第三章 密林国アケル
第一話 密林の国
─── はあ、はあ、はあ、はあ……!
「お、おねえ……ちゃん! もう……だめ……」
「⁉︎ 何言ってるの! もう少しで街道に出るわ! 走りなさいユニッ!」
背の高いシダの葉に擦りむき、時に根のせり上がった樹々や、ツタに足を取られて転びながら、姉妹は走り続けていた。
ピンと先の尖った耳、走る度に揺れる赤茶と黒の縞々の尻尾。
密林で大きな勢力を持つ獣人『赤豹族』の姉妹であった。
妹のユニのあごが上がり始めて、ガクンと速度が落ちると、姉のエリンはその腕を取り、引っ張るように走り続けた。
─── もうどれだけ走っただろうか?
(ユニにはああ言ったけど、本当はここが何処かも分からない!
遠くに煙の臭いがした、あっちに行けば誰かいるはず‼︎)
そう信じて走っていても、エリンの視界は段々と薄暗く狭くなって来ていた。
逃げ出した時、まさか犬を放たれるとは思わなかった。
何とか爪と牙で、放たれた二頭を返討ちにしたものの、噛まれた左腕からは止め処なく血が滴り落ちていた。
陽が暮れ出して、もうだいぶ経っている。
追っ手は諦めたのか、まだ追跡しているのか、それが近いのか遠いのかすら、もう耳が利かなくなって来ていた。
「ハッ‼︎ ユニ! あそこに明かりが見える! 誰かいるはずよ! 頑張ってッ‼︎‼︎」
「─── はぁッ、はぁッ、はぁ……ッ」
─── ガササ……ッ!
明かりに向かって、せり上がった土を踏み込み、樹々の間を抜けて段差を飛び降りると、そこは車輪の跡が残る、やや整地された程度の林道だった。
「……だ、誰か助けて……! そこに誰か……!」
「…………あッ‼︎ お、お姉ちゃん……」
そこには野営している男達の姿があった。
汗と泥の染みたシャツに、お揃いの黒いソフトハットを被った男達。
「おほっ、いようお嬢ちゃん達……!
自分達から飛び込んで帰って来てくれるたぁ、ずいぶんと懐いてくれたもんじゃあねぇの」
「─── くっ!」
─── アイツらの仲間だ! 先回りされてた!
すぐに妹の手を取り、先程飛び降りた段差を飛び上がろうと踏み込むが、急にエリンは目が眩んで膝が落ちた。
(血を……血を流し過ぎた……)
「お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃんッ‼︎」
「…………にげ……なさ……い」
男達の足音が近づいて来る、しかし、エリンにはもう、起き上がる力すら湧いて来なかった。
暗くなる視界、
─── ボリ……ンッ
「……ぐげッ……が……ぶ……」
「─── ひ、ひぃッ!」
「うわああぁぁぁぁッ! に、逃げろ!」
急に男達の足音が乱れて、遠ざかろうとする中、嫌な音と叫び声が森に響き渡った。
「……あ、ああ……お、お姉ちゃん……」
「…………どう……し……たの…………ッ⁉︎」
エリンの薄れ掛けた意識が、胸を突き上げる鼓動の打ち込みに、強制的に戻された。
─── 陽の落ちた薄暗い林道を埋め尽くす、異形の影
あるものは剥がれ落ちる寸前の、ヘドロのような皮から、骨と黒ずんだ腐肉を覗かせて。
あるものは赤黒く染まった肉体を、パンパンに膨らませ、腐臭漂うドス黒い体液を滴らせて。
あるものは後脚を失い、土に背骨の先を引きずりながら前脚で立つ、骨のみの体で。
「……あ、アンデッド……」
「逃げて……逃げなさいユニ!」
そう叫ぶが、妹に最早その力がない事も、エリンには分かっていた。
─── アンデッドには、爪や牙はさほど役に立たない。走る力さえなく、魔術を使えない獣人の二人には、最早生き延びるのは絶望的だった
その場にへたり込むユニの体を、エリンは庇うように抱きしめる。
小さな傷がたくさんついた頰を優しく舐め、その耳元で、かつて幼かった頃の妹にしたように何度も囁いた。
「大好きよユニ。……最後まで一緒。ずっと一緒。お姉ちゃんと一緒に……ね」
「う……うぁ……お姉ちゃん……お姉ちゃん……」
姉妹の近くで、男達に群がっているアンデッドを通り過ぎて、大きな影が近づいて来た。
それは巨大な折れた前脚を振り上げ、その鋭く突き出した骨を、姉妹に突き刺さんとする、所々骨の露出した大型魔獣のアンデッドだった。
自分に何が起きるのか、自分の命を何が刈り取るのかを見定めたエリンは、妹の頭に自分の頭を重ねて目を閉じた。
─── ズグッ!
