第十四話 男の嗜み

 鬼族の里へ寄るついでに、女騎士の様子を見て行こうと言う話になり、ローゼン平原に足を踏み入れた。

 あれだけ難儀した亀の群れは、石柱の上で逆さになったまま、ピクリとも動かない。


「ん、ほんとーに、亀のはんのーが、ない」


「匂いで敵味方区別するって言ってたもんね。うーん、だとしたら、アルを襲ったシャリアーンの殺し屋達も匂いを消してたのかなぁ」


「そうかもな。気配を消すのもかなりなものだったし、姿を隠す術には長けてただろう」


 ローゼンから教えてもらった亀情報を元に、風の魔術を応用して、匂いを消すベールを纏ってみたら効果はテキメンだった。

 ベヒーモスにも一応掛けて置いたが、元々空気を読む力は高い、今もティフォのポシェットから顔を出してクンクンと匂いを確かめている。


「ここにミィルがいたら、真っ先に掛けとかなきゃなんだけどな、好奇心強いし」


「あー、うん、大丈夫。今も眠ってるみたい」


 スタルジャは胸の辺りに手を当てて、自分の中にいるやんちゃな妖精の状態を確かめていた。

 スタルジャはあれ以来、ダークエルフ化をしていない。


 ミィルは妖精女王たる莫大な魔力が、ダークエルフ化の媒体となったのではないかと、一時かなりしょげていた。

 今もミィルはスタルジャの中で、ダークエルフ化の原因を探りながら、黒スタがバカスカ使った魔力を回復する為に眠りについている。

 テキトーなようで、色々と真面目なんだよなあいつ。


「……ここにいたら、絶対はしゃぎまわって、亀だらけになっただろうけどな。

こう静かだと寂しくも感じるなぁ」


「うん、でも時々内側から話し掛けて来るから、完全に寝てる訳じゃないみたい。

魔術の練習の時は、コツとか教えてくれるから、すごく助かってるよ〜」


 そう、スタルジャはダークエルフ化してから、突然魔術が扱えるようになっていた。

 ソフィア曰く、元々草原のエルフの魔力は、精霊と繋がる為だけに存在しているが、ダークエルフ化した時に、負とはいえ膨大な魔力が体に通った事で、新たな魔力の通り道が出来たのだろうとの事だ。


「ローゼンさんからもちょくちょく教わってるけど、あの人、本当に規格外だよね……」


「全く別系統の魔術とか知ってるからな、俺も目からウロコがぼろっぼろ落ちてるよ」


 実際、俺もいくつか教えてもらったし、未知の魔術系統と言うか、魔術で起こせる物理的な現象の真理は革新的なものだった。

 ソフィアもかなりなショックを受けていたが、意外にもティフォはその辺りの話でローゼンと渡り合っている。

 ティフォからすれば、この世界でどう言葉にすれば良いのかよく分からなかった事を、ローゼンは知っているから会話に出来るんだそうだ。


「そろそろですね、て、あら? 珍しくお出迎えしてくれてますよ?」


「本当だ。必要が無ければ一切外に出ないのに、珍しい事もあるもんだ。おーい!」


 ローゼンもこちらに気がつくと、弾むようにこちらに走り出して、足をもつれさせて盛大に転けた。

 敵に回したら絶望的な相手だが、基本好きな事の研究以外、注意力が皆無に等しい。

 恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら、ローブの埃を払い、これ以上無いくらい明るい表情で言う。


「いらっしゃいなのです! 見ていただきたいものがあって、待ち切れなくなっちゃったですよ!」


「見て欲しいって……女騎士に何かあったのか?」


「いえいえ、はまだ寝てるです。違うですよ、私がお見せしたいのは、生まれて始めてお迎えしたペットなのです♪」


「へえ〜、ペットか。これまたどんな心境の変化が……何を飼い始めたんだ?」


 ローゼンは『むふふん♡』と嬉しそうに笑って、家へと案内する。


「実はですね〜、猫ちゃんを二匹、拾ったですよ♪」


「あら、猫ちゃんいいですね♪ 私もソロ時代の野宿には、野良猫を抱き締めて寝てました。すぐに出て行かれてしまうのですけどね……」


「「「…………(寂しいな)」」」


 猫がいると言う部屋のドアを開け、ローゼンはノリノリで手招きする。


「この子たちなのです♪」


「「……お、お帰りにゃさい……」」


「「「………………」」」


「「…………」」


 事態が飲み込めない時ってさ、人間思いもしない行動を取るよな?

 その時俺は、思わずその部屋の扉を閉めたよね。


─── ……パタン


『─── あ、アル様ぁぁぁ〜‼︎』


─── ガリッガリガリガリガリ……‼︎


 向こうも頭真っ白になってたんだろうな、ドアノブの存在を忘れたのか、木のドアを刃物で削るような爪の音が響いてたよ。


「い、今の……エンリちゃんとユニちゃん……でしたよね⁉︎」


「やっぱりそうだよな……? え? 何で?」

 

 もう一度扉を開けると、膝にユニが、腹にエリンがタックルをかまして来て、俺はなす術なく地面に倒された。

 続けてベロベロと顔を舐めまわされ、抵抗しようにも肉体強化した獣人とは言え、考えられない絶大な力で押さえつけられてしまった。


「「ふえぇ……逢いたかったにゃあ……」」


「─── お、おかえり。エリン、ユニ」


 俺の言葉に一旦離れて無になると、また弾けたように飛び込んで来て顔を舐め回される。

 そんな様子を悲しげに、いや、確かな嫉妬の炎を宿らせたローゼンが見下ろしていた。




 ※ 




「─── うう、もう離れないにゃ……離れないにゃああ!」


「お姉ちゃん、地が出てるの。気持ちは分かるけど、語尾は飲み込まないと、あざといって言われるの」


 赤豹姉妹はローゼンをスタルジャと勘違いした上に、こともあろうか俺がローゼンにくっついたまつ毛を取ってもらっている様子を、キスしていると思い込んだらしい。

 ローゼンがしらばっくれてると読み違え、上下関係を決めるために闘いを挑み、見事玉砕。


 以前から毛並の柔らかな動物に興味があったローゼンは、ふたりを捕獲。

 そのまま飼おうとしていたらしい。


 俺の婚約者だと知ったローゼンは、この世の終わりのような顔をしていたが、ティフォの指示でベヒーモスがお友達を紹介。

 ベヒーモスと同じく小型化した、三つの頭を持つ狼ケルベロスをいたく気に入ったローゼンは『本当は犬派だし、頭三つはお得』と言って猫可愛がりを始めた。

 犬なのに猫っ可愛がりだ!


「しかし、ローゼンが気に入ってくれて……良かった……のかコレ」


 『地獄の番犬』とも言われるケルベロスが、ローゼンに撫でくり回されて、小型化した体を更に縮めている。

 幼い子供が、ペットを可愛がり過ぎて、弱らせるアレそのものだが……。


「ん、ケルベロスはがんじょーだから、だいじょぶって、ベヒがいってる」


「それ、戦闘での防御力とかじゃねえのか? もっとメンタルな部分のだな……」


 そう言えば前に『数万年分の愛』がどうとか言ってたが、もし俺があの時、ローゼンにめとられていたらこうなっていたのか……?


 女騎士の様子は見たし、スタルジャと赤豹姉妹の話し合いは峠を越えて、今はお互いの趣味趣向の話で盛り上がっている。

 家主のローゼンは新たな家族への情念でそれどころじゃないし……。


「……先に鬼族の所へ報告に行っておくか」


 声を掛けたが反応がないので、ソフィアとティフォとの三人で、一足先に帰る事にした。




 ※ ※ ※




「─── と言うわけだから、後はもう俺達の出番はないな」


「はい、これから先は儂らだけでも進めていけるでしょう。会長様には何とお礼を申し上げればよいか」


 レジェレヴィア貴族との調整は最終段階、最初は渋っていた長老会も、長老会と族長を兼任するエンザに押されてた形だ。

 しかし、ふたを開けてみれば、今までないがしろろにされて来た医療の分野に収まらず、鬼族とヴァンパイアとの交易にも大きな進歩が起きた。


 鬼族の作る穀類と、酒、調味料、そして絹、皮革製品の流通だ。


 元は鬼族がレジェレヴィアで医術を学ぶにあたり、ヴァンパイア側のメリットを見出す流れだったのだが、それまで細々と個人間でしかなかった取引から正式な交易へと発展する事となった。


 メルキアに流れて来た鬼族を受け入れたのは遥か昔の事、居住に適さない平原に住みたがる奇特な種族として、ヴァンパイア達は積極的に関わろうとはしてこなかったらしい。


「我々が日々扱う物が、斯様かように価値を見出されるとは思いもせなんだ。

流石は獣人族の豪商クマミミ商会の会長様ですな」


「いやいや、異なる文化同士、利害が一致すれば何かしら価値が生まれるもんさ。俺が特別に何かしたわけじゃない」


 自分達の仕事が金になると聞いて、老人会は手の平を返したように、推進派に転じた。

 まあ、お金って良いよね。

 そんなだからか、鬼族全体のムードは良好で、俺達やローゼンの待遇が手厚くなっていた。

 一時ははぐれ者扱いだったドウギも、彼の今まで奔走ほんそうしてきた医療の知識が見直され、再び信頼を寄せられるようになっている。


 これでこの里にいる滞在する理由は、あのの治療なったわけだ。


「─── 失礼、そこの方」


 族長達と別れて、寝泊まりしてる集会場に向かっていると、後ろから声を掛けられた。


「何か……用か?」


「フフフ……失礼ながら、貴殿はレジェレヴィアの酒舗で、店主と新作料理のお話しをされていた方、ではありませんか?」


 鬼族に負けない巨体、七三分けの白金の髪に口髭の男が、細い目をさらに細めて俺を見下ろしていた。

 本人の言う通り、俺がローゼンにメシを奢ろうとして、店主にソゥバの新レシピ攻めにあっていた時にいた、怪しい二人組のうちの一人。


「─── そうだったらどうするつもりだ?

まさか、ここまで俺を追って来たってわけじゃないよな」


「なに、探しているものがありましてねぇ。

貴殿と鉢合わせたのは偶然ですが……ふむ、これは貴殿に直接お尋ねした方が良さそうですな」


─── 何故、ここに極光星騎士団がいる


 考えられるのは、俺の抹殺か、女騎士の捜索もしくは聖剣の回収か。

 この段階では相手の真意が読めない。

 あの時一緒にいた男は……いないみたいだ。


「俺に聞きたい事? それはその『探しているもの』と関係があるのか」


「ええ、おそらく貴殿は深く知っておられるようだ……フフフ」


 男は大楯を背負っているが、聖剣らしきものは携帯していないようだ。

 殺気は感じられないが、異様な圧力が男から放たれている。


「それを聞いてどうするつもりだ、その探しものを見つけてどうする?」


 と、男の糸目が微かに開き、俺を不思議そうにみつめる。


「これは異な事を……。決まっているでしょう?

─── 打ち、斬り、最後の最後の一欠片まで、その味わいを堪能するのですよ……」


 女騎士にまで抹殺命令が……?

 それとも、負のエネルギーを余す所なく搾り取る為に、女騎士自体も痛め尽くすって事か。


「簡単には教えられないな。知りたければ実力行使で来い。俺を倒せたら教えてやる」


「ふっ、むふふ……フハハハハッ! これは面白い! 分かりました、貴殿に仕合を申し込みましょう。

そちらの方も大好物なのですよ、男のたるもの、そうシンプルである事が美しい!」


 妙に演技がかった手振りで朗々と口上を述べると、男は甲冑の胸元にある北極星に手を当てて、こちらから目を離さずに礼を取った。


「申し遅れました。私はセバスティアン・パウラ・ファン・コーラムバイン。

─── 北はアルザス帝国、エル・ラト教会の剣、極光聖騎士団第二師団団長をつとめております」


「ほう、あんた『銀鳳ぎんほう』か。なるほど大物だ。

─── 俺はアルフォンス・ゴールマイン」


 俺の名乗りにピクリと反応をしたが、口髭の端を浮かせて、ウズウズとしてやがる。


 、こいつが指揮する軍団は、どんなに堅牢な防御陣を敷いても、真っ二つに押し通す。

 そう俺でも耳にしてるくらい、巷で有名な極光星騎士団の切っての武人。


 団長セバスティアンを先頭に、くさびの如く突進する様は、上から見ると白銀の巨鳥が羽ばたいてるように見えるから銀鳳ぎんほうだと聞いた事がある。


「ここでは鬼達に迷惑だ。面ぁ貸せ、場所を変える……」


 異変に気がついたのか、いつしか集まっていた鬼達の間を進み、林の中へと向かう。

 鬼達はセバスティアンの圧力に押されたのか、ザッと道を開けた後、ぞろぞろとついて来ていた。


「─── ここらでいいだろう」


「おや、戦支度いくさじたくは良いのですか? 矢でも弓でも構いませんが……?」


 極光星騎士団の象徴とも言える白銀のオープンヘルムを被り、セバスティアンは柔らかな口調で尋ねた。


「いや、特には要らねえな」


「ほう、無手むて徒手空拳としゅくうけんの猛者でありましたか。ならばよろしい、問題ありません」


「あんたこそ、武器は持たなくていいのか?

─── 例えば……とかよ」


 再びセバスティアンの口髭がピクリと反応すると、背中に背負っていた大楯を構える。

 今気がついたが、大楯は二枚重なっていたようだ、両手に体を覆うような大楯を、両手それぞれに掴んでいた。


「それこそ必要ありませんな。いざ─── 」


「「勝負─── ‼︎」」




 ※ 




 オズノさんが血相を変えて飛び込んで来た時、僕は父上と丸太の皮剥き作業中だった。

 父上は、最初はいつものようにオズノさんをあしらおうとしてたけど、アル先生の話だと分かったら、慌てて外に飛び出して行った。


 僕も父上の後を追って、沢の林道へ駆け出す。


─── アル先生の闘いを、僕はまだ見た事がない


 アケルのアンデッド災害の時は、結界の神技を見たけど、規模が大き過ぎて理解出来なかった。


 白面咳を治してもらう直前に、アル先生はオリバおじさん、オズノさん、父上を相手に闘ったらしい。

 僕を治療する為の闘いだったと聞いて、凄く嬉しくもあったし、父上が負けたのはかなりショックだった。

 でも、それ以上に、その闘いが見られなかった事が、男として悔しくて仕方がなかったんだ!


─── ……勝負‼︎


 ふたりの男の雄々しい声が聞こえる。

 良かった、間に合った!


 その瞬間、僕は銀色の龍種が、樹々をぎ倒して、奥の大岩を砕く姿を見た。

 アル先生に向かって、白い風の尾を引きながら、巨木をのように吹き飛ばす瞬間を。

 猛烈な風圧で耳が痛む。

 そこに集まっていた鬼達は、誰もが体を小さくして、その衝撃に強張っていた。


「……フフフ。この盾の一撃をかわしたのは、貴殿で三人目、初見で、と言う事なら貴殿が初めてでしょう」


 林の奥では、まだ吹き飛んだ破片が葉を揺らす音が続いてる。

 たった今林道に出来た新しい道から、白銀の甲冑を着けた大男が姿を現した。


 でかい……父上でも隠れてしまいそうな大楯を両手にした、白銀の鎧姿の男は、どこぞの国の騎士だろうか。

 今まさに龍種と見間違えた、強大な覇気に腰が抜けそうになる。

 男は口髭を愉快そうに歪ませながら、視線を横へと向け、盾と盾をぶつけてほこりをはらう。


「───なるほど、敵の防御陣形を単身で崩せるはずだな。実に馬鹿げた威力だ、普通なら何が起こったのか分からん内に、粉砕されてるだろう」


「それを貴殿は軽く飛び退け……いや、何かしましたね?

狙いが大きく外れてしまった」


「あんまり勢いがいいんでな、岩で自爆してくれねえかと思ったんだが、頑丈な奴だなあんた」


 物々しい出で立ちの騎士の前に、普段着のままのアル先生が歩いて行く。

 あんなに広範囲を巻き込んだ突進だったのに、先生の白いシャツは乱れひとつなかった。


「─── しかし、不愉快です」


「何がだ?」


「今の動きで分かりました。貴殿は剣士だ。多くの武器の扱いにも長け、それらを抜きん出て剣の才を磨き上げた剣士でしょう?

その貴殿が私の前に、素手で立ち塞がるとは、実に不可解で不愉快です」


「へえ、極光聖騎士団は、教団のプロパガンダって聞いてたもんでな、少し見くびってたよ。

─── でも済まない、俺は手加減が苦手でね」


 白銀の騎士から、さっきまでとは比べ物にならない、圧力が押し寄せて来る。

 父上から闘気の扱いは習ったけど、この圧力が闘気なら、僕が知っているものとは別物だ。


 先生はその圧力にも涼しい顔をして、体を流れるように半身にして、ゆっくりとこめかみの前で拳を握って構えた─── 。


─── ッッッッ!?  恐いッ! 一体……何なんだこの人は……!!


 ただ構えただけなのに、視界の全部が先生に向けられてしまう。

 白銀の騎士も一歩たじろいだように後退して、盾を前で重ねて、深く構えを取った。


 先生から闘気は感じないし、魔術を使っている様子もない、でも、恐い……。

 何か変な音が聞こえていると思ったら、僕の奥歯がガチガチと震えていた。

 周りを見れば、皆んなも僕と同じように、体を固めて奥歯を鳴らしている。


「言ったろ? 俺から知りたい事があるなら、実力行使で来いってな。

あんたにその価値があるなら、剣でもなんでも見せてやるよ」


「─── たわけた事を……後悔しますよ!」


 騎士に焦りが生まれたのか、殴りつけから突進、蹴りまで織り交ぜてのがむしゃらな攻め。

 どんどん激しくなる猛攻に、先生の動きは嫌にゆっくりに感じられる。


「─── あれ、なんで当たらねぇんだ?」


「だよな? おかしいぜさっきから、何で会長はゆっくり避けてるだけなのに、一発も当たってねぇんだ」


 周りの鬼達も気がついたのか、静かな騒めきが起こる。


「─── 無駄が無いのだ

全くの無駄が無く、最小限の動きで、完全に相手の力をいなしておられるのだ……会長殿は。

ゆっくりに見えるのは、そのいなしの一瞬ばかりが目に入るからそう感じられる」


「ち、父上……それは、何か魔術でも織り交ぜているのですか⁉︎」


「いや、会長殿は最初から、何の力も使ってなどおられぬ」


「しかし、構えた時の先生は、あの時の先生は……


 自分でもなぜそんな事を口走ったのか分からない。

 男たるもの『』などと言うのは、父上に怒られるかとハッとしたが、父上は反応すらしなかった。

 凍えているかのように自らの肩を抱いて、先生の闘いをただ見ている。


「一体、あの歳でどれだけの天稟てんぴんがあれば……。いや、一体あの方はどんな修練を受けて来たと言うのか……。まるででは無いか」


 父上の声は震えていた。

 なんだかそれが妙に安心出来て、先生の闘いに目を戻したら、もう騎士の体がはそれ程大きく見えなくなっている事に気がついた。


「─── クッ! ちょろちょろと逃げ回るばかりですか!

どこまでも小馬鹿に……ッ!」


「うん? ああ、嫌だったのか。じゃあ今度はお前が受けろ─── 」


─── ガッ……シャアンッ‼︎


 突然、騎士の右腕が大きく後ろにそれて、今まで盾に隠れていた右半身が目に入った。

 その前で繰り出した拳を戻して、ゆっくりと構えを直す先生の後ろ姿がある。

 ただ、拳闘のように両腕をこめかみの前で構えるだけの、よくある構えだった。


 数秒後、巨大な盾が枝葉を降らせながら、ひゅるひゅると音を立てて、林道の赤土に突き刺さった。


─── 盾には大きな亀裂が入り、曲面が真っ平らに伸び切って、ただの鉄板と化している


「─── ゴフッ……うがぁ……ッ!」


「……何だ、衝撃くらいちゃんといなせよ、盾に頼り過ぎだぞ?

盾が代わりにひっくり返ってくれたお陰だ。

よかったな─── 即死を免れた」


 騎士の白い口髭が、赤い血に染まり、胸を押さえて膝をついた。

 盾ごと弾かれた右腕は、肩から明後日の方を向いてる。


「そう言えば、あんたが俺に勝ったら、あの女の事を教えてやるって話だったが……。

俺が勝ったら何してもらうか言ってなかったな。

……まあ、俺にはあいつを助けてやる義理は無いんだが─── 」


 その時、先生が初めて闘気を発した。

 その瞬間、全員後ろに吹き飛ばされ、地面に押し付けられた。


「あの女を見逃せ」


 鬼神様。

 僕達の崇める、修羅の神。


 僕達の体の奥底に眠っていた、鬼神様への本当の『畏れ』が引きずり起こされた気がした。

 闘気に押さえつけられ、押しつぶされそうになりながらも、僕達のひざまずいているこの姿こそが正しいと思えてしまった。


─── 恐怖、畏れ、崇拝

それらが渦巻く中、騎士はよろめきながら立ち上がった


 外れた肩をダラリと下げて、口からは血混じりの唾を流し、騎士は先生に問うた。


「……女? 一体、何の話でしょうか?」


 先生は流れるような動作で構えを解き、男の目を真っ直ぐに見つめる。


「─── え、あれ? 違った?」


 先生はこんなに高い声も出せるのかと、そんな事を思いながら、僕は気を失ってしまった。




 ※ 




「─── ええと、セバスティアンさん

あんたが俺に聞きたかった事って、何だったんだ?」


「それはもちろん、ここが鬼族の本拠地、私の愛する─── 」


─── どけどけぇッ! 道を開けろ鬼ども!


 慌ただしい声と共に、群青色のマント姿の男が、鬼達の間を縫ってやって来た。

 痩せぎすで目のギョロッとした、長い金髪の神経質そうな表情、確かレジェレヴィアでセバスティアンと一緒にいた若い男だ。


「セバスティアァァンッ! 貴様、こんな所で何をしているッ‼︎」


「おお、グレッグ司教。ご覧の通り、この御人と腕試しを楽しんで─── 」


「黙れッ、この馬鹿者が! 無断外出で捕まった矢先に、この私を出し抜くとは良い度胸だ」


 セバスティアンは五十過ぎくらい、怒鳴ってる若者は三十代半ばってところか。

 どう見てもセバスティアンの方が上司っぽいのに、そうじゃないらしい。


「グレッグ司教もご覧になられたでしょう? 彼はあの酒場で、ソゥバについて類稀たぐいまれな知識を店主に授けて─── 」


「戯けッ! 貴様の頭の中はソゥバ一色か⁉︎

ただでさえ脱走は審問ものだと言うのに、貴様には極光星騎士団の自覚はないのか⁉︎」


 ん? ソゥバ⁉︎


「ソゥバは男の高尚な夢、リタイアした先に自分の店を持つ事は……

風流人のたしなみでありましょう─── ?」


「貴様だけだ! そんなもん、貴様だけだ!

……それに何だその姿は、まさか鬼族に負けたとでも言うのか⁉︎」


 セバスティアンは糸目をだらしなく垂らして、俺の事をへへへと笑いながら指差した。


「何ッ⁉︎ この男に負けたとでも……。

─── ⁉︎ 黒髪に紅い瞳、その人相……」


 グレッグ司教とか言う男が俺をしげしげと見ると、マントの前を勢いよく開いて、腰のサーベルの柄に手を掛けた。


「貴様……バグナスのS級冒険者、アルフォンス・ゴールマインに相違ないな……?」


「だったら何だ? そう言うお前は何なんだよ」


「エル・ラト教団北方支部所属、グレッグ・ダスティミラー。司教であり、そこの唐変木の担当監視官だ。

─── アルフォンス・ゴールマイン、貴様には抹殺命令が出されている」


 やや離れ気味のギョロ目が、険しく細められた。

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