第六話 出逢いの運命

 ロゥトから北西に向かって、細く長い小道が続いていた。

 何度も何度も人が草の上を歩き、踏みしめて出来た、生活の証のような道だ。


 集落から真っ直ぐ、なだらかな丘を越えた先には、遠くに山陰を臨む景色が広がり、その足下には大きな河が流れていた。

 ロゥトから続く小道は河まで続き、川沿いには小さな建物と、船着場のような整備がされているのが見える。


「─── あ、音がする! もう動かしてるんだ! ね、アル様、早くいこっ!」


 丘の上から、川沿いの水車小屋を見下ろして、耳を傾けていたスタルジャは、ぱぁっと表情を明るくさせて、俺の手を取ると速足で下り始めた。

 弾むように軽快に走る彼女に引っ張られて、つまずき掛けながら俺も走った。


「ちょ、危ねぇって。落ち着け落ち着け」


「うふふ、だいじょーぶ、だいじょーぶ! アル様、こんなので転ばないでしょ?

転んだって私が支えるもん! 早く早く♪」


 ロゥトの集落に滞在して、早くも二ヶ月が過ぎようとしていた。

 魔力の弱いだと、何処か自分達を卑下していた緑髪のエルフ達は、スタルジャの帰還から数日で消えてしまった。


 体外に発する魔力は弱くとも、彼らの魔力は精霊と非常に相性が高く、超効率的に繋がりを持てるようになっている。


─── 今までは、戦う術を持たなかった


 それは土地を出る事を最初から諦めさせ、広く世界に繋がる意思を、彼らの根本から奪い去っていた。

 でも、今の彼らは違う。

 彼らの精霊術は、すでに精霊に『手伝ってもらう』領域を超えていて、今では『同化してお互いを強化する』段階にあった。


 俺は精霊術は苦手な方だ。

 セラ婆から免許皆伝は受けてるから、それなりに扱う事は出来る。

 成人の儀以前は、精霊を体に住まわせて、自分のもののように力を行使したりしてたけど。


 今の俺はどうにも妖しい精霊ばっかり、ブンブンくる。

 だから同化とか、おっかなくて願い下げだ。


 彼らに精霊術を教えて数日、最初にスクェアクがその領域に目覚めて、彼なりの取得した経緯を皆に教え始めた。


─── そこからは、あっという間だった


 元々は森で自然と暮らすのがエルフ、しかし、彼らは森を捨てて、草原での農耕に生きて来た。

 森での暮らしより、よりアグレッシブに自然を利用して来た彼らは、精霊に働きかけるセンスが自然と磨かれていたのだ。

 そして、ソフィアの言う通り、彼らの魔力は自然と共に生きる力に特化していた。


 今の彼らに危害を加えられる存在は、このマールダーにも、非常に少ないと言っていいだろう。


─── それ程、劇的に強くなっている


 その中でも突出しているのは、やはりスタルジャだ。

 いや、ひとり別次元と言ってもいいだろう。

 これまでの生い立ちも影響しているのか、彼女の運命に対する覚悟は、人の枠を大きく超えているようにも思える。


 ……もうちょっとで、セラ婆の免許皆伝の域に達してしまうんじゃないか?

