第三話 円満の秘訣

 キュルキセル地方の大森林に、朝方から立ち込めていた濃霧はようやく薄れ出して、風に流れる霧の白い筋がそこかしこに見られた。


 天領サァルヘイム山脈から流れる湿った風が、盆地の森林に絡め取られ、この辺りは頻繁に霧が立ち込める。

 そのじっとりとした空気を切り裂くような、コマドリとミソサザイの高く美しいさえずりが心地よい反面、人里を離れた物寂しさを強調しているようにも聞こえる。


─── ふと、それら鳥達の声が一斉に止んだ


 広大なキュルキセル地方の西側に、轟音と魔術の反応光が立ち上がり、その周辺からは無数の鳥達が騒ぎ立てて飛び去って行く。


 未だ霧が深く残るその一角には、おびただしい数の武装集団に囲まれながらも、背中を預け合って抗う男達ふたりの姿があった。




 ※ 




「ウォラァッ‼︎」


 大剣と言うよりも、鉄板のような大得物を振りかぶり、セオドアの力任せの一撃が大地に突き刺さる。

 巻き込まれた者はボロ切れのように舞い上がり、近くにいた者は落雷でも食らったかの如く、衝撃に全身を硬直させて意識を手放した。


「アルッ、今だッ! そっちの─── 」


─── バリリ……ッ‼︎


「かあ〜ッ 短縮詠唱かよぉ……おい!」


 ダミーで詠唱してから雷撃を発し、セオドアの作った好機に、タイミングよくたたみ掛ける。

 無詠唱で魔術が使えるって事を、このふたりには知らせない方がいいと踏んだ。

 悪いやつではなさそうだが、何者かは分からないし、教える必要もない。


 血と泥で汚れた顔に、満面の笑みを浮かべて、セオドアは振り返った。


 よくもまあ、この忙しい闘いの最中、背後の詠唱を聞いてるもんだ。

 時々こうして彼は、思いっ切り隙だらけで振り返ったりするから冷や冷やする。


 今の連携で、普通なら相手も怯んでくれるだろうが、こいつらは暗示で恐怖心がぶっ飛んでる。

 セオドアの隙を突いて、死角から一気に攻勢を掛けられた。


「セオドア! お喋りは後だ、三時の方向─── 」


─── ズパァ……ッ‼︎


 俺が言い終わるより速く、振り向きざまのバックハンドで、迫っていた複数人を面白いように撒き散らす。


「ああん? あんだってぇ?」


「ははは、いや何でもねえよ……ッ‼︎」


 こんなやり取りは何度目だろうか、思わず笑みがこぼれるも、敵は待ってくれない。

 矢を構えていた数人の喉元に、黒光りするスローイングナイフを同時に投げつけて、即座に無力化する。


 セオドアとアースラのふたりを加えて二日目、追手はとうとう姿を現した。


 霧の深い明け方に、突如グール達の反応が鈍くなって、不審に思って外に出てみれば、すでに辺りを囲まれていた。

 グールは無闇にうろつくだけで戦おうとせず、こちらが敵を確認しようとすれば、視界が嫌なブレ方をする。


 ソフィア曰く、霧を利用した『迷いの呪術』で、ハイエルフが森で使う古い精霊術の一種なんだそうだ。

 土地全体や水脈なんかを利用して、方向感覚や認知力を大きく歪ませるもので、耐性を持つのは不可能。

 術そのものが影響してる訳じゃないから、治す方法はそこから離れるか、術者を仕留めるか……。


 もしくは、術者が決めた、何らかの除外の術式が必要だと言う。


─── 普通なら詰んでた


 毒を変える、武器を変える、人員を変える。

 こっちがグールを出せば、それを出し抜く方法を取って来る辺り、流石はプロだと舌を巻くしかない。


 だが向こうさんも、まさか精霊と縁の深い新興種族のランドエルフと、妖精の女王のタッグがいるとは思いもしなかったのだろう。

