察している。

 時折触れる彼女の手がほんのりと冷たくて、自分の体が火照っている事に気がついた。


「俺に…………何が起こったんだ……?」


「えっとね、アルは結界を破った後、体の紋様が変化して、しばらく無言でフラフラ歩いてたの。でも、途中で倒れちゃったから、皆んなで慌てて運んだんだよ? もう、体は大丈夫?」


「そうだったのか……すまない、心配かけたな。俺はもう大丈夫だよ。でも、何だってこんな事に……?」


「……分かりません。ただ、起きた事と可能性を照らし合わせてみれば……。

─── ラミリア様の仕掛けが発動して、いくつかある内の、一部の行程を終えた……と言う事でしょう」


 ソフィアと契約した時、俺の体には『守護印』と言う紋様が刻まれた。

 それは俺が成人の儀を迎えて、ソフィアと本契約するまでの弱い時期を、とある者から守るための『神の呪い』に近い術式だった。


 シノンカ遺跡のラミリア宮で、ラミリア本人が言っていた事が本当なら、俺を完全に守るためにラミリアが細工をしていたと。

 それは世界のバランスを崩壊させるという、『隠れていた者』から、俺を隠すためだったそうだが……。


「今は胸と背中に、小さな紋様だけが残っています。この神言で結ばれた印は、余りにも情報が膨大過ぎて、今すぐには解析出来そうにありません……」


「紋様が少なくなって、更に魔力が上がった……いや、隠されてた魔力が解放されたって感じだ。

つまり、今までは魔力を隠す必要があったけど、もうその必要がそれ程無くなったって事か」


 そう、魔力が急に湧いてきたんじゃなくて、いくつかの貯蔵庫の蛇口を、開けたって感じだ。

 さっき目覚めてから、そう言う感覚がいやに鋭くなったのか、今は分かる。

 ……多分、この貯蔵庫、俺の中にまだまだいくつも置かれてるなこれは。


 知覚が更に敏感になったのか、もうひとつ不思議な事が起きている。


 さっきから、人が話したり、風が吹いたり、焚火の薪が爆ぜる度に、そこに起きてる現象に注釈が書かれているような感じがする。

 例えばスタルジャが喋っている時、気道を通った息が声帯で音に変えられて、聞こえているわけだが……。

 その音が波紋になって、空気を震わせて、俺の耳に届いてるとか、話を聞いてるのと同時に現象を術式で解説されてる。


 ……情報量が多過ぎて、頭が破裂しそうだ。

 アネスんとこのジゼルも、巫女としてティータニアを受け入れた時、国中の出来事を同時に認識させられてたけど……こんな感じだろうか。


「─── ⁉︎ ちょ、ちょっと待てよ?」


 新しい感覚を受けて、ある事を思い出した俺は、慌てて荷物の中を漁った。


「…………ああッ‼︎ なんじゃッコリャアッ⁉︎」


 その変化を見て、俺は愕然としてしまった。

 皆んなも気になったのか、慌てて俺の手の中の物を覗き込んだ。



◽️アルフォンス・ゴールマイン


守護神【光輝く無数の触手と※※聖女】


加護【光輝く無数の触手と※※聖女】


特殊加護

事象操作【斬る】【※※】←New!

肉体変化【触手たくさん】←更新!

触手操作【淫獣さん】【一人上手】←New!

蜘蛛使役【蜘蛛の王】

光ノ加護【光在れ】←更新!