 俺が十年近く掛けて、死に掛けながら……いや、何度も死んだけど、それでたどり着いた場所に二ヶ月くらいで追いついてしまったのだから敵わない。


 俺のように、何度死んでも強制的に生き返る荒業を積んだわけじゃない。

 彼女は自分の中にある、エルフの感性を当たり前に使って、短期間での急成長を遂げた。


 つまり、他のロゥトの民達も、いずれはこの域に達してもおかしくはない。


─── もう、彼らには、この地に隠れて暮らす理由は何も無い


 そして緑色の髪に約束された、精霊との繋がりは、単に戦う為だけのものなんかじゃない。

 精霊はマナそのもの、自然のエネルギーに近い存在だ。

 その力を借りたり、自分のもののように行使出来るのなら、彼らの農耕はこれまでの常識を遥かに逸脱するものになる。


「冬小麦も野菜も、信じられないくらい豊作になりそうだって! 丁度収穫前の熟す時期に、精霊の力を借りられたからかなぁ♪」


 この二ヶ月、すでに作物に精霊の力を借りて、土や作物自体の力を底上げしたり、病気や虫を払ったりと彼らは実践していた。

 その成果はもう、会う度にみんなから報告を受けているくらいだ。


 誰もが浮かれていたし、畑を何度も何度も様子見してたりと、集落が活気付いている。

 集落では年齢も関係も超えて、精霊術に関する会話が、至る所で交わされていた。


「水車の様子見たら、畑にも行こ! 後ね、後ね、アル様の作った脱殼機、乾燥が終わった春小麦に使ってみるんだって。はぁ〜楽しみだなぁ」


 そんな状況に、皆もそうだが、特にスタルジャがぐんぐん明るくなっていってる。


 そりゃあ、状況的に仕方がなかっただろうが、最初に出会った時の彼女は、影がさして強張った顔をしていた。

 あの時は格好のせいもあってか、内気な男の子だと思ってしまったくらいだ。


─── それが今はどうだ?


 ややブラウンがかった薄緑色の髪は、さらさらと陽に輝き、軽く流れた前髪の下にぱっちりと開いたブラウンの瞳は、黒目がちで小動物のような人懐っこさだ。

 よく笑うようになった唇は、いつも口角がキュッと上がって、楽しげに見える。

 肌には赤みがさして、瑞々しく、愛くるしい女の子そのものだった。


 会う度に、集落の変化をはしゃいで話す彼女には、いつも元気をもらっている。


「─── ねぇ、聞いてる? アル様ぁ」


「……ぅ、お、おう!」


 そんな事を考えて、足が止まり掛けてた時、急にスタルジャが俺の前に立って、目を見つめて来た。

 黙っていたのが不審に思ったのか、不思議そうに目を大きくして、ジッと覗き込んでくる。


─── エルフは五感が鋭く、霊的にも感受性が高い


(……バ、バレたらどうしよう。可愛いとか思って見惚れてた……)


 大体、女神二人は超絶な美貌だし、エリンとユニは、反則の猫耳と尻尾つきの美少女だし。

 今、目の前にいるのは、拐ってでも囲いたいって変態貴族が群がる、エルフの美少女だ。


 ……何度でも言おう、俺は秘境育ちの超恋愛弱者だ!

 恋愛腹筋が出来てないんだよ、ボディ弱いんだよ!

 なのにラプセル出てから、近づく女性みんな、破壊力過多じゃないすかねぇ……。

 心でヘタレて、口調は渋く。

 この格好の付け方も、最近虚しくなって来てんだよなぁ……。


「……な、何でもない。その、水車も完成しそうだし、用水の引き方について考えてただけだ」


 よーし、無難に切り抜けたぞ!


「うん。やっぱり凄いねアル様って……」


「……え? 俺?」


「だってさ、皆んなに戦い方を教えて、進む先を示して、今度は暮らしを変える計画でしょ? スクェアクと同じ年とは思えないよ?」


 そう、俺はどうやらあの青年と同じ年らしい。

 そして今目の前にいる可憐な娘は、どう見ても俺と同じかそれ位なのに、まさかのシモンと同じような年齢だった……。

 彼らの肉体年齢は、成人する位までは人間と同じだが、そこから緩やかになり、三百歳程度までは二十代の見た目のままらしい。


 彼女は御歳歳。

 いや、近くに三十六万歳と、四十九億歳の少女を連れてて今更なんだが。


 最初は十五、六の少年かと間違えて、今は同い年くらいの女の子に見えて、御歳九十八ですよ?

 攻め方がトリッキー過ぎなんすよ。


「……まあ、ほら、人間は寿命が短いから、とっとと先の事考えないと、老後がね?