「あぐッ……あっ……かはッ!」
「ううぅ……お姉ちゃん……お姉ちゃんッ!」
骨は自分の腹を突き破った所で止まってしまった。
異臭を放つ魔獣の吐息が、エリンのうなじに迫る中、もう一体が妹の方へ回り込んでいた。
「……ごめ……ん……ユ……に……」
「お姉ちゃん! お姉ちゃんッ!」
(せめて一緒に、せめて苦しまないで、死なせてあげたかった……ごめんね)
エリンの意識が遠のく中、妹にも死を告げる、魔獣の唸り声が耳に届いていた─── 。
─── 【
瞼の向こうが青白く光るのを感じた直後、エリンの腹部にあった大きな異物感が消え、激痛が走った。
思わず後ろに倒れて、地面の上で体を曲げ、押し寄せる苦痛に硬直する。
「ううぅああッ! げほっ! げほっ!」
「へ? お姉ちゃん⁉︎ 傷が消えて─── 」
妹の声が聞こえた時、痛みが嘘のように消え、薄っすらと目を開けた。
心配そうに顔を覗き込む妹の背景が、青白い光で明るく照らし出されている。
「─── ユニ⁉︎ 貴女無事なのね……?
な、何が起こった……の?」
「…………あ、あれ……!」
体を起こして、妹の指差す先の光景に、エリンは言葉を失った。
そこには自分達を挟んで、迫り来るアンデッド達に、光り輝く魔術を次々に放ち、消滅させて行く者があった。
自分と妹も、青白い光に包まれ、みるみる傷が塞がれて行く辺り、助けてもらえたのだろうか。
「─── ひ……っ」
傷が癒え、体力と気力までもが回復した時、ようやく我に返った二人は、再び抱き合って怯える。
怯えた相手は誰であろう、その助けてくれた本人に対してであった。
───
最後に大きな閃光を放って、林道は暗闇に包まれた。
完全に回復したエリンは、全ての五感と夜目を取り戻し、目の前に立つ異形の王者を呆然と見上げるしかできない。
(……これは人間だ……そんな匂いがする。それにきっと悪い人じゃない。そんな空気を何処かに感じる……)
妹も自分に抱きついてはいるが、その目からはさっきまでの怯えが消えている。
ユニもまた、この人物の持つ匂いと音に気がついたのだろう。
辺りが完全に静まった時、それは二人を覗き込むようにしゃがみ込んだ。
「…………! あ、あの……た、助けてくれ……たんです……よね?」
「─── ああ。君達は……
「は、はい。ありがとう……ございました。
あの……『不死の夜王』様……ですよね?」
そう言うと、髑髏は眉間に哀しげなシワを寄せ、眼窩を三角にして青白く弱々しく光らせた。
「え……違うんですか? 勇者伝に出てくる、不死の王様じゃあ……?」
「あー、そう言うんじゃない。俺は─── 」
─── ガポッ
「あ……人間!」
「俺は……一応、君らの味方だよ。これを見てくれるかい─── 」
そう言って男は懐から何か、紐を引いて取り出し、二人の前にぶら下げた。
「─── 紐パン……ですか? あ、さてはエッチな
「へ? 紐パン!? 虎目石の……あ、アレ⁉︎
こう言う事する奴は……! ティフォ、おいこらお前‼︎」
男は慌てた様子で、背後の樹々の上に向かって叫んだ。
「ん、ヤダ……オニイチャ。それ、あたしの。
もう……いくらティフォが気になるからって、困ったさんだよぅ」
いつからいたのか、赤毛の驚く程美しい少女が、木の上からゆっくりと浮遊落下して来た。
何処かとってつけたように、モジモジしている。
「……お前、仕込んだろ」
「し、しらない。お、オニイチャの、ば、ばかぁ」
「お前の目、激流に立ち向かえるくらい、泳いでんだよ!