 影響を全く受けないミィルは、さっさと周囲の暗殺者達を掃除しつつ、そいつらの眼球を引きずり出して来た。

 『迷いの呪術』を解く事はできなくても、暗殺者にかけられていた除外の術式を、その眼球から奪えるらしい。


 まだ生温かいそれを手に取るのは躊躇ちゅうちょしたが、ミィルの言った通り、すぐに視界を取り戻し、応戦に転じる事が出来た。


 ソフィアとティフォは、術者を討ち取りに。

 スタルジャとミィルは、赤豹姉妹と組んで、後続を断ちに。


 で、俺はセオドアとアースラの三人で、敵を極力減らしつつ、退路を切り開く役割についた。


─── で、分かった事だが……


「─── アースラの名において、汝に一握の気息、霊妙たるヴィシュダハーカの真理を与えん! ……彼方かなたより此方こなたへ参れ『黄龍之玉鱗』!」


「ガハハハハッ‼︎ どうしたどうした? いくら数が多かろうが、てめぇら羽虫程度じゃあ、耳が痒いだけよッ‼︎

─── 骨のある奴ァ、いねぇのかッ!」


 いや、ちょっとこのふたりの事、あなどり過ぎてたみたい。

 

 傭兵家業で渡り歩いて来たとは言ってたけど、俺の知ってる傭兵さんとは大分違う。

 傭兵上がりの冒険者はよくいるし、酒舗で情報を得るために話す事があるけど、仕事にはシビアでドライな人種が多い。


 生き死にの切った張ったなんて、彼らはそんな不確定なものに、命賭けてたらいくつあっても足りないからだ。

 商売道具の体だって、消耗品と同じくいつか底をつくから、利益に見合った働きを選ぶ。


─── じゃあ、このふたりは一体何なんだ?


 一見隙の多い、大振りばかりのセオドアだが、その実、全く無駄も隙も無い。

 地形と集団の動きを巧みに利用して、戦況を思い通りに動かす技術は、歴戦の智将って感じだ。


 ……そうかと思えば、強運任せの大一番に、突如として賭けたりする。


 一方、アースラは『降魔神霊術』とか言う耳慣れない術の遣い手だった。

 戦闘に入るやいなや、セオドアの後ろでトランス状態に入って優雅に舞い、次から次へと自身に高位の霊を降ろしては術を連発している。

 身体強化系の補助的な術に大きく偏っているが、あの厄介な吹矢を前にしても、鎧無しでも闘える程に強化された。


 ……いや、それでも術中はいつも意識朦朧もうろうってのは、戦場では致命的じゃないのか?

 そう思って最初は彼女のカバーに回ろうとしたが、時折迫る流れ矢や接近する敵を、イチョウの葉のような刃のついた長い杖で難なく斬り払っていた。


 セオドアの戦況把握、ヘイト管理能力に守られながら、アースラの強化・補助の術がセオドアを守り戦わせている。

 各々の力量は溜息が出る程だが、それをお互いの信頼関係で、更に高いものにしているのだろう。


─── なんだこれ、ものスゲェ闘いやすいぞ⁉︎


 ソフィア達とは連携の修練も積んでいるけど、大人数の対人戦での連携は経験が無い。

 広域殲滅でチュドーンだからな。

 アケルでは人間と獣人の連合で遠征もしたけど、俺は大局を見てただけで、現場の動きは各リーダーに任せきりだった。


 うーん、今後魔術や奇跡が使えない状況もあるだろうし、これはもしかして凄く良い経験をしてるのではないだろうか?

 そう思うと手加減する闘いも楽しくなって来て、いつしか夢中になっていた。


─── オニイチャ、術者はかたづけたよ


 ティフォからの念話で我に返った時には、もう粗方片付いて、退路を確保し終えていた。


─── こっちも終わりだ、合流しよう


─── 新しい道、作りますか、斬りますよ?