スクェアクだって、ずっと集落のために鍛えたり、農作業を大人と一緒になってやってたんだから。何が凄いとかないだろ?」


「うーん、本当に人間なのかなぁ。落ち着き過ぎだよぉ、アル様って。くすくす」


「それそれ。その『アル様』ってのもさ、スタルジャの方が歳上なんだし、実際に事を大きく進めたのは、君とパガエデとソフィアだ。

俺は精霊術を教えたのと、農具の扱いを提案しただけなんだから『様』は止めてくれよ……」


「えぇ〜、アル様はアル様なんだよ。だって、貴方がいたからソフィア様も動いたんだし、貴方がいなければ、私とパガエデも死んでたよ?」


 あー、そんな事もあったか。

 魔族に襲われたのも唐突だったからなぁ、もうアイツの名前すら憶えてない。

 カニ? ザリガニの何とかだったか……。


 そう言えばアイツ、何であんな所にいたんだろう? なぁんも話す前に、ティフォに消されたから、目的がさっぱりだ。

 これまでの魔族は、何かしら戦略があったんだけどなぁ……。


「……それだって、君とパガエデの運命が強かったってだけだ。君達の力が、必要なものを呼び寄せただけだよ」


 そう言うと、彼女は何か思う所があったのだろうか、ふーんと軽く返事をして、サクサク水車小屋に向かって歩き出した。


 何か悪い事言っちゃったかな?

 ……いや、どうも歩き方が弾んでるから、何かが嬉しかったんだろう。

 そうして、水車の試運転を見学して、そこにいた作業員とあれこれ話した後、集落に戻る事にした。

 スタルジャは終始嬉しそうにしてて、俺と何かを話す時は、いつも目を輝かせてはしゃいでいた。


 集落が発展して行くのが、本当に嬉しいんだろうなぁ。

 一緒にいる時は、いつも嬉しそうだ。




 ※ ※ ※




─── カーン……ッ、カーン……ッ


 集落に戻ると、東門の方に人が集まっているのが見えた。

 人垣の中、誰かが門柱となっている白い石柱を、ノミで彫っているらしい。

 俺達が初めてここに来た時に通った、不可視のまじないのされてた石柱だ。


「……新しいまじないでも入れてるのかな? ってあれ、族長じゃねぇか、大丈夫かよ力仕事させて……!」


「あはは、大丈夫だよ。ノゥトハーク爺は、ああ見えて芸術家なんだから」


 いや、芸術家ったって、千五百歳超えた老人だろ?

 確か普通のエルフだと、もう寿命が近いんじゃなかったか?


─── ……て、え? 何あれ、凄い体じゃないッ⁉︎


 族長から色んな意味で目が離せずにいたら、いつの間にかソフィアが隣に立って、ふふふと笑っている。


「……な、なあ、あれ大丈夫なのか? えっらいムキムキになっては居るけど、もう高齢だろ族長は……」


「今は皆さん、自然の精霊とマナを取り入れてますから、寿命も相当伸びると思いますよ?

