第69話 地上最強の種族

 市街地は大騒ぎになっていた。城の方から立て続けに轟音が響き、挙げ句の果てには城が巨大な炎に包まれたのだ。城の様子を見に行く者も、城からできるだけ離れようとする者もいたが、みな祈る相手は同じだった。地上最強の種族にしてライムホーンの真の統治者であるドラゴン、ヴァーグエヘルだ。

 彼らは祈った。

 領主の無事を、城で働く者たちの無事を、自分たちの無事を。

 そして、統治者は降臨した。

 しかし、それは祈りが聞き届けられたからではなかった。怒りに燃えるドラゴンは罪人を罰しに来たのだった。

 ヴァーグエヘルが来たことで、街は完全に恐慌状態になった。最初はドラゴンの姿を一目見ようとしていた獣人も、ヴァーグエヘルの怒りにはすぐに気づいた。そして、それ以上にドラゴンの持つ力に圧倒された。

 何かとてつもないことが起きようとしているのは明白だった。獣人たちは逃げ惑った。潮が引くように獣人たちが逃げていく中、ただ一人、流れに逆らって歩いている青年がいた。

 その青年の腰には漆黒の剣が差してあった。




「そちらから出向いてくれるとは思いませんでしたよ」

 群青の巨体を見上げながらアルヴァンが言った。

「……やはり、簒奪する刃か……なんということだ……こちら側にあったとは……」

 アルヴァンが帯びた黒の剣を見たヴァーグエヘルが言った。

「小僧……その剣を渡せ……」

「そういうわけには……」

 アルヴァンは愛でるように腰の魔剣をなでた。


「その剣がなにをもたらすかわかっておるのか」

 ドラゴンが聞いた。

「理解はしているつもりですよ」

 アルヴァンが言った。

「剣に食われたか……哀れなことだ……」

 ドラゴンが嘆く。

「大丈夫ですよ、僕はちゃんと自分の意思でこの剣を使っていますから」

 アルヴァンが簒奪する刃を抜く。

 ヴァーグエヘルはそこでようやく目の前の青年が全くの正気であることに気づいた。


「……馬鹿な……ありえん……人間風情がその忌まわしい剣を使えるなどと……」


――なんだあ……妙なのがいるな。


 フィーバルの声がした。


――起こしちゃったかな。


 アルヴァンが聞いた。


――まあな、こいつが例のドラゴンか?


――そうだね。


――はっ、こりゃおもしれえじゃねえか。


「その声は……そうか、染まってしまったのだな……となれば致し方なし……我が葬るほかあるまい……さらばだ勇者よ……」

 ヴァーグエヘルが言った。


――なにをわけのわかんねえことを言ってやがる、相棒、行くぜ、トカゲ狩りだ。


――言われなくても始めるよ。


 アルヴァンは漆黒の魔剣を構えて言った。




 ヴァーグエヘルが咆哮する。その叫びは大気を震わせ、街の建物をも揺らした。


――ひるむなよ! 相棒!


 フィーバルが声を掛ける。


――大丈夫。


 アルヴァンが答えた。

 叫ぶドラゴンの周囲に数多の魔方陣が展開され、魔方陣から魔力を凝縮して作られた槍が打ち出された。

 どす黒い魔力を纏ったアルヴァンは打ち出された槍を躱しつつ疾走し、躱しきれなかった槍は剣で防いだ。


――これも魔術かな。


 アルヴァンが言った。


――竜言語魔術だな。あのトカゲどもにしか使えない魔術だ。あいつらはテメエら人間よりも魔力との親和

性がいいからな、一声吠えるだけで術が使える。


 フィーバルが答えた。


――ああ、なるほど。


 アルヴァンはそう答える間も飛び交う魔力の槍を躱し、防ぎ、切り落とす。

「……やりおるわ……」

 アルヴァンを観察していたヴァーグエヘルが言った。

「それはどうも」

 アルヴァンはそう言いながら、纏う魔力の密度を上げて、ドラゴンに向かって突っ込んでいく。


 簒奪する刃を振るう。

 ヴァーグエヘルは魔力を纏った左手の爪で剣を受けた。

 アルヴァンはさらに魔力を込めて押し込もうとする。そんなアルヴァンをヴァーグエヘルの右手の爪が襲った。横合いから爪をたたきつけられたアルヴァンは人形のように吹き飛ばされた。

 レンガ造りの家を丸々五軒貫通したところでアルヴァンの体は止まった。

 

