第十四話 ティフォの気持ち

─── パキッ……パチパチ……パチ……


 焚火の向こうで、ベヒーモスの背中にくしを入れるティフォのうつむいた顔が、橙色の灯りに揺れている。

 表情はいつものジト目だが、やはり何処か元気がないように思えるのは、俯いて影になっているせいだろうか……。


 地中でパルスルを倒した俺達は、一度地上に出て、一晩をまた樹海で過ごす事にした。

 色々と三人だけで話すべき出来事が、あの闘いの中にあったのもある。


─── でも、本題はソフィアに告白した事と、今後の事をティフォとも話す事だ


 樹海から出るのは、瞬間転位ですぐに出来るが、街に戻ればまたいつ三人で話せるか分からないからだ。

 ……しかし、当の彼女がどうにも元気が無い。


 パルスルの配下ジュドーと闘ってから、何か思い詰めているような気がする。

 表情はいつも何を考えてるのか分かり辛いやつだけど、長く一緒にいるからか、触手時代から分かり合えていたからか、俺には分かる。


「……なぁ、ティフォ。どうかしたのか? 元気が無いように見えるんだけど」


 ハッとしたようにこちらを見て、また、ベヒーモスの背中に視線を戻した。


「…………んーん、何でもない……」


 いつもだったら、ニコニコ顔の無表情で応じてくれるのに……。

 どうしたものか、彼女を見ていると、大きく溜息をついた。


「(はぁ……)神の覚悟が足りないから、この先のたたかい、やくたたず……なんて、オニイチヤに、しられたら……」


「神の覚悟が、足りない?」


「え?」


「え?」


 驚いたような顔をして、俺を見つめた後、またベヒーモスの背中に視線を落とす。


「(んーん、何でもない)オニイチヤと、ソフィは、この世界に、覚悟がある。……でも、あたしは、この世界の神じゃ、ない」


「……そんなの関係ないだろ」


「え?」


「え?」


 振り向いた瞳が、不安げに揺れている。

 寂しげに視線を逸らして、大きな溜息をひとつ。


「(ハァ……)やっぱりオニイチヤは、やさしい。ふたりは、この世界への覚悟で、もっと神威は強くなる。でも、あたしはオニイチヤと居たいって、その想いしか、ない。

あたしは、オニイチヤが、すき。……ずっと一緒に……そのためなら、何だって……。

─── でも、やくたたずは、きらわれる……」


「……いや、嫌わねぇし、俺もお前が好きだし。何言ってんだお前」


「え?」


 ティフォは、驚いてこっちを見たまま、固まった。


「……お前、さっきから、頭の考えと言葉が逆になってねぇか?」


「────── な ん だ と ⁉︎」


 勢いよく立ち上がった膝から、ベヒーモスが飛び出され、シュタッと地面に着地する。

 前脚を遠くに伸ばして、伸びをした後、欠伸をひとつして何処かへスタスタと歩いて行った。


「んー、ジュドーとの闘いで何かあったのか? いや、もう大体、分かったんだけどな今ので……」


「………………やだ。いわない」


「……何でだよ」


「(ハァ……)だってオニイチヤの足、ひっぱりたくない……」


 まーた、逆になってんなコレ。

 俺はティフォを落ち着かせて、隣に座った。


「まず、ひとつ言っておく。

……俺はお前と居たいからいる。

神だろうが何だろうが、初めて会った時から、俺はお前が近くに居てくれて、本当に心が救われていたんだ」


「…………ん」


「神威の力が、運命と覚悟の大きさに左右されるのは、今回の闘いでよく分かった。

でも、お前は強い、その覚悟はなんの覚悟なんだ?」


 ティフォは頰を紅く染めて俯くと、ゴニョゴニョと呟いた。


「……オニイチヤのしあわせ。オニイチヤといられるしあわせを、ぜったいにまもりたい……」


 さっきもそんな事言ってたけど、改めて言われると、顔が真っ赤になるわ……。

 でも、俺はちゃんと話さなきゃな、ソフィアの気持ちを聞かせてもらった時のように。


「お前は強い。俺が2ダースいても勝てないくらい強いよ。

……でもな、俺だってお前を守りたい。

それに、闘いの事だけじゃない。もっと色んな意味で守りたいと思ってるんだ」


「…………いろんな……こと?」


「ああ、お前がなんて事ない遊びに夢中になる時間も。表情ついてかないけど、がはは笑いしてる時のお前の時間も。

美味しいもの食べて、我を忘れてる時間も。夜にふっと起きて、俺やソフィを見て安心して寝直してる時も。

─── お前がこの世界にいて、幸せに感じる全部だ」


 勇気を出して、ちゃんと言ったぞ!

