第十話 そこに潜むもの
─── ローゼン平原、鬼族の集落にアルフォンス達が辿り着いて約一ヶ月
鬼族の里で始めて診療をし、元族長のエンザを治療した翌日からも、アルフォンスの元には連日のように鬼族が訪れていた。
エンザが全快し、改めて長老会の審議を経て、正式に鬼族は医療の文化を受け入れる事となった。
アルフォンスはそれを受け族長の座を返上、鬼族からの申し出もあって、医術と公衆衛生の指南を請け負っている。
─── そうして滞在が延びているうちに、季節は初夏を迎えようとしていた
「ぬうぅぅぅ……ッ‼︎」
「ウオォォォォォッ‼︎」
─── ひとりはドウギ、もうひとりはオリバ
鬼族きっての戦士ふたりが、広場中央の巨石に向け、唸り声を上げながら念を送っていた。
時に手指で印を結び、独特の呼吸法で唱えられる言葉は、アルフォンスにとっては耳慣れない異国のものだった。
─── 妖術
このマールダーでは、鬼族のみが扱う、彼ら独自の魔術体系である。
紛れも無く魔術ではあるものの、術式の理念も、魔力の活用も大きく異る。
その最も異る点は───
「うわぁ〜、すっごいねぇ! あんなに大きな岩が、全然揺れないで持ち上がるなんて!」
「本当だよ、あの術式は精霊術に近いな。体を依代に何らかの超自然的なものを降ろしてる。
……あれだけの力を生み出してるのに、その降りてる存在がなんなのか、全く分からない……」
「うははは! そうでしょうなぁ。
それもそのはず、我々は魔力そのものを扱わず、己を神に模した存在にするために魔力を捧げておるですじゃ」
「自分を神格化⁉︎ 一体、どうやって……?」
「我々の古くからの教えでは、神と鬼とを明確に分けてはいないんですよ。
自分も神の中のひとりとして、幼い頃から自分の魂に、別人格の神がいると強く信じて育って行くんです。
妖術を使う時は、その神の部分を目覚めさせるために魔力を捧げ、神通力を得ています」
アルフォンス達の反応が誇らしいのか、周囲の鬼族達が、事細かに妖術の話をする。
妖術で浮かび上がった巨石が、遥か上に貼られた綱に到達すると、鬼族達から一斉に歓声が上がった。
「おお! これで今年も豊作が約束されたぞ!」
「「「うおおおおおおーッ‼︎」」」
鬼族は今から千二百年もの昔、遥か西方から流れて来た民族である。
一説によれば、その経路の途中、魔族の暮らす魔界でも生き延びた屈強な存在でもあると言う。
そんな彼らがマールダーに持ち込んだ独自の文化もいくつかあったが、今はその内のひとつ『稲作』の作付けの時期である。
アルフォンス達の目の前で行われた祭事は、その豊作祈願を込めた、彼らの初夏の恒例儀式であった。
「─── 話に聞いてはいたが、いざ目の前にすると言葉もないよ
いや、本当に貴重なものを見せてもらった」
本来はこの祭事は部外者には見せない、彼らの伝統行事であったが、アルフォンスが一時は族長であった事。
そしてエンザを救い、鬼族が医術を受け入れた途端に返上した事は、彼らにとって信頼に値するものだと受け入れられた。
出会いこそ問題はあったものの、現在はエンザからも大きな信頼を寄せられている。
「しかし、妖術と言うのは、魔力の効率の良さはもちろんだが、術式の書き込みが芸術的だな。
独自の文字なんだろうが、文字ひとつひとつが紋章に似て情報量が多い─── 」
「術式の書き込み……? 会長殿にはそれが見えたと言うのですか」
「ああ、すまない。盗み見するつもりは無かったんだが、術が発動する時に見えてしまった」
アルフォンスの体に叩き込まれた、アーシェスの高度な技術は、相手の使用する魔術を見破るために、術式のイメージを瞬時に見破る事が前提にあった。
彼は数え切れぬ程のアーシェスとの死線に、意図する事もなく、術式を一枚絵で捉える目が出来上がっている。
エンザはその話に驚くと、鬼族に代々妖術を指南する役割を担う、巫女のホウギョクを呼びつけた。
「あー、字の意味や成り立ちは分からないが、これらの文字が重要な役割を果たしてるように見えた」
「「─── ⁉︎」」
地面に書き殴られた、象形文字にも似た複数の文字に、ふたりは目を見開いた。
「─── し、失礼ながら会長様は、我らの扱う鬼文字を、本当にご存知ではないのですよね?