……それに、お前が嘘をつく時、右頰が上がるんだぜ?」
「え! うそ! バレた⁉︎」
「ああ、嘘だ。……いいから、獣人の爺さんからもらったチャーム返せ」
少女はジト目を更にジト目にして、舌打ちをしながら紐にぶら下がるチャームを渡した。
「ちっ、らっきーすけべを繰り返す。なれたら、まちがいにも、なれきって、オニイチャがまちがえ起こしやすくなる、と思ったのに」
「……慣れねぇし、間違えねぇから。
って、おいそこ! ソフィはメモ取ってんじゃねぇ!
間違ってるからな⁉︎ 間違った手順だから書き留めるなよ⁉︎
君、ただでさえ、ラッキースケベに一度は傾倒して失敗してるからね?」
もう一人、茂みの陰から人間が現れた。
僧侶服を着た、白金の髪の美しい女性だった。
「えぇ……? ティフォちゃんの理論、理に適ってるじゃないですかぁ。なら、もうどうすればいいのか解りませんよぉ〜」
「オニイチャ、むずかしい子……」
「お前らそう言う所だ、そう言う所だぞ?
『考えるな、感じろ』だからな!
せせこましい野望は、ただの無謀だからな⁉︎」
─── ガサ……ガサガサ……
赤豹族の姉妹が、森の奥からの匂いと音に気がつき身構えた。
「─── こっちだ! 犬を放て!」
そう聞こえた直後、茂みを素早く駆け抜ける、複数の足音が近づいて来る。
それに身を縮こませる二人に、漆黒の男は手の平を見せて制すると、もう一方の伸ばした腕に光をまとった。
その手には、妖しい程に煌めく
─── 【夜想弓セルフィエス】追っ手をその声ごと射て殺せ
男の発した言霊は、呪われた美しき魔弓の力を、余す所なく引き出した。
真っ黒に塗られた矢が、音一つ立てずに複数本、同時に闇へと消えて行く。
一刹那おいて、森からは甲高い悲鳴が一斉にあがり、犬の気配全てが消え去っていた。
─── 【迫り来る者達を地に射止めよ】
再び天に向かって構えるが、その姿はまるで弓と会話を愉しんでいるようにも見えた。
男が弦を引き絞る直前に、今度は突如として光り輝く矢が現れ、放たれる瞬間に矢は複数に分かれて飛んだ。
そうして間もなく、樹々の向こうから大勢の悲鳴と呻き声が響き渡る。
森の中には、足の甲を貫かれ、地面に矢で射止められた男達のうずくまる様子が広がっていた。
「─── あー、さっきのは無しな。これを見せたかったんだ」
もう危険は去ったとばかりに、敵の様子も伺わず、男は革紐に結ばれた銀細工と石のチャームを見せた。
─── 不安げに眉を下げていたエリンが、目を見開いて口元に手を当てる。
「え……? これは……ペイトン翁の『友愛の証』! 人間族でこれを持っているなんて、貴方は一体……」
「へ? そんな大それたもんだったの? 爺さんは取引相手に配ってるとか言ってたけど……」
───
急ににこやかになり、まるで旅から帰って来た親族と話すかのように、あれこれと色々と話し掛けてくるようになっている。
『何でそんなにすぐ信用するのか』と男は思ったが、彼女達は自分達の村へ案内すると申し出て、それを受け入れる事にした。
※ ※ ※