─── ……いや、自然は大切に。それに傭兵組ふたりの活躍で、退路も確保出来てる


 全員が合流する頃には、グール達も術から解放されて、アーウー言いながら戻って来た。

 これでまた静かになれば良いが……。


 しかし、暗殺に特化した一族だと聞いたが、戦略は確かだが、どうにもヌルい気がするな……。




 ※ ※ ※




「あァッ⁉︎ あんたらS級冒険者だったのかよ⁉︎」


「いや、隠すつもりは無かったんだ。ほら、こうして記章着けてるし」


 記章を見せると、物珍しそうにふたりは顔を寄せて覗き込み『ほー』とか『はー』とか言って、明らかによく分かってないサマの、果てし無き事よ。


「ま、まあ、こんな小せえの、言われねえと分からねえ。知ってたけどな、起床くれえ」


「記章な?」


「それより、やっぱりグールを一体くださいましな」


「ダメです」


 アースラはどうにもグールが欲しくなってしまったらしい。

 グール達も一応、元人間の死者だしな。

 奴隷状態で人に渡すのは、ちと冒涜が過ぎるかなとも思う。

 それに、後で属性反転掛けて、聖戦士化して、解き放ってやるつもりだ。


 ただ、彼女の職業柄、気持ちも分からないでもない。


 どうやら彼女の扱う『降魔神術』って言うのは、『幻獣』と呼ばれる太古の自然霊なんかの高位の霊を、自らの肉体に喚び入れる術らしい。

 神に近い者の言霊を、こっちの世界に伝える事で、魔力を使わずに奇跡を起こす。


 神殿付きの僧侶とか、巫女っぽいが、審神者さにわと呼ばれる別の職業なんだそうな。

 面白いのは元生物の霊だけでなく、霊的な力を持ちつつ滅んだ、武具や道具なんかの霊も降ろせるって所だ。


 その点、アンデッドなのに知能も高く、生前より遥かに強くなるグールは、霊的存在に関わりの深い彼女にとって興味を惹かないはずもない。

 もう何度か断ったのだが、どうやって作るのかとか、どんな属性の術なのかとか食いついて来る。


「ねえ、ふたりって夫婦なの?」


 酒で既に真っ赤なスタルジャが、そう質問した時、結界周辺に設置した魔術トラップが青白い光の柱を立てた。

 あれのお陰で古代精霊魔術も、強引な突破も心配なくこうして酒が飲めてる。


 今の状況で不用心なようだが、精神状態を保つのも戦の肝要な備えだ。

 ちなみにあの青白い光は、警報とかではなくて、単に侵入しようとした者が消し飛ぶ時の光だ。


「……ま、女房と言えば女房だがな、別に婚姻の儀礼みてえな事は特別したわけじゃねえ」


「ほら、この人ったら、何処か抜けてございましょう?

色々心配でしょっちゅう一緒にいる内に、なぁんだか離れられなくなってしまいましたのよ」


 へえーと言いながら、スタルジャが俺に寄り掛かって来る。

 膝には既にティフォがどっかり座っていて、もう大分前から膝の感覚は無い。


「へぇ〜、でもご夫婦で旅をするって、なんか素敵なの♪ チラッチラッ」


 ユニがそう言いながら、あざとくチラ見してくるが、しっぽの先がピクピクと動いてる。

 これは甘えとかじゃないな、獲物狙ってる時の動きだ確か……。


「まあ、こいつとだと退屈はしねえなぁ。

それより、お前らこそ何なんだよ、女ばっかじゃねぇか?」


「「「婚約者です☆」」」


「なッ、全員か⁉︎ 揃いも揃って別嬪べっぴんだらけじゃねえか! 敵だな? 全人類オスの敵だなお前ッ⁉︎ あ、痛え! 何しやがるアースラ!」


「オニイチャのエッチ! アブラヂゴク!」

 

「だからなんでお前はそう言う所で一枚噛もうとするんだよ……。アブラヂゴクって何だよおっかねえな。

不義理を働いた覚えはない、色々あってな、こうなる運命が働いてるんだ」


 全部話せるわけじゃなし、こう濁すしか出来ないってのも、なぁんか後ろめたさがあるようで良くないなぁ。

 もっとこう……男としての自信が欲しい。


「な、なあ、その……ふ、夫婦円満の秘訣とか、あるのかしら?」


 エリンが妙にどもって問い掛けると、全員の視線がセオドアに注がれた。


「夫婦円満ねぇ……俺ァ、この通り気の利いた言葉のひとつも言えねえし、女心にゃあからきし鈍いからな。

回りくどい事はしねえで、ちゃあんと気持ちの話はしてるつもりだ」 


「ふふふ、そうですわね。だからわたくしも、回りくどい言い回しはしないで、お互いの思う所は出し合えるようにしていますわ」


「へぇぇ、でもそれってケンカになったりしないの?」


 スタルジャの忌憚きたんない言葉に、セオドアとアースラ夫妻は、顔を見合わせて笑い出した。


「うふふ。喧嘩はよくしますわよ? でも、それは意見の言い争いではありませんね。

大抵はどちらかが考えなく動いて、思惑がズレた時かしら?

何でも言い合うって言うのは、ただ意見を通そうとする事ではありませんのよ」


「意見で勝った負けたじゃあ、ひとりでいる方がマシだろ?

せっかく夫婦なんだからよ、いい方向に積み重ねてえじゃねぇか。そこはお互いの意見のいいとこ取りするつもりで話すんだ」


「わたくしも器用ではありませんから、お互い『察する』なぁんて、読心術じみた事は出来ませんの。話さない事には、自分の気持ちすら分かりにくい事ってあるではありませんか?

