第十一話 白き客人

 初夏の訪れから、早足に風の質が変わりつつある中、草むらからは夏の気配を告げるアオバムシの声がジィジィと聞こえて来る。

 三人は鬼族の里の入口が見えると、ホッと安堵の息を吐いた。


「お二人共、本当に凄いです! ボクは身近な所にこんなに生薬があるとは、思ってもみませんでした!」


「そりゃあ勉強した時間の差だ、君くらいの時の俺だったら、こんなに真面目に野草を知ろうとは思わなかった。

きっと俺より詳しくなるさ」


 俺とニギラの掛け合いを、ローゼンはうふふと笑って眺めている。

 白面咳が完治してから、体力を取り戻すために続けたリハビリも終え、ニギラは新たに夢を持つようになっていた。


─── 医者になりたい


 文武両道で育てられた彼は、幼い頃から自分の道は、里一番の戦士になる事だと思っていたそうだ。

 しかし、自分が病に倒れ、父ドウギの必死に看病をする姿を見ていて、その想いは急激に変化していた。


 俺が彼の治療をした時、明るさを取り戻した父親の姿を目の当たりにした彼は、人を助ける事で周囲に輝きを取り戻す生き方に心奪われたそうだ。

 彼は父親にその想いを告げ、ドウギはそれを快諾。


 族長のエンザもその夢に賛同して、それならばと鬼族に薬の知識を根付かせようと、大きな一歩を踏み出す。

 エンザはレジェレヴィアのヴァンパイア貴族に掛け合い、将来的に鬼族の若者達に、本格的な医学を学ばせようと動き始めている。


「でもアル先生、やっぱりボクは先生に医学を教えて欲しいです……」


「それは前にも言ったろう? 俺のは薬の知識であって、直接治す医者の知識じゃないんだ。

俺は師匠から医者になる為の知識は教わってないんだよ」


「うーん、そうなのです? 私には薬師と医師とに分ける意味がよく分からないのですが……。

アナタの知識と技術なら、そこらの医師よりもよっぽど医師なのでは?」


 セラ婆は医師だ。

 しかし、その医学を人々には広めようとはしていない。


 理由は簡単、人体を医学的、理論的に俯瞰ふかんして客観的に調べる事は、宗教的に禁止されている国が多過ぎるからだ。

 回復魔術は神の奇跡だと認識されているから、治療に使うのは問題ないが、例えば開腹して内臓に直接処置を施す行為なんかは異端とされてしまう。


─── 神から授かった肉体を、痛めもてあそぶのは外道のする事


 とまあこんな感じだ。

 特にエル・ラト教はこの辺りが厳しく、傷を縫う行為や、薬の一部にも規制が掛けられている。

 それらの解釈は、時代が進むに連れて本当の意味はすっ飛ばされて、なんだかよく分からないタブーのようにされている。


 セラ婆の持つ医学的な技術は、その風潮とは真逆に、とことん合理的に人体というものを捉えている。

 俺にそれらの技術を仕込もうとしなかったのは、セラ婆の知識は人類にとって行き過ぎていて、異端視される事を憂いたからだ。


「……なるほど。人はまだその程度しか進んでないのですねぇ。

─── 影でやっちまえば良いんじゃないですか?」


「そこも俺の師匠の理に反するんだよ。本来、学術的な知識は、系統立てて誰もが触れられないといけない。

誰かひとりが突出していたって、世界を推し進めるには、場合によっちゃ逆効果にもなるからな」


 例えば俺が医師として、戒律に反する技術を広めたとしたら、世界はどう動くか?