これをあの短時間の内に見抜き、まして書けるとは……信じられませぬ」
ホウギョクが懐疑的になるのも無理は無かった。
鬼文字は甲字、乙字、簡字と三つの体系があり、特に甲字は形状が複雑なため、幼い頃から何年も掛けて覚えていくものだそうだ。
目の前で書かれた文字は、全て甲字であり、祭事で使われた妖術の根源的な意味を持つものだった。
……これを一度目にしたからと言って、すぐに書けるはずもなく、まして、術式からその文字だけを見抜くなど聞いた事も無かったのだ。
「文字にも言霊がこもるからな、意味合いが分かれば、それとなく形も分かるもんさ。
しかし鬼文字か、これは応用の幅が広いな、面白い……」
「ちょ……ッ、ちょっとお待ちをばッ‼︎」
アルフォンスが更に文字を書き並べ、術式を組み直そうとするのを見て、ホウギョクは神殿へと駆け出した。
「ハアッ、ハアッ……。こ、これをご覧になって下さい!」
「ホ、ホウギョク! これは『秘奥義伝妖術巻書』ではないか⁉︎ これは門外不出の……」
「黙らっしゃい‼︎ すでにこの書を解読する技は途絶えたのですよ、門外不出など古臭いしきたり、妖術研究の前になんの意味も─── 」
「……こりゃあ凄いな。自分を神格化するだけじゃなくて、それを複製して増やせるのか……⁉︎」
「「─── もう読んでる⁉︎」」
そこへほろ酔いのソフィアも現れ、ああでもないこうでもないと、まくし立てながら話し込み始めたが、やがて静かになってしまった。
「か、会長様! そこには、そこには一体何が書かれているのですか‼︎
我ら巫女の一族は、すでに失われたその書の意味を解読すべく、日夜……」
「発想は面白いし……何かの役にも立つだろうが……これは……うーん」
渋るアルフォンスにすがりつき、懇願するホウギョクに押し負けた彼は、言いにくそうに目録を読み上げた。
「『驚く程増やせるお金』『寝てるだけで痩せる』『仕事を上手にサボる分身術』『差がつくクッキリ二重』とか何とか、これは『都で働く出来る鬼女編』だ。
『出産に向けてのお金編』ってのが続くが……まだ聞きたいか?」
「き、聞きたいけど……聞きたくないです。本当に、ありがとうございました」
「まあ……ね、昔の物が凄いとは限らないし、当時の暮らしとか文化を知るには、良い書物だと思うぞ?」
「そうですよ! 私はこの後の『母鬼友と上手く行く十の方法編』と『夫鬼の浮気判別編』が気になります。
しかし、使われてる妖術の活用と術式は、凄く面白いものが多いですね。
鬼族が神気を出せるのは、己の別人格を神格化してるからだったんですね〜」
エンザとホウギョクの落ちた肩を戻そうと、ソフィアは早口で色々とまくし立てているが、あまり上手くはいっていないようだ。
気まずく思ったアルフォンスは、何となく秘伝書にあった妖術のひとつを、魔術で再現してみようと思い立った。
「……えーっと『我が身に宿し
妖術の術式を、魔術の術式に翻訳して当てはめるように、言葉に起こして詠唱を始めてすぐ、アルフォンスは違和感に気がついた。
己の内に別人格を立て、それを神格化するのが妖術であり、それを幼少期から育むのが鬼族。
アルフォンスの中には、その別人格は存在しないはずであり、術式は反応しないはずであった。
─── しかし
「熱ッ! な、何だこれ⁉︎」
「アルくん⁉︎ 魔力の供給を今すぐ止めて下さい!」
ソフィアの剣幕にアルフォンスは即座に応じたものの、彼の体の内側から禍々しい魔力が込み上げる。
術式が破棄されて完全に術が止まるまでのわずかな間に、シャツの首回りが焼き切れ、赤熱して光る首回りの紋様が露出していた。
ソフィアが白い光を放ち、アルフォンスを包むと、込み上げていた魔力は消え、紋様の反応も直ぐに治った。
シャツも瞬時に復元され、何事も無かったように装われる。
一瞬の事だったが、突如として突き抜けた巨大な気配に、鬼族の者達はこちらを見て静まり返っていた。
「す、すまない! 術が暴発してしまった!」
慌てるアルフォンスとは対照的に、一部の鬼族が笑い出すと、誘われるようにして全員がゲラゲラと笑い声を上げた。
