第66話 わたくしは平気ですの
「ふははは、どうだこの姿! 我が一族すべての力を結集して完成させた召喚魔術だ! 泣きたければ泣け! 祈りたければ祈れ! 何もかも無意味だがな!」
召喚された獣をほれぼれとみながらペテュールが叫ぶ。
「そうですわね……では、祈りましょうか。その子ができるだけ長く持ちこたえてくれることを」
人差し指を形のよい唇に当て、少し考えたヒルデが言った。
「小娘ぇ……」
召喚獣の姿にも全く動じないヒルデを見てペテュールは苛立った。
そんなやりとりをしている間に召喚獣は魔方陣から全身を出した。
召喚された獣はぶるりと体を震わせ、怪しく光る四つの目で獲物の方を見た。
獣がうなり、まずは小手調べとばかりに四本ある腕の一本をさっとヒルデに伸ばした。
「汚い手で触らないでくださいまし」
ヒルデの強靱な魔力障壁は苦もなく獣の一撃をはじいた。
「やはり頑丈だな」
ペテュールが苦々しげに言った。
「あなた方が貧弱なだけですわ」
ヒルデがあざ笑う。
「言ってくれる……だが、減らず口もここまでで終わりだ!」
ペテュールが杖を振る。
すると、獣の四本の腕が魔力を纏った。
それを見たヒルデの顔色が変わる。
「まずいですぞ!」
ローネンが叫ぶ。
「間に合わないかな?」
どこか淡々としたグレースの声がした。
そのとき四本の腕を持った獣は笑ったように見えた。その笑みは主人であるペテュールが浮かべていた笑みと似ていた。
ペテュールの一族が練り上げた魔力を纏った獣が四本の腕を矢継ぎ早に繰り出す。
その攻撃はヒルデを狙って放たれたものだったが、破壊の余波は城全体に及んだ。
「……ホウ? 私、まだ生きとるんですかのう?」
ローネンが大きな目を瞬かせて首をかしげる。
「みたいだね」
ローネンの隣にはグレースがいた。二人の体はどす黒い魔力によって守られていた。
アルヴァンは二人に向かって伸ばした魔力の腕を縮めて、二人を自分のそばまで引き寄せた。
「おっと……アルヴァン君、こんなことできたっけ?」
引っ張り寄せられたグレースがアルヴァンの腕の中に収まりながら言った。
「ちょっと練習したもので」
グレースを抱き寄せた形になったアルヴァンが言った。
「へえ、これはいい。君の腕の中に収まるのは心地良いね」
グレースはアルヴァンに体を預けながら、彼の耳元にささやいた。
「そうですか?」
アルヴァンが聞いた。
「……君は本当に察しが悪い」
少し不機嫌そうにグレースが言った。
「お二人とも! そんなことをやっている場合ではありませんのう!」
ローネンが注意を促す。
「紅蓮の聖女様いわく『女たるものいつだって戦士であるべき』なんだそうだ」
アルヴァンの体に腕を回したままグレースが言った。
「じゃあ、このまま行きましょうか」
アルヴァンはグレースの体を抱え、魔力の腕を二本伸ばしてローネンと意識を失っているエイドレスをつかんで走り出した。
「ちょ、ちょっと、アルヴァン君!」
予想していたよりも大胆な動きに出たアルヴァンにグレースが戸惑う。
「どうかしましたか?」
アルヴァンが腕の中のグレースに聞いた。
「…………いや、何でもないよ」
グレースは頭をアルヴァンの胸に預けた。
「じゃあ、ヒルデ、後はよろしく」
アルヴァンはそれだけ言うと城の外へと去って行った。
「もう十分だろう。奴らを追うぞ!」
ペテュールは杖を振って獣に攻撃をやめさせ、アルヴァンたちの後を追おうとする。
だが、ペテュールが指示を出したにもかかわらず、獣は攻撃を辞めない。
獣はひたすら拳をたたきつけ続けた。
「やれやれ、そんなに壊すのが楽しいか?」
ペテュールは笑いながら聞いた。
しかし、すぐに獣の様子がおかしいことに気づいた。あれではまるで必死になってあの小娘を叩いているようではないか。ペテュールがそう思ったとき、獣が後ろ足で体を支えながら魔力を込めた四本の腕を同時にたたきつけた。強烈なとどめの一撃は今までなんとか持ちこたえていた城の柱を破壊してしまった。天井が崩れ、城の崩壊が始まる。
「ちっ、やり過ぎだ馬鹿者め」
ペテュールは有無を言わさず獣に指示を出し、自分の身を守らせた。獣を盾として使いつつ、さらに魔力障壁も張って崩落に備えた。
「…………なんだ? 何も落ちてこない?」
城を崩壊させたはずなのに自分を守っている獣の体に何かが当たる気配がない。耳をすましても、物音ひとつしない。
これはおかしい。
獣の攻撃は確実に柱を砕いたはずだ。ならば城全体が崩れるまで行かなくともこの部屋の天井くらいは落ちてくるはずだ。
にもかかわらず、あたりはしんと静まりかえっている。自分の予想よりも城が頑丈にできていたのかと思い始めたとき、覆い被さってペテュールを守っていた獣が体をどかした。そして、ペテュールは見た。ヒルデの纏う巨大な魔力障壁が崩れ落ちてくる天井を支えているのを。
予想だにしなかった光景にペテュールが言葉を失う。あれだけの質量を支えるほどの障壁をこれほど広範囲に展開するなど、ましてや獣の攻撃を受けきった後でなおこんな真似ができるなどという存在はペテュールには理解不能だった。
この小娘は次元が違う。
ペテュールに理解できたのはそれだけだった。
「う、うああ……」
ペテュールが後ずさる。獣の目も、四つすべてが恐怖に染まっていた。
「アルヴァン様はわたくしを信頼していますの……だからわたくしは平気ですの……アルヴァン様はわたくしを信頼していますの……だから女狐さんがわたくしがしてもらえなかったお姫様だっこをしてもらっているのを見ても平気ですの……アルヴァン様はわたくしを信頼していますの……だからわたくしは畜生風情なんて軽くひねり潰してやれますの……」
赤い髪の怪物はブツブツとわけのわからないことをつぶやいている。
ペテュールは戦っていた。
生きることをあきらめようとする自分の本能と。
この怪物には絶対に勝てない。
ならば選択肢は二つ。死ぬか逃げるかだ。
すべてをあきらめて死ぬ方を選びそうになる己の心をなんとか鼓舞して、逃げる方を選ぶ。
もっとも、それすらも高望みかもしれないが。
ペテュールが杖を振って、おびえている獣を前に行かせる。獣は必死であらがったがペテュールはなんとかねじ伏せて怪物を攻撃させた。怪物はまだこちらの動きに気づいていないようだった。
「アルヴァン様はわたくしを信頼していますの……アルヴァン様はわたくしを信頼していますの……アルヴァン様はわたくしを待っていますの……あら?」
やけになった獣の豪腕があと少しで赤い髪の怪物を捉えようとしたとき、怪物がこちらに気づいた。
「邪魔ですわ」
怪物は一言そう言った。獣の目の前の空間に信じられないほどの魔力が一瞬にして収束していく、魔力は魔術によって炎に変換された。そして、獣の四つの目に映る世界のすべてを焼き尽くした。
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