第61話 人質確保

 応接間のビョルクは不安を紛らわせようと部屋を歩き回っていた。

「何なんだこりゃあ……」

 城のあちこちから悲鳴や雄叫び、剣戟の音がする。自分はとんでもないことに利用されているのではないか。

 ビョルクが疑い始めるのに時間はかからなかった。

 だが、すべては実の娘であるエリンとの生活を守るためなのだ。ビョルクは後悔しそうになる自分にそう言い聞かせた。それにしてもいったいどこからエリンの出生の秘密が漏れたのか……ビョルクの息子、つまりエリンの母親の夫が死んだ後に生まれた子であるとはいえ計算上、エリンはビョルクの孫であっても何ら不思議はない。実際に今までは隠し通してこれたのだ。秘密を知っているのは自分とエリンの母親だけ……自分は誰にも漏らしていないのだから秘密を漏らしたのは……。

 ビョルクは首を振って思考を断ち切る。彼女が裏切ったなどと考えるのはあってはならないことだ。そもそも、自分が彼女に関係を強要したのだから……。しかし、この事について考えると思考はいつも同じ場所にたどり着かざるを得なかった。

 ビョルクが思考の迷路を再びさまよい始めたとき、応接間のドアがノックされた。

「今開けるぞ」

 迷路から救い出してくれた誰かに感謝しながらビョルクが声を上げた。

「あんたたちは……」

 ビョルクが目を見張る。


「どうも」

「ごきげんよう」

 ドアの前に立っていたのはグレースとヒルデだった。

 二人の少女は素早く応接間の中に入るとドアを閉めた。

「先日はお世話になりましたわ」

 ヒルデが優雅に礼をする。

「いや、そんなことは……」

 状況に困惑しながらもビョルクがそう答えた。

「早速だけどビョルクさん、ボクらはあなたに頼みがあるんだ」

「頼み?」

 ビョルクがオウム返しに聞いた。

「あなたには人質になっていただきますわ」

 にっこりと笑ってヒルデが言った。

「何を馬鹿な……」

 ビョルクがかぶりを振る。

「あら、わたくしたちは本気ですわよ」


「…………おまえら、俺を甘く見てねえか?」

 大柄な体に力をみなぎらせてビョルクが凄んだ。

「ははは、甘く見ているのはあなたの方だよ」

 場違いな笑い声を上げるグレースの方に目を向けた瞬間、ビョルクの首には抜き身の長剣が当てられていた。

 薄く裂かれたビョルクの首から血が伝う。

 信じられないという目で自分を見ているビョルクにグレースが言い足した。

「そうそう、こっちのヒルデ君はボクなんかよりも遙かに強いよ。だから、馬鹿なまねはしないでくれると助かるな」

 ビョルクは横目でヒルデを見た。

 ヒルデはビョルクと目が合うと、微笑みながら少しばかり魔力を解放した。

 自分が何に刃向かおうとしていたのかをようやく悟ったビョルクはおとなしく降伏した。




「き、気をつけろ! 副官殿は敵だ!」

 必死の形相で逃げてきた兵士が叫ぶ。

「何を言ってるんだ?」

 だが、それを聞かされても普段のペテュールの姿しか知らない兵士たちは困惑するばかりだった。

「信じてくれ! あいつはとんでもない奴なんだ!」

 逃げてきた兵士は自分の思いが伝わらないいらだちをぶつける。


「なんだ、ここにいたのか」


 後ろから響いた柔らかな声に、逃げてきた兵士は心の底から恐怖した。

「君には困ったものだ。ちっとも私の言うことを聞こうとしないのだから……」

 豹の獣人である副官は大仰に肩を落として落胆する。

「う、ああ……」

 振り返ってペテュールの姿を認めた兵士は腰を抜かして廊下にへたり込むと、両手を使って必死で後ずさった。

 逃げてきた兵士のそんな姿を見て、周りの兵士たちは笑い声を上げた。


「何をやってるんだおまえは、相手はあのペテュール様だぞ」

「違う、違うんだ、俺たちはだまされてたんだ……」

 逃げてきた兵士が目に涙を浮かべて、必死で這いながら言った。

 兵士のその言葉はさらなる笑いを誘っただけだった。

 ペテュールもまた笑っていた。


「全くだ、疑う頭すら持たないそこの雑種どもを少しは見習って欲しいものだな」


 笑っていた兵士たちがペテュールの言葉に疑問を持つ余裕はなかった。

 笑っていた兵士の一人が突然胸を押さえて苦しみだした。

「おい! どうしたんだ!」

 隣にいた兵士が慌てて駆け寄る。

 その目の前で苦しんでいた兵士の首が飛んだ。

 頭が落ちて床に転がると、残された首からは鮮血が吹きだし、城の壁を赤く染めた。

 突然の事態に兵士たちは混乱した。


「なんだ今のは!」

「本当に死んだのか!」

「突然首がもげたぞ!」


 最初に逃げてきた兵士だけが状況を把握していた。

「こ、今度は何を出したんだ……」

 がくがくと震えながらかつて副官だった存在の方を見た。

「周囲の環境に合わせて体表の色を変える、つまり擬態することができる生物だな。もっとも、大型で気性が荒く、私の言うことしか聞かないのだがね」

 ペテュールが講義でもするかのように答えた。この段階になってようやく兵士たちは事態を正しく理解した。しかし、何もかもが遅かった。

 擬態した生物が目に見えない一撃を繰り出すたびに兵士たちの首が飛んでいった。

 断末魔の叫びが次々と上がる中、最後まで生き残ったのは最初に逃げてきた兵士だった。


「た、たた、たす、たすけ……」

 兵士はつっかえつっかえ言った。

「それではなんと言っているのか分からんよ。生憎と私は君がしゃべり方を思い出すまでつきあっていられるほど暇ではないんだ」

 申し訳なさそうにペテュールが首を振った。

 兵士の瞳は首から下が切り離された後も絶望の色に染まっていた。

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