意見を言う事で、相手にも意見を言いやすくしてあげないと、いつか溢れ出してしまいますでしょう?」


 思わず感心してしまった。

 ソフィアに想いを告げて以来、なんでも話そうと気をつけてはいたけど、意見の擦り合わせにはこれと言って方針もなかった気がする。


 これって、お互いにそれを理解してないと、片方が我慢するだけになりそうだもんな。

 ずっと一緒にいるんだから、ずっと積み重ねていく相互方針も必要って事か。


「ふふふ、不器用同士だからこその方法かも知れませんから、皆様のご参考にはなれないかも知れませんわね」


「いやいやいや、凄く勉強になった!

貴重な話をありがとうセオドア、アースラ!」


「そう言われっと、なんだかくすぐってえけどな。ま、なんだ、職業柄みてえなもんだ。

適材適所を臨機応変にってな、決まり切ってると信じてる時ほど、寝首かかれんだ」


 そう言えばバグナスで共闘した白頭鮫団は、傭兵上がりとか、元軍人が多かったけど、打ち合わせを大事にしてたっけな。


─── 意見を言う事で、相手にも意見を言いやすく……か


 ふとソフィアの方を見ると、少しうつむいて手にしたグラスを眺めていた。


 俺の実家とされる場所に近づくにつれ、こんな感じに思案にふける彼女の姿が増えている。

 神に掛けられた規制で、言えない事が山程あるんだろうけど、それがやっぱり辛いのかな。


 察してばかりじゃ、彼女を苦しめてしまうのかも知れないなぁ。




 ※ 




 初夏も中頃となれば、夜の森の中はアオバムシの鳴き声と入れ替わり、耳が痛む高音域で鳴くクサバトビムシの声で溢れている。

 この虫が盛大に鳴いた翌日は、ささやかな雨が降ると言われているが、確かに夜空は雲が多く月が滲んで見えた。


 セオドア達との晩酌も終わり、皆が眠りに就いた頃、ふと物音に気がついて森の中へと足を踏み入れた。

 最近、こうして寝付けない事が多くなってる気がする。


 顔も知らない両親、俺にとっての親は義父とうさんであり、里の皆んながそれだ。

 自分の運命がどんなものか、それも気にはなっているが、今はまだ見ぬ両親の事で頭が一杯になる事が多い。

 そんな事を考えながら、仄暗い月明かりの木漏れ日を歩くと、向こうもこちらに気がついて振り返った。


「眠れないのか?」


「アルくん……」


 ソフィアの近くにあった、滑らかな岩に腰を下ろすと、彼女もそっと隣に座る。


「最近元気ないけど、大丈夫か?」


「…………はぁ……やっぱり出てましたか」


「うん。ちょっと心配だった」


 そう言うと、ソフィアは青白い月明かりの中、寂しそうに笑うと、月を眺めて口を開いた。


「……やっぱり、怖いんですよ。私は」


「俺が運命を背負わないって選択をした時の事?」


「いいえ。それは貴方の決断ですから、私はどう選んでも貴方を誇りに思います。

─── 私が怖いのは、貴方が傷ついてしまうかも知れない事をです」


 やっぱりそんなに俺の運命ってキツイん?

