第47話 ビョルクの工房

「ううむ、こりゃあ確かにコンラッド家の印章だな……」

 グレースの指輪をためすがめす見ながらビョルクが言った。

「り、領主様とは知らず、し、失礼をいたしました……」

 消え入るような声でエリンが言った。


「なあに、気にすることはありませんわ」


 ヒルデが大らかに笑いながら答えた。

「なんでヒルデ君が答えているのかな……」

 困惑したグレースが言った。

「しかし、コンラッド家に娘なんていたか?」

 未だに納得がいかない様子でビョルクが首をかしげる。

「先代の領主である兄上の犯罪を知ったせいで幽閉されていたんですが、ついこの間、ここにいるアルヴァン君に助け出されたんですよ」

 グレースはそう言ってアルヴァンの腕をとった。


「ほう、まるでおとぎ話の王子様だな」

 にやりと笑いながらビョルクが言った。

「そうそう。ボクにとっては白馬の王子様なんですよ」

 グレースも調子を合わせ、熱っぽい視線をアルヴァンに送る。

「……ふん!」

 つかつかと二人の後ろから歩み寄ったヒルデがグレースとアルヴァンを引き離した。


「ヒルデ君、いま外堀を埋めているところなんだから邪魔しないでくれるかな」

 グレースが楽しげに言った。

「あら、ごめんあそばせ。あまりにも不愉快な光景だったものでつい手が出てしまいましたわ」

 少しも悪びれることなくヒルデが言った。


「おまえも苦労してるな……」

 二人のやりとりを見ていたビョルクが言った。

「も、モテモテですね……」

 アルヴァンにお茶を出しながらエリンも言った。

「そうですかね?」

 エリンが出してくれたお茶を飲みながら悠然とアルヴァンが言った。


「……まあいいか。おい、そろそろ商談に入るぞ小娘ども」

 ビョルクは未だに火花を散らしているグレースとヒルデに声をかけた。

「そうですね。そろそろまじめな話に移りましょうか」

 平然とした顔でグレースが言った。

「お待ちなさい! 話はまだ終わっていませんわよ!」

 ヒルデが食い下がる。


「こ、恋のさや当てですね……」

 若干興奮した様子でエリンが言った。

「ヒルデ、そろそろ本題に入らないと」

 アルヴァンが諭す。

「ぬぬぬ……アルヴァン様に言われたのでは仕方ありませんわね……」

 アルヴァンはなんとかヒルデを引き下がらせることに成功した。


「邪魔するぜ」

 買い付けの交渉を始めようとしたとき、工房のドアが開いた。

 アルヴァンたちが声の方に目を向けると、そこには真っ黒の猫の耳をはやした鋭い目つきの青年がいた。半人、半獣のその体は見事に鍛え上げられている。

「シグル……」

 ビョルクが今までの言動からは考えられないような弱々しい声で言った。

「なんだ? 客か。しかも人間とはな……」

 シグルと呼ばれた青年は大きな目で品定めするようにアルヴァンたちを見た。


「帰ってくれ。今はまだ……」

 シグルとは目を合わせずにうつむきながらビョルクが言う。

「おいおい、つれないこと言うなよ。俺とあんたの仲じゃないか」

 シグルは笑いながらビョルクに近寄り、その肩に手を回す。シグルよりも頭一つ大きいビョルクだが、今はその体が小さく見えた。

「シグル、頼む……」

 小さな声でビョルクが懇願する。


「あのなあ……」


 やれやれと言わんばかりの態度でシグルは背伸びをしてビョルクの耳元で何事かをささやいた。

 シグルのささやきを聞いたとたん、ビョルクは目を見開いた。そして、何かをこらえるかのように両手を強く握りしめた。

「あんたたち、悪いが今日のところは帰ってくれないか?」

 声を震わせながらビョルクが言った。

アルヴァンたちは互いに顔を見合わせるとうなずき合った。

「わかりました。また日を改めて伺いますね」

 アルヴァンがそう言うと、ヒルデとグレースも席を立ち、工房を後にした。




「あれは結局なんだったんですの?」

 工房からの帰り道でヒルデが口を開いた。

「あのご老人は明らかに弱みを握られているようでしたのう」

 ヒルデの肩に止まったローネンが言った。


「ひい! フクロウがしゃべりましたわ!」


 わざとらしくおおげさにヒルデが言った。

「私がしゃべれることは知っとるでしょうに! そういう反応をするのはやめてほしいですのう!」

 ローネンが憤りをぶちまけた。

「やっぱりそうだよね。ビョルクさんはあのシグルとか言う青年に脅されているみたいだね」

 グレースがあごに手を当てて考えながら言った。

「帰らない方がよかったかな?」

 アルヴァンが言った。


「あのシグルとか言う猫男、わたくしは苦手ですわ」

 ヒルデが言った。

「そうかい? 実はボクもだよ。ああいった感じの男よりはもっと落ち着きのあるタイプの方がいいね」

 グレースはそう言ってアルヴァンと腕を絡ませる。

「あらあらまあまあ、女狐さん。最近いろいろと露骨じゃありませんこと?」

 ヒルデも対抗して、あいた方のアルヴァンの腕をとった。

「なにぶん初恋なものだから勝手がわからなくてね。大目に見てくれないかな?」

 グレースがアルヴァンの腕に優しく体を押しつける。

「奇遇ですわねー。わたくしもこれが初恋なんですのよ。うふふふふ」

 笑い声を上げながらも目が笑っていないヒルデが強くアルヴァンの腕を引く。


「ううむ、若さというのはなんとも……」

 ローネンがかぶりを振りながら言った。

「ええと……」

 アルヴァンが両手の少女たちに困惑していると、後ろから何かがぶつかってきた。何かはアルヴァンの腰に手を回した。

「あ、あの……」

 後ろからぶつかってきたのはエリンだった。


「今取り込み中ですのよ。引っ込んでてもらいましょうか」


 目に炎を宿らせたヒルデがグレースをにらみながら言った。


「おやおや、三人目とはね……でも、君は後回しだよ」


 グレースもまたヒルデの視線に答えながら言った。

「ええと、そうじゃなくて……」

 二人の迫力にエリンは泣き出しそうな声を上げた。


「二人とも」

 アルヴァンがヒルデとグレースの腕を優しく、だが確固とした意思を示してふりほどいた。

「一時停戦ですわね」

「仕方ない。受け入れよう」

 二人の少女は合意に至った。

「それで、どうかしたのかな?」

 自由になったアルヴァンがエリンに聞いた。

「た、助けてください……」

 すがるような目で狐の少女が言った。

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