 確実にその技術を隠蔽いんぺい、排除したがるだろう。

 場合によっては極悪なレッテルを貼られて、余計に医療の進歩を塞がれかねない。

 里を出るにあたって、セラ婆からはこの見極めを頼まれてもいる。


「その内、世界だって分かる日が来るさ。それまでは今ある技術をしっかりと学んで、協力を広く得られる道を進む方が効率がいい」


「─── 分かりました……。でも、やっぱりボクの先生はアル先生です」


 可愛いなこの野郎、養子にしてやろうかチクショウ。

 しかし、ニギラも最初は驚く程に大人っぽく喋る奴だったけど、今は年相応と言うか眩しい感じだ。

 一人称もいつの間にか『私』から『ボク』になってるしな、頑張って父親に心配かけまいとしてたのが、自分らしくいられるようになったんだろうか。

 とりあえず頭をわしわしと撫で回すと、くすぐったそうに目を細めて笑っていた。


「おーう、お帰りなさい先生方にニギラ坊!」


「「「ただいま」」」


 里に入ると気がついた鬼達は、こうして温かく迎えてくれる。

 最初は戸惑っていたローゼンも、今ではニコニコと手を振り返したりして、居心地が良さそうだ。


「─── あ、そーいえば亀の肝が足りなくなるですよ、ど忘れしてたのです」


「お? それなら後でまた行くとするか。ニギラはどうする?」


「すみません、ボクこの後は父上とレジェレヴィアに行くんです」


「んじゃあ、ローゼンと二人か。一応ソフィ達にも一声掛けて来るかな。後で里の入口で会おう」


 二人と別れて、ソフィア達を探す事にしたが、ドウギ宅にも、診療に使っている集会場にも見当たらない。

 そうこうしていたら、ひとりの老婆が挨拶して来たので、三人娘を知らないかと尋ねた。


「えぇ、会長先生の奥様方なら、さっき谷川へ向かう林の方に行きましたよぉ」


「谷川へ? 何だろうな、とりあえず行ってみるよ、ありがとう!」


 言われた通り、谷川への林道を探していると、林道から少し林に入った所に彼女達を見つけた。

 丸いテーブルを囲み、三人で何やらティーカップを片手に話し込んでいるように見えた。


「よお! こんな所で何やって……酒くせぇッ!」


「けへえぇ、何って、お茶会れすよお茶会ぃ」


 ソフィアが怪しい呂律でクダを巻いている。

 ティフォも目が座っている辺り、相当な量の酒精を浴びてるはずだが……。

 えぇ……出掛ける前は普通だったよな……。

 この短時間でどんだけ呑んだんだ?


 スタルジャはこれ以上ない程に真っ赤になって、なんかの童謡をエンドレスリピートで口ずさみながら虚ろな目でこちらを見ている。


「ん、オニイチャも、いっちょうのんでけ

─── ドボォッ……ドボォッ……ドボォッ」


「フレーバーティーだろ⁉︎ 何で酒から入れてんだ……うわぁ入れ過ぎ入れ過ぎ、あああぁ……溢れて……」


「う〜い、次はお茶ね〜。……ピチョン」


「やっぱり北方の茶葉には、ブランデーが合うんれすよれ〜♪」


「逆逆! ティー意味ねえなぁ‼︎ ……って、そのボトルはもしかして『ケルヴォグ』じゃねぇか⁉︎ ブランデーなんかじゃねぇぞ‼︎ そんな高級酒をなんちゅう呑み方して……」


 メルキアの特級酒ケルヴォグが、ティーカップから溢れて、テーブルカバーに染み込んでいく。

 確かブラックリボンのついた瓶は最上級、小瓶で白金貨一枚と金貨一枚くらいするんだよな? (日本円で約十五〜六万円)

 今溢れた分だけで銀貨一枚分はいったんじゃねぇか⁉︎ (日本円で約五千円)