 加護が更新されていた……。

 何か色々と増えてるけど、もうよく分からない。

 バグってんのは相変わらずで、守護神と加護の項目は、手に取っちゃいけない本のタイトルみたいな事になってる。


「……この『※※』って何だよ……」


「ぷ……た、多分、伏せ字でしょうね……くく、か、加護の方の伏せ字は、恐らくアルくんが習得可能な状態かと……ぷすす……。

都合上、読み方は『』辺りが……妥当……かと……。

─── 【光輝く無数の触手とメケメケ聖女】ぶはははははッ‼︎」


「笑うなっ、笑うなぁぁッ‼︎」


「ん、一人上手は、ひとりで上手にできるよ?」


「ねえ、いる? その情報いる今?」


「「「……ごくり」」」


「スタルジャ、エリン、ユニ! 今何を想像した⁉︎」


 俺自身はやっぱり実感が湧かず、しかし彼女達が落ち着くまで、しばし時間を要したのは言うまでもない。

 ひとしきり、ギャアギャア騒いだところで、ティフォがポツリと言った。


「ん、オニイチャ……気に入らないの? でも、一人上手、すごかったよ?」


「え……? 嘘、俺皆んなの前で、やっちゃったの⁉︎」


「─── ほら、あれ」


 野営地の結界の外、ティフォの指差した先には、点々と巨大な影が転がっていた。

 思わず駆け寄って、それらを確かめてみる。


─── 点々と続く、おびただしい数の大型魔獣の骸が、暗い森の中に放置されていた


 そのどれもがベヒーモスに肩を並べる、災害級魔獣ばかり、中には龍種も混ざっている。


「……これを……俺が?」


「ん、全部ひとりでやったよ? 魔晶石もいっぱい拾えた」


 て事はもう消えたけど、大型の魔物も含まれてたって事か、相当な数になるが……全く記憶にない。


「正しくはアル様の触手が殺った。あたし達が存在に気がつくより先に、もう死んでるのばかりだった……」


「凄かったの、ヒュンヒュンって、音がしたと思ったら遠くで倒れる大きな音がして。アル様は指ひとつ触れないで、ただ歩いてただけ。

─── 惚れ直しちゃったの……」


「途中、触手が魔物の食べ始めたのは、ちょっと怖かったけどね〜」


 何てこった。

 『一人上手』ってそう言う事か……。


 ティフォのくれる加護って、変な先入観焚き付けられるネーミング過ぎねえか?

 触手自体、すっげえ便利だし、実は『淫獣さん』も使い方によっては凄いのだろうか。


 ……いや、以前、夢の世界で『呪われし武器連合』相手に使った時は、もうそれは絵面がピンク色に染め上げられて大変な事になったからなぁ……。


「じゃあ、もしかしてラミリアの加護も、かなりな事になってるのか……?」


「そうでしょうね。あの方は人格はあんなんですけど、力は確かですから」


 ラミリアとの契約発覚後、ダランの砂漠で『テカる』を試した時は、破壊力過多も過多。

 危険だから使ってなかったけど、それが更新されて『光在ひかりあれ』だ、どう考えても気楽に使えないものになってんだろうなぁ。


「と、かく、皆んなには心配かけた。ごめんな、もう大丈夫だから、安心してくれ」


 俺、大丈夫だよな? 首回りの紋様が変化して、何がどう変わったのか、まだ把握し切れてないけど……。

 もし、これが俺の存在の隠蔽目的だけだったとしたら、この紋様が隠してる俺の力って、何なんだろう?