 アルヴァンが立ち上がる。魔力障壁は張っていたがドラゴンの攻撃はそれを上回っていた。アルヴァンの左腕はいびつに曲がっていた。

「人間の身にしてはできるほうだな……だが、我には遠く及ばん……」

 腕の折れたアルヴァンを見据えて地上最強の種族が言った。

「ああ、折れちゃいましたね」

 腕が折れていることに気づいたアルヴァンは、折れた骨を正しい方向に曲げると、魔力を流して修復した。


「こんなものかな」

 腕を回して具合を確かめながら言った。

「これでまだやれる」

 そして、改めて簒奪する刃を構えた。その顔には歓喜の笑みがあった。

「……思いの外その剣になじんでいるな……まあいい……首を落としてやれば終わりだ……」

 ヴァーグエヘルの体に魔力がみなぎっていく。

「ああ、そうなったら多分元には戻せませんね」


 そう言ったアルヴァンの視界から、ドラゴンの巨体が消えた。

 それを怪訝に思う暇すらなかった。ドラゴンが消えると同時に辺りが暗くなったかと思うと、落雷のような轟音が響き渡った。

 魔力を込めた強靱な両足の力で一瞬のうちに飛び上がったヴァーグエヘルは、翼を駆使して急降下するとともに獲物を両足で踏みつけた。

 ドラゴンの強烈な踏みつけによって生じた振動は周囲の家屋を倒壊させるほどだった。

 破壊をもたらしたドラゴンはしかし、不満そうな目をしていた。


「転移魔術か……」

 ドラゴンがつぶやいた。

「意外と早く動けるんですね」

 ヴァーグエヘルから十分離れた家屋に突き刺さった漆黒の剣にぶら下がりながらアルヴァンが言った。

 とっさに投げて家屋に突き刺した簒奪する刃のもとに転移したアルヴァンは、剣を抜いて着地した。

 アルヴァンが簒奪する刃を地面に突き刺すと、ドラゴンの足下からどす黒い魔力でできた腕が何本も飛び出した。

 ヴァーグエヘルは腕から逃れるべく飛び上がった。

 黒い腕はドラゴンを追ったが、ドラゴンの翼はその追撃を許さない。ヴァーグエヘルは易々と追手を振り切った。

 その視界を黒いものがかすめた。


 アルヴァンは突き刺した地面から剣を引き抜き、空中のドラゴンに向かって投擲した。

そして、剣の元に転移したアルヴァンは、簒奪する刃を振りあげた。

「何度挑もうと……同じことよ……」

 ドラゴンの両手の爪に魔力がみなぎる。

「これはどうですかね」

 簒奪する刃に魔力を注ぎ込む。注ぎ込まれた魔力に応じて、漆黒の魔剣はふくれあがった。その光景にヴァーグエヘルが目を見張る。

 アルヴァンは城の尖塔よりも大きな漆黒の剣を魔力の腕でつかむとドラゴンの巨体めがけて振り下ろした。巨大化した簒奪する刃は空を切り裂き、大地を砕いた。

 しかし、その刃を持ってしても、青い瞳のドラゴンを討ち取ることはできなかった。

 ヴァーグエヘルは地面にたたき落とされはしたものの、その身に纏う絶大な魔力で巨大な刃を防いだ。

「……ぬるいわ」

 そう言ったドラゴンは巨大な漆黒の刃をつかむと、刃の柄を持った青年ごとその剣を振り回し、地面にたたきつけた。




 殺気に気づいた青年が剣を元の大きさに戻して体勢を立て直すよりも早く、ヴァーグエヘルは駆けた。人間では持ち得ない濃密な魔力が込められた爪が振るわれる。爪によって吹き飛ばされた青年を、こちらも強力な魔力が込められた尾が襲う。

 尾を躱すことができないと悟った青年が剣を投擲する、青年の判断は早かった。

 しかし、ヴァーグエヘルの読みはそれを上回っていた。

 咆哮によって剣の軌道をそらし、同時に発動させた竜言語魔術によって剣の行く手に魔力の槍を向かわせる。青年は転移を止められなかった。

 銀髪の青年が簒奪する刃のもとに現れた瞬間、いくつもの槍が青年を襲った。

 

 ヴァーグエヘルは手を抜かなかった。信じがたいことだが、この青年は簒奪する刃に適合しつつあった。しかし、まだ不完全な力だ。いまならば止められる。

 ヴァーグエヘルはこれまでの攻防で、銀髪の青年の力を見切っていた。簒奪する刃にかけた鎖は、あの勇者の力はまだ有効なのだ。ならば、自分がやるべきことはただひとつ、あの忌まわしい力に適合しつつある青年をここで仕留めるのだ。

 ヴァーグエヘルは再び咆哮した。しかし、その叫びは先ほどのものとは違っていた。

 咆哮によって発動するのは拘束術式。青い光の鎖がヴァーグエヘルの周囲に展開された魔方陣から伸び、青年の体に絡みつく。

 ヴァーグエヘルはさらに叫ぶ。その口腔に魔方陣が展開される。魔方陣に魔力が充填され、竜言語魔術によってすべてを滅する群青の光に変換されていく。そして、ヴァーグエヘルの持つ最強の魔術が放たれた。夕暮れの空に一条の青い閃光が走った。

 光が収まったとき、街の五分の一ほどは消失していた。

 

 青年には逃れるすべはない。ただでさえ深手を負っていた体に、竜言語魔術による拘束までかけた上で、最強の一撃をたたき込んだのだ。肉片すら残さず、消滅したことだろう。

 後に残るのはあの忌まわしい魔剣、簒奪する刃だけだ。青年の体が消滅したにもかかわらず、未だにあの邪悪な魔力を感じる。

 あの忌まわしい剣の処理は自分ではどうにもならない。

 あの方々にご報告するしかない。

 そう考えていたヴァーグエヘルだったが様子がおかしいことに気づいた。

 まるで脈打つかのように、禍々しい魔力が強くなったり、弱くなったりしている。

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