 そう言われると、流石にちょっと怖くなるな。


「……いえ、まだ私はキレイ目ぶってますね。

本当の本当に怖いのは、それを黙って、貴方を導く自分の卑怯さを……。貴方に嫌われてしまう事が怖いんです」


 そう言って、薄ら寒そうに肩を抱いて、彼女は身をすくませた。


「さっき、あのご夫婦のお話を聞いて、私は泣きたいくらいにうらやましかったんです。

長く共に歩む時間を、信頼を積み重ねるように送れる、それが羨ましい……。

私が罰で消えてしまってもいい、少しでも貴方が軽くなるなら、全てを話してしまいたいと何度も思ってしまうんです」


 声が震えてる。

 目元を隠した前髪が、滲んだ月の光に、儚い光を落としていた。


「─── 私は貴方が好き……苦しい程に

なのに私は、共に歩む貴方に、全てをさらけ出す事が出来ないなんて……」


 ぽつりと、彼女の膝に涙が落ち、丸い滲みを生み出した。

 あれだけ騒いでいたクサバトビムシ達の声は、意識の向こうに追いやられたのか、涙を目にした途端に遠くなった気がした。


 気がつけば、俺はソフィアの肩を抱いて、自分の肩に引き寄せていた。


「……俺もさソフィア、怖い事があるんだ。

俺の運命がとか、俺にどんな災難が降りかかるとか、そんなんじゃなくて。

─── 現実以上に不幸に思う事が怖いんだ」


「現実……以上……ですか?」


「うん。実際さ、俺は記憶にない両親の事も、自分の将来に起きる事も、実感が湧かないんだよ。

だってそうだろ? 目の前で起きた事じゃないと、結局はどこか他人事になるもんじゃないか」


 本音だ。

 成人の儀で起きた事だって、本当は狐につままれたみたいに、自分に起きた事なのか今はふわっとしてる。


 この旅だって、義父さんが守ろうとしたものがなんだったのか知りたいだけ。

 憧れはあったけど、自分が聖騎士パラディンになったとして、いきなり『ザ・正義』みたいな人間になるなんて想像がつかない。


「現実以上に不幸に思うってのは、思った事と違う事が起きた時に、よく確かめもしないで不満を感じたりして嫌になる事だよ。

自分とか誰かのせいにしたりして、現実に起きてる事を、ますます手のつけられない悲劇みたいに思う……みたいな」


「…………」


「どんなに辛い事でも、嘆いたって終わらないし、逃げようったって逃げられない。

結局は起きてる事をひとつひとつ、消化していかないと、ただ苦手意識が増えるだけだ。

現実は進まないと真っ暗なままだろ?

─── 俺はそうやって、お互いに触れにくい事が起きて、君と心が離れるのが一番怖いんだよソフィア」


 ソフィアは驚いたような顔で俺を覗き込んで、すぐにまたうつむいてしまった。


「……それは……私が貴方に話せない事が、沢山あるから、そうなってしまうんじゃないですか」


「いいや、君が話せない事は、仕方の無い事じゃないか。その事は君が辛そうにしてるのを見ていれば、嫌と言うほどわかるよ。

それって、俺のために苦しんでまで、背負ってくれてるんだろ?」


 彼女は小さく、確かに頷いた。


「君が運命を作ったのではないし、神様は世界の一人一人の運命を作ってるわけでも、なさそうじゃないか。……ラミリアだってバタついてたしな。

なら、俺に起きる事はやっぱり俺のための事で、誰のせいでもないんだよ。それをただ不運だと投げやりになるのは、その先をただ不幸にするだけだと思う」


「…………」


「だから俺は、君が言えない事を持っていても、それを不満には思わない。

むしろ、その事で苦しむ君を見る事が、俺には辛いんだよ」


「……で、でも私が貴方を選ばなければ、そんな目には……」


「俺、幸せだけど? 君が見つけてくれたお陰で、君と出会い、ティフォと出会い、エリンもユニもスタルジャも。

リックやガストンとか、数え上げればキリがないけど、それも君が俺を見つけてくれたからだ」


 見開いた目を細めて、濡れた長いまつ毛が、月明かりを受けて微かに輝いた。

 涙が頬を伝ってはいるけど、皆んなの事を思い出したのか、少しだけ笑みを浮かべた。


「だから俺、運命に関しては、起きてからじゃないと考えないよ。

凄い災難があったとしても、その時は俺自身の問題だし、幸か不幸かは俺が決める。

─── 今見えない事に悩まないでくれよ、きっとその時に君が側にいてくれたら、それだけで俺はもっと冷静に未来に臨める」


 ソフィアは俺の胸に顔を埋めて、声を殺して泣いた。

 哀しくて泣いてるんじゃなくて、解放された安堵で泣いているんだと思いたい。

 少なくとも、それを確かめるくらいなら、彼女が罰則を受ける事はないだろ?


 ソフィアの背中をトントンと手の平で労わりながら、月の前を細く過ぎて行く雲を見つめていた。




 ※ 




─── …………だ。…………なら、…………


 どれだけこうしていただろうか、ソフィアも泣き止んで、ただ身を寄せ合っていた時。

 森を歩く人の気配と、何かを話してる声が聞こえて来た。

 何となくバツが悪くて、ソフィアと目を合わせると、息を殺してそちらに注意を向ける。


─── でも、まだ…………でしょう? あなたの思い過ごしでは無いですの……?


─── いいや、あれは間違いない、今日、あいつに背中を任せて…………ったぜ。随分と猫被ってたみてえ…………


 これはまず間違いなく、俺の話だろうけど、こんな所で一体何の相談だ?