 当の彼女は、紅い髪がブワッと逆立ってから、何か急に旋風に包まれた。

 それがおさまると、惚けたように俺を見つめていた。


「……ティフォ。俺はお前をひとりの女性として愛している。これからもずっと、お前でいる限り」


「オニイチヤ、どした。なにか悪いもん、たべた……?」


「う、うるせぇッ! こっちの台詞だ!」


 ティフォは俺の腕に抱きついて、頭を押し付けてきた。


「ソフィにも俺の気持ちを伝えた……。彼女は俺とティフォと三人で、幸せでいられる事を一番に考えて欲しいと言った。……俺もそう思う」


 腕を抱く力が強くなって、頭を擦りつける。


「今までは、ひとりと添い遂げるのが、誠実だと信じてたし、自然に任せてただ大事にして行こうと思ってたけど……。

ティフォもソフィアも、俺にとって大切な女性だ。大好きだって気持ちは、ちゃんと言わなきゃって思ったんだ」


 彼女は体をすり寄せたまま、顔を上げて俺の目を見つめた。

 潤んだ瞳に、焚火の光が瞬いて、その美しさに俺は見惚れてしまった……。


「……ソフィはどこ……?」


「三人で色々話そうって。その前に、俺がちゃんとティフォに気持ちを告白したかったから、今、ちょっと時間をもらったんだ」


 ティフォは立ち上がって、俺の前に立つと、目を閉じて俯いた。

 目にかかった前髪が、夜風に揺れている。


 ややあって、スッと開けた彼女の目は、いつものジト目ではなく、憂いを帯びた切れ長の、知性と情熱に溢れた目になっていた。



─── アル。あたしもあなたを、愛しています



 静かに、凛とした声で、彼女はそう言った。

 目から溢れた泪を指で拭うと、その指が濡れた事に気がついて、ティフォは目を丸くした。


「んふふ、はじめて、泣かされちゃった……」


 無邪気な笑顔に、あの大人の姿の彼女が、ダブって見えた気がする。


「ははは、責任とらなきゃな、俺」


「ん、ぜったいだよ?」


 そう言って、彼女は俺の膝に乗ると、首に抱き着いて顔を近づけた。

 俺はその背中に手を回して、唇を重ねる。


 いつもは攻め攻めの彼女が、大人しく俺を受け入れてくれていた。



─── ……ほぅ……やっと、オニイチヤからしてくれた……ね



 上気した顔に艶やかな唇。

 うっとりとした睫毛の長い眼は、蠱惑的な魔力がたたえられていた。


「……やっと、覚悟ができたもので」


「んふふ、くるしゅーない……」


 ふざけてみせる彼女は、態度とは裏腹に、その激しい鼓動を、俺の胸に伝えていた。



─── にゃ〜ん



 小さくベヒーモスの鳴き声が聞こえて、ソフィの歩いてくる音が聞こえた。


 ティフォはその音を嬉しそうに聞いた後、俺の膝に横座りして、胸に頭を預ける。

 まだ上気した顔は、満足そうに目を閉じて、口元をふくふくとさせていた。


「─── ちゃんと、お話できたんですね」


「ああ、ありがとうソフィ。君のおかげだよ」


 ティフォは微笑んで彼女を見つめる。


「ん、ありがとソフィ。……だいすき」


「はぁ……ティフォちゃん可愛い……。あら? この胸にくすぶるジェラシーは、一体どちらに対してなんでしょうか……」


「…………ややこしくするのはやめてくれ。さて、三人でこれからの話をしよう」


「「はい」」


 その夜も遅くまで、いつまでも三人で語り合った。

 結界に消し飛ぶ魔獣はいくらか居たが、魔物とアンデッドは全く来なかった。


─── この地が平穏を取り戻したのを、実感出来た気がする




 ※ ※ ※




─── ズドン……ッ!