 それに、心配するなとは言ったけど、実はまだ額の両側の圧迫感は、消えてなんかない。

 多分まだ、何かが起こるんだろう……。


 ラミリアとの契約が強まったのか、存在は感じるけど、俺の問い掛けに応える事は無かった。




 ※  




 翌日、朝から移動を開始して間も無く、ケファンの森に濃霧が立ち込め、魔物達が全く現れなくなった。


 森中から魔物の気配が無くなり、鳥の鳴き声はおろか、風の音ひとつしない。

 ここまで静寂が支配すると、かえって人はその静けさに注意を奪われて、騒々しく感じてしまうものだ。


「本当に……静かになっちゃった。アルのご両親って、凄い所に住んでるんだね。

お友達とか、どうしてるんだろう?」


「…………」


 ここまで存在を隠された両親が、誰かと密に会うのもあり得ない気がするが、今はこの耳の痛い静寂にスタルジャの声が心地良く感じる。

 友達か……せめてそんな人物にでも出会えれば、両親がどんな人か、少しはつかめるんだけどな。

 ……そんな事を考えていた時だった。


 霧の向こうから、足音が聞こえて、こちらに近づいているのが分かった。

 思わず身構えるが、殺気や敵意なんかは無く、むしろこちらを迎えに来ているような穏やかな足音だった。


─── その人物が目の前に現れた瞬間、俺は頭が真っ白になってしまった


 清潔感ある切りそろえられたブロンド、対魔加工の施された魔術師ローブの下に、年季の入った軽量プレートメイル。

 手にした古めかしいデザインの白銀の杖は、紛れもなく、俺がかつてに贈ったものだ。


「─── やあ、久しぶりだねアルくん!」


「……? な、何だってこんな所に?」


 リック・ベアルハルト。

 バグナスの迷宮で救助してから友達になった、魔術師の冒険者。

 バグナスで別れて以来、会っていはなかったけど、ギルドを通してのメッセージは何度かやり取りをしている。


「ははは、ギルドの依頼でね、この森まで偶然。アルくんは?」


「……ああ、この奥に用事があるんだ」


「そうなんだぁ♪

ねえ、僕はだいぶ前から来てるから、結構詳しいんだ、案内するよ!」 


 だいぶ前から? 確かに彼は俺の蘇生魔術で、聖戦士化してるけど、こんな危険な場所に依頼で……?

 それに、あの結界はどうやって通って来れたんだ?


「……なあ、リック。ミリィはどうした?」


「ミリィ? ミリィ……。うん、ミリィは元気にしてるよ。そんな事より急ごう、この辺りは魔物が多いからね!」


 そう言って先に進もうとする彼の背中を、ただ呆然と見ていると、こちらを振り返って苦笑いをした。


「どうしたのアルくん。大丈夫、僕についてくれば安心だよ、急ごう。

─── それとも久しぶりで戸惑っちゃった?」


「……ああ、そうかも知れない……な」


「大丈夫だよ、アルくんのご両親の所まで、後少しさ! さあ、急ごう?」


 リックはニコニコと笑顔でこっちを見ている。

 その顔は確かに俺の知ってるリックそのものだ。


─── しかし……


 俺が彼に近づくと、彼は道案内をしようと、森の先に振り返った。


「なあ、リック……。

─── 何で俺の両親の事、知ってる……?」


 ピタリと歩みを止め、リックは背を向けたまま立っている。


「それにな、お前は俺達がバグナスを出た後にD級に受かってるし、お前の実力ならもうとっくにB級くらい達してるだろ? なんでE級章を付けたままなんだ」


「…………」


「─── お前は、誰だ?」


 彼はその問いに、ゆっくりと振り返り、白い顔に薄っすらと笑いを浮かべて……消えた。


「……くん……、……ルくん……。

─── アルくん‼︎」


「え……? あ、ああ、ソフィ……?」


「一体どうしたんですか? 急に立ち止まって、それにスタちゃん達まで……」


「い、今! リックがそこに……‼︎」


「─── 誰もいなかったよ? オニイチャだいじょぶ?」


 ええ……幻覚か⁉︎

 見ればスタルジャと赤豹姉妹も、それぞれボンヤリと立ち尽くしている。


 ソフィアが三人に手をかざして、現実に引き戻した。


「ぱ、パガエデ⁉︎」


「あれ? タイロンはどこ?」


「ローゼン、もう勘弁……あれ?」


 三人とも、別々の人物の幻覚を、見ていたようだ。

 もしかしたら、スタルジャが呟いた『俺の両親の友達』の話が、引金になって始まったのだろうか?

 ……だとすればエリンの『ローゼン』は、かなり意外だ。


「精神に働き掛ける呪術の類でしょうか、これは余計な事は考えない方が、良いかも知れませんね。知らない土地で、不用意な行動に引きずり込まれたら、何が起こるか分かりません」


 うん、その通りだな、地図があるったって、広大な森の中だし、地形がどう変化してるかも分からない。

 案内人でも居たら、話は別だけどなぁ。


「でしょう? 会長さんは俺がしっかりとガイドしやすから、大船に乗ったつもりでいて下さいよ!」


 そう言って、ドギが自分の胸にトンと拳を当てて言う。

 ニカっと笑う口から、舌がハッハッと出ている辺り、褒めて欲しいんだろう。


 はあ、やっぱり狼顔のドギは、撫でたくなるなぁ……。

 ダルンの最初の出だしは、彼のお陰でスムーズだったし、今回も頼りにしてみようかな。


「さて、じゃあ行きやしょう。皆さん、足元には気をつけて下さいよ? 目的地はもう目の前っすからね♪」


 目的地……ああ、そうだ。

 俺はこれから、ダルンを経由して、シリルに抜けて行くんだったな。


 シリルの腸詰は美味かったなぁ、スタルジャが肉嫌いが治って、美味そうに食べ始めたのは驚いたもんだ。


─── スタルジャ? これからダルンに入るのに、どうしてスタルジャが今一緒にいるんだ?