 静かな夜だが、風は流れているのだろう、会話が所々聞き取れない。

 ますます声を掛けにくい事になり、ソフィアとふたり気配を殺していた。


─── …………れば、確かに。…………の時期に、この土地にいるのは、偶然とは思えま……わね


─── ああ、長生きはするもんだ。ここで……は、願ったり叶った…………


 茂みの向こうに、歩きながら話すふたりの体の一部が、確認できるまで近づいて来た。

 間違いなくセオドアとアースラだ。


─── …………つもりですの? 貴方に勝てて……?


─── いいや、ま……時期じゃねえ。だってそうだろ? 今はまだ完全に力を………………うし、あんな中途半端じゃあ、やり合うのも面白くね…………


 大分距離が近づいて来たからか、かなり会話の内容が掴めるようになったが……。

 明らかにあいつら、俺の何かを知ってるし、闘うつもりがあるような口ぶりだ。

 そうこうしていたら、とうとうすぐ近くにまで寄って来た。


「……つうかおめえだって、そんな気がしてたんじゃねぇのか? ほれ、グールについてしつこく聞いてたろ」


「あれは……本当にただの好奇心ですわ。だってあんまりにも完成度が高くて」


「ケッ、相変わらずよろしいご趣味だこって」


「……ふふふ、くすくす」


「なぁんだよ、何がおかしいってんだアースラ?」


「いいえ、そっちこそ貴方らしいなと思いましたの。メジャルナではあんなに退屈そうに闘っていたのに、今は……ふふ、あの頃の貴方そのものですわ」


「……ずいぶんと待たされたが、やっとツキが回って来やがったな。

─── 思う存分、やり合いてえもんだ」


 どうする? ここで飛び出すか?

 だが、今すぐどうこうってわけではなさそうだし、何より『今はまだ完全に力を』って聞き取れた言葉が気になって仕方がない。


 そう迷っていたら、ソフィアが念話で声を掛けて来た。


─── ……何者でしょうか、あのおふたりは……


─── ……分からない。でも、明らかに俺の事を知ってる風だ……


─── ……読心してみます……


 ソフィアが目を閉じる、と、その瞬間、結界の一部から盛大な光が立ち上がった。

 何か大きな異変があったようだ。

 セオドアとアースラは会話を止め、光の立った方角へと走っていってしまった。


「……読めたか?」


「いいえ、仔細しさいまでは……。ただ、おふたりには強い高揚感と……これは……歓喜?」


「歓喜……? あの話ぶりからすると、俺がここに来る可能性は知ってても、見つけたのは偶然で、俺の顔と名前は知らないって感じだった。

─── もう少し時間を掛けたら、分かりそうか?」


 ソフィアは眉間にしわを寄せて目を閉じ、首を小さく横に振った。


「止めた方がいいでしょう。アースラさんの方は、人間離れして勘が良いみたいです。

むしろ、さっきの光に助けられました……。もう少し覗き込んだら、おそらくバレてましたね」


「降霊神術の審神者か……。それならセオドアの方にも、下手な事はしない方がいいかもな」


 それにしても『グールについてしつこく聞いてた』てのが、どうして俺と結びつくんだ?

 グールは確かに強いが、何も伝説級の希少種ってわけでもない。

 有名どころの迷宮なら、深層域にいる事もあるって言うくらいだ。


─── ……オニイチャ、たいへん、おーとーせよ……


 急にティフォからとぼけた声の念話が入って、シリアスな状況とのギャップに、脳が揺さぶられた。


─── ……ど、どうしたティフォ? さっきの結界の反応の事か?……


─── ……いえす、せーかい、ちとたいへん……


 あのティフォが大変って言うんだから、相当な事が……?


─── ……こども、ひろった、はよかえれ……


─── ……子供? 今度はなんの魔物の子を飼うつもりだ……


 ただでさえベヒーモスの定位置が、ティフォのポシェットになったせいで、オニイチャ人形がしょっちゅう俺の荷物に捻じ込まれてるってのに。

 ここは心を鬼にして『返してらっしゃい』とか言うべきか?

 いや、厳密にはベヒーモスは『子』じゃないけども。


 そんな親みたいな事を考えていたら、再び結界から光の柱が複数本上がった。



─── ……ちがう、人間のこども……



 はっ⁉︎ ティフォのやつ、とうとう人間の子供にまで手を出したか⁉︎

 次から次へと起こる出来事に、俺の脳内はしばらく無風状態となってしまった─── 。

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