「ほらよ、おまたせ! 『骨付き牛の樽仕立て』『子羊のエパーダ』『魚貝の北部風ピラフ』なッ!」


 ガタイのいい、スキンヘッドの主人が、豪快な大皿料理を豪快に置く。

 テーブルが揺れて、真ん中の巨大な肉料理が、ふるふると震えていた。


 今、俺達はまたエリン、ユニ、タイロンと合流して、一度中央部に戻るため、北部の人間街にやって来ていた。

 この街からは、ガグナグ河を下る魔導船に乗っての移動になる。


 魔導船は、大型の水車を船体に二台つけ、魔力を動力に回す事で進む船だ。

 かなり速度が出るらしく、今はまだ、一般には出ていない技術だと言う。


 中央部のギルドマスター、ミシェルが何とバグナスギルドに掛け合って用意してくれたんだとか。

 やっぱりやり手だったか……。

 それとバグナスギルドのみんなは、元気にしてるのかなぁ。


「樽仕立てって、こういう事だったんですか」


「これは背骨から、肋骨のちょっとのとこまでカットしたのを、丸ごと焼いたやつなんだ。

かかってるソースは辛くないから、アル様も安心していい。

と、取り分けてあげよ……かな ///」


 目の前の大皿に、樽と言うか切株みたいな肉の塊が乗っている。

 唖然とするソフィアに説明しつつ、エリンが俺の肛門事情を突いて来た。


「……はー、中央部の飯は、もう勘弁だわ」


 中央部にいた頃、何度か食堂で現地料理を食べた事があったが、最初にエリン達が言っていた通りの『激辛地獄』だった。

 ほら、辛い物って、赤いやつだけだと思うじゃない。

 ……世界は広いんだなぁ、緑のとか、白いのまで、舌を刺してくるなんて。

 口直しに飲んだ、透明のスープが辛かった時は、もう絶望を味わった。


「北部はその点、岩塩とスパイスが豊富だから、味付けはシンプルなの。放牧も盛んで肉料理は有名なの。

今回はアル様安心なの♪」


 ユニが笑いながら、エリンと二人で骨から肉を削ぎ落としていた。

 ギザギザのついた肉切りナイフが、ショリショリ音を立てて、芯に肉汁を湛えた脂肪の多い肉を切り出す。

 二人の猫耳少女が、でかい牛の背骨をちまちま切り分ける様は、野趣と甲斐甲斐しさが混じり合って、何か尊いと思ったのは内緒だ。


 そうこうしているうちに、全員分の取り分けが完了して、取り皿がてんこ盛りになっていた。

 一つの大き目な皿に、全部の料理を盛り付けるのが北部流だとか。


 木を削って作られた素朴な皿には、ガグナグ河で取れた大振りの二枚貝と、塩焼きにしたエビと魚、ハーブと黒い豆で炊き上げたピラフ。

 脇には半月形のプックリとした、キツネ色の皮に包まれた揚げ物、エパーダという料理らしい。

 そして、姉妹が切り分けてくれた、骨付き牛の塊がゴロゴロと乗っている。


「「「いただきます」」」


 まずはピラフをスプーンですくう。

 炊かれているのは、この流域で栽培されるアケルライスと言う、細長く白い穀物。

 それが魚貝のスープを吸い込んで、艶やかに炊かれているが、黒い豆の色も吸われたのか、やや黒ずんでいる。


 一口頬張ると、舌の上でパラパラとライスが崩れほのかなバターの香り、魚貝ダシと素朴な豆の香りと甘み、岩塩の柔らかな塩気と一緒に、松葉に似た香りのハーブが爽やかに広がった。