 ふと立ち止まる。

 こんな感じの事、なんか前にもあったような……?

 あれ? 何だっけ……。


「どうしたんすか会長、ご両親が首を長くしてお待ちですぜ? グズグズしてたら、日が暮れちまわぁ」


「─── だから、何でお前が俺の両親の話をしってるんだよ!」


 思わず叫んだ所で、ソフィアの声が聞こえて、現実に引き戻された。


「……あっ、危ねえッ‼︎ なんか今、さっきよりも信じやすくなってたぞ俺⁉︎」


「繰り返すと、深くなるタイプですか、危険かも知れませんね……。今の所は奇行に走ったりしてませんけど、このままエスカレートしたら、何が起こるか……」


「これも呪術なのか? すんなり入る上に、夢の中の自分みたいに、よく分からん事を信じたり、矛盾に鈍くなり掛けてる。タチが悪い!」


「「「ぼやぁ〜」」」


「ああ、三人はすでにヤバ目ですね……。大体、アルくんにここまで効くとか、相当ですよ!

何とか解呪の方法を探ってみます。

─── 皆さん、なるべく何も考えず、ボヤッとしてて下さいね!」


 なるべく何も考えず……ボヤッと……。

 何も考えず……ぼけっと……。

 なんの考えも……ない……ぼ……け……。


─── ガサガサガサ……


 突然近くの茂みが揺れ、何かが近づいて来る、葉擦れの音がした。


「……おお、アルフォンス、そこにいんのか?」


 まだ、姿は見えないが、声だけは聞こえた、そしてこの声は聞き覚えがある。


「ここ、寒いな。近くに良い居酒屋があんだけどよ、一杯どうだ?」


 出てきたのは、上半身がイソギンチャク状態のクリーチャー、ガストンだ。

 俺は冷静に息を胸いっぱいに吸って、しっかりと自分の言うべき事を叫ぶ事にした。


「帰れッ‼︎ どうやって喋ってんだそれ‼︎」


「─── 手厳しいよなぁ……おめえは……」


 イソギンチャクのガストンが、苦笑いを浮かべて(?)、スゥッと消えて行く。

 いや、確かにあの姿は、罪悪感もあって印象に刻まれてはいるけれど、何も久々の再会がこれじゃなくてもなぁ……。

 むしろ、そのインパクトのお陰で目が醒めた。


「あら、流石はアルくんですね、自分で幻覚を解いたんですか?」


「いやなに。……敏腕ギルドマスターのお陰だ。

─── 所で解呪の方は? 出来そうか?」


「ええ、今終わった所です。解呪は不可能だったので、皆さんを極薄の亜空間で覆って、切り離す事にしました。

何か変化を感じますか?」


 んん? そう言われてみれば、無くなって気がついた。


「ああ、ありがとう。気がつかない内に、妙な音がずっと聞こえていたらしい。

掛かってる時は自覚が無いとか、呪術系は恐ろしい事この上ないな……」


「音ですか。なるほど、人族の聴覚に作用する類だったのかも知れませんね。一定の周波数の音を聴き続けてると、幻覚を見るなんて聞いた事がありますから」


「……あれ? ノゥトハーク爺の服は、何処に行ったの?」


「大丈夫だスタルジャ。それは幻覚だし、もし本当に服が無くなったとして、彼の通常営業だ」


 エリンとユニも『箱が』とか『出荷された』とか、お互いを探しているようだったが、直ぐに正気に戻った。

 俺を含めた人類四人は、何とか無事にこの局面を乗り切ったようだ。

 最初の結界といい、この呪術といい、これ程までに人を寄せ付けない理由は何なのか。


 とりあえず胸を撫で下ろしていると、ティフォがまた、鼻をクンクンと鳴らしている。


「どうしたティフォ、さっき言ってた例の匂いか?」


「ん、さっきより強くなった……それに、もうそこまで来てる」


 来てる? 何か魔物でも近づいているのか?



─── ……リィィ……ン……



 鈴のような澄んだ音を奏で、夜切が自分から俺の手に現れた。


─── 主様、油断召されるな……これは……強い!


 夜切がここまで警戒心を露わにするのは、初めての事かも知れない。


 確かに森の奥からは、魔力とも神気ともつかない、異様な圧力が迫っていた─── 。

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