「会長さんは、失敗してもすっげえのな! 今の神気はなんだ、ぶっ倒れるかと思ったぜ!」
「今の神気かよ、魔力だろ? オレァまた、悪魔の大将でも召喚したかと思ったぜ⁉︎」
アルフォンスから突き抜けた気配を、酒に酔った鬼族達は魔術による余興ととったのか、口々に思った事を言っては感心している。
「な、なぁソフィア……今のって何だったんだ……? 俺の中に何か……」
「─── 分かりません……」
彼女は顔を背けてそう呟くと、その場を去って行ってしまった。
その後姿に、どこか触れてはいけない雰囲気を感じて、アルフォンスは追う事も出来ずにただ見つめるしか出来ずにいる。
気を取り直したホウギョクから、妖術に関する所見を早口で求められ、それに答えている内に宴はまたにぎやかさを取り戻し、広場は鬼達の笑い声に包まれていった。
─── ……みつけた…………みつけたぞ……
太鼓や笛の音、酔って声の大きくなる鬼達の宴は、その小さな声を包み隠した。
※
「─── ローゼンの時は、指輪が膨大な魔力を流し込んで来て、守護紋が反応した
今度は妖術を真似て、自分の内側に働き掛けたら、あの反応……」
宴も終わり、飲み足りない者達は未だ広場に残っていたが、多くは寝静まっている。
一度は寝台に横たわったアルフォンスであったが、先程の紋様の事が気になって、一人里を歩きながら考え事をしていた。
─── ……みつけた……みつけたぞ……
夜風と共に、何者かの聲がアルフォンスの耳を撫でて行った。
しかし、彼はそれを気にする事も無く、自分に起こった出来事の推測に没頭する。
初夏の夜に似つかわしくない、冷気を孕んだ霧が、薄っすらと足元に漂い出す。
その時、アルフォンスが背を向けていた井戸から、黒い何かが溢れ出すと、彼の方へと流れて行った。
「─── 俺にもうひとつの人格があるとでも?
いや、あれは単に魔力が膨れ上がっただけじゃないのか……?」
そう呟くとまた歩き出し、ブツブツと思考を漏らしながら、里から離れていった。
─── ……にがさぬ……にがさぬ……
彼の元まで迫っていた黒いものは、ザワザワと林の影へと移動して、闇に溶け込んだ。
「だとしたら─── 。
だとしたらソフィアのあの態度は何だったんだ? あれは不安? いや、哀しみ……?」
沢の水音すら耳に入らず、アルフォンスは足の
月明かりが林の切れ間から差し、彼の影を後ろに長く伸ばしている。
ふと立ち止まり、上を見上げるアルフォンスの前に、青白い光の霧が集まり出した。
やがてそれは柱のように立ち上がると、段々と人の形を成す─── 。
「あー! やっぱり、直接聞かねえと分かんねぇな‼︎
……でも、越権行為に触れる事だったら、教えてくれないだろうし、ソフィも辛そうにしたら嫌だしなぁ……すっげえ気使ってくれてるから悪いよなぁ」
青白い手が、アルフォンスへと伸びた時、彼は溜息混じりに声を漏らすと、
─── ……くちおしや……しくじった……
青白い手は哀しげに夜風に散りながら、怨嗟の聲を呟き、最後に『にがさぬ』とハッキリと言い残して闇へと消えて行った。
※
「もう
指輪、妖術、この守護紋を刺激したのはこの二つが原因なのは確かだが、もしかしたら実家に近づいているのも影響していたりするのか……」
部屋に戻っても、アルフォンスの思索は終わらなかった。
ドウギの屋敷はすでに皆寝静まり、遠くに聞こえる宴会居残り組の声が、時折わずかに流れて来る程度。
寝台の近くまで来ても、やはり眠る気にはなれず、窓際から月を眺めていた。
─── ……しゃん……しゃん……
突如部屋に、薄い金属の鳴るような、高く小さな音が響き始めた。
アルフォンスの背後、寝台とテーブルから離れたスペースを、何か青白い影が複数くるくると音もなく輪になって歩いている。
おかっぱ頭の童が五人、白い前合わせの簡素な白い装束を着て、
そこでようやくアルフォンスは振り返ったが、その小さな影を素通りして、入口脇のズダ袋から火酒の瓶を取り出して窓際に戻る。
─── ……あそば……ないの……?
