第59話 それぞれの宴

 ペテュールもいつもの隠し部屋で準備を整えていた。城の各所に設けられた隠し通路をはぐれ者たちが使えるようにしておいた。これらはペテュールが先祖から受け継いだ遺産だ。

 

 ペテュールは高貴な血の持ち主だった。エイドレスのライムホーン家が代々狼の因子のみを受け継ぐように、彼の家系もまた豹の因子のみを受け継いでいた。太古の昔、ペテュールの一族はライムホーン家に反旗を翻した。自分たちこそがこの都市の統治者にふさわしいと。

 

 ライムホーン家を打倒すべく立ち上がったペテュールの一族は惜しくも敗れ去った。先祖の敗因に関してペテュールはライムホーン家が卑劣な策略を巡らせたのだと考えている。

 勝利だけでは飽き足らず、ライムホーン家は夢破れたペテュールの祖先を自分たちの召使いとして使うことを決めた。それも家名を剥奪して。だから、ペテュールに家名はない。

 

 ただのペテュール。どこにでもいるペテュール。ペテュールにはそれが我慢ならなかった。

 自分は高貴な存在なのだ。それが不当におとしめられている。なんと嘆かわしい。

 

 だが、ペテュールの一族はあきらめなかった。ライムホーン家に忠誠を誓いながらも自分たちの一族の血を、歴史を、無念を代々受け継いできたのだった。

 そして結実したのがこのペテュールという存在だ。たぐいまれな魔術の才、聡明な頭脳、先祖たちの遺産を使いこなす知識、飽くなき野心、そしてライムホーン家に対する何よりも深い憎しみ。その姿は先祖たちの理想が形になった存在といえた。

 

 ペテュールの先祖は代々、表向きは献身的にライムホーン家に仕え、長い長い年月を経てその地位を徐々に徐々に向上させていった。

 そして、うすら馬鹿の現領主エイドレス・ライムホーンに見事に取り入り、ついには無二の親友であるとともに副官でもある存在を生み出したのだった。

 

 ペテュールはあらゆる意味で先祖たちのライムホーン家に対する恨みの結晶である。

 先祖たちは考えた。ライムホーン家をたたきつぶすのは当然のことである。

 問題はいかにしてたたきつぶすかだった。


 それを思いついたのが正確には誰なのかをペテュールは知らない。ある日、先祖が残した魔術書を調べていたペテュールが発見したのはとある呪術だった。

 先祖はその呪術の基礎を作ることには成功したものの、実際に使用できるレベルまで持って行くことはできなかった。

 ペテュールは先祖よりも遙かに優秀だった。

 呪術を完成させたペテュールはそれを使用した。憎き敵、エイドレス・ライムホーンに。

 

 初めのうちは目に見える影響が出なかった。だが、注意深く観察しているといつの間にかエイドレスの様子が変わっていることに気づいた。つばを飲み込んでいるのだ。人の姿を見るたびに。

 

 術が効いたことにペテュールは狂喜した。これで宿願が叶う。ライムホーン家の破滅は決まったようなものだった。

 奴は汚らわしいはぐれ者となるのだ。禁忌である食人行為によって。

 ペテュールから見てもエイドレスの忍耐力は驚愕すべきものだった。常人であればもっと早く抑えが効かなくなって誰彼かまわず襲いかかったはずだ。にもかかわらず、あのぼんくらはもう何年もの間、飢えに耐えている。

 

 実に忌々しいことだが、それも今日までだ。ビョルクを人質にとって、あの薄汚い奴隷がペテュールがでっち上げた神剣のありかを聞く。そこで、ペテュールは自分の正体を明かす。そして、回りくどいやり方ではなく真正面からエイドレスに術をかけるのだ。それも強烈に。

 そうすれば奴は理性を失った野獣と化す。哀れな奴隷はエイドレスの記念すべき餌一号となる。そこで、ヴァーグエヘルとの交信を行う。

 一目瞭然の光景を目の当たりにした統治者は餌をむさぼる獣を領主の座から追放する。

 そして、このペテュールが領主の真の姿を暴いた英雄としてこの都市に君臨するのだ。

 自分が立てた芸術的とさえいえる計画に惚れ惚れとしていると、魔術回線が開いた。

 あの奴隷だ。


「ご主人様、城への侵入の準備が整いました」

 恭しい声でシグルが言った。奴隷どもの用意ができたらしい。

「ご苦労。後は手はず通りに」

 ペテュールはそれだけ告げて回線を閉じた。

 さあ、宴の始まりだ。




「手はず通りに、ね。残念ながらそうはならねえんだよな」

 ペテュールとの回線を閉じてにやりと笑うシグルに気心の知れた仲間たちが一様にうなずいた。

「神剣さえ手に入っちまえばあんな奴は用済みだろ?」

 仲間の一人が聞く。

「当然だペテュールの野郎には死んでもらう。英雄は二人もいらないからな。せいぜい華々しく散ってもらうさ。神剣のことを教えてくれた礼にな」

 シグルの言葉にはぐれ者たちはゲラゲラと笑った。

 パンパンと手をたたいて仲間を黙らせるとシグルが切り出した。

「今日までよく俺についてきてくれたな。日陰者でいるのも今日で終わりだ。俺たちは神剣を手にヴァーグエヘルを討って『竜の戒律』をたたきつぶす。野郎ども、宴の準備は良いか?」

 シグルが言うと仲間たちは力強くうなずいた。




「そろそろ時間だね、準備は良いかなヒルデ君?」

 グレースが教え子の方を見た。

「ふふふ、今度こそばっちりですわ」

 短い時間ではあったがグレースがみっちりと仕込んだ赤髪の少女はぐっと親指を立てて見せた。

「正直言って君が『やればできる子』だとは思わなかったよ。『やろうがやるまいができない子』だと思ってたんだけどねえ」

 グレースがにやりと笑う。

「あなたがわたくしを褒めるだなんて珍しいこともあるものですわ。ですが、ここは素直に受け取っておきましょう」

 好敵手に笑みを向けながらヒルデが言った。

「さあ、女狐さん! 警備兵どもをひねり潰しにいきますわよ!」

 ご機嫌な聖女様は足音高く部屋を出て行った。


「……あれが褒め言葉に聞こえるとは……君は普段いったい何を教えているんだい、ローネン?」

 グレースがローネンに疑わしげな目を向ける。

「ヒルデ嬢のあれはもはやどうこうなるものではありませんのう……」

 首を振ってローネンが嘆く。

「まあ、面倒をかけて悪いけど君の方でもサポートを頼むよ……」

 申し訳なさそうにグレースが言った。

「やれるだけのことはやらせていただきますのう」

 ローネンはうなずいた。


「ちょっと! わたくし一人だけをいかせるつもりですの!」


 誰もついてこないことに気づいたヒルデが戻ってきて顔を出した。

「今行くよ、ヒルデ君」

 ヒルデに返事をしてグレースが立ち上がる。

「女狐さん、久しぶりの宴ですわ」

 ヒルデの言葉にグレースの顔には笑みが広がった。

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