「ま、ま、グイッとやってくれよ旦那!」
そう言って赤豹族の族長は、ゴライアスアリゲーターとか言う魔獣の牙で作ったお
このお猪口を使わせるのは、最大級の礼だとさっき聞いた。
注がれた酒は、密林国で栽培している白く小さな粒の穀物を発酵させた、自家製の酒らしい。
若いうちは白が濃く、熟成を重ねる程に薄くなるそうで、これは十二年モノだと言う。
ややクセはあるが味に広がりがあり、酒精は強くても飲み口は甘く、するすると呑めてしまう。
ソフィアとティフォの二人も、一口喉に滑らせては、ほう、と溜息をもらしていた。
目の前には大きな葉の上に、こんがりと焼けた子豚が、一頭デーンと置かれている。
岩塩とスパイスをまぶした豚を、泥芋の巨大な葉で包み、焼石と共に埋めて焼いたそうだ。
数時間かけてジワジワと焼いた肉は、驚く程柔らかく、噛む程に肉本来の味が染み出してきた。
これも大事な来賓か、お祝いの席にしか作らないと言う。
─── つまり、今俺達はこの赤豹族から、全力の歓待を受けていた
「しっかし、旦那もどうやってペイトンの爺様に認められたんだ?
アレはおっそろしく頑固モンでな、隣にある頬白熊族の元族長なんだが、一族の未来を育てるとか言って、族長をさっさと辞めてバグナスに行っちまったんだ」
「あの爺さんペイトンって言うのな。
いや、名前も聞いてなかったんだよ。街で獣人族の男達と力比べして、俺に賭けて儲けたのが嬉しかったらしいんだが。その後、一杯奢ってもらったら、これをくれたんだ」
そう言って、この村に訪れた時も見せた『友愛の証』と呼ばれるチャームを出した。
「儲けさしてって事ぁ、人間族のあんたが、獣人族との勝負に勝ったってのか⁉︎
なんだ『追いかけっこ』か? それとも『棒倒し』か?」
「……そんな勝負もあんのかよ。ただの力比べだ。次から次へと挑まれてな、昼どきから日が暮れるまで延々とやらされたんだよ」
追いかけっこだの棒倒しだの、いや子供じゃないんだから……。
勝負の説明をすると、族長は膝を叩いて笑った。
「はっはっはっはっ! そりゃあ気に入られる訳だ! 俺達に力で勝てる人間なんて、まず居ねぇ!
俺達獣人族は何かしら、力試しが好きでな、強い奴程尊敬されるんだ。
延々とやらされたって事は、それまで一度も負けなかったって事だろ?
─── 賭けまで始まってたってのは、あんたが信用出来るって、そこに居た全員が認めてたって事だからな!」
「賭けにそんな意味あったの?」
「そりゃあそうだ! 賭けたくなるくらい、勝負に誠実で、裏がない奴じゃねぇと信用出来ねぇだろ?」
あー、そう言う事か。
確かに皆んな純粋に、勝負と賭けを楽しんでたし、義に対して真っ直ぐなんだなぁ。
掛け金(あぶくぜに)釣り上げるために演技してた自分が恥ずかしい……。
「でも『友愛の証』ってのはなんだ? 爺さんの話では、この虎目石を取引相手とか、信用した人間に渡してるって言ってたけど。
皆の反応はやけに大袈裟じゃないか?」
「はっはっはっ! それも俺達の伝統さ。虎目石なんて、そんな珍しい石でもねぇだろ?
─── 大事なのは台座になってる銀細工だ」
「え、てっきりこの石に意味があんのかと……」
「そんな石、この辺りじゃ珍しくも何ともねえや!
台座を見てくれ、大したもんだろ? 銀細工の模様で、信用のランクと、信用した奴の事が分かるようになってんだ。
信用ならねえ奴の手に渡ったら嫌だし、人間族は頭が回るからな、こっちはこっちで仲間内の符丁にやってんだよ」
なるほど、それなら偽造も難しいし、譲渡とか盗難にあっても、信用したとされる人物に確認させれば済むしな。
「んで、あんたの持ってるそいつは、最高の信用の証、村を挙げてもてなせってくらいのモンだ!」
「……何でそんなチャームを俺に……」
「あんた……間違えてたらすまねぇが、バグナスの『
その、魔族を倒したんだろ? レーシィステップで」
「……! 何でそれを?」
「俺達は各地方に組織持ってんだ、すぐ隣のバグナスくらいだったら直ぐに話は来る。
……今は鎧を着けてねぇが、孫娘を助けてくれた時の様子は聞いてるし、普通の人間が俺達に力比べで連勝するなんざ有り得ねぇ。
ペイトンの爺さんに、レーシィステップの事でも話したんじゃねぇのか?
今はこのアケルも、妙な事が起きてるからな、爺さんがあんたを見込んだのかもしんねぇ」
あの時、爺さんは俺の話を繰り返して来るだけで、聞いてるのか聞いてないのか分からなかった。
うん、そう言う事なら、このチャームをくれたのも分かる気がする。
「……まあ、そう言うこった。あんたがさっき倒してくれたアンデッドは、ここ最近、急に増え出して来てんだ。
もし、また魔族が出て来てるってんなら、この異変も間違いなく勇者伝の再来だ。
─── 【不死の夜王】が復活してるってな」
不死の夜王……魔王軍の幹部、オルタナスやエスキュラと肩を並べる、魔公将の一人。
お
その一方で、人の命を助けたとか、他の魔族が侵攻してくるのを防いだとか、矛盾した逸話の残る謎の多い魔族だ。
「バグナスで聞いたが、あんたら獣人族とアンデッド系は相性が悪いんだろ?
俺がその魔族と、やり合う事になるのかは知らないが、あんたらの武器に魔術を付与する事は出来る。それくらいの協力なら、約束はできるが……」
「おおッ! あんた属性付与が出来るのか⁉︎ それはありがてぇ!
……知ってるだろうが、俺達は自分の体を強化するのに魔力を使うが、魔術化するのは出来ねぇんだ。
魔術の力を得られる、それだけでも、俺達には充分過ぎる程の協力だ」
族長の反応は思っていた以上に良かった。
……それだけアンデッドの被害に心悩ませていたのだろう、更に機嫌の良くなった彼は、姿勢や仕草に変化を見せた。
時折、毛づくろいをする様な仕草に、赤茶と黒の縞々の尻尾をダラリと俺に向ける様に寝かせ、脚を崩して体勢を開くリラックスした座り方になっていた。
この感じはバグナスの獣人達にも見られた事だ。
一見だらしがなく思っていたが、これはネコ科獣人のこの上ない信頼の様子らしい。
獣人にはより獣に近い姿の者と、この村の人々の様に、耳と尾、そして手足に少し毛を残した程度の余り人間と外見の変わらない者とがいる。
ソフィア曰く、この族長は人間よりの種族だからこれくらいだが、獣に近い種族だった場合、絡みつかれて舐め回されていただろうとか……。
─── この初老の、見上げる様なマッチョの族長にそれをされていたらと思うと、体がちくちく痒くなる思いだ
「しっかし、まさかこの村に、魔族殺しの英雄が来てくれるとはな!
─── これも
……孫娘の事、本当にありがとうな、これはうちだけじゃねぇ。赤豹族の恩義だ」
そう言って盃を煽る族長の目に涙が滲んでいた。
たまたま通りかかって、赤豹族のひとりにせっつかれて救出に行ったけど、あの時の獣人もずいぶんオロオロしてた。
……本当に大事にされてる姉妹だったんだなぁ。
「ガグナ信仰と言えば、世界最大の河ガグナグの発祥が有名なんですよ。精霊ガグナに仕える巨人が創ったって言うのが、アケルの獣人たちの信じる伝説です♪」
酒で機嫌のいいソフィアが、耳元でこしょこしょと囁いて教えてくれた。
体温高いし、息が耳に掛かるしで、ゾクゾクする。
……どうやらアケルでは他の国のように、創世神話になぞらえた宗教ではなく、土着の精霊信仰があるらしい。
世界の宗教全てが、帝国の監視下にある中、ガグナ信仰は大昔に却下されたそうだ。
だが、獣人族の彼らは自らの信仰は棄てなかった。
三百年前の獣人排斥の原因は、獣人が魔族に近いって噂が広まったとか言われてるけど、そこらの事情が大きいのかも知れない。
「いいから、もっと呑め呑め!
おおい! エリンとユニはどうした!
我が一族の大恩人にお酌くらいしねぇか!」
族長がそう声を上げると、二人の獣人の娘達は、間髪入れずに仕切りの向こうから一歩踏み出した。
先に焦茶の筆先のような毛を立てた、黒い縁取りのある耳。
族長と同じく、赤茶と黒の縞々の尻尾。
手先から腕の半ばまでと、足先から膝の辺りまでは、赤茶の地に黒いブチの模様の入った毛が覆っている。
姉の眼は大きくややつり目、妹は柔らかな雰囲気のやや垂れ目、二人お揃いの緑がかった黄色い瞳。
二人はこちらを見ながら、手を握り合って頰を染め、恥じらいの表情でモジモジとしていた。
「……良かった。衰弱してたから心配だったけど、もう大丈夫そうだな」
「は、はい。あ、あなた様が回復魔術を掛けて……くださいました……から///」
「ゆ、ユニも、もう大丈夫……なの。あ、ありがとうございます……なの///」
ティフォの仕込みで『えっちな人
村が見えて来た辺りからは、こうしてふたりともモジモジするようになっている。
そんなに恩に着なくてもいいのになぁ。
「……なぁんだ、旦那ァ。うちの可愛い孫娘達を骨抜きにしちまいやがって……。
サカリがついたら責任取れよ?」
族長が尻尾を床にプーラプラ振って、
「責任? 何言ってんだ。見慣れない人間に、照れてるだけだろアレは」
「おいおい、旦那よぉ。さっき言ったばかりだろうが。俺達は強え奴を尊敬すんだよ。
アンデッドの群れを蹴散らして、タチの悪い『黒帽子』の奴らをまとめて縛り上げたんだ。
……年頃の娘じゃなくても、サカるってもんだぜ?」
「さ、サカ……るッ⁉︎ アホいうなって」
思わず目頭を指で摘んだ。
ソフィアとティフォは、幸いにして酒と豚の丸埋め焼きに夢中になっている。
なぁんか最近、また小賢しい攻め方してくるんだよなぁ……。
あのナゾの作戦会議、禁止にするか。
「お、お爺様……ユニ、はずかしい……」
「何言ってるのユニ。……じゃあ、あたしがアル様の隣に座るからね ///」
「…………ん、ダメ。ユニも座るもん……」
そう言って俺を挟んで姉妹は座り、料理を取り分けたり、お酌をしてくれた。
膝を崩して、こちらに体を向けながら、時折ジーっと熱っぽい視線で見上げて来るのは、正直破壊力が凄かった。
子豚を挟んで向かいに座るソフィアとティフォが、時折『なるほど』みたいな顔で、何やら身振り手振りこちらをチラ見しながら話している。
─── 何をメモってるんだ何を……
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