 粒は少し弾力があり、噛みしめる度に炊き込んだスープの味が優しく滲み出る。

 そこに混ざった刻みタマネギの、ほのかなシャクシャク感。

 上には、針のように細切りにされた、生姜に似た風味の繊維質な薬味が、一層香りと食感を楽しくさせていた。


 川エビは海の物と比べて、濃厚さは足りないが、香ばしく優しいエビの風味が、滋味深いピラフとよく合っている。


「んー、この貝、ぷりっぷり」


 中指程の長さの二枚貝を、ティフォは気に入ったらしい。

 やや赤みのさした身は、親指の頭程もあり、まん丸に肥えている。

 軽く酒蒸しにしただけの貝は、ピラフのダシに使われた物とは、別に乗せたものらしい。


 ほんのり香るワインの風味と、爽やかな香草の甘苦さ、ふわっとした瑞々しく膨らんだ身。

 噛めばふわっとした歯応えの最後に、プツリと歯切れのいい食感を返しながら、貝のもつ芳醇な旨味を染み出させた。


 それら全ての風味が、ピラフのまとうバターと豆、魚貝の風味と合わさり、奥深くも優しいふくらみのある味を舌いっぱいに広げた。


 よくある一緒に炊き込んだピラフの貝は、旨味が抜けててあまり好きじゃないが、後付けで酒蒸しを乗せてくるあたりこだわりを感じる。

 おそらくピラフの仕上げにも、この酒蒸しからでた汁を使っているのだろう。

 店主は見た目豪快だったが、料理は繊細なんだなぁ。


─── そんな事を考えながら、メインの肉にフォークを立てて驚いた


 表面はこんがり、中は白っぽく肉の繊維が見えていて、固そうに見えていたはずだ。

 しかし、フォークの先が触れると、その繊維の隙間を埋めるように肉汁が溢れて、表面を流れて行く。


 思わず頬張ると、表面は強めな塩と焼き具合でザクザク、中はしっとりと、骨周辺の旨味の濃いジュースが迸る。


─── 堪え切れずに、グラスに手を伸ばす


「くう〜ッ!」


 キンキンに冷やされた、ワインベースのカクテルは、甘みを抑え仄かな酸味、割るのに使われたハーブティーが喉をスーッと刺激する。

 肉の豪快な味が流されて、気がつけばピラフをもう一口求めていた。


 冷えた口の中を、パラパラと広がる、旨味を帯びた温かな食感がたまらない。


 南国料理は辛さと共に、香りの文化が強いのが特徴だ。

 北部は辛さがない分、香りの演出に大きなこだわりがある。


─── ザク……ッ


 ユニが揚げ物にフォークを入れて、微笑んだ。

 小気味好い音と、そこから溢れる湯気は、彼女が何故微笑んだか如実に語っている。


「子羊のエパーダだっけ? アケルの砂漠地帯にも似た感じのパイ料理があったなぁ」


「この辺の名物料理なの。味付けした肉の餡を、小麦粉を練って作った皮に包んで、焼いたり揚げるの。

茹でるのもあるけど、エパーダって言うと、この揚げたのが一般的なの♪」


 ユニが上機嫌で答えながら、エパーダを半分に切っている。

 かなり熱いのだろう、猫舌の姉妹はそうやって放置して冷ましているようだ。


─── 毒を食らわば皿まで!


 思い切って、フォークに刺し、一気に噛り付いた。


「……っ! あ、あふぃッ! ……ハフハフ」


 パリっと割れた皮は、薄くふかふかした層が少し。

 中は羊肉をにんにくと生姜、魚醤を効かせた、甘辛くクセのある、とろみをつけた餡がたっぷり詰まっていた。

 単純に熱い、しかも、噛むと中から更に熱い汁が溢れて目を白黒させてしまう。


 舌で転がして、ホロホロ冷まし、奥歯で噛みしめる。


「あ、アルくん、何かすごく切ない歌を唄い出しそうな顔になってますけど……そんなに熱いんですか⁉︎」


「あはははは! 魔族を倒しに樹海に行ったくらいだ、流石はあたしの良人、勇者だよ!

この激アツのエパーダを、ガブって! あはははは!」


 涙目になりながら、カクテルで口の中を冷やす。

 ん? ユニがエリンを睨んでるな。

 ああ、前もエリンの『良人』発言で、こんなんなったっけ……。


 ……うちの女神二人は、物凄い余裕の笑みで、反り返ってるな。

 うん、女の人って、やっぱり怖い。


─── いや、それより今はエパーダの攻略だ!


 姉妹の真似をして、冷ましてから再挑戦。

 さっきは熱過ぎて、自分との闘いだったが、これは……!


 揚げた皮の芳ばしさ、羊肉のクセを消しながら、旨味を邪魔しない適度な香味野菜の存在感。

 さりげなく入ってるキノコが、食感と風味を豊かにしていて、実は複雑な香りの計算がすごい!

 その美味さと香りを閉じ込めて、完全に一つの料理になってる事に気がついた。


「ああ、うん。これは揚げたのが、代名詞になるはずだよ……んまい。止まらないぞコレ……」


 エパーダ自体でも完成しているのに、これがまたピラフのあっさりした旨味と、驚く程相性が良い。

 噛む程に味わい深く、パリパリの皮が、食感を楽しませている。


 結局、五人でエパーダをもう一皿注文して、北部料理を堪能した。

 素材の味と岩塩、ハーブの扱いに文化を感じた食事だった。


─── 中央部の激辛料理の前に、優しい味を堪能できて良かった……


 そうして、俺達は一度、北部に別れを告げ、一路中央部へと旅立つのだった。

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