第68話 狩猟解禁

「アルヴァン、これは楽しいなあ、思っていたよりもずっと楽しい。お前が言っていたことがようやくわかったよ」

 エイドレスが言った。

「食べながらしゃべるのはやめた方が良いですよ」

 アルヴァンが指摘する。

「実を言うと、私はこうして食うのは初めてなんだ。さっきも言ったが衝動とはうまく折り合いを付けてきたからな。こんなに楽しいことだと知っていたらもっと早く食っていたんだがなあ……」

 肉を食みながら興奮したエイドレスが続ける。 

「楽しそうで何よりですよ」

 アルヴァンが言った。


「すごい食べっぷりだねえ」

 あきれたようにグレースが言った。

「……ん? ヒルデ君、どうかしたかい?」

 ヒルデが何も言わないことに気づいてグレースが聞いた。

「な、何でもありませんわ」

 ヒルデがそう言うのと同時に、彼女のおなかが鳴った。

「ヒルデ嬢……」

「ヒルデ君……」

 ローネンとグレースが驚きに満ちた目でヒルデを見た。

「ち、違いますわ! 誤解しないでくださいまし! 別にあれが食べたいわけではないのですわ! わたくしはただ魔力を消費したからおなかがすいただけで……」

 ヒルデは必死になって否定した。


「……やらんぞ」


 エイドレスは肉を守るようにしながら言った。


「いりませんわ!」


 ヒルデが叫ぶ。

「お、お前ら……」

 ビョルクがおそるおそる口を出した。

 全員の目がビョルクに集中した。

「お前ら……どうかしてるんじゃないか……人が食われてるんだぞ……」

 そう言ったビョルクの顔は蒼白だった。

 ビョルクの傍らでは悪夢のような光景を目の当たりにしたエリンが嘔吐していた。


「それはそうだが、これは美味いからなあ」

 エイドレスが言った。

「エイドレス様……あなたは……あなたは化け物だ……」

 ビョルクが言葉を絞り出す。

「食い物の好みひとつで化け物扱いされるとは……」

 エイドレスが悲しげにかぶりを振る。しかし、その間も獲物の肉を咀嚼し続けていた。


「お、お前たちもお前たちだ……おかしいと思わないのか……」

 エイドレスには話が通じないことを察したビョルクが助けを求めるようにアルヴァンたちを見た。

「僕はエイドレスさんとは食べ物の好みは合わないですね」

 アルヴァンが言った。

「それはいい。肉は私が独り占めできるな」

 エイドレスが笑う。

「いい加減にしてくれ!」

 ビョルクが叫ぶ。

 ビョルクにはもう耐えられなかった。エリンが出生の秘密を知っていただけでも天地がひっくり返るようなことなのに、それに加えてライムホーンの領主であり、長年の友人でもあったエイドレスがこんな本性を隠していたとは……。


「食事の最中なんだ、静かにしてくれないか?」


 エイドレスの言葉は恐慌状態に陥りつつあったビョルクすらも黙らせるほどの迫力に満ちていた。

 ビョルクは押し黙った。気づいたからだ。エイドレスが今までに見たこともないような顔をしてこちらを見ていることに。

 形容しようがない表情だったが、エイドレスが何を考えているのかは分かった。

 あれは自分を食おうとしている。

 ビョルクの本能が自身に沈黙を強いた。


「分かってくれれば良い。食事というのは静かに、楽しみながら取らなくてはな」


 エイドレスは満足げにうなずくと、残った肉を平らげにかかった。

 一同が何も言わずに食事を取るエイドレスを見ていると、場違いな声が響いた。


「み、見たぞ……お前の本性を見たぞ!」


 声の主はシグルだった。止血をしたのか、エイドレスが切り落とした片腕の傷口からの出血は止まっていた。

「そうか。では放っておいてくれないか?」

 シグルのことなど気にも掛けずに食事に集中しているエイドレスが言った。

「……そうはいくか! 俺は英雄になるんだ!」

 そう言ってシグルが取り出したのは巻物だった。

 片腕で巻物を広げる。広げられた巻物には魔方陣が描かれていた。

「あれは通信用の魔方陣ですかのう」

 描かれた魔方陣を見たローネンが言った。

「通信? もう助けを呼ぶ相手なんて残っていないのではありませんか?」

 ヒルデが聞いた。


「まだ俺の味方になってくれる奴は残ってるんだ! さあ、この光景を見てくれ! ヴァーグエヘル!」

 シグルが叫ぶと同時、魔方陣による通信回線が開かれた。

 巻物に映ったのは青く巨大な瞳だった。

「あれがドラゴン……」

 グレースが息をのむ。魔方陣の大きさ故に映っているのは瞳だけだが、魔方陣越しでも計り知れない魔力が感じられた。

「なんだ……これは……」

 青い瞳のドラゴンがしゃべった。その声からは困惑している様子が伝わってきた。

「見てくれよ! ドラゴン! こいつは、領主のエイドレス・ライムホーンは人を食ってやがるんだ!」

 シグルがエイドレスを指さして言った。


「……ライムホーンの子か……これはいったいどういうことだ……」

 ドラゴンは見知った者の姿を見て、説明を要求した。

「久しいですな、真の統治者よ。まあ、状況はそこの英雄殿が言ったとおりですな。私が副官だったペテュールの肉を味わっているわけです」

 肉の最後の一切れを味わいながらエイドレスが答えた。

「……なんだと」

 ヴァーグエヘルの声にわずかばかりの怒気が混じる。たったそれだけで、魔方陣を経由しているにもかかわらず、巻物は強烈な威圧感を放ちだした。


「聞いたでしょう! あいつは人を食ったんだ! あなたが作った戒律を破って!」

 シグルが叫ぶ。

 青い瞳がシグルの方を向く。

「……貴様には聞いておらん」

 先ほどよりも強いいらだちを込めてヴァーグエヘルが言った。その声が持つ力はシグルに服従を強いるのに十二分なものだった。

 シグルは黙った。まるで時が止まったかのように。


「黙らせなくてもいいでしょう。彼の言うとおりなのだから」

 エイドレスが肩をすくめる。

 ドラゴンの目が怒りに燃える。魔方陣の向こうで放たれる強烈な魔力はこちら側にまで漏れ出していた。


「いやはや、すごいねえ……さすがは地上最強の種族だ」

 感心しながらグレースが言った。

「通信魔方陣越しに魔力が漏れ出すなどということが起きるとは……」

 ローネンは自分の常識が崩れていくのに驚愕していた。

「ライムホーンの子よ……そなたは我が掟を破ったのか……」

 ドラゴンが聞いた。

「見れば分かるでしょう。ずいぶんと物わかりが悪いですなあ」

 エイドレスが笑いながら言った。

「……よかろう……約定を反故にした罰、受けてもらうぞ」

 底冷えのするような声が響いた。


「それはかまわないのですが、ひとり、あなたに紹介したい者がいましてな」

 エイドレスが言った。

「……そこでうれしそうにしている小僧のことか……」

 ドラゴンの目が銀髪の青年の方を見た。

 アルヴァンは笑っていた。


「壊しに行きますよ」


 アルヴァンはヴァーグエヘルの目を見据えて、ただ一言そう言った。


「……できるとでも……」


 魔方陣から放たれる魔力がさらに増す。濃密な魔力は地面を割り、大気を震わせた。

「もちろん」

 アルヴァンもまた禍々しい魔力をあふれさせていた。

「……その魔力……まさか、あの忌まわしい剣か?」

 アルヴァンの魔力を見たドラゴンが言った。

「……小僧、その剣は貴様には過ぎたものだ……渡してもらおうか……」

「これ、割と気に入っているんですよ」

 簒奪する刃に手を掛けながらアルヴァンが答えた。

「……逃げても無駄だぞ……」

「大丈夫ですよ。すぐに行きますから」

 アルヴァンがそう言うと、通信が切れた。

「切れてしまったようだな」

 エイドレスが言った。

 アルヴァンは火山の方を見た。視線の先にあるのは山頂。

 自分もまた見られているのをアルヴァンは感じていた。


「行くのですね」

 ヒルデが言った。

「うん」

 いままでで最高のおもちゃを見据えたままアルヴァンが答える。

「アルヴァン様、アルヴァン様には乙女心というものについて教えておかなければいけないことがいっっっっぱいありますの!」

「ああ、うん、そう……だね……」

 ヒルデの言葉にアルヴァンはたじろいだ。


「ですから、お勉強の前に思う存分遊んできてくださいまし。分かりましたね?」


「うん、分かった」


 アルヴァンはうれしそうにうなずいた。

「言いたいことは全部言われちゃったねえ……どうしようかな……お別れのキスでもしておこうかな」

 グレースが言った。

「だ・め・で・す・わ!」

 ヒルデはグレースの接近を防いだ。


「君らはいつもこんな風なのか?」

 エイドレスが言った。

「ええ、まあ、こんな感じですのう……」

 申し訳なさそうにローネンが答えた。


「へへ、やった、やったぞ! これでお前らは終わりだ! ヴァーグエヘルがお前らを滅ぼす! そうすれば俺は領主で英雄だ!」


 ようやくしゃべれるようになったシグルがまくし立てた。

 しかし、誰もシグルに注意を払ってはいなかった。


「アルヴァン、後は君に任せるよ。まあ、楽しんできたまえ」

 エイドレスが言った。

「じゃあ、行ってきますね」

 激しい攻防を繰り広げるヒルデとグレースをおいて、アルヴァンは出発した。

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