第65話 集大成

「はっ、小娘が、聖女とは大きく出たな」

 ペテュールはヒルデの言葉を鼻で笑った。

「大きく出たかどうかは今にわかりますわ」

 ヒルデもまた笑っていた。ヒルデの体から炎のような魔力があふれ出す。

「魔力量だけは褒めてやろう。だが、勝敗はそれだけで決まるものではない!」

 ペテュールが短い杖を振る。すると、ヒルデを取り囲む魔方陣の数がさらに増え、四方八方から毛むくじゃらの太い腕が襲いかかった。

「ご自慢の魔力でいつまで耐えられるかな」

 障壁で守られたヒルデの体を腕たちが滅多打ちにする様を眺めながらペテュールが言った。


「あなたの予想よりは長く耐えられますわ。ですが、わたくし、守りに入るのは好きではありませんの……イグナイト」

 魔力障壁で豪腕を防ぎながら、ヒルデが呪文を唱える。

 相手が初級魔術を撃ってきたことにペテュールが驚く暇もなく、ヒルデを襲わせていた腕の一本が燃え上がった。

「バカな! たかがイグナイト一発で!」

 ペテュールには目の前の光景を信じられない思いで見ていた。屈強な獣人の兵士を引きちぎる豪腕がロウソクに火をともすのに使う魔術で燃やされたのだ。

「ふふっ、よく燃えますわね」

 燃え上がる腕を見ながらヒルデがほほえむ。

「調子に乗るなよ」

 ペテュールは次のしもべを繰り出す。選んだのは不可視の獣だった。

 杖を振って魔方陣を展開し、透明の獣を召喚する。

 毛むくじゃらの腕たちの攻撃をヒルデの正面に集中させ、防御が薄くなった背後から擬態した獣に襲わせる。それがペテュールの作戦だった。


「あらあら、みんなで固まって……燃やしやすくて助かりますわ」

 正面に集中した毛むくじゃらの腕たちに向かって言った。ヒルデは魔力を正面に集中させて攻撃を防ぎつつ呪文を唱えた。

「イグナイト、イグナイト」

 ヒルデの術が炸裂するたびに腕の数が減っていく。ここまではペテュールの計算通りだった。ヒルデが攻撃に集中している隙を突いて、ペテュールは不可視の獣たちに指示を出した。主の指示を受けて、獣たちはその体を躍らせた。

 勝利を確信したペテュールは我知らず笑っていた。


 ヒルデもまた、そんなペテュールを見て笑った。


「バレバレですわ」

 そう言ってヒルデは後ろを振り返る。

「イグナイト」

 ヒルデが放った魔術は目に見えないはずの獣を過たずに捕らえていた。

 透明だった獣たちの体は、炎に焼かれて黒く染まった。

「なぜだ! なぜ気づいた! 気づいたところで見えない獣たちに正確に術を当てるなどと……」

 あと一歩のところですべてをひっくり返されたペテュールが叫ぶ。


「わたくし、家庭の事情で音や気配には敏感なんですの」


 ヒルデが言った。

「バカにしやがって……」

 ペテュールは屈辱に歯をかみしめた。


「もう終わりかな?」

 グレースが魔術障壁を張って戦いの余波から守ってくれているローネンに聞いた。

「いや、まだですのう……魔術師たる者、最後の切り札くらいは持っておくものですからのう……」 

 厳しい表情でローネンが言った。


「小娘、貴様は強いな」

 ペテュールが悔しそうに言った。

「あら? 今頃気づきましたの?」

 ヒルデは余裕の笑みを浮かべている。

「私一人ではどうも勝てないらしい」

「それに気づくだなんてお利口さんですわ」

「そう、私は勝てない……私一人ではな……」

 ヒルデの皮肉にペテュールは不敵に笑った。

「だが、我が一族総出なら……どうかな?」

 そう言ってペテュールが取り出したのは小瓶だった。瓶のふたを開け、中身を飲み下した。


「私の一族は代々魔術師だった。だが、はっきり言って素質には恵まれなかった。それは私も同じだ……だから私たちは知恵を絞った。一人の力で足りないのならばみんなの力を合わせればいい。それが私の先祖が出した答えだ」

「美しい助け合いの精神ですわね」

 興味なさそうにヒルデが言った。そんなヒルデの様子は気にも留めずにペテュールが続ける。

「我が一族は代々ある虫を飼ってきた。魔力を食らって蓄積する小さな虫だ。我が一族には死ぬ間際になったら自分の魔力を虫に食わせ、その虫を子供に渡すというしきたりがある。そうやって先祖代々魔力を貯め込んだ虫を受け継いできたのだ。そして今、我が一族のすべての力が私の中にある」

 ペテュールは身ごもった女が腹の中の子供を愛でるように自分の腹をなでた。

「ちりも積もれば山となるというわけですか」

「そういうことだな。だが、気をつけろよ小娘……この山は高いぞ」

 ペテュールの魔力が変質する。先祖たちが込めた魔力がその体に染み渡っていった。


「我が呼びかけに応えろ! 満願成就の時は来た! その豪腕を持って我に徒なす愚か者を討て!」


 叫びとともにペテュールが杖を振ると部屋の壁一面に巨大な魔方陣が現れた。


「これはまずくないかな?」

 目の前に広がる魔方陣を見たグレースがローネンに聞いた。

「これは想像以上ですなあ……」

 ローネンは気合いを入れて魔力障壁を張り直した。


 魔方陣の輝きが増していくのにしたがって、緑色の脈打つ巨大な腕が魔方陣から飛び出した。腕の太さは城を支える柱をも上回っている。続いてもう三本の腕が飛び出し、それぞれが床や天井をつかむ。見た目通りの強力な力を宿した腕たちはつかんだ部分に大きなひびを入れた。

「持たないかなあ」

 床や壁に走った大きなひびを見ながらグレースが言った。

「逃げた方が良いかもしれませんなあ」

 ローネンもグレースと同じ意見だった。

「アレ、出てくるつもりみたいだしね」

 グレースが目を向けた先では魔方陣が狂ったように光り輝き、城の尖塔にも匹敵しそうな巨大な角の先端が現れ始めていた。


「アルヴァン殿! いったん引きますぞ!」

 ローネンがエイドレスを介抱しているアルヴァンに声を掛けた。

「これも面白そうだなあ」

 アルヴァンはエイドレスを抱えながら期待に胸を躍らせた。

「だめですわよ、アルヴァン様。このおもちゃはわたくしのものですわ」

 ヒルデは片目をつぶってそう言った。

「ヒルデがそう言うならしょうがないか……」

 アルヴァンは肩を落とした。

「まったく、君たちは……」

 二人のやりとりを見ていたグレースがかぶりを振る。

「なんとも色気のないやりとりですなあ……おっと、そろそろまずそうですのう!」

 ローネンが言った。


 魔方陣からは巨大な生物の体が半分ほど出ていた。その生き物の頭からは三本の巨大な角が生えており、強靱な腕は四本あり、顔にはぎらぎらと光る四つの目玉が横一列に並んでいた。生き物は大剣のような牙がそろった口を大きく開けて咆哮した。城から離れた町の方にまで響き渡ったその声はどことなく猫に似ていた。

「エリン! 逃げるぞ!」

 事態をまるで理解できていないビョルクだったが、この生物から逃れなければならないことだけはわかった。娘の手を引いて走り出す。

「シグルさん……」

 ビョルクに手を引かれたエリンは腕を失ったシグルの方を見た。

「まだだ! 俺はまだ終わらねえぞ!」

 なんとか立ち上がったシグルは傷口を押さえながら、生き残るべく行動を開始した。

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