特にノゥトハークさんは、生命力を司る精霊さんと契約したみたいですからねぇ♪」


「生命力を……? ああ、そう言えば白毛の髪と髭で気がつかなかったけど、顔とかも若返ってんのな。

また、何だってそんな精霊と……え? 契約したの⁉︎」


「はい。緑のエルフが進む未来を、少しでも長く見たいんだって、仰ってましたね。

本当は、私と契約したがっていましたけど『私はアルくん一筋だから♡』って言ったら、納得してくれました〜」


 それにしても、最近ソフィアが妙に上機嫌だったが、今日は更に機嫌が良さそうだ。


「何かいい顔してるな! 今日も何かいい事あったのか?」


「はい♪ 今ノゥトハークさんが彫っていらっしゃるアレですよ!」


 んん……? ここからだと、柱の陰になって何を彫ってるのか分からないな。

 どれ、もう少し周り込んで……



─── へ? 何あれッ⁉︎



 物凄く造形豊かな装飾のなされた、ソフィア生写しなレリーフが、今まさに完成に近づいている。


「……あ、あれって……」


「んふふーん、私ですよあれ。ラミリア崇拝から、オルネア信仰に切り替えてくみたいですよ? ……やったぜ、勝ちました、あのクソ……げふんッ……上司に勝ちました!」


 俺が農具の図面引いたり、街づくりの提案をまとめている間に、話が進んでいたらしい。

 他の集落に住む、緑髪のエルフの使者も交えて、ソフィアが彼らの生まれた意味を説いている内にこうなったんだとか。


 光の神ラミリアは、マールダー創世記に伝えられるように、光すなわち善の神だ。

 人々からは幸福の神として崇められている事が多い。


 一方、調律の神オルネアは、勇者伝で絶大な知名度を誇るが、一般的に調律の意味が難しいのか信仰対象に扱われる事は少ない。

 緑髪のエルフ達は、ただ幸福を祈る事よりも、禍福かふくを見据えて乗り越えて行く、運命に挑む神を自分達にふさわしいと考えたようだ。


─── 道理で最近、ソフィアに対するエルフ達の会釈が深過ぎだと思ったわ


「スクェアクくんの覚醒が、皆さんには分かりやすかったみたいですね。

幸、不幸に一喜一憂しないで、そこに幸せを望んで自ら進むために、色々な運命を背負っていく覚悟。

私は信仰を宗教化するのは、余り好きではありませんが、こうして人の意識が前に進むのを見るのは、胸が熱くなっちゃいますね」


「ははは、そうだよなぁ。ソフィ、本当に神様なんだもんな。ずっと近くにいるから、ちょっとそういう認識が無くなりかけてたよ……」


「えぇ……ヒドイじゃないですかぁ〜。私って、アルくんの何なんです……?」


「あ、いやその……好きな……女性」



─── ボムスッ!



 軽く爆風が発生する勢いで、ソフィアの顔が紅く染まった。

 しばしボーっとしてから、俺の腕に抱きついて来た。


「─── 今ならこの世界を一捻りに、幸せのズンドコに陥れられそうな気がします! 一思いにやっちまいますかアルくんッ☆」


「……それ、救う側の言葉じゃないよね? ほら、御本尊なんだから、しっかりしなさい」


 この集落で神気を隠す気の無い彼女は、くねくねしながら、神々しい光をひゅんひゅん辺りに振り回している。

 ……何か拝んでる人達が、たくさん出て来ちゃってる。


「ちょ……お、落ち着こう。な? 取り敢えずソフィ、あっちへ行くぞ!」


「は〜い♪」


 集落全体が、浮かれ気味な気もしないでもないが、今はこれでいいのかな。


─── 今までが肩身の狭い思いだったんだから


 ソフィアの手を引いて、人混みから離れようとしている時、スタルジャが何か思い詰めたような顔でこっちを見ていた。


 ……何かショックな事でもあったのか?

 ソフィアが神様っぽくないとか?


 彼女の方は、何やらティフォに手を繋がれて、俺達とは反対側の方へと連れて行かれた。

 何度も振り返っては、こちらを見ていたが、何だったんだろうか。




 ※ ※ ※




「パガエデ! 早よ来んか!」


「…………あ、はいッ! すみません、アルさん、行ってきます!」


 ノゥトハーク爺に呼ばれて、パガエデは荷馬車に向かって走って行く。


「気をつけてなー!」


「「「行ってきますッ!」」」


 ロゥト初の商隊が集落を出発する。

 それも人間相手の初めての交易だ。


 パガエデと集落の若手エルフ中心に、一先ずは近くの小さめな規模の街を相手に、交易の打診をしていた。

 まずは貨幣を伴わない、物々交換の交易から、価値の均衡が安定して来たら、貨幣を用いた取引を始める事を目指している。


 一応、何かあった時の為にと『アルフォンス商会会長アルフォンス・ゴールマイン』の署名を入れた、紹介状と挨拶状を持たせておいた。


─── 初めて『会長』職を利用させてもらう


 獣人達も色々使ってるみたいだしね、もう反対するのも疲れたから、思い切って名前使っちゃった……。


「うーん、大丈夫かなぁ……。やっぱり私もついて行った方がいいかなぁ」


 スタルジャが不安そうにつぶやく。


「大丈夫だ。族長もいるし、手練れを含めて十二人もついてるんだから。

パガエデの交渉力に任せておこう」


「……ん、そうだね。パガエデ、頑張ってるんだもんね」


 ここまでの交易の交渉に、意外や意外、パガエデの話術が際立ってる事が分かった。

 元々、馬族の中では狩猟や戦いよりも、本を読んだり、他の地域の勉強をしていたそうだ。


 革新派のブラウルの影響だろうか、一族の将来を見越して学んでいた知識が、ここに来て彼の素質を花開かせた。


「族長との最初の話も、本人には命懸けの、立派な交渉だったしな。意外とロゥトに欠かせない存在になるかもなぁ」


「そうだねぇ、ノゥトハーク爺から、毎日色々教え込まれてるって言ってたし。

それに、最近はアル様からも、色々教えてるんでしょ?」


 パガエデの知識欲はかなりのもので、日のある内は農作業とか水車造りなんかを手伝って、その後は族長と俺に代わり番こで座学を受けている。


 族長からはエルフ側の風習や歴史、農耕の知識や精霊の事なんかの、集落に暮らしていく為の知識を受けている。

 俺は彼に、図面の作り方や道具の作り方、ダラン以外の風俗や経済何かを教えていた。


 最近はスクェアクとか、外の世界との関わりに興味を持った連中も、この座学に加わるようになっている。


「ああ、パガエデ達も真剣に聞いてくれるから、こっちも楽しいよ。そう言えば、スタルジャは最近、ソフィアとティフォとよく居なくなるけど、そっちも何かやってんの?」


「─── えっ⁉︎ い、いや! ん、お、お話ししてるだけ……だよ?」


「ふーん……」


 今、俺とソフィアとティフォの三人は、スタルジャの実家に居候してる。

 パガエデは族長に気に入られて、族長の家に寝泊まりしているらしい。


 俺はパガエデ達の座学とか、精霊術と魔術の講座とかで遅くなりがちなんだけど、スタルジャの家に帰っても三人がいない事がよくある。

 それどころか、夜中に三人が外に出て行く事もしばしば。


「……そう言えばさ、スタルジャはこれからどうするんだ? やっぱり、この集落で暮らして行くんだろ?」


 ここに帰って来る前は、彼女はこの集落には居場所がないと言っていた。

 それは家族が居ない家に帰るのが辛いとか、緑髪のエルフとして、この先を生きる事への不安だとかが絡んでいるとの事だった。


─── でも、今はそれも解消されたんじゃないだろうか


 『緑児』と蔑みの言葉を甘んじていた彼らは、今は精霊と共に生きる誇りを得て、新たに自分達を『ランドエルフ』と呼称を始めた。

 もう、肩身の狭い世界ではなくなった。


 そして今、俺達が居候している彼女の実家に関しても、集落の人々は彼女の帰りを待っていて、綺麗に整えられたままだった。


─── 彼女の帰るべき場所は、ここに在り続けていたんだ


「…………んと、そのこと……なんだけど。アル様、大事な話があるの……」


 彼女は後ろ手に、指先をもじもじとさせて、半ば背を向けて小さな声で言った。


「……聞くよ。どうした?」


「あ、あの……ここじゃちょっと。水車小屋に一緒に来て欲しいの……」


 水車小屋はこの間完成して、今はちょうど使う予定がない時期だ。

 誰も居ないはずだが、何か余程、大事な話なのだろうか。


 俺が頷くと、彼女は案内するように前を歩き出して、水車小屋へと草原の小道を歩き出した。




 ※ 




 水車の止められている小屋は、人の気配がなく、スタルジャに案内されて、中二階の倉庫に上がった。

 と、そこには先客がいたようだ。


「─── 連れて来たよ」


「ありがとうスタちゃん。じゃあ、お話を始めましょうか」


 ソフィアはそう言って、敷かれた織物の上に、草編みの座布団と火酒のボトルを用意していた。

 ティフォは敷物の上に横向きにゴロ寝して、ベヒーモスの背中を撫でている。


「ん? 何だよ二人共、最初からこういう集まりの予定だったのか?」


「そうですよ。大事な話なので、ちょっと集落の人には聞かせられないかなぁって。

スタちゃんと、パガエデくんの今後の事です」


 ああ、そう言う事なら先に言ってくれれば良かったのに。

 急にスタルジャに相談を持ちかけられた感じだったから、ちょっと緊張しちゃったじゃないか……。


「まあ、取り敢えず、軽く乾杯しておきましょう。─── 集落も歩み出しましたしね」


「はい、ありがとうございました。ソフィア様、皆んな、自分達を『』だって、胸を張れるようになりました。

ティフォ様もありがとうございます。こんなにすぐ、整地が出来たり、水路の段取りがつくなんてビックリでした!」


 うんうん、二人とも嬉しそうにしてるし、スタルジャの顔も晴れ晴れとしてる。

 そして、スタルジャは今度は俺の方に向き直って、深く頭を下げた。


「アル様……。私は本当に貴方に出逢えて良かった。私やパガエデ、ロゥトの皆んなの運命が動き出したのは、貴方は『自分達の運命の力だ』って言うでしょうけど……。

でも、やっぱり貴方が、貴方という方が居てくれたからです。

ありがとうございました」


 そう言ってまた頭を下げる彼女の目には、涙が溢れそうになっていた。


「……うん。よく頑張ったねスタルジャ。皆んなも凄く頑張ってるけど、やっぱりそれは君の前向きな姿があったからだ。

色々あったけど、ずっと諦めなかった君を、尊敬してる。精霊達もそれを認めてるしね。

そんな君の手伝いが出来たのなら、俺もうれしいよ、ありがとうなスタルジャ」


 何となく、今まで彼女の心に踏み込んだ言葉や、感情を高めてしまいそうな言葉は避けて来た。

 悲しみを思い出させたり、余計に背中を押すよりも、そっとしておいた方が良いと思っていたからだ。


─── 彼女ならもう大丈夫だろう


 マイナスな感情に囚われる事も、前進する事に周りが見えなくなるような危険性も、最初からなかったのかもなぁ。

 それだけ、彼女は強い覚悟で生きていた。

 今のが俺の、初めて彼女に掛けた、温かい言葉だったかも知れない。



─── ガバ……ッ



 と、スタルジャが俺の胸に飛び込んで、抱き着いて来た。

 小さく肩を震わせて、嗚咽おえつを漏らしていた。

 俺なんかより、ずっと歳上の彼女は、今は小さな子供のようにしがみついていた。


「ん……よしよし、本当に偉いよスタルジャは。これからは、うんと幸せにならないとな」


 彼女の小さく震える頭と背中を、トントンしながらそう言うと、やがて大きな声を上げて泣き出した。

 エルフの寿命は長い、もしかしたら、彼女はまだ見た目よりも、心は幼いのかも知れない。

 家族を失い、全く習慣の異なる種族に連れて行かれ、心休まる時など無かったのだろう。

 寿命が長いからと言って、辛い時間を長く感じるのは、変わりがないだろうし……。


 これからは、彼女はロゥトの集落で、本当の意味で家族を持ち、きっと幸せに生きて行くはずだ。

 可愛らしい彼女の幸せに、少しでも役に立てた事は本当に嬉しかった。


 彼女はこの後、白髪のエルフと交渉に立つ。

 俺はそこまでは支えてやろうと心に決めていた。


─── もう少しでお別れか


 そう思うと寂しいが、心配はない。

 彼女にはそう信じられるだけの、運命を背負う強い心がある。

 何たって精霊術はセラ婆の免許皆伝クラスだしな。


「……はうぅ。本当でしたぁ……ソフィア様、ティフォ様ぁ……本当にアル様は、認めててくれましたぁ」


 俺の胸に顔を埋めたまま、嗚咽混じりにそう言うと、女神二人がうんうん頷いている。


 うん? あれ、何か三人隠れて話してたのって、もしかして俺が彼女にちゃんと温かい言葉を掛けてなかった事についてか?


「あー、済まん。スタルジャも色々一気に起こって、心が揺れやすくなってるかなって心配でさ。あまり揺さぶるような言葉は避けてたんだ。

……草原で君に出逢って、経緯を聞いた時から、凄い人だなぁって思ってたよ?」


 彼女の細長い耳がピクンと動いて、みゅーっと紅く染まると、顔をイヤイヤするように押し付けて来た。


「はうぅー、はうぅー! よかった、よかったよぉ……」


 何だこれ? そんなに俺に認めて欲しかったの?

 え、いやそんな関係だったっけ?

 ものっそい、感情いっぱいに甘えて来てる感じなんだけど。


 って、ソフィアとティフォは、娘を見つめる慈母のような、優しい頬笑みで頷き続けてる。


─── 何だこれ?


 しばらく困惑の時間が続き、気持ちが落ち着いたのか、彼女は俺の胸から顔を離した。

 でも、今度は俺の腕に頭を預け、小さく頬ずりをしながら、深く長い呼吸をしている。


 彼女の甘い息が、俺の胸元に当たって、時折鼻をくすぐる。

 あかん、ドキドキするぞこれ……。


「はぁ……やっぱりアル様、いい匂い……」


 あれ、この深い呼吸って、俺の匂い嗅いでたの⁉︎ ちょっ、え? えぇ?


「あ、あのスタルジャ─── 」


「パガエデは、この集落で死ぬまで暮らしたいって、決心したみたい。

私はこの後、白髪のエルフとランドエルフの間を繋いで……その後は……」


 あれ? パガエデはスタルジャの居場所を作るまでって言ってたけど、彼はここに暮らす事を先に決めたのか。

 彼にしては性急だな、てっきり白髪のエルフ達との流れが決まってから、自分の進退を考えるものだと思ってたけどな。


 じゃあ、スタルジャとパガエデ、仲良くやって行けるかもなぁ。

 良かったなパガエデ!


「うんうん、その後は?」



─── 貴方とずっと一緒にいさせて欲しい



「うんう……へ?」


 彼女は俺の正面に座り直して、俺の手を取ると、両手で包み込むように自分の胸に当てて、もう一度言った。


「アル様、貴方とずっと一緒にいさせて欲しいの……。

まだ出逢って間もないけど、貴方といる時、貴方と話す時、私は本当に幸せを感じています。

─── 貴方の近くが私の居場所なんです!」


 おい、これは二人の女神が、殺意の神威でバスコン言わそうとする奴だろ⁉︎

 いかん、スタルジャの危険があぶな───


─── 二人はうんうんと頷いている


 あん? これもしかして、エリンとユニの時と同じ流れ?

 二人が裏で絡んでる系だな?


「お願い……私は……ランドエルフのスタルジャは、貴方がいなければ、この世界の美しさすら消えてしまうの。

何度も考えた……付いてくのは無理だろうって。貴方の足を引っ張りたくないって……。

でも、そう考える度に、世界から色が消えてくくらい、悲しくて切なくて……」


 ……あれ? そんなに思い詰めてたの?

 じゃ、じゃあ二人が誘導したって訳じゃないのか⁉︎


「い、いつから……いつからそんなに想ってくれてた……?」


 そう問うと、彼女は頰を紅くして、困ったように微笑んだ。


「─── 貴方が初めて私にご飯を作ってくれた時からだよ……」


 最初のご飯……? ああ、あれか。


「俺の実家のポタージュの事……?」


「うん、あれは本当に美味しかったぁ……。貴方の気遣いと、優しさが感じられて、ママのポタージュに似てて。

……それを思い出して泣きそうになった時、貴方は私の事を考えて、ううん、パガエデの事も考えて、私の感情が揺れないように話を優しくそらした」


 ああ、そんな事もあったな。

 確かにあの時、俺は彼女の気持ちと、パガエデとの関係を考えて、それ以上思い出に浸らないように食事の話に切り替えたんだ。


「……凄く嬉しかった。初めて会った相手に、こんな事まで心を割ける人がいるなんてって。

それ以外もそう、貴方は旅の途中、いつも私やパガエデの歩く速度を気にしてくれてた」


 まあ、そりゃあ馬を降りた馬族と、あどけなさの残る、心に傷を持ったエルフの少女連れてんだ。

 それくらいの事は……。


「そう言う貴方の優しさを、ソフィア様とティフォ様が、貴方に気づかれないように、嬉しそうな顔をして見ているの……。

『見られてる』って貴方が気にせず、貴方の思うままを支えるみたいに」


「え……そうだった……の?」


「「ふふふふ」」


「そういうとこ、それをドヤ顔しない、そういう事を、自分にするよーに、あたしにもしてくれた。だからオニイチャ、すき」


 うわぁ、久々のティフォの可憐な頬笑みだ。

 相変わらず殺人的な胸キュン砲だぞ……。


「……最初はただうらやましかった。私達エルフは、個人主義な所があってね、こんな細やかな気配りとか余りないの。

……貴方のそう言う優しさに惹かれて、三人の支え合いに胸焦がれて、いつの間にか、そこに入りたいって願うようになってた。

だから、私は貴方みたいに、目に入る全てを背負って戦える強さを願った」


 今の彼女は強い、すこぶる強い。

 え、俺と一緒にいたくて、色んな覚悟決めたって事か⁉︎


「ふふふ、普通はそう願っただけで、大きく運命を変えられないんですよ。

でもスタちゃんは、大きな運命を背負える人だったんです。出逢えた事が運命だったみたいに、彼女も運命を背負って、共に歩ける人なんです」


─── 出逢えた事も運命か……


 出逢いの運命は、この旅を思い返せば、いや、俺の人生にも至る所で起きている。


 父さんに拾われなければ、ソフィアとの出逢いもなく、里に行く事もなく、師匠達との出逢いもなかった。

 師匠達に鍛えられていなければ、岩山に閉じ込められたティフォとも出逢っていない。

 『第一村人』のウィリーだって、あのタイミングがズレていたら、村人は全員盗賊団に殺されていたし、ソフィアとの再会もなかった。


─── これらが無ければ、人を救うなどと考えが至っただろうか?


 今までの事、全部がそうだ、全てが出逢うべくして出逢い、後の俺を変えて来ている。


「……そうだな。確かにスタルジャとの出逢いから教えてもらった事はたくさんある。

彼女が自分の運命に翻弄されながら、先々に関わる運命にも立ち向かおうとしてるのも、よく分かってるさ。

ここ最近、彼女の笑顔で元気付けられる事が多いよ、きっと彼女はもっと大きくなる」


「あら、笑顔に元気づけられるとか、もうそこまで行ってたんですか。ちょっとけてしまいます……」


「いや、今そう言うのは、話がややこしくなるからね?」


─── ガバッ!


「嬉しい! そんな事ででも、私、アル様の役に立ててたんだぁ……ぐすっ、嬉しい……」


 スタルジャが俺の胸に飛びついて、小さく嗚咽を漏らす。

 こんなに喜ばれるとか、ときめくに決まってるじゃねーか!


「アルくん。スタちゃんも幸せにしてあげて下さい。もう四人も五人も同じですよ♪」


 何かソフィアが、浮気癖のあるオッサンみたいな事を言い出した。


 でも……うん、分かるよ。

 自分をこんなに想ってくれている人を、無下になんか出来っこないよ。

 ああ、もう、離れるのが嫌になったじゃないか……。


「お願い……お願いアル様……そばにいさせて下さい……」


 抱き止めていた俺の腕に、彼女の背中の強張りが伝わる。



─── この子、本気なんだな



 そう思ったら、自然と抱きしめていた。


「…………分かった。

まずは白髪のエルフと話をつけよう。

その後は……

─── 俺と一緒に来てくれスタルジャ」


 そう告げると、彼女は跳ね起きて、俺の顔をしばらく見つめた。

 そして、目尻から涙を零して頬笑み、俺の服の袖をぎゅっと掴んだ。


「─── はい。スタルジャは、貴方と一緒にいたいです……」


 運命にひたむきで、明るいランドエルフの少女が、俺と運命を共にする事を選択した。



─── それが後に、このダランの運命を大きく変える事は、まだ誰も知らなかった



 世界とは、常に数奇な運命の連続だ。

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