第42話 闇を見つめて

 深夜、カイルはベッドに腰掛けて目の前の闇を見つめていた。あのとき目にしたのと同じ色。

 自分からすべてを奪った黒。

 いや、違う。

 すべてを手放したのは自分だ。

 だからあのときアーシャは……。

 

 カイルは立ち上がった。魔力を込めた手刀で鍵のかかった扉を難なく切り裂いた。

 部屋から出ると、近くにいた見張りをあっけなく気絶させ、目的の場所へ向かう。

 

 途中で出会った砦の兵士たちはカイルを認識するよりも早く意識を刈り取られていった。

 いつもよりも体が軽い。

 カイルは漠然とそう思いながら進んでいった。

 階段を降り、廊下を歩いていく。カイルの歩みに迷いはなかった。彼にはあれがどこにあるのかわかっていた。

 フレド隊長が、アーシャが教えてくれる。

 目的の部屋の扉を開けるとテーブルの上にフレドの短剣とアーシャの正宗が置かれていた。

「フレド隊長、アーシャ……僕を罰してほしい」

 カイルは二つの剣を手に取ると砦を後にした。




「全く、そろいもそろってなんてざまだ……」

 エリヤフ中佐は部下の報告に頭を抱えた。

「申し訳ありません。ただ、彼の技の切れは尋常ではなく……」

「なんと言ってもフレドの部下だからな……うちの連中では歯がたたんか……」

「あの青年、カイルの模擬戦での様子は見ておりましたが、正直言ってあそこまでできるとは思いませんでした」

「カイルのことはもういい。捜索しようにも手がかりがないからな」

 中佐は手を振ってカイルの話題をはねのけた。


「後はもうあの娘が何かを知っていることに賭けるしかないな」

 中佐は軍医が懸命に治療を行っている、隠れ里の生き残りだという娘のことを思い浮かべながら言った。

「そうするしかないようです」

「わかった。後は軍医に任せるとしよう」

 そう言って中佐は部下を下がらせた。

 一人になったエリヤフ中佐は部屋の窓から偵察部隊が向かった黒の森の方を見つめた。

「何かがある……俺の勘が言っている。何かが起ころうとしているんだ……とてつもないことが……」

中佐の懸念に耳を傾けてくれる者はいなかった。




「では行ってくるよ」

 グレースがガスリンと衛士隊長に言った。

「領主様、行ってらっしゃいませ」

 衛士隊長は恭しく頭を下げた。

「留守中のことは任せときな」

 葉巻を吹かしながらガスリンが言った。


「ガスリン! お前というやつは……」

 衛士隊長は領主であるグレースに対して不遜な態度を取るガスリンをにらみつけた。

「ボクは気にしていないよ」

 グレースは笑いながら言った。

「ほらな、領主様もこう言ってるぜ」

 味方を得たガスリンが得意げに言った。


「なにせガスリンには寝る暇はおろか食事をする暇もないくらい大量のお仕事を用意してあるからね」

 グレースはそう言って片目をつぶって見せた。

「おや、そうでしたか。領主代行殿も大変ですな」

 グレースに調子