前髪で隠れた童達の表情は見えず、ただ消え入るような声が、ノイズ混じりで呟かれた。
「……俺、本当に何なんだろう。どうして五歳以前の記憶がないんだ?
それを今の今まで、そんなに気にしてなかったけど、その方が不自然なんじゃないか……?」
椅子に腰掛け、そう吐き捨てるように一人呟くと、脚を窓枠に乗せて項垂れる。
─── ……みつけたぞ……さあ……我を……
声はアルフォンスのすぐ近くで、囁くように響き、青白くぼんやりと光る霧が集まり始めた。
「……グビ……グビグビ……。
─── プハァッ! クソっ、分かんねえ事だらけだ……」
─── ……我を求めよ……されば新たな力を……
「……何で俺、こんなにイライラしてんだろ。
ああ、そうか。何でも頼り合えると思ってたソフィと、真っ直ぐ話せないからか……」
青白い手が伸び、アルフォンスの肩へと迫る。
……と、その時、アルフォンスは立ち上がり、再びズダ袋へと赴き、今度はナッツの入った袋を持って来た。
「……つまみ無しだと、悪酔いすっからな……」
『─── 無視しないでよッ‼』
そこには古代異国風の装束を着た、若いつり目の男が薄ぼんやりと立っていた。
その姿に被るように、男の芯に当たる部分に、古風な
『─── 人が折角、妖気大盤振る舞いでアッピールしてんのに、さっきから何?
我みたいな国宝級の妖刀が、こんなに働き掛けてるってのに、何なのもうッ!』
「…………」
『ちょっと、話を聞いて……』
「ンだぁ? テメェ……」
『ひっ─── !』
アルフォンスは椅子に座ったまま、男の胸倉を掴んで引き寄せると、半目の顔を近づけて地鳴りのような声を浴びせた。
『……いや……その(何この人、すっごく怖い! 何あの眠たそうな目、確実に何人も殺ってる目だよ⁉︎)』
「人が大事な考え事してンのに、さっきからわちゃわちゃうるせぇンだよ……」
『あ……っ、す、すいませ……(『ん』が文字にしたら絶対カタカナ表記だよ⁉︎ ゴロツキだよコレ!)』
男の胸倉を掴んだまま、窓枠に掛けた脚を下ろし、その勢いで椅子から立ち上がる。
ゆらりと視界を覆う巨体は、窓からの月明かりを遮り、男の顔を影で塗りつぶした。
「……誰の許可得て、勝手に人の部屋に入ってんだ? あぁ?」
『いや……っ、そのっ、わ、我、妖刀ですし』
「ンなもんが、生ある者に迷惑掛けてんじゃねぇよ……闇のモンには闇のモンの流儀ってぇのがあんだろ……。
舐めた事ぬかしてっと、浄化すんぞ……」
『す、すす、すみません(近……顔近ぃ)』
「だいたい、あんな小さな子供を引き連れる時間じゃねぇだろ。親としての自覚あんのかお前」
『あ、いや、親では……ないです』
「揚げ足取ってんじゃねぇよ、俺が言ってんのは保護者、責任者はテメェだろっつってんだ……」
『あ、揚げ足とか、そーいうつもりは無いです。ハイ、我……私が保護者で……』
部屋の片隅では、おかっぱの童達が、不安そうに男の方を見て立っている。
「……チッ、子供に免じて許してやる。
─── で、テメェは何の用だ」
『─── ふははは……我こそは』
─── グイッ!
