第130話 ハーカー大佐の戯れ言

 グロバストン王国の女王バーニス・マルフロント・グロバストンは怒りに突き動かされていた。


 孤児院の子供達を人形の材料にしていたクルツ・ガーダループへの怒りは身を焦がすほどだったが、それ以上に強かったのは子供達を守れなかった自分自身への怒りだった。


 三年前、グランとサルトビを率いてクルツを葬ったことでバーニスの自分に対する怒りは収った。傍目にもそう見えたし、バーニス自身もそう思っていた。


 だが、怒りの炎はバーニス本人にさえ見えないほど深いところでくすぶり続けていたのだった。


 エステバルロからクルツが逃げ延びていたことを聞かされた途端、三年に渡ってくすぶり続けていた火種が一気に燃え上がった。バーニスは持てる力の全てを投じてクルツ・ガーダループがいる終の戦団を滅ぼすつもりだった。


 女王の願いを叶えるため、女王直属の特務部隊『王の手』のメンバー全員がバーニスの私室に呼び出された。


「……遅い」


 部屋にやってきた王の手、ツバキを見るバーニスの顔には強い苛立ちが浮かんでいた。


「こんな時間に呼び出しておいてそりゃあねえでしょう、陛下」


 ぐっすり寝ていたところを伝令の兵士にたたき起こされたツバキは、角張った顔にまばらに生えたほおひげを撫でながらぼやいた。かつて大陸の東にあった島国出身のツバキは、キモノと呼ばれる服を身につけていた。


「オマケに出撃準備ときたもんだ。なにがあったのか聞かせてもらえませんかね?」


 ツバキは腰に差した愛刀、花鳥風月に目を落とした。花鳥風月の朱塗りの鞘は艶やかに光っていた。


「……拙者も是非伺いたい」


 硬く低いその声は部屋の隅の闇の中から響いてきた。


 バーニスの隣に控えていたグランとパトリシア、それにツバキは驚いて声の方を見た。


 現れたのは黒一色の装束に身を包んだ背の高い男だった。

 闇に溶け込む黒装束のなかで、男の両目だけが鋭く光っていた。


「おぬしも遅いぞ、サルトビ」


 部屋にいた四人のなかで、ただひとりこのニンジャの存在に気づいていたバーニスは冷たくそう言った。


「相変わらず見事ですね」


 パトリシアは完全に気配を絶って部屋に侵入していたニンジャマスターに感心していた。


「もういい年だろ? 他人を驚かせて遊ぶのはやめにしようぜ」


 太い眉の下でツバキの目が細くなった。


「拙者は忍ぶ者だ」


 年齢不詳のニンジャマスターの目は少しばかり笑っていた。


「グラン、こやつらにも説明してやれ」


 命令を出すバーニスの声には棘があった。それにはバーニス自身も気づいていたが、どうすることも出来なかった。


「かしこまりました」


 グランはツバキとサルトビにエステバルロからもたらされた情報を語った。



「フレドは……死んだか……」


 ただひとり弟子と認めたフレドの死を知ったサルトビがぽつりとつぶやいた。年齢を感じさせないニンジャの壮健な体は急に小さくなったように見えた。


「フェイラム伯爵が死んだのは知ってたが、まさかそんなひでえことになってやがったとは……」


 女王の前でも軽薄な態度を変えないツバキも、ワイルドヘッジの盟主が遺物を持った青年によって倒されたと聞かされては動揺を隠せなかった。


「我がグロバストン王国を狙う終の戦団とやらにはかつての王の手、クルツ・ガーダループの姿もある。我らはなんとしても奴らを滅ぼさねばならん。サルトビ、転移門を準備しろ。奪った砦から奴らが動く前に始末する」


 バーニスの声は必要以上に厳しかった。


「……御意」


 それだけ言うと、ニンジャマスターの姿は闇に溶けて消えていった。


「パトリシア、エステバルロに王国軍の精鋭を千ばかり集めさせろ。三時間後にサルトビの転移門で国境沿いのハーカーの砦に移動し、終の戦団がいる砦を襲撃する」


「仰せのままに」


 パトリシアはロングスカートの裾を持ち上げて一礼すると、部屋を出て行った。


「……バーニス様」


 ふたりきりになるとグランはおもむろに口を開いた。


「なんだ?」


「バーニス様がクルツを憎んでいることは存じております。子供達を手にかけたあの男を憎んでいるのは私も同じです。ですが、いくらなんでも事を急ぎすぎです。敵はクルツだけではありません。遺物を持ったアルヴァンという青年もおります」


「遺物などわらわもお前も持っているであろうが。なにを恐れる必要がある」


 バーニスの右手の人差し指には彼女を世界最強の魔術師たらしめている『知ろしめす指輪』がある。それにグランの得物も遺物のひとつだった。


「確かに私もバーニス様も遺物を持っております。ですが、アルヴァン率いる終の戦団はフェイラム伯爵をも倒したのです。どうか慎重な行動を――」


「うるさい! わらわはグロバストンの女王だ! お前の主だ! お前は黙ってわらわに従っておれば――」


 そこまで口にしたところでバーニスはようやく冷静さを取り戻した。それと同時に、自分がどれほど傲慢な言葉をぶつけてしまったかに気づいた。


 バーニスはグランに謝ろうとした。


 だが、楽しそうに笑っていた孤児院の子供達の顔が脳裏をよぎると、喉まで出かかった謝罪の言葉を無理矢理飲み込んだ。


「申し訳ございません。立場もわきまえずに女王陛下のご判断を疑ってしまいました」


 グランはバーニスに深々と頭を下げた。

 バーニスはグランに謝罪させてしまった自分が恥ずかしくてならなかった。


「……分かれば良い。お前も出撃に備えろ」


 しかし、バーニスは判断を変えるわけにはいかなかった。


 恐れることはない。自分は世界最強の魔術師なのだから。

 バーニスはそう言い聞かせながら金色の指輪がはまった右手を固く握りしめた。




 王都との通信を終えたタルボットは興奮を抑え切れなかった。


「やったぞ! エリヤフ! 王国軍の精鋭が千だ! それに加えて王の手が全員! さらには女王陛下が奴らを倒すために自らやってくるそうだ!」


 王国軍の最高戦力が集結することを聞かされたタルボットの声は弾んでいた。

 だが、それとは対照的にエリヤフは静かに考え込んでいた。


「これは――」


「急ぎすぎている、かな?」


 エリヤフの考えを言い当てたのはハーカーだった。重要な戦力であるマヤとカイルは先に休ませており、

深夜のハーカーの部屋には三人だけが集まっていた。


「大佐もそう思われますか」


 エリヤフが聞くと、大きな肘掛け椅子にもたれて葉巻を吹かしていたハーカーは笑みを浮かべた。


「君たちがこの砦にやってきてからまだ半日も経っていない。にもかかわらず、あと数時間もすればグロバストン王国の最高戦力がこの砦に集結するという。私は少しばかり長く軍人をやっているが、こんな事態は聞いたことすらない」


 ハーカーは世間話でもするかのように軽い調子で語ったが、その目は全く笑っていなかった。


「お言葉ですが、大佐、終の戦団の力は異常としか言いようがありません。決して奴らを甘く見てはならないのです。それが出来なかったがために私は部下達を死なせてしまいました」


 ハーカーに異を唱えるタルボットの顔には反発よりも後悔の方が強く浮かんでいた。


「私は終の戦団をこの目で見たわけではないが、君の懸念は理解しているつもりだ。しかし、その点を差し引いてもやはり動きが早すぎる。君にもそれは分かるはずだ」


「それはそうですが……しかし……」


 タルボットは納得していないようだった。


「一体なぜ女王陛下はこれほど迅速な対応をしてくださったのでしょうか?」


 タルボットの気持ちは分かるものの、エリヤフもハーカーと同じ意見だった。


 エリヤフの問いかけると、ハーカーはタルボットを見た。


「タルボット家の御曹司ならば、孤児院の事件のことも知っているかな」


 ハーカーが言った。


「孤児院の事件?」


 エリヤフは聞き返した。


「なぜ大佐がそれを!」


 タルボットは目を見張った。


「人の口に戸は立てられん。それは女王陛下であっても同じだ」


 ゆっくりと葉巻の煙を吹き出すと、ハーカーはそう言った。


「一体どういうことなんだ?」


 事情を全く知らないエリヤフは答えを求めてタルボットを見た。


「……お前が目撃したクルツ・ガーダループに関わることだ」


 タルボットはかつて王の手を務めていた男の所業を語り始めた。



「なんとむごい……」


 話を聞いているうちに、エリヤフは拳を固く握りしめていた。


「クルツ・ガーダループは病に倒れたと聞いていたが、まさかそんな真相があったとは……」


「クルツの立場が立場だから、この事件は公にはされなかった。一部の貴族は犠牲者が孤児だったのは不幸中の幸いだと言っていたな」


「よくもそんなことが言えたものだ」


 エリヤフの声には犠牲者を軽んじる貴族への軽蔑が込められていた。


「まあ、その貴族もタルボット家の御曹司が顔にワインを浴びせてやると考えを改めたようだが」


 タルボットはまじめくさった顔で付け加えた。


「私が貴族に生まれていればその場面に立ち会えたのかと思うと自分の出自が恨めしくなるな」


 未だに憤りを感じていたが、エリヤフは少し胸が軽くなった。


「晩餐会でお前と顔を合わせることなど考えたくもない」


 タルボットは口の端を吊り上げた。


「貴族云々はともかく、軍の対応の早さにはクルツ・ガーダループが生存していたことが関係していると見て間違いない」


「ああ、女王陛下は今度こそクルツを仕留めるつもりなのだろう」


 エリヤフはタルボットの言葉にうなずいた。


「……少々、まずいかもしれんな」


 黙って葉巻を吸っていたハーカーがぽつりとつぶやいた。


「なにが不安だと仰るのですか? 女王陛下はこの世界で並ぶ者のない最強の魔術師なのですよ?」


 タルボットにはハーカーの心配が全く理解できないようだった。


「そう。君の言うとおり、陛下は最強の魔術師だ。そしてそれ故に、グロバストン王国の人間は誰も陛下を止められない……確かに怒りは力になる。だが、強すぎる怒りは自分自身さえも燃やし尽くしてしまう」


 ハーカーは深いため息をついた。

 タルボットが口を開き駆けたが、ハーカーはそれを手で制した。


「すまない。つまらぬことを言ってしまった。年寄りの戯れ言だ。忘れてくれ」


 ハーカーは灰皿で葉巻をもみ消すと椅子から立ち上がった。


「陛下が到着すればすぐに終の戦団に攻撃を仕掛けることになる。それまで休んでおくといい」


 エリヤフもタルボットも上官の言葉には従うしかなかった。


 寝床へ行く途中、タルボットは廊下の窓を開けて空を見上げた。


「いい天気なりそうだ」


 タルボットの言うとおり、夜空には雲もなく星々がよく見えた。夜が明ければ晴天になるだろう。


 だが、エリヤフは嵐が来るように思えてならなかった。




 少し早く目が覚めたアルヴァンは、早朝の冷たい空気を吸い込みながら砦の練兵場を歩いていた。

 雲はほとんどなく、空は晴れていた。


 だが、練兵場には大きな影が差していた。


「大きいなあ」


 アルヴァンは日の光を遮っているベリットの『荷物』を見上げた。


「……んあ、お、おう、アルヴァンか」


 アルヴァンの声で目を覚ましたベリットは包まっていた毛布から這い出ると、メガネをかけて立ち上がった。


「おはよう。一晩中これを組み立ててたの?」


「ああ、おはよう」


 ベリットはあくびをかみ殺しながら答えた。


「なんか一度手をつけ始めたら止まらなくなっちゃってな……それにしてもこのデカいのをたったひとりで、それも一晩で組み立てるとかあたしって天才だよなー」


 ベリットは組み立てた最高傑作を見上げて自画自賛した。


「そうだね」


 アルヴァンは素直にうなずいた。


「……褒めてもらえてるのにあんま嬉しく感じないのはなんでなんだろうな……」


 ベリットは少しばかり肩を落とした。


「王国の人達が来たらベリットは砦からこれを動かすの?」


「いや、今回は遠隔操作じゃなくて、あたしが直接乗り込むんだわ」


 ベリットはかぶりを振った。


「そりゃあ、あたしの手にかかれば遠隔操作だってもちろんできるんだけどさ、お前らを見てるうちにあたしもやってみたくなったんだよ」


 そう語るベリットの声は弾んでいた。


「そう」


 アルヴァンはじっとベリットを見つめた。


「な、なんだよ……あれか、お前、あたしに見とれてんのか? いやーまいっちゃうねー。あたしってば天才な上に美少女で――」


「壊すのは楽しいよ」


 視線に耐えられずに早口でまくし立てていたベリットに、アルヴァンは一言そう言った。


「そっか……楽しいか」


 ベリットがつぶやいた。


「うん。多分、ベリットが思っているよりもずっと」


 破壊の喜びを知っているアルヴァンの顔は本当に楽しそうだった。


「やっぱ、お前についてきてよかったよ」


「僕もベリットがついてきてくれてよかったよ」


 アルヴァンの言葉にベリットは重いため息をついた。


「……あたしにだけこういうこと言ってくれるならいいんだけど、こいつ、ヒルデやグレースどころかクルツや爺様にまでこうだからなあ……」


 破壊への期待に胸を躍らせつつも、ベリットは不満を感じずにはいられなかった。


 そんなベリットを見て、アルヴァンは不思議そうに首をかしげたのだった。

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