第十五話 極光星騎士団

 鬼族の集落から続く沢への林道に、鬼達が道を塞ぐように集まり、ジッと一箇所を見つめている。


 かつて西方の最果て『修羅の國』より流れ、かの魔界にも一時暮らしたと言う、亜人族の中でも指折りの強力な種族─── 。

 その鬼の彼らは今、向かい合うふたりの人間族に、目を奪われていた。


 エル・ラト教司教グレッグ・ダスティミラー。

 そして、アルフォンス・ゴールマイン。


 先に繰り広げられた、白銀の大男との闘いに、完全に肝を冷やされていた鬼達は、新手の出現に固唾を飲んで立っている他なかった。




 ※ 




「抹殺命令? 教団から恨まれるような事はしちゃあいないつもりだが」


「ふん、とぼけるな。その髪色に瞳の色、ただでさえ疑わしい貴様が、立て続けに魔族と関わっていると報告があるのだ。

─── 貴様には、魔族の手先であるとの、嫌疑けんぎが掛けられているッ!」


「おいおい、嫌疑だけで抹殺かよ?

ラミリアを信奉する割に、血の気の荒い事だな」


「黙れ、汚らわしい異端者めッ! ラミリア様を呼び捨てにするとは、それだけでも万死に値するッ!

貴様のような下賎げせんな冒険者風情を捻り殺す理由など、嫌疑だけで十分だッ」


 この話の通じなさは、何処か女騎士の具合を彷彿ほうふつとさせるものがあるな。

 狂信者って奴は皆んなこんな感じなのか?


「魔族との関わりだけではない、ハリード自治領太守の館ならびに、アケル南部拘置所への不法侵入。

獣人族の扇動、怪しげな魔道具の密売、経典に背く魔術の不正使用方法の流布!

貴様が亜人種に何やら働き掛けているのは、数多の報告が上がっているのだ……。

……何を企むアルフォンス・ゴールマイン。下賎な亜人種どもに取り入って、反乱でも起こす気か!」


「どれもお前ら教団の、手前勝手な懸念だろ。信者では無い俺には、興味も無ければ所縁ゆかりもない、全く預かり知らん話だ。

まして、アルザス帝国と何ら協定を結んでいないその二カ国での事だろ?

内政干渉もはなはだしいんじゃねえのか」


─── シュラ……ンッ!


 サーベルの切っ先が俺に向けられた。

 この魔力の流れ、偽聖剣ではないが、何かしらの魔道具か。


「ふん、どうして冒険者と言う者は、こうも身の程知らずばかりなのか……」


「─── 抜いたな? 覚悟は出来てんだろうな、司教さんよ」


「覚悟? 異端者相手に割く心など持ち合わせてなどおらんな。

大体、貴様にはずっと腹に据え兼ねている事があったのだ!」


 そう言って被りを振った先には、三人娘と姉妹の姿がある。

 エリン達も戻ってたのか。

 とっとと終わらしたかったけど、これだけ騒ぎになれば、勢揃いで見に来るのも仕方がない。


「諸国の貴族を骨抜きにした、異教徒の僧服姿の冒険者、ソフィア。年端も行かぬ、赤髪の少女。エルフの娘。

─── あまつさえ、ケモノ娘姉妹だとうっ⁉︎

欲張り過ぎにも程があるだろう、この淫魔めがッ‼︎」


「はっはっはっ、グレッグ司教、ジェラシーは男として恥ずかしいですぞ? はっはっは」


「やかましいセバスティアンッ‼︎ じぇ、ジェラシーなどではないッ! 断じて違うッ、絶対にだッ!

─── だいたい、貴様も拝命したの捜索もせずに、ソゥバなどにうつつを抜かした罪は重いぞッ!」


「ですからラブリン殿も妙齢、ふと外の世界に羽根を伸ばしたくもなるでしょう」


 司教は口の端に泡ぶくを立てながら、セバスティアンをまくし立てるも、当の本人は肩をすくめて首を振り笑い続けていた。

 何だろう、この大男のあおり能力の高さは……いや、ただの天然か。


「そうではない、あの小娘が戻って来ようが来まいが、そこではないのだ!