「夜中に大声で笑ってんじゃねぇよ、迷惑だろうが……消すぞお前」
『すすすす、すいません! すいません!』
「チッ……ほれみろ、子供がひとり泣き出しちまったじゃねぇか……クソが」
アルフォンスはテーブルにあった壺から、飴玉を取り出して、童達に配る。
最初は目前に近づく彼を怯えていたようだが、飴を受け取り『ごめんな、怖かったな』と頭を撫でられると、にこりと笑って床に座った。
それでは尻が痛かろうと、彼の寝台へと促し『大人の話があるから待っててね』と言えば、童達は飴を舌で遊ばせながらウンと頷く。
「─── 可愛いじゃねぇか、あの子ら」
『あ、ありがとうございます。私の自慢の従者達で、生きておれば立派な武家の……』
「……大事にしてやれよ」
『……はい』
アルフォンスは満足気に頷き、火酒を一口飲んで、大きく溜息をついた。
「─── んで、その妖刀が何の用だ?」
『ふは……あ、いや、その、気分が大事なんで、喋り方変えてもいいですか?』
「……面倒くせぇなお前……別にいいよ」
男の目が変わり、青白い光を一層強くして、スッと立ち上がる。
─── 我こそは鬼王サカキ一族を死に至らしめる、呪われし妖刀『茅原童子安綱』
─── 一度抜けば霧を呼び
─── 一度握れば血を欲す
─── 血が足りぬ、我が刃を濡らす、熱き朱の
「長ぇよ……単刀直入にしろ……忙しいンだこっちはよ……」
『はい、すいません。へへ、単刀直入にですね、妖刀なだけに……ひへへ』
「…………あ?」
『我は鬼王サカキに献上されし、名工安綱一派により鍛えられた一振り。
しかしながら、安綱の息子は直前に手討ちとされ、安綱の
─── 要約
献上から二月後にサカキは討死、受け継いだ嫡男は暗殺され、次男は流行病に倒れ、妖刀と恐れられた茅原童子安綱。
それ以上の不幸を恐れたサカキ一族は、当時、修羅の國から遥か東方の地に理想を求めて旅立とうとしていた豪族のシュリ一族へと引き渡された。
安綱作の刀はそのことごとくが国宝とされる名刀ぞろい、単に破棄する事が
『あれから千二百年余り、我は一度も鞘より抜かれる事も無く、今は神殿最奥の蔵の片隅で
使うものは我の呪い故に、生命力を奪われて死んでしまうと、恐れられた結果がこれだ』
「─── つまり、誰かに構って欲しかったと」
『くっ、そのように言われると、何とも情け無いが……せめて鞘より抜かれ、この自由の地の空気を吸ってみたいのだ……。
豊年祭の時に見た
茅原童子はそこまで言って、苦し気に下唇を噛んで、言葉に詰まった。
「分かった……でも、抜くだけだからな? ただでさえ妖刀の類は手に余ってんだ、嫉妬でもされたら敵わないからな……」
『やってくれるか! 抜くだけで構わぬ!
其方の手に握られ、その荒ぶる強者の気を感じられれば、もう想い残す事は無い……ッ!』
アルフォンスは手を伸ばして、男の中に浮かぶ妖刀の鞘を掴んだ。
その瞬間、確かに精気を吸われる、痺れるような感覚が腕を走る。
「ん……確かにこれは妖刀だ。耐性の無いただの人間なら、数日やそこらで危ないかもな……」
『おお……我を手に取り、精気を吸われて尚、正気を保っていられるとは……!
頼む、我にこの地を見せてくれ……!』
─── カチ……シュラアァァァ……
千年以上も手入れが無かったとは思えぬ、鏡面の如き刀身が、滑り出すように鞘から姿を露わにした。
鞘から刃先が抜けた時、その振動が起こした音は、まるで歓喜に咽び泣いているようにも聞こえた。
『─── おお、肌で感じるこの大地の気……!
何と豊かな精気に満ちた風か……ああ……嬉しや……』
「反り、重心、やや直線的に伸びる物打ち……。なるほど名刀だな、柄を握った瞬間に物打ちから切先まで、真っ直ぐに力が乗る。
刃文も美しいが、折り重ねられた鋼の年輪に、神懸かった緻密な計算を伝えてくる」
─── ヒュ……ッ!
「心奪われるのも納得だ、正に斬る為に考え抜かれた、魂そのものだよ。
先に夜切を知らなければ、俺だって心奪われたかも知れないが……」
『ふおお……っ、この津波の如き闘気、刃が無くとも全てを斬り捨てると思わせる剣気……!
東方の世界では直刀が主だと聞いたが、其方は一体……? この最果ての地でこれ程の遣い手がいるとは!
─── 其方、刀の扱いに精通しておるな⁉︎』
「まあな。俺の相棒の中には、お前さんと同じ刀がいるもんでな」
『先程の一閃、毛ほども其方は力を出してはおらぬが、かなりの剣豪……いや剣鬼とみた!
重ね重ね済まぬが、それ程の者が持つ得物を見てみたい!』
茅原童子の興奮が、柄を伝ってヒシヒシと流れ込む。
アルフォンスは思わずクスリと笑いながら、茅原童子を立て掛けて、その手に愛刀を喚んだ。
『─── …………え? ええ? ヒイッ!』
「……何だ急に女みたいな声を上げて。
これが俺の愛刀『夜切』だ」
そう言ってアルフォンスは夜切の鞘に手を掛け、その刀身を抜き出す。
月明かりを受け、虹色の光を壁に走らせると、淡く青白い輝きが夜霧を集める。
「夜切って名は俺が付けた。
─── 元の銘は『宵闇露切如音無ノ太刀 胡蝶』
闇を斬り、俺に朝日を届けてくれるものだ」
『─── ‼︎
何より、目に触れただけで魂を抜かれ兼ねん、この尋常ならざる妖気!
まさしく胡蝶の作─── ‼︎』
─── 何じゃ主様、今宵は妙に剣気が昂ぶっておると思えば……浮気かや……
「……からかうな夜切、お前にお客さんだ」
─── 客人? ほう……これはまた、なかなかの業物……その方、名は何と……?
『わわわ、私めの名など、よよよ夜切様のお耳汚し、こここ、これにてししし、失礼……』
「何緊張してんだ? ああ、こいつは鬼族の宝刀『茅原童子安綱』ってんだと。
ずっと仕舞われっ放しで辛かったらしいぜ」
『あッ、馬鹿! 名前を言うでな……』
─── ほう……茅原童子安綱とな……知らぬなぁ……
夜切が名を口にした瞬間、
アルフォンスは不思議そうに、男の本体である刀を握るが、妖刀の面影はどこにも無くなっていた。
柄を握る手にも、あの妖刀特有の精気を吸い上げる感覚が来る事はなかった。
「あれ……? 浄化されちまったのか?」
─── なぁに、か弱き者だったのであろう、我の妖気に当てられ、名を呼ばれただけで搔き消えるとは情け無い……
名は時に強い呪力の受け手となる。
特に妖気を持った
そんな事をアルフォンスは思い出していたが、時すでに遅く、茅原童子安綱の妖気は
─── ふむ、弱き者程、名を気にすると言うが……
名も運命も、何者であっても良かろうに、ただ己を生きるのみ……そうであろう主様よ?
「……何だよ、悩み事は筒抜けか」
─── フフフ、我を誰だと思っておる、其方の闇を斬り拓く夜切ぞ?
「そうだったな……ははは。
ありがとうな、その言葉だけで救われたよ。悩んでても仕方ねぇやな」
こうして、早起きアルフォンスの珍しく長い夜は幕を閉じた。
翌日、ただの刀と成り果てた茅原童子安綱を、神殿にいたホウギョクに届けたが、本人はその存在をすっかり忘れていたようだった。
ふと茅原童子を気の毒に思ったアルフォンスだったが、物は物らしく在り、道具は道具らしく求められる事が本文だと思い直した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます