第六話 ポメルライヒ山

 冷たい夜風が吹き、ホットワインの注がれたタンブラーの湯気が、すっと細く横にたなびく。

 テラスに居た人々が、寒さにグッと縮こまり、またすぐに会話が始まった。


 テーブルの上には、この地方の名物である鰻料理と、腸詰が何種類かが並んでいる。


「……て事は、ドワーフ達を守っていた精霊術師てのが『西の魔女』って言われてる人物なのか?」


「もぐもぐ……んぐ。そだよー♪ アネス先生が『西の魔女』で、ナタリアのししょーの凄い人なの」


 クアランとドワーフのふたりは、宿の酒場で呑んでいる。

 俺と三人娘は観光気分で、ドワーフ達のいるポメルライヒ山の入口にあたるこの町をぷらぷら歩き、夕食にテラスのあるこの店に入った。


 料理が並ぶと、スタルジャの中で寝ていた妖精ミィルが出て来て、一緒に食べ始めた。

 大分、マナを補充出来たのか、姿もクッキリして来て、物にも触れられるようになったらしい。

 今は彼女から色々と、昔話を聞いていた所だ。


「─── に、してもだ。ミィルってさ、妖精なんだよな……?」


「ガツガツ……もぐもぐ……ん? そーらよ?」

 

 テーブルの上で正座して、子豚肉の腸詰を抱きかかえて、モリモリ食べている。


「あー、済まん。なんか妖精って花の蜜とか、マナだけで生きてるイメージがあってさ……」


「ごくん……。あはは、種類にもよるよ〜♪ あたしみたいに人の思念に近い子は、人間と同じ物食べるんだよ。マナだけでも生きてけるけどさ、美味しいじゃない、人間の料理ってさ〜♪

あ、ついでにう○こだってするよ! あはははは!」


「─── 余計な事、聞くんじゃなかった……」


 食事中に下の話をしながらのこの無邪気さは、確かに妖精っぽいか……。


「そう言えば昔、マナが弱まった時期に飢えた妖精達が、人間を襲ったなんて話もありましたねぇ。

あの時は村がいくつか消滅したって、聞きましたよ?」


「…………もう、害虫じゃねぇか」


「ん、あたしのいた世界だと、人を森にまよわせたりしてた。後、かってに人の赤ちゃんと、じぶんの赤ちゃん、とりかえたり」


「えぇ……。ミィルって怖い子……? て言うか、人間食べるの⁉︎」


 スタルジャが青ざめるが無理もない、そんな獰猛どうもうなのが体に入ってたんだからな。


「…………ゲフゥ。あ、ごめん、ゲップでちゃった ///」


「「「………………」」」


「ちょ、ヤダな! だいじょーぶ、だいじょーぶ! あたしは人間なんか食べないよ。

はぁ〜、腸詰って美味しいねぇ〜♪」


 そう言ってまた、妖精はガツガツと腸詰に食らいついていた。


「しかし、本当に美味そうに食うなぁ。俺も一度やってみたいよ、抱えられるくらいの肉にかぶりつくとか」


「ん? やる? オニイチャ」


「お前が言うと、本当になるからいいよ……。その『やる』も『殺る』にしか聞こえないしな」


「私は一度やりましたよ? 討伐任務で古代龍種を討った時、処理が面倒だったし、食べちゃいましたけど、美味しかったなぁ♡」


「龍肉ってそれ、不老不死とかになるやつじゃねぇの? 

いや、まあソフィなら関係ないか。そう言やあ、俺も赤トカゲ食ってたけど、あれも古代龍なんだったっけか……。

迷信だよなぁ、スタミナは凄くつくけど」


「あー、そう言えばその後、四〜五日は寝ずに討伐任務こなしましたね〜。

龍種と悪魔系の魔物だらけでしたけど、すっかり殺し切れましたから、龍肉ってすごいんですね♪」


 ……どんな討伐任務だよ。

 四〜五日寝ずに殺し続けられる程、超上級の魔物が沸くとか、地獄でも行って来たのか⁉︎


「……おいしそう」


 スタルジャがポツリと呟いた。


「え? 龍肉が?」


「あ、ううん。ミィルが食べてるやつ」


「これ、豚肉だけど大丈夫か?」


「うーん、何だろうね。最近たまに肉を食べたくなる時があるんだよね〜。……私もひとつもらおうかな?」


 スタルジャはエルフ族、肉は嫌いなはずだし、馬族の人質生活で食べさせられて、更に苦手になったと聞いていたが……。


「あ、もしかしたら、ミィルちゃんの影響かも知れませんね。

精霊術と同じく、ミィルちゃんと長い時間、エネルギー共有してましたから。感覚や体質に変化が起きてるかもですね♪」


「うーん、そうかも。ポリンッ……もぐもぐ」


 そう言ってスタルジャは、腸詰を一口齧り、目を細めて食べ始めた。

 いつも俺の作るエルフ料理を、美味そうに食べてくれる彼女だが、それと同じくらい腸詰を楽しんでいるようだ。


「ん? タージャ、おいしい?」


「うん! 腸詰ってこんなに美味しいんだね!

……なんか今まで損してた気分♪」


 精霊に比べて、妖精の方が精神が人に近いからなぁ。

 同化してたらこんな影響も出るのか。


 今の俺が妖精とか呼び出したら、ヤバイの来そうだし、そんなんが食べたがる物も考えたくないから止めておこう。


 スタルジャも加わり、腸詰は瞬く間に消えてしまった。

 急にたくさん肉を食べて、気持ち悪くなったりしないかと心配だったが、彼女はけろりとしている。

 まあ、大丈夫か……。




 ※ ※ ※




─── ハァッ、ハァッ、ハァッ……くっ!


 こんなに魔物が増えてるなんて、思わなかった……。

 それにマナが足りなくて、精霊術が使えないなんて、自分がどれだけぬるま湯の中にいたのか、初めて気が付かされたな。


─── ズザザザザザ……ッ!


 岩の斜面を、無数の巨大な影が、身をくねらせて追いかけて来る。

 馬程の大きい体に、全身を覆う鎧のような硬い鱗、岩を走るのに適した鋭い爪。

 ここはアーマーリザードの縄張りだった。


「くっ! ─── 『氷精の吐息ブリザルト』!」


 空気中の水分が一瞬で凍りつき、大蜥蜴の表皮を白くする。

 動きが止まりかけたけど、ほんの数秒だけだった。

 すぐその後ろから、他の大蜥蜴が追越して、ぼくに迫った。


─── バクン……ッ!


 いつの間にか回り込んでいた一匹が、飛び掛かってかぶりつこうとした。

 何とか避けたけど、そのあごが岩を砕いて、拳大の破片がぼくのこめかみを打った。


(……くそっ、でかい図体で何て速さだ……)


 頭がグラグラする……!

 精霊術がダメなら、剣を抜いて何とか応戦しようと、自前の魔力で肉体強化を更に高める。

 でも、すでに周りは大蜥蜴の群れに囲まれていた。


─── バクン……バクンッ! バクンッ!


 転げるように逃げ惑うぼくの周りからは、空振りする大蜥蜴の口の音が木霊する。


─── ザリ……ッ!


 右手首に引っ張られるような感覚と、ザラついた大蜥蜴の歯が触れた感触が、一瞬だけ伝わった。

 良かった、また空振りだったか……。


「─── ……え? あ、ああ、うわああぁぁぁぁッ‼︎‼︎」


 気がついた途端に走る、痛覚以上の恐怖心で、ぼくは膝から崩れて転げ回った。


─── 手首から先を、もっていかれた……


 興奮で麻痺したのか、痛みが鈍くて感じ取れない、それがまた恐ろしい。

 大蜥蜴に完全に包囲され、じわじわと近づいてくる。


 ……一番近くにいた大蜥蜴の口が開く。


 唾液で滑る紫色の舌が、生あるモノとは思わせない冷たい怖気を走らせ、ずらりと並んだ小さく尖った歯が鈍く光っていた。

 もう逃げられない……ぼくは頭の中で必死に謝りながら、目をつぶって身を縮めるしか出来なかった。


(……先生、ごめんなさい。先生の言いつけを破って外に出てごめんなさい……。秘薬、作ってあげられなかったな……)


 まぶたの上に、黒い影が射したのが分かった。


─── バグンッ‼︎‼︎


 鈍い音と共に、生温かい液体がぼくの顔を濡らす。

 痛みは感じない、手首を食われた時と同じ、体が痛みを忘れさせてくれているんだ……。

 その無痛の恐怖が、ぼくに死の訪れを、まざまざと感じさせ───


「─── おい、大丈夫か?」


 薄っすらと目を開けると、目の前には赤い肉の塊が、いたるところから血を吹き出しているのが見えた。


─── 頭を吹き飛ばされた、大蜥蜴の首の断面


 ぼくの顔を濡らしていたのは、この血だったのか……。

 ボーっと見回すと、黒い甲冑の背中があった。


 修行中のぼくにだって分かる……。


─── これは悪魔だ


 禍々しい鎧は、表面に掘られた苦痛に歪む顔や、おどろおどろしい怪物の口から、白い霊気が垂れ下がっている。

 その凶悪な鎧よりも、遥かに殺伐とした魔力の渦が、その身から噴き上げてる。

 悪魔、それも物凄く上位の霊的存在に違いない……。



─── 【斬る】



 その声は耳じゃなく、頭の中に響いた気がした。

 意外と若い声なんだなぁ……そんな事を、ボーっと考えていたら、アーマーリザードの群れが血煙に沈んだ。

 あれだけぼくの命を追い詰めていた、鋼のような鱗を持つ大蜥蜴が、一瞬にして紅い肉の塊になってる。


─── 確かに斬る音はしたけど、群ごとあんなに遠くの大蜥蜴まで、剣一本で一体どうやって……?


 いつの間に抜いたんだろう、表面が水に濡れたような、ゾッとする程に美しい剣が揺れている。

 その青白い光に、ぼくは目を奪われて、動けずにいた。


 魂が吸い込まれるような、脱力感が襲い掛かって、剣がどんどん大きく見えて……


─── 刃の奥で、美しい黒髪の少女が微笑んだ


 暗い部屋に引き摺り込まれるような、抗いようのない悪寒に襲われたその瞬間。

 別の方向から温かな魔力が押し寄せて、ぼくの体は青白い光に包まれると、あちこちの痛みが和らいで行くのを感じていた。


「─── 今、回復呪文掛けたからな……。

おい、余りこの刀に見惚れない方がいい、取り殺されるぞ……。

傷の具合はどうだ? 右手の指は動かせそうか?」


─── ……ハッ!


 我に返ると、ぼくは悪魔の腕に抱き上げられて、運ばれている所だった。

 確かにぼくは大きい方じゃないけど、髑髏どくろの悪魔は軽々とぼくを片腕ひとつで、赤ん坊のように抱き上げている。


「…………あの! こ、殺さないで……ください……」


「ああン? ……あー、これじゃ俺が悪者みたいだもんな……よっと!」


 髑髏の頭がすっぽ抜けて、中身が出て来た。

 ぼくは思わず目をつぶって、その恐ろしい光景を、見ないように震えているしかなかった。


「あ、大丈夫でしたかその子。危なかったですね〜! ちょうど通り掛かって良かったですよぉ♪」


「……オニイチャ、だっこ、うわき……」


「うるせぇティフォ! 浮気なもんか、このキツネ少年に、この状況で、どう手を出せって言うんだ⁉︎」


 あれ? 色んな声がする。

 恐る恐る目を開けると、そこには悪魔じゃなくて、若い人間の顔があった。

 黒くて綺麗な髪、燃えるような紅い瞳、その凛々しい横顔にぼくは見惚れていた。


「いやぁ〜! 大したモンじゃなぁアンタは! そのカタナも目ん玉飛び出る程の逸品じゃが、アンタの腕は剣聖並じゃ!

カァーッ、こりゃぁイイもの見れたのぅ、ガウスよ!」


「おお! 一瞬で装着する鎧なんぞ、理論は知っとっても、初めて見たわい! 全く、どんな馬鹿が作ったんじゃ⁉︎

─── ん! そのイタチ娘はか? なぁんでこんな所に居るんじゃ……」


 聞き覚えのある声、ドワーフのおじさん達だ!


「はぁ? イタチ? 娘⁉︎ 男の子じゃないの⁉︎」


「アル……私の時も間違えてたけど、もしかしてアルって……天然?」


 ぼくを抱いてる男の人が、慌てたようにぼくとエルフの女の子を見比べてる。

 凄く強そうな人なのに、ひどく動揺してるのが可愛らしくて、ぼくは思わず笑ってしまった。


「くすくす……。あれ……手がある⁉︎」


 クセで笑う口を隠そうとしたら、手首から先を食べられちゃったはずなのに、ちゃんと指まで揃っていた。


「ああ、さっき回復魔術は掛けておいたが、ちゃんと動くか?」


「─── え、あ、ハイッ! ありがとうございます!」


 回復魔術で失った人体を修復するなんて……どんな大魔導師なんだろう?

 先生と同じくらい? いや、一瞬感じた魔力量は、人のそれじゃなかった。


 今はもう、魔力が隠されて分からない。

 この人が本気を出したら、どんな事になってしまうんだろう……。


 そして、立ってみて気がついた。

 薬草を探して、大蜥蜴に襲われてた時の疲れも、気力までもがすっかり戻ってる。

 清々しく起きた朝って感じ……。

 …………そんなエリクサーみたいな回復魔術、聞いた事すらない。


「あの、済まん。取り込み中だったとは言え、その……間違えた」


 そんな凄い人がぼくを優しく降ろして、バツが悪そうに、目を逸らしながら頭を下げた。

 あ、なんだろう、すごく可愛い人だ!


「くすくす。いいんですよ、気にしてません! あの……ぼく、ジゼルって言います。……貴方のお名前を聞いても?」


「アルフォンス・ゴールマインだ。

─── 無事で良かったな、ジゼル」


 そう言ってアルフォンスさんは、皆んなの方へ歩いて行ってしまった。

 名前を呼ばれた瞬間に高鳴った胸は、まだ痛いくらいに打ち続けてる。

 と、今度は女の人がふたり近づいて来た。


「貴女は獣人族ですよね? この辺りに種族の住む場所があるのですか?」


「─── あ、いえ。ぼくは精霊術師アネスの弟子です。この辺りに獣人族はいません。

……助かりました。薬草を取りに来た帰りだったんです」


 すっごく綺麗な人……。

 同性のぼくが、見惚れちゃう整った顔、それに透き通った声が安心感を与えてくれる。

 アルフォンスさんの恋人かな……?


「あ、それなら私たちも、貴女のお師匠様とドワーフの人たちに用事があるから、一緒にいこう♪」


 エルフの人も凄く綺麗……可愛くて、絵本から出て来たみたいな、不思議な雰囲気があるなぁ。

 それにこの人からは、精霊達の気配がたくさんしてるし、同業者なのかな……?


「……あ、あの。皆さんはどういったご用件でしょうか? アネス先生は、今ちょっと具合が悪くて……余り大変な事だとちょっと……」


「んーん。ほとんどの話は、ドワーフの人たちにあるの。

そっかぁ、大変だったんだね。そんな時にごめんね、お師匠様には……魔女狩りにあった人たちからの伝言って言うか……」


─── 魔女狩り


 先生が塞ぎがちになる少し前から、それで沢山の友人と弟子を失ったって、何度か聞かせてくれてた。


「─── それなら……それならむしろ、会ってあげて下さい! 先生、ずっと気にしてたみたいなんです……」


 そう言った時、突然エルフの人から光の塊が飛び出して、私の顔の前で止まった。


「はろはろ♪ あんた、アネス師匠の弟子なの? ……じゃあ、あたしを喚んだナタリアの妹弟子だね! つまり、あたしのほーが─── 」


「ナタリア! よく先生がうなされて、その方のお名前を呼んでました!!」


 ここで出逢ったのは偶然だけど、ぼくはこの瞬間、何か大きな運命なんじゃないかって……。

 そんな予感に、ぼくの胸はときめいていた。


─── でも、それは世界が大きく変わる、壮絶な運命の前触れに過ぎなかった


 そう後で思い知らされる事になるなんて……この時は思いもしなかった




 ※ ※ ※




 ポメルライヒ山は、別名『入ラズノ地』とも呼ばれる険しい山だ。

 岩肌の急斜面も多いし、突風も吹きやすい地形になっていて、人の侵入を拒んでいるようだった。


 しかし『入ラズノ地』とまで呼ばれるようになったのは、自然の厳しさだけではないと、入って早々に思い知る事となった。


─── 魔物の数が異様に多い


 それもBからA級指定を受けそうな、大型で群れを成す、厄介な魔物が溢れている。

 この山を冒険者が登るとなったら、ベテランのB級以上が、団体で挑む必要があるだろう。


 ほとんどが剥き出しの岩肌で、人が立ち入る理由も無い、ただただ上に高くそびえる急な山だった。

 灰色の岩肌と、頂上に行くに従って、急に細く高く伸びるこの山は、古くは周辺の土地に山岳信仰

をもたらした霊山のひとつでもあるそうだ。


「後もう少しです。慌てないで、しっかり足元に気をつけて下さい」


 そう言って、獣人の少女が振り返る。

 年は十七、八といった感じだろうか、頭には小さくて先がやや尖った耳、お尻には長くて先だけ黒い尻尾が生えていた。

 毛と肌は雪のように白く、背はやや高いため、最初は男だと思ってしまった。


 言い訳じゃないけど、着てる服はなめし革で補強された、茶色の作業服のような格好だから、パッと見では性別が分かりにくい。

 女の子だと言われてみれば、確かに顔の骨格に柔らかさがあるし、そばかすの上にある眼はクリッとしていて、まつ毛が長い。


「…………す、すみません。アルフォンス様……」


 背中から申し訳無さそうな声が聞こえる。

 疲労困憊でグッタリしたクアラン子爵がうわ言のように、何度もつぶやいている。


 貴族の彼には、この山の険しさが重荷過ぎたようだ、かなり早い段階からグロッキーだった。

 回復魔術を複数回掛けて、体力を回復しつつ、騙し騙しここまで来たが……。

 精神の方が保たなくなってしまった。


「─── 頂上に近くに連れて、嫌に魔力化したマナが濃くなってるな……」


「ええ、まるで迷宮深くの階層、魔力溜まりの渦の中にいるみたいですね。

子爵の疲労は、魔力酔いも大きいかも知れませんね……」


 生きとし生ける者、全てが多少なりとも魔力を持っているが、余りに強い魔力は時にその肉体に悪影響を及ぼす。

 こうなれば回復魔術なんかの、肉体にプラスになるはずの魔術でさえ、負担になってしまう事がある。


「魔物もうじゃうじゃ出て来たしな。この山は何かあるな……」


「ん、ティフォは力がビンビン。触手もビンビン」


「……何なんだろうな。俺の触手もえらく騒いでるし、この魔力を吸収してる」


(ジゼル:……しょ、触手……?)


 周辺の魔物には、ティフォの威圧が効かなかった。

 彼女曰く、ここの魔力は魔物の生命エネルギーに性質が近いらしい、魔物達は我を忘れるハイになっていて話が通じないんだとか。


「─── ここからは結界内に入ります。ちょっとビリッとするかもですけど、すぐに慣れると思いますからご心配なく」


 振り返ったジゼルの前に、シャボン玉の表面のような、虹色の光が蠢く壁が薄っすらと見えた。

 その内側には、小さな精霊達の光の粒が、楽しげに集まっているのが見える。


「うわ〜、結界の中、すごい精霊のかずだねぇ!」


「この中は先生がずっとマナの調整をしておられるんです。

……外の世界はマナが腐ってるから、先生はここでずっと……。でも、最近お加減がすぐれなくて、結界の外に余計なマナが流れてしまって……」


「それであの魔力溜まりが出来てたのか」


「……はい」


「これだけの精霊をまかなって、ドワーフたちを保護するだけのマナ……それを人がですか?」


 ジゼルはうつむいてしばらく言葉を探していたが、目を伏せて背を向けると、ボソリと呟いた。


─── それは……ご自身の目で、先生をご覧になってあげて下さい……




 ※ ※ ※




 結界内に入ると、外とは明らかに空気が違い、穏やかで時折吹くささやかな風が心地よかった。

 数分もすると、背中のクアラン子爵は元気を取り戻したのか、申し訳無さそうに降りて歩き出す。


─── この結界内は、自然の力を蓄えた豊富なマナが息づいてる


 春夏の花が咲き乱れ、甘い芳香を充満させていて、岩肌続きだった山肌は、豊穣な土と植物に覆われていた。


「……これは幾ら何でも力に溢れ過ぎてる。これじゃあ、その内に巨大な魔力溜まりになりそうなもんだが……?」


「……今まではこうでは無かったんです。ただ、先生が具合を悪くされてから、こうしてマナが結界内に溢れるようになってしまって……」


「─── このままでは、迷宮化するか、強力な魔物を生み出してしまうでしょう……。

お師匠様が体調を悪くされてから、逆にマナが溢れ出すとは、何か事情があるんですね」


 ソフィアの問いに、ジゼルはただ小さく頷くだけだった。

 ……自分の目で確かめろと言う事か。


 事情を知らないクアランやドワーフのふたりは、楽園の如きその風景に、歓声を上げてははしゃいでいる。

 スタルジャは膨張した精霊達を、体内から解き放ち、膨大な数の精霊を引き連れて歩いていた。

 ……ティフォはまあ、いつものジト目だ。


 そうして、しばらく歩いている内に、巨石の連なる絶壁が立ちはだかった。


「お待たせいたしました、ここがぼくと先生の暮らす『ユゥルジョウフの家』です」


 そう言ってジゼルが手をかざすと、岩肌から光が滲み出て、俺達の視界を覆った。

 真っ白な世界の中、微かな浮遊感が起こり、体が移動しているのが分かった。


─── ユゥルジョウフ……古い精霊言語で『大地の炉』とかだったか?


 そんな事を思い出していたら、俺達はいつの間にか、巨大な岩のホールの中に佇んでいた。


「あら……お客様かしら……? ごめんなさいねぇ、今、少し体が動かせないの」


 弱々しい老婆の声が、ホール中央の窪みから聞こえて来る。


─── その老婆の声は、何処かセラ婆に似た、優しげな空気が満ちていた

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