第44話 フィーバルの暇つぶし
「汚れは落ちたね。においの方は窓を開けておけばそのうちなくなるかな」
ヒルデの吐瀉物の掃除を終えたアルヴァンが手で額をぬぐった。
――おまえ、それでいいのか……。
フィーバルが聞いた。
「誰かがやらなきゃいけないからね。グレースさんは船長と話すことがあるって言ってたし」
使ったぞうきんをバケツに入れるとアルヴァンが答えた。
――フレドや三騎士の奴らが今のお前を見たらなんて言うだろうな。
「あんまり気にしないんじゃないかな。多分」
アルヴァンの答えにフィーバルは重いため息をついた。
――殺し合いとなればあんななのに普段はどうしてこんななんだろうな……。
「生まれつきじゃないかな」
――不抜けたお前を見るのも飽きてきたぜ。
「そう言われても」
――だからな相棒、ちょっとつきあえよ。
フィーバルがそう言った次の瞬間、アルヴァンの視界が暗転した。
「ここは……」
気がついたとき、アルヴァンは水辺に立っていた。
周囲には薄く霧がかかっており、目につく範囲に生き物の姿はなかった。
自分の体を確認すると、船内にいたときと同じ服装であることがわかった。
薄い霧の向こうに、古い木が立っているのが見えた。
アルヴァンは何かに導かれるように木に向かって歩き出した。
薄く水が張った地面は踏みしめるたびに波紋が広がった。
古い木の根元には人影があった。しかし、人影の周囲だけが濃い霧に覆われており、顔を確認することはできなかった。
「よう、相棒」
聞き覚えのある声がした。
「君なのかな?」
アルヴァンは声の主である人影に言った。
「面と向かって話すのは初めてだな」
人影はこちらに向かって歩いてきた。
「僕には君の顔が見えないんだけど」
「あん? そんなはずはねえんだがな……まあ細けえことはどうでもいいや。俺様は退屈なんだ。相棒、ちょっとつきあえよ」
そう言ったフィーバルの手にはいつの間にか漆黒の剣が握られていた。
「いいよ」
答えたアルヴァンの手にもまたいつの間にか簒奪する刃があった。
「よっしゃ、始めるとするか」
フィーバルの顔は霧で見えないが、声には愉悦がこもっていた。
剣を構えるフィーバルにアルヴァンが待ったをかけた。
「なんだよ?」
「ここで君を殺しちゃってもこの剣が壊れたりはしないよね?」
アルヴァンが聞いた。
アルヴァンの質問にフィーバルは腹を抱えて笑った。
「全く、お前は最高だぜ」
ひとしきり笑った後、フィーバルは改めて剣を構えた。
「船長、ライムホーンにつくのはいつ頃になるかな?」
グレースが聞いた。
「そうですな、天候を考えるとあと三日と言ったところでしょうな」
立派なあごひげをなでながら海図を見て船長が答えた。
「それにしても何でまた急にライムホーンなんぞへ行こうと思いなすったんです?」
油断なく光る目で船長が言った。
「ボクの友人がつけている髪飾りは見たかな?」
「あの赤髪のお嬢さんが付けていたやつですかい? あれはなかなかいい品でしたな」
赤髪の少女が付けていた緑の宝石がついた髪飾りを思い出しながら船長が答えた。
「そう、それだよ。ボクはあれが気に入ってね。ライムホーン産のアクセサリーだって聞いたから直接買いに行こうと思ったんだよ」
「なるほど、そうでしたか。しかし、そいつはちと難しいかもしれませんな」
考えるときの癖で船長はあごひげをなでた。
「問題になるのは『竜の戒律』かな?」
「ご存じでしたか」
少し驚いた様子で船長が言った。
「投獄されていたとはいえある程度は情報収集していたからね」
「クルス島唯一の都市であるライムホーンには領主とは別に統治者がいます。それが地上最強の種族、ドラゴンです。あの都市の住人はドラゴンを神としてまつり、ドラゴンが定める戒律を守りながら生活しておるんです。『竜の戒律』はあの都市における絶対の掟。わたしもすべてを把握してはおりませんが戒律は基本的によそ者には冷たくできておりますな」
「そうだね。なにせライムホーンは獣人の都市だ。ボクら人間はお呼びじゃないってわけさ」
「そういうことですな」
「ところで、クルス島にはライムホーンの住人以外にも獣人がいるんじゃなかったかな?」
「よくご存じですな。ライムホーンに住んでいない獣人は確かに存在しております。ライムホーンの連中からは『はぐれ者』といわれている奴らですな。はぐれ者たちは『竜の戒律』を破ってライムホーンを追放された者やその子孫たちのことですな」
「ドラゴンの決めたルールに逆らおうだなんて度胸のある人たちだね」
グレースが笑う。
「なに、『竜の戒律』は呪いのたぐいじゃありませんからね、破ったところで死ぬわけじゃない」
「ただ、追放されるだけか……ドラゴンに対しておおっぴらに反旗を翻した者はいないのかな」
グレースの疑問に船長は大笑いした。
「領主様、馬鹿なことをいっちゃいけませんぜ。相手は地上最強の種族だ。喧嘩なんて売ろうもんならあっという間に灰にされちまいまさあ」
「ドラゴンっていうのはそんなに強いのかい? 獣人は普通の人間よりは強いって聞いてたんだけどね」
「確かに獣人たちは私ら人間よりも頑健で敏捷ですな……だが、ドラゴンの前では……」
船長がかぶりを振る。
「なるほど、そんなに強いのなら彼も興味を持ってくれそうだね」
グレースはうなずきながら言った。
「どうかされたんですかい?」
「いやなに、ボクの友達に強い相手を見ると殺してみたくなる男の子がいてね」
笑みを浮かべてグレースが言った。
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