聖剣の回収さえ出来れば、このような未開の地など……」


「─── ⁉︎

おい、そのラブリンってのは、もしかしてアケル南部州知事の暗殺に送られた、女騎士の事か?」


「はっはっはっ、よくご存知で、その通りd」


「貴様には関係ないッ! いや、それを知っていると言う事は、紛れも無く貴様はアルフォンス・ゴールマインに他ならん、ここで始末してくれるッ‼︎」


─── シュパパパパ……ッ


 司教のサーベルが振り下ろされた直後、さっきまで俺のいた地面に、四条の切れ込みが走った。


「ふん、避けたか。まあセバスティアンを倒しただけの事はあるか。

─── だが、この私はそうはいかん、覚悟をするのは貴様だ……この薄汚い異端者め」


 セバスティアンの上司ってのは、まんざらコネでのし上がったわけでもなさそうだ。

 この太刀筋、正統な八極流の使い手だな。

 ……それにさっきから、サーベルだけでなく、体のあちこちで魔力の反応が見られる。


 全身至る所に魔道具を仕込んでいやがる。


「ふはははッ! さあ、この野蛮な大地の肥やしとなるがいいッ! まずはその顔から細切れに─── 」


─── ゴウ……ッ


 言い掛けた司教の体が、火球に吹き飛ばされ、更に火柱が渦を巻いて立ち上がった。


「さっきから聞いていれば、どこまでアル様に、生意気な口をきくつもりだ人間……。

─── 肥やしになるのはお前の方だ」


 目を吊り上げ、毛を逆立てたエリンの姿。

 空気まで震わせるような怒りが、波動となって伝播でんぱする。

 林からは獣達の怯え騒ぐ声が、あちこちから響いて来た。


「クッ! 不意打ちとは卑怯者め……。所詮は礼節を知らぬケダモノか!

─── このような些細な魔術など、魔道具に覆われた私には、一切通用しn」


─── バリッ! ババババ……ッ!


 今度は雷撃が司教を襲う。

 言葉の途中で開いていた口の中が発光して、短い悲鳴と共に崩れ落ちた。


「聖者でも相手にしてるつもり? あたしはアケルの赤豹族の戦士よ?

臭い息を撒き散らして、馬鹿みたいにわめいてる暇など、あなたには無いはずだけど……?」


─── ガキ……ッ


 もうもうと上がる煙の中から振り下ろされたサーベルを、エリンは爪で受け止めた。

 長髪を帯電で膨らませた司教が、所々に火傷を負った顔を歪ませて、刃を押し込みに掛かる。


「炎の次は雷撃、なるほど報告の通りだ……ッ!

最近、獣人達の間で、怪しげな魔術の遣い手が急速に増えていると……!

魔力もろくに扱えぬ、獣風情が生意気なッ‼︎」


 司教は右手でサーベルの応酬、左手の籠手こてで風の刃を繰り出してエリンを仕留めに掛かる。

 エリンは残像を残しながら、円を描くようにステップして、危なげなく全ての攻撃をかわしていた。


「死ねッ、死ねぇ!」


 攻撃が当たらない事に苛立った司教は、ギョロ目を更に大きく見開いて、狂ったようにエリンを追い掛けて食らいつく。

 と、エリンは司教のサーベルを爪で受け止め、冷え切った表情で呟いた。



「 臭 い 息 を 吐 く な 」



 エリンの筋肉が隆起して、一気に司教のサーベルを押し返すと、刈り取るようなローキックで司教の体を宙に一回転させた。


 地面に背中から強かに打ち付けられた司教は、即座に跳ね起きて、サーベルを下から斬り上げる。

 完全にその間合いを見切っていたエリンは、すでにバックステップで飛び退き、サーベルの殺傷範囲を抜けている。


─── シュパパパパ……ッ!


 飛び退ったエリンの足が着地するより先に、サーベルと反対の手をかざし、風の刃を瞬時に四枚叩き込む─── 。


「─── 【風蛇かぜへび】」


 エリンの指先が空中に魔術印を結ぶと、足元から薄緑色のつむじ風が包み込み、風の刃を上空へと吹き飛ばす。


「なッ! ズルイぞッ、風の元素まで扱うだと……ッ⁉︎」


「ハァ……未だに属性は生まれつきのものだとでも信じているの?

不勉強ね人間は……。いいえ、狂信者の常識が狭いだけね。

─── じゃあ、こんなのはどう?」


 空中に十字を切るように、魔術印の小節を繋げて書き殴ると、エリンの体が黄金色に輝くヴェールに包まれる。


「ひ、光属性⁉︎ 馬鹿なッ! ズルイッ、卑怯だぞ! ラミリア様の加護を受けぬ獣が光属性魔術⁉︎

─── そんなもの、ただのまやかしに決まっあっじゃっ」


 エリンが指を鳴らした瞬間、極細に収束された聖なる光が、司教の舌先を焦がす。


 しかし、流石は『銀鳳』の上司と言ったところか。

 本来なら今ので後頭部まで貫かれただろうに、瞬時に魔道具で防御魔術を展開させて耐え凌いでいる。

 体を仰け反らせた司教は、エリンを鬼のような形相で睨み、口元を押さえながら両手を突き出した。


「……殺ふッ、殺ふ殺ふ殺ふ殺ふッ‼︎」


「避けろエリン、足元だ!」


 エリンの周りを囲う無数の風の刃、その派手さに隠れて、彼女の足元に拘束の魔法陣が薄っすらと浮かび始めていた。


「ひゃーはははは! もー、おふぉい! 肉ふぇんりなれ、けらものォッ‼︎」


 風の刃がエリンに殺到して、彼女の姿が空気の歪みにぼやけた。

 直後に林に木霊する、破裂音にも似た風の刃独特の音が、延々と続く。


「ひゃーはははは……かかかかか! どうら、アルフォンふ! 婚約ひゃを目の前れ殺ひてやっらぞォッ!

……次は貴ふぁまの番らァッ‼︎」


 狂気に見開かれた司教の目が、ブルブルと痙攣している。

 エリンの影を挟んで、俺へと再びサーベルの切っ先を向け、焼けた喉でゼロゼロと荒い呼吸をしながらこちらへと歩き出す。

 泥に汚れた群青のマントを脱ぎ捨てると、魔術印が刻まれた防具で、隙間がない程守られた体を露わにした。


「見ろアルフォンふ、貴様の発案しら、魔ろうぐの技術らァッ!

あんら稚拙なもろと、同じろ思うなぉ? このわらしが更に研究をかされ、さらなる領域にまれ高めてやっらのらァッ」


「─── 【解呪ディスプ】」


 その一言で、司教の纏う魔道具達が、黒い煙を出して燃え上がる。


「ぎゃああああああッ‼︎ ああ、あぢぢぁぁッ!」


「……経典に背く、魔術の不正使用じゃなかったの? その魔道具の紛い物、それにしてもお粗末。安定性も無ければ、魔力干渉にも弱い。無能の玩具にはお似合いね」


 風の刃の魔力が切れ、それらに襲われていたエリンの姿が露わになると、鬼達からどよめきが起こった。

 ズタボロに切り刻まれたはずの彼女の姿は、傷一つ無く、背景を透かせて揺らいでいた。


「……【鏡像ドリーク】の魔術らとぉ⁉︎ そんな馬鹿ら! ず、ズルイぞ!?」


「お前の反応にも、いい加減飽きて来たわ……」


 全身を火傷でドロドロにした司教が、体液を散らしてサーベルを突き出す。

 その切っ先を、魔術印を書き終えた指先で、エリンはトンと触れた。

 同時に司教の体の下に魔法陣が浮かび、肉体の動きを奪う。


「アル様への暴言、万死に値する愚行よ。

─── ただ、今謝れば命だけは助けてあげる」


「……し、死ね……汚らわしい、けらものめ……」


「残念ね。お別れにこの一滴を、恵んであげるわ」


 そう言ってサーベルの先から指を話すと、指先からエリンの血が一滴、地面に滴り落ちた。

 直後、司教を中心とした地面に、エリンの足跡で描かれた巨大な魔術印が、青白い光を瞬かせる。


「─── 肥やしになりなさい【大地の顎門ダイヤ・ブラーセ】」


 地と闇属性の合成魔術、術者の血をにえに大地そのものを精霊化させて、範囲内にいる者を喰らわせるえげつない魔術だ。

 確かほとんどの宗教で、禁呪とされてる中のひとつだったはず。


 エル・ラト教の司教相手に、わざわざそれを選ぶとは、エリン恐ろしい子。


 そんな事を思っている間にも、隆起した地面がバックリと口を開け、体の自由を奪われた司教はなす術もなく飲み込まれる。


─── そして、最期の悲鳴は、自らを咀嚼される音に消えた


「凄いなエリン! 合成魔術まであんなに使いこなせるようになったのか!

しかも両手でバンバン魔術使いながら、足で描いたとか……魔術印ならではじゃないか!

本当に頑張って来たんだな」


「うん。あたし……へへへ、頑張った。最後に謝ってくれれば、発動する気はなかったけど……ね」


 地面に魔術印を描いたのは、司教がサーベルで襲い掛かるのをかわしてた時か。

 その間にも、息をするように肉体強化に魔力を割きながら、両手にも魔術印の準備をしていたはずだが。


「本当に凄いよ、地面の魔術印は俺も気が付かなかった」


「アル様に相応しくなるためには当然。ううん、もっとあたしは強くならなきゃいけないんだ。でも、それより今は……。

─── ごほーび下さい


「……こ、ここで⁉︎ 皆んなが見て……ングっ」


 吸われた、それはもう吸われた。

 遠のく意識の中、鬼達の笑い声と、セバスチャンがソゥバについてドウギに機関銃のような質問を浴びせている声が木霊していた。




 ※ ※ ※




 薄暗い天井……この部屋はいつも暗いな。

 お陰で今は何時なのか、全く分からないし、直ぐにまた微睡まどろんでしまう。


 ……こんなにも、長く眠り倒すのは、一体何年ぶりだろうか?

 騎士団の候補生として、修練に明け暮れたあの頃から、私を埋めていたのは経典と、闘いの日々だった。

 思えば夢の中でまで、私は異端者どもと闘い、その悪意にまみれていた気がする。

 だが、私の中に渦巻いていた、あの何者ともつかない、呪詛じゅその叫びの淀みは嘘のように消えている。


─── アルフォンス・ゴールマイン


 あの男は本当に何者なのだ?

 二度奴に挑み、全て負けた。


 一度目のは確かに私自身の意思で挑み、髪の毛一本ほどにも歯が立たずに負けた。


 二度目に挑んだのは……私だったのだろうか?

 この部屋の主人の、あの世にも恐ろしい眼鏡女は『お前を闇から救ったのはアルフォンスだ』と言ったのをおぼろげに覚えている。


─── 俺がそこから


 呪怨の暴風、自らの指ひとつ見えぬ暗闇の中で、私は確かに男の声を聞いた。


 幼き頃から私は、両親より『外の男はケダモノ』と教わって来たし、どれだけ信用ならない生き物かも叩き込まれて来た。

 今思えば、ただの過保護だったのだろう、そうでなければ長女である私の名に、などと。

 力と威厳を求められるこの私に、よりにもよって……いや、そんな事はどうでもいい……。


 私は男に負けぬよう、鍛えに鍛えて来たのだ。

 修練を始めたばかりの頃は、身体能力で勝る男性に何度も敗北を味わったものだが、一度として両親の言う辱めを受けた事がない。

 それは、同じ聖職者、同じ極光星騎士団を担う、崇高な魂の同志だからだと思っていた。


 外界で敗北したのは、あの男にだけだ。

 しかし、あの男は─── 。


「う……ん、なぜ……陵辱りょうじょくしてくれな……い」


 自分の寝言に気がついて、はたと目が覚めた。

 その視線の先に、見慣れぬ男の顔があった。


「─── おや、お目覚めですか」


「……なっ、はッ⁉︎ ななな、なぜ貴様がここにいるセバスティアン‼︎」


「何故も何も、貴女に捜索命令が出ておりまして。とは言ってもワタクシではなく、グレッグ司教方へでして、案内係りのワタクシはもう関係ありませんが」


 確か『ソゥバ狂タカ派』別名は『銀鳳』だったか。

 北方蛮族撃退の鳳凰勲章を、路銀に替えてまでソゥバを求めた、変態紳士……。


「ふん、捜索などせずとも、帰還するつもりだ。

……って、おい。グレッグ司教は貴様のお目付役だろう、いくらなんでも故人呼ばわりは不敬に過ぎて笑えん」


「ですよねぇ。貴女程の敬虔な信者の事です、放って置けば、その内に帰って来ると進言したのですよワタクシは。

─── ああ、そうそう、グレッグ司教はつい先程、殉職なさいましたよ」


 このクソ髭は、己の上役の死をついでみたいに……。

 いかん、頭が全く働かん。

 ただでさえ、消耗していた所に、この肉の裂け目のような眼の男でお目覚めとは……んん?


「……つかぬ事を聞くが、さっき私が目覚める時、何かその……寝言を聞かなかったか?」


「………………………………特には」


「何だその間はッ! 聞いたな⁉︎ 聞いていたのであろ……う。ぐっ、げほっ」


 何だ……急にあの黒々とした淀みが、胸の奥で騒めいたよう……な。


「よう、おはようラブリン。やっと目覚めてる時に立ち会えたな。具合はどうだ?」


「なっ……あぅ、ききき」


「ききき?」


「貴様かセバスティアァァンッ‼︎ 私の事は姓の『オゥキッド』で呼べと言っただろう!」


「そうでしたっけ? ああそうでしたな。あ、でも先にラブリン殿の名を、アルフォンス殿の前で口にしたのは、グレッグ司教でしたが」


 このクソ髭を引っこ抜いてやろうと、手を伸ばそうとするも、まるで力が入らず毛布の上にパタリと落ちた。


「もう何日も寝た切りだったんだ、無理に体を動かそうとするな。特に感情の昂りは今のお前には毒だ」


 そう言ってアルフォンスは、私の体を戻し、毛布をかけ直してくれた。

 光の加減で揺れる紅い瞳の輝きに、思わず見惚れていた事に気がつき、どうにも胸が窮屈な気持ちになる。

 ……それにしても、何故この男はこんなにも優しい顔をしているんだ、この私に……。


「─── 何故、私を助けたのだアルフォンス」


「ははは、またそれか。……覚えて無いかもしれないが、言ったはずだぞ。お前が立ち塞がったから闘ったまでだ」


 そう言って目を細めて笑う頰に、薄いえくぼが浮いて、思わず私は見惚れ……いや、そうじゃない。

 私には、聞かねばならぬ事が、たくさんあるだろう!


「何があった……教えてくれ。平原で貴様を見かけた辺りから、記憶が曖昧なのだ」


「うーん、もう少し回復したら、回復魔術をかけてやれるから、感情が揺らぎそうな話題は止そう」


「いいや、頼む。このままではむしろ感情が掻き乱れかねんのだ……。教えて欲しいアルフォンス・ゴールマイン。

勝手に仕掛け、助けられた身でありながら、恥を忍んで請う……教えてくれ」


 そう言って頭を下げれば、自分の命を狙った相手に、この男は何て顔をするのだ……。

 眉にしわを寄せてしばし考えた後、私に手をかざすと、何らかの魔術を掛けたようだ。

 騒ついていた胸の淀みが、ほんの少しだけ引いた気がする。


 しかし、ごく自然に無詠唱とは、やはりこの男は只者ではない。

 ないが……悪い奴ではなさそうだ。


「今のは無用なエネルギーを散らしただけだが、少しは楽になったみたいだな。でも、これで確定した。

─── 聖剣に集められた負のエネルギーに、お前は蝕まれていたんだ」


「何─── ッ⁉︎」


「だから感情を鎮めろ、でなければこれ以上は話さない」


「ぐっ……わかった。善処しよう」


 そして、彼の口から私に起きた出来事が語られた。


─── 聖剣の生まれと能力、集められた負のエネルギーの正体、それが私を蝕んでいた事実を


「……聖剣に巣食っていたものの話は分かった。確かに、アレは神の奇跡の力などでは無かった。異端……人に恨まれた覚えもある。

─── しかし、にわかには信じ難いな……そんな力を集めて、どうすると言うのだ……」


「セバスティアンから話は聞いた。

聖剣の真の持主は帝国、それを教団が借り受け、聖剣を与えられた者が徳を積む事で帝国に繁栄と奇跡がもたらされる───

……そうだな?」


「そうだ。ただ、聖剣は強力で弱い者には毒ともなる、だから四年に一度、騎士団は大きく編成し直され、聖剣の保持者は入れ替えられる」


「ちと、刺激が強いが、これを見てくれ。お前の聖剣から抜き取ったものだ」


 そう言って彼は、広げた手の平に、黒い何かを集め始めた。

 それは揺らぎながら、禍々しい力を放ち、より黒く濃度を上げて行く。


「な、なんのつもりだ⁉︎ は、早くそれをしまえ……!」


 この部屋ごと、付近一帯が消し飛び兼ねない、禍々しくも淀んだ膨大なエネルギーが、唸りを上げて膨らんでいる。


「─── これはまだまだ、聖剣に集められた力の、極ほんの一端に過ぎない……

一見、どうしようもない負のエネルギーだが、これだけ純粋に偏った存在は、むしろ変換がしやすい」


「こんなもの……魔術に変換したら、国ひとつ地図から消えかねん……」


「ああ、悪いがお前の聖剣も調べさせてもらった。

アレは使用者の肉体を媒体に、この力を集めるだけの存在だ。

そして、すでにアレが蓄えられる力の容量は、限界を迎えていた。抜き取るなり変換するなりしなければ、溢れた力は使用者に逆流して、内部から崩壊させていただろう」


 思わず身震いをしてしまった。

 私の最期を想像してと言うのもあるが、そうなっていたと言う推測が、紛れも無く事実であろう事。

 そして、何故自分がそんな危険なものを背負わされていたかと言う事に。


「─── 帝国に……繁栄と奇跡……」


「言い方ひとつで、崇高なものに聞こえるかも知れないが、単純にこの力を献上する……そう言う事だろうな。何に使うつもりなのかは知らんが……」


 経典は美しい。

 ラミリア様より賜った人類の宝だと言う思いに、今も変わりはない。

 ……しかし、教団の内情は、美しい事ばかりではない事は分かってもいる。


 こんな力が注がれたら、確かに人の体など簡単に崩壊するだろう。

 ……しかし、そんな話は聞いた事がない。


─── いや、水際で抑えられていた?


「それで……四年に一度……?」


「おそらくな。それくらいの期間なら、溢れる事無く、力がたっぷりの状態になるかも知れないが……。お前のは溢れ掛けてしまった。身に覚えは?」


 ……ありまくりだ。

 私の騎士団入りに嫌な顔をする両親を認めさせる為に、この四年間ただひたすらに、自分から任務を買って出ていた。

 何度か上層部からは『働き過ぎだ』と咎められたが、私は聞き入れもしなかった。

 今思えば、あの時の司教達の表情は、苦虫を噛み潰したようなものではなかったか?


 しかし、こんな私事に偏った理由など、敬虔な信者として、言えるわけがないではないか……。


「………………」


「はっはっはっ、ラブリン殿はそれはもう、馬車馬のように働いておられましたからな。

異教徒からは『経典狂』とか『脳筋ラブリン』などと言われt」


「黙れッ! ラブリンラブリン言うなッ!」


「だから感情的になるなってラブリン」


「─── ッ! ッッッ⁉︎ ぬ、ぷはぁっ……! つ、続けてくれアルフォンス。私は確かに他の者よりも、数倍は剣を振るって来た」


「そうだろうな。

そう簡単に使用者が崩壊していれば、これ程のエネルギーだ、何処かしらで大問題になってただろう。

─── 以前、聖剣の保持者だった者に、共通する事は何か無いか?」


 同じ極光星騎士団とは言え、師団が異なれば、管轄区域も大きく異なる。

 報告議会か式典でも無ければ、我々が顔を合わせる事などない。


 思えば、これ程大きな団体でありながら、私は特定の人物と深く関わる事も無かった。

 思い出せ……何か!


「ふむ、我々は各師団ごと顔も合わす事がありませんからなぁ。四年ごとに配置換えにもなりますし、離れた者のその後となると……」


「セバスティアンの言う通り、我々には思い浮かべるにも情報がなさ過ぎるのだ。

アルフォンス……この質問に何か意味はあるのか?」


「─── 後遺症だ」


「……!」


「今、お前の聖剣は、エネルギーを抜き取り、封印している。

聖剣を引き離し、お前からも抜き出せるだけ抜き出して、浄化の魔術も掛けたが……お前の回復は遅々として進んでいない。回復魔術を受け付けない程にな」


 そうだ、もう何日も寝込んでいると言うのに、何故こんなにも弱っているんだ?


「……率直に言おう。

─── このままでは、お前はもう剣を握る事はもちろん、日常生活も叶う事は無い」


「…………⁉︎ そ、そんな……!」


「聖剣には外部にエネルギーを悟らせない術式が組み込まれていた。

だが、媒体とされた肉体には、人知れずあの膨大な量の負のエネルギーが通っていたんだ。体に与える負担は並のもんじゃあないし、強いエネルギーならではの副産物が残る」


「副産……物?」


「魔力溜まりに魔力結晶、魔石が生まれる事があるように、大きなエネルギーは可視不可視に限らず何かしらの結晶を生む。

─── お前の体の奥底にも、目には見えない負のエネルギーの結晶が残された」


 さっきから胸の奥で渦巻く、淀みの正体はそれか─── ⁉︎


「これは不可視だが物質、それも体内に食い込むようにして存在してる。

現段階では、これを取り除ける方法は……無い」


 トクンと、心臓に冷たい物が流れていった。

 剣も持てない体で、私には何が残されると言うんだ?

 これでは……私の今まで生きて来た時間が、全て無にされたも同然ではないか……!


「─── そん……な……」


「そう言われてみれば……元聖剣持ちの騎士に、共通点がありますな。

現場を去るか、騎士団から外れ、南アルザスへの内勤に回る者がほとんどでした。周囲は出世だとか栄転だと言っておりましたが」


「聖剣から離れた以上、急激にそれが肥大化する事は無いが、負のエネルギーに蝕まれ続けていれば今まで通りに……は無理だ。

目立つ程にでは無いにせよ、寿命も短いはずだが、それに気がつくと者もいないだろう。

─── 聖剣は世界を救う神器なんかじゃあない、エネルギーを生む代わりに人を殺めるだ」


 ここまでハッキリと言われて、ようやく腑に落ちた。

 柔らかな言葉で告げられていたら、未だに私は聖剣への密かな期待を持っていただろう。


 なるほど、上層部は聖剣に繁栄と奇跡などと言う、曖昧な表現をしていた訳が分かった。

 四年ごとに配置換えで情報が掻き消されれば、わずかな不安と疑問よりも、その曖昧な言葉に頼らざるを得ない。


「─── 俺はお前達が信じる物を、否定する気は無い

ただ、組織の基本理念は、利によって運営されなければ力を持てない。そして往々にして、利に走るのは、軽蔑の対象とするのが世間だ。

……巨大な組織ほど、甘やかな建前の裏に、大きな利を隠すんだよ。

それは利が大きい程、耳あたりの良い言葉を、大声で叫んだりするもんだ」


「それを鵜呑みにすれば苦痛が鈍る愚の道、それに反発すれば苦痛が増す愚の道。

程よく関わるのが一番の得策と言うものでしょう。まあ、それに巻き込まれた異端の者達には、気の毒としか言いようがありませんが……」


 何だ……私はただの甘ったれた子供だったのではないか……?

 この男の言葉が、全否定で無いだけに、より冷静に身につまされる。


 かつて同僚が『教団は身動きの取りにくい帝国の手足だ』と揶揄して、大喧嘩になる場面を見た事がある。

 結局、暴言を吐いた者は処分され、喧嘩を起こした者にも罰が下された。


 その時の私は『信仰に揺らぎがあるから騒ぐのだ』と、どちらも見下していた。

 だが、経典の素晴らしさと、その団体である教団が同じく崇高であると、疑いもしていない私こそが愚かだったのかもしれない……。


「と、まあ……脅すような事ばかり言って悪かったな。

なに、お前の命が今日明日で終わるわけじゃあないし、治療法に思う所がないでもない。とりあえず今日はこれで休め。少し時間をくれ、俺がそこから救ってやる」


「─── ‼︎」


 まただ、またこの男は私にこの言葉を……。


 今はまだ敵ではないが、やがては正式に捕縛命令が教団から発令されるだろう。

 その時、実力差も無く、私が回復していたとして、この男を捕らえる事など出来るのだろうか……?


 アルフォンス・ゴールマイン。

 この男の軌跡に残されていた、人々の活気ある表情が、いくつも浮かんでは胸を締め付けた。 

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