「良いんれすよ……私達みたいな寂しい女は、これくらいのごほーびでも無ければ……」


「ん、いったれやソフィ、オニイチャにいったれや」


「寂しいって何だよ……」


「らって……最近アルくん、薬学の事ばっかじゃないれすか……。それに……」


「ん、いったれやソフィ、オニイチャにいったれや」


「ティフォ、煽るんじゃない! ……そうだったな、皆んな真剣に学ぼうとしてるから、俺もつい夢中になってたよ。ごめんな。

─── それに……何だ?」


 ソフィアはどっぷり赤い眼を潤ませて、人差し指を唇に当て、弱々しく呟いた。


「……どうせアルくんはぁ……ローゼンさんみたいなぁ……才女がお好みなんでしょう?」


「ハァッ⁉︎ ローゼン⁉︎ 何でそんな風に思うんだよ!」


「だって最近、ずっとシッポリやってるじゃないですかぁ〜! うわぁ〜ん!」


「薬学の話と、鬼族のレジェレヴィア進学の相談のためだろ! 全然そんなんじゃねぇよ」


「ん、でもオニイチャ、ちょくちょくメガネおさげのおっぱいみてた」


「─── ⁉︎ みみみ、見てねぇよ!」


「ケダモノ! アルくんのデパガメ王子ぃッ」


「そりゃ、横でぶるんぶるんしてたら、色々不安になって見るだろ……。決して肉の眼ではないんだ……」


 途轍とてつも無いブーイング、こんな時どう返せば良いのか、答えはあるのか?

 『いくつに見える?』と聞かれた時と同じぐらい泥沼じゃねぇか⁉︎


「と言うか、その酒は何処から手に入れたんだ? ここらじゃ手に入らないだろ」


「ん? オニイチャとローゼンが書いた紹介状に、新薬の論文いれたな?

あれのお礼って、フロレンスおぢぃと、アンゼルムきょーがくれたって、今朝ドウギが」


「……それ、俺の酒じゃねぇか……」


「ん、ティフォはオニイチャのもの、そのティフォが飲んだんだから、結局はオニイチャのもの」


「……なんか法の目をかいくぐる、新しい詐欺の手口みたいな理屈だなそれ」


 スタルジャが急に『あれ? 次の歌詞って『讃えよ土』だっけ『讃えよ土』だっけ?』とか聞いて来たが、こちらの答えも聞いちゃいない。


「……何だってこんな事に」


「だってアルくん……寝室だって別がいいって」


 やっと分かった。

 ドウギの家に厄介になると決まった時、部屋数はあるが、鬼族の習慣で寝台は一部屋にひとつだと初めて知った。

 寝台も一人用しかないから、部屋を全員分けたんだが……それか。


「分かったよ、ドウギに相談してみる。別に一緒に寝るのが嫌だったとかじゃない。

その方が皆んな休めるかと思ったんだ。何だったら今夜から、集会場で皆んなで寝るか?」


「「「うぇーい‼︎」」」


 急にスタルジャまで加わりやがったよ……。




 ※ ※ ※




 石柱の上でひっくり返ったまま、ピクリとも動かない亀を、一体ずつ下へと放り投げる。

 最初、ローゼン平原でこいつらに襲われた時は、石柱を守らなきゃいけない所に、意外とビュンビュン自在に飛んで来て閉口した。

 それが、ご覧の通り、隣の石柱から棒を伸ばしてバランスを崩すだけで、面白いように亀が落ちて行く。


 こうまで簡単に落とせると、エハクカトータスの名前の由来の暴風神エハクカさんとやらに、なんだか申し訳ない。


「後どれくらい必要だ?」


「今ので丁度二十だったので……後十五ばかしあると安心なのです」


「あいよ〜」


 鬼族のレジェレヴィア進学に際して、あちら側が求めたのは、ローゼン独自開発の薬の提供。

 飛び切り優秀な増血剤だ。


 吸血されるレジェレヴィアの人間に使う目的かと思いきや、他国の軍から高額で買い取ってもらえるらしい。

 負傷兵の生存率が、あるのと無いのとでは大分違うのだとか。

 ローゼンが製造法で特許を取っているのはもちろん、材料が材料なだけに、おいそれとは作れないそうだ。


「しかし、こんな簡単に亀を大人しくする方法があるなら、あの時に助けてもらいたかったよ」


「んふふ〜♪ 『』は防ぎようが無いのです。特に野生生物には効果テキメンなのです」

 

 ローゼンは『香』に意識を刈り取る効果を乗せ、広範囲にいる亀をあっと言う間に無力化してのけた。

 さらに冷気で辺りを包み、亀を強制的に休眠させて、新鮮なまま持ち帰る方法まで見せてくれた。


「何だってこんなに繁殖出来るんだろう。この辺りに餌になるもんは見当たらないのに……」


「彼らは魔獣、この平原を吹く、豊富なマナを含んだ風を取り込んで生きてるですよ。

繁殖方法は……そこの一回り大きな亀の腹をつついてみるです」


「……? そこのデカくて丸々としたやつか。

どれ…………うおっ⁉︎」


─── ポポッ、プポポポポ……


 腹を突いた途端に、尻尾のある辺りから白くて丸い物が、勢いよく飛び出して来た。

 それらの球は、地面に落ちて割れる事もなく、ポーンと跳ね返りながら散って行ってしまった。


「い、今のって、卵か⁉︎」


「はいです。メスは長らくお腹の中で卵を育てて、何らかの刺激があると、今みたいに卵を乱射するです。

卵は反発力が高くて、勢いよく跳ねる事で、より遠くへと広がるように出来てるですよ」


「そうやって平原に増えて行ってるのか……」


「孵化するのは夏の終わり頃、風のマナが豊富になる季節なのです。

その時は子亀が必死に石柱をよじ登る姿が見られるですよ」


 そんな話をしている間にも、母亀は仰向けのまま回転しながら、卵を辺りに発射し続けていた。

 何とも言いようのない絵面に、思わずぼんやりと見入ってしまった。


「─── いかん、気を取られて、数えるのを忘れてた

今落としたので十五はいったろ?」


 ズダ袋に亀を回収する係のローゼンに、もういいかと尋ねたが、返事が返って来ない。

 聞こえなかったとかではなさそうだ、彼女の気配が無くなっている。


「ローゼン? どこにいる……」


 辺りは異様に静まり返っている。

 不審に思い、石柱から降りるも、ローゼンの姿は何処にも見当たらなかった。

 彼女の気配を感じようと、感覚に集中を傾けた時、その静けさに俺は違和感を覚えた。


─── 風の音、鳥の鳴き声すら消えた……⁉︎


 丘に挟まれて南北に伸びる平原は、常に風が吹いていて、石柱の間を通る時に独特な音がする。

 その哀しげな風音が、絶え間無く鳴る風景が名物で、慣れない内は耳鳴りがする程だ。


 そして近くに広がる丘は草原地帯で、ヒタキと雲雀が多く、この時期の日中は引っ切り無しに鳴き声を耳にする。

 それらがパッタリと止んでいるが、風は止んでなどいないし、空を真っ直ぐに飛び上がる雲雀の姿も見える。


─── 音が止んだんじゃない、音が消されてるんだ……

この空気の圧迫感は、魔術によるものか⁉︎


 そう気がついた瞬間だった、反射的に体を引くと、さっきまで俺の体のあった位置に何かが通り過ぎた。

 背後の石柱に音もなく突き刺さって、ビーンと振動している。

 何本もの太く長い針、その後ろには小さな受け皿のような物が付いている。


─── ……吹矢、それも何かが塗りつけられている


 音も予備動作も無く、気付かれずに放てる吹矢は、暗殺によく使われる道具だ。

 しかし、それだけでは殺傷力が低いため、必ずと言っていい程、毒が用いられる。

 大抵の毒なら魔術で浄化できるが、毒の仕組みによっては、対処出来ない物もある。

 魔術で音を消し、これだけ準備をして来ている相手だ、そうそう分かりやすい毒など使うまい。


 当たらないに越した事はないが、音が消された世界では、酷く五感が鈍るものだ。

 せめて術者のいる方向が分かればと、目を閉じて感じようとするも、それも叶わない。


 目を閉じた直後、石柱の立ち並ぶ視界の先から、幾つもの矢が放たれた。


 とっさに足元に転がっていた亀の甲羅で受けると、針の突き刺さる硬い手応えの後、動けないはずの亀が苦しげに首を出し入れしてもがく。

 鼻と口、目の端から粘性の液体を、ぶくぶくと泡を吹きながら溢れ出させた。


 すぐに清浄の魔術で、亀に解毒を掛けたが、身体中から血を吹き出して死んでしまった。

 その飛沫を浴びた、足元の亀も同じように苦しみ出す。


─── これは悪精毒だ、浄化の魔術は効かない


 解毒方法が思い当たらなくもないが、今この局面で受けたら、対処のしようがないな……。

 まさか戦闘中にニギラにやった手法で、悪精を取り除く時間などもらえまい。


 そんな事を考えている間にも、相手が待ってくれるはずも無く、むしろ勢い付いているようだ。

 小刻みに飛んで躱すも、次々と矢が放たれ、着地点を狙われてしまう。

 さっきまでいた場所に、無数の長い針が仙人掌さぼてんのように突き刺さる様は、いっそ清々しい程に殺す気満々だ。


 矢が半分ほど石柱に食い込む威力だというのに、ヒットする瞬間の音はおろか、矢の風切音すらしていない。

 段々と矢が飛んでくる方向が、バラバラになって来ている辺り、相当な人数で囲い込みに掛かっているのだろう。


 石柱の影を巧みに利用しているのか、移動する姿を確認できず、何者か確かめる事が出来ない。

 何より聴覚が役に立たないだけで、相手の気配を読む事すら難儀する。


(同時に放たれる矢の数で言えば、ざっと二十五〜六人って所か……。

─── この手際、計算高い地形利用……プロの暗殺集団だな)


 まずい、非常にまずい。

 相手がどれだけいるのか、いつから張っていたのか、全く気がつかなかった。

 囲まれないように走るべきだろうが、それすらも計算されてると見ていいだろう。


 ここは逆に、俺がそうされたら困る事でもしてやるか─── 。


「─── 【氷霧レウ・ヌル】!」


 豆粒ほどの氷を乗せた暴風が、石柱の間を狂ったように吹き回る。


 殺傷力こそ無いに等しいが、歪な形に固まった氷の粒の勢いと数は多く、目を開ける事を困難にして自由を奪う。

 陰に潜む複数の相手を妨害する魔術だ。


 完全に無音だった世界に、石柱に打つかる氷粒の音が、ある一方向を除いて段々と聞こえるようになった。

 氷の妨害魔術が、消音魔術の遣い手に上手く効いたのだろう、術者の意識から遠い場所は音を取り戻した。

 つまり、今音が聞こえなくなる方向に、術者はいるはず……!


「─── そこか! 【針雷ニード・スンデル】!」


 黒く細い雷撃が、幾つもの筋を描いて、音静まっている中心へと襲い掛かる。

 わずかに呻くような声と共に、音の世界が一気に戻って来た。


 聴覚の復帰と同時に、相手の気配が掴めるようにもなった。

 想定外の展開に、向こうさんもどう出たものか、流石に戸惑っているようだ。


 石柱の隙間を通る風が上げる、物悲しげな笛の如き音色が平原に戻って来た。

 どちらがどう動くのか、ただ気配で感じるのみの睨み合いは、重々しく永遠に続くように長く感じられていた。




 ※ 




─── ローゼンは無事なのか?


 ……いや、彼女だったら敵意を向けられた瞬間に、相手をまとめて絶命させるくらいワケないだろう。

 しかし、彼女は何処へ?

 ローゼンが姿を眩ませた途端に、暗殺集団が現れたが、まさか……彼女が?


 いや、そんな回りくどい事をする必要が無ければ、俺の命を狙う動機もないだろう。

 あり得ない、最近どうにも考え過ぎる傾向にあるな俺は。


 どの道、ここで殺られればそれまで。

 それならもっと相手が嫌がる方向に目を向けてやる。


─── 【王の名に於いて命ずる、蜘蛛よ、我が子らよ……蝿を捕らえよ!】


 手の平から、小さな子蜘蛛が湧き出て、糸を引きながら風に散って行く。

 ミトンのくれた加護【蜘蛛ノ王】、地形の不利をひっくり返すには、充分すぎる能力だ。


─── 見つけた……


 子蜘蛛から糸を通して、石柱に隠れる者達の映像が、一斉に送り込まれてくる。

 蜘蛛の八つの目で見た世界は、未だに頭が混乱するが、それでも大分慣れては来た。


 俺の脳裏に浮かんだ映像は、八かける……う〜ん、いっぱいに分かれてる。

 全部正確に把握なんて出来やしないが、手に繋がれた糸の引き具合で、子蜘蛛達のいる位置くらいは掴み取れる。

 それらのポイントに魔術を飛ばす。


「─── 【死よルゥドハ=ド】!」


 ひとり、またひとりと即死魔術に耐えられず、魂を刈り取られて行く。

 位置を特定し切れない奴らは、この際どうでもいい。

 まずは各個撃破で、相手の流れをより鈍らせる。


─── ザ……ザザザザザザ……


 即死者が十に届いた辺りだろうか、段々と耐え切る者が増えて来た。

 即死魔術は禁呪扱いだと聞いたが、防ぐ対抗魔術を使える者がいるのか? それとも何らかの加護を持っているのかも知れない。

 既に半数の手勢を失い、本来なら退却を選ぶものだが、石柱の陰から暗殺者達が姿を現した。


─── 鼠色のフードを目深に被り、両手にはショーティルと思しき、先が大きく円形に曲がった小剣

彼らの頭の大きさは普通の大人のものだが、身長は子供のように低い


 全身を覆う鼠色のマントは、異様に丸く膨れていて、足元までスッポリと隠している。

 ……うん、参った。

 見ただけじゃ、こいつらの戦術なんて、さっぱり分からねえ!


 でも、ひとつ分かった事がある。

 各個撃破に状況不利と踏んだ途端に、武器を変えて一気にまとまって来た。

 それは確実に殺すための算段で、こいつらは本当に殺し屋さんって事だ。


 つまり、セオリーの存在する集団で、無軌道な闘い方をする事はないだろう。

 ならばここからは俺の領分。

 この世に存在する戦術の殆どは、ダグ爺率いるアーシェ婆の、アンデッド軍団で学習済みだ!


「ようやく出て来たか。何とも奥ゆかしい事だ。……一応聞いておくが、誰の差し金だ?」


「「「…………」」」


 鼠マントの小さい影が、ゆらゆらと左右に展開して、確実に距離を詰めてくる。

 無言のまま、足音を一切立てずに、流れるように陣形をとった。


「……言いたくねえなら、吐かすまでだ」


 その瞬間、手前にいた集団が、一斉に飛び掛かって来た。

 よく見れば三人一組で、確実に捕らえる形を組んでいる。


─── ありがたい、想定できる範疇はんちゅうの戦術だ


 夜切を手に、先頭のひとりをなるべく派手に斬り捨てる。

 出会い頭に機先を制するのは、基本中の基本なん─── 。


─── ジャリリ……ッ!


「あれれぇ……ッ⁉︎」


「うぐ……ぅ」


 刃がマントの表面を滑って、両断出来なかった。

 最初に直撃した部分の骨が砕ける手応えと、相手のうめき声こそあったものの、すぐに起き上がられてしまった。


 まるでこちらの驚きを嘲笑っているかのように、大口を開けて喉をヒュウヒュウと不気味に鳴らしている。

 呆気に取られている間もなく、鼠マント集団の小剣が、瞬く事もゆるさぬ速度と量で襲い掛かった。


 下手に夜切で受けようものなら、大きく湾曲した鋭い剣先が、肉を抉りに巻き込んで来る。

 ご丁寧な事に、その切っ先にもたっぷりと毒が仕込まれているから泣けてくる。

 まともに受けられず、避け続けるには手数も人数も多過ぎだ。


 マントに対して垂直にぶち当てて、ひとりずつ吹き飛ばしながら、体勢を立て直すしかなかった。


「─── 【着葬クラッド】……」


 瞬時に髑髏どくろの鎧に包まれるのを、戸惑うように立ち止まり、襲い掛かるタイミングを図っている。

 全身鎧なら、切っ先が触れた程度では毒を受けずに済むだろう。

 あのクルッと曲がった小剣は、鎧の繋ぎ目にもよく滑り込みそうだが、ガセ爺の仕事はそんなに安いもんじゃない。


 途中、垂直に打ち込みそびれて、バッサリとマントの表面を切り裂く場面があった。

 どうやら奴らのマントの下には、ビッシリと鱗状の金属片で覆われたものが仕込まれているらしい。

 なるほど、刃が当たる端から、斜めに鱗が受け流して滑らせていたのか。


 相手の嫌がる事を突くのは、戦術の一手。

 その便利マントのアドバンテージを、ゼロにしてやるか……。


「─── 【混沌の蓋を開ける者ケーリュニヴル】よ、我が手に参れ……」


 何処にでも転がっていそうな、木こりなら誰でも持っているような、無骨なマサカリが手に現れた。

 『魔斧ケーリュニヴル』この問題児は、見た目とは裏腹に、超がつく曲者だ。


 言霊を口にして喚び出した瞬間から、こいつの歓喜の声がガンガン伝わってくる。


─── ……ヒュドッ!


 単身飛び込んで来たひとりが、金属の鱗を散らしながら縦真っ二つに両断され、泣き別れた肉塊が衝撃で弾け飛ぶ。

 その斬撃は止まらず岩盤まで切り裂くと、直線上にいた数人も、身をふたつに分けて朱肉のつぶてとなって散った。


─── ……ミシリ……ッ


「おい、魔斧……やり過ぎだ、肩の靭帯が千切れたぞ……」


 しかし、痛みも無ければ、斧の大きさに対して、その重さが全く感じられない。

 回復魔術を自らに掛けながら、羽根よりも軽く感じる魔斧を構えて文句を言う。


─── おお……血……臓腑……、恐怖に滲む汗の匂い……

……さあ戦ぞ、我が力を与えてやろう……


 こいつ、人の話を全く聞いちゃいねぇ。

 ガッツリと精気が抜かれ、代わりに異様な力が筋力を極限まで上げて行く。

 筋肉が引き締まる圧力に、全身の骨が悲鳴を上げていた。


─── そう、この斧が軽いんじゃない、この斧が使用者の力を極限まで高めてしまうだけだ


 かつて戦場でこれを手にしたものは、悪鬼羅刹あっきらせつの如き闘いを繰り広げ、最後には自らの力の膨張に負けて砕け散ったと言われている。

 実際にこの斧は、見た目より遥かに重く、比重が馬鹿高い。

 

 身軽な小剣を鼻で笑うように、何倍も速く空を裂き、両断された肉体は熟れたトマトのように弾け飛ぶ。

 早くも辺りの石柱は朱に染まり、白く見えるのは塗り残した地の色か、貼りついた肉片か判別すらつかない有様だ。


─── ザザザザザザ……


 こんな感じに移動する虫が、海辺の岩場にびっしりいたなぁ……と、感心してる目の前で鼠マント達が再び陣形を解いて広がった。

 それと同時に、彼らはマントの下から脚を伸ばして立ち上がる。

 異様に痩せ細った長い手足は、その長さを見誤りそうな不安を持たせた。


 と、言うか……ずっと中腰で動いてたのかこいつら!


 目の前には鼠マントをヘソの辺りまで垂らした、珍妙な格好の男達が、レイピアを構えて立ち並んでいる。

 ショーティルでの攻めが有効でないと判断したのだろう、全身鎧の隙間を突く方針に切り替えたようだ。

 おそらくこれにも毒がたんまり仕込まれているんだろうなぁ。


 それと、顔の位置が目線の高さになって、ようやく気がついたが、こいつら……。


─── 鼻と目の周り、顔の出っ張りを、削り取ってある


 近くに転がっている、仰向けの死体をちらりと見れば、確かにそれらの顔も同じ……いや、舌まで切ってあるようだ。

 変装をしやすくする為に顔を削り、捕まった時に口を割らせぬ為に、舌を切り取る。

 暗殺専門の奴らに、そんな風に育てられるってぇのがいると、噂には聞いた事があるが……。


 ……何故、そんな奴らに俺が狙われる?


 いや、今はそんな事を考えて、答えが分かるはずもない。

 今やるべき事はひとつ─── 。


─── この招かれざる客を、一人でも多く殺して、生還する事のみ


 魔斧ケーリュニヴルから、魔双剣『明鴉あけがらす宵鴉よいがらす』に持ち替えて、今度はこちらが腰を屈めて身を低く構えた。

 立ち上がった鼠マント達と、立場が逆になった形だが、それにも理由がある。


「大分、さばきやすそうな腹になったじゃねぇか……!」


 地を這うように低く、狙うは膝裏、腿の付け根、脚を通る動脈。

 ブーメランのように曲がったククリ刀の、先に偏った重心を回転力に換えて、斬り上げ、ぎ払い、叩き斬る。

 時に地を滑りながら、時に地を転がりながら、それら露わになった急所を狙いつつ、腹をただたださばく。


 低い姿勢で闘う事に慣れた者達は、自分よりも低い位置から襲われる事には、あまり慣れていないようだ。

 石柱の間には、足の踏み場もない程、異様に痩せこけた顔の無い死体が積み上がる。


「……もう一度だけ尋ねるが、これは誰の差し金だ。今なら残った者の命は保証しよう……」


「「「…………ぎいっ」」」


 舌の無い彼らは、腹から出す息で喉を震わせて、何らかの合図を出し合った。


「─── 投降する……って意味じゃあ無さそうだな……

分かった、仲良くあの世に送ってやろう」


 残るは四人、同時に飛び掛かるのを、一振りの内に斬り捨てようと、夜切に持ち替えた瞬間だった。


「あれぇ……? お友達なのです?」


 ローゼンがその場に現れて、呑気な事を言っている。

 綿毛帽子のついた、蔓性の植物をたんまりと抱えて、ホクホク顔だった。


「─── 何処行ってたんだローゼン、怪我はないか?」


「見てくださいよこれ、ニセカラスマメモドキが自生してたのです!

綿毛が飛んでいたので、思わず追い掛けてみたら大発見だったのですよ!

─── 怪我? 何故私が怪我なんてするです?」


 ローゼンの抑揚のない声が、ベラベラと早口でまくし立てられる中、何故か鼠マント達は襲って来なかった。

 むしろ怯えたように、彼女から距離を取ろうとしている。


「……無事なら問題ない」


「ところで、そこのお友達は何とも不思議な格好してるですねぇ♪」


「─── 逆に聞くけど、これがお友達に見える⁉︎」


「そう言えば、辺り一面、血と臓腑の臭いでいっぱいなのです。

ん~、お手伝いは……いらないですよね?」


 そう言って、ローゼンが鼠マント達を凝視した瞬間、彼らはきびすを返して逃亡を図った。

 一人くらいは首謀者を聞き出すために残しておくかとも思い、魔術を使おうと手を掲げた瞬間にそれは起こった─── 。


─── ……ドガァ……ッ‼︎


「─── お前達、一体ここで何をしておるか‼︎」


 鞘に納めたままの長剣を振り抜いて、先頭を走っていた鼠マントを吹き飛ばした。

 その登場を全く予期していなかったのだろう、まともに食らってしまったようだ。

 一瞬躊躇ちゅうちょしたかに見えた残りの三人も、その新手の長剣に無力化された。


「き、貴様はッ⁉︎ なぜこんな所に……いや、このおびただしい死体の山は何だ!

─── 答えろ、アルフォンス・ゴールマイン!」


 その聞き覚えのある声に、思わず額を抑えて、深く長い溜息をついた。


 青い装飾が模様のように施された白い軽鎧に、首まで覆った詰襟つめえりの白いチュニック。

 戦乙女を思わせるバイザーのついた、荘厳なオープンヘルム。


 白に統一された、整った目鼻立ちの女が、ワナワナと震えていた。



─── 極光聖騎士団の女騎士あいつかよ……まぁた、話の分からない奴が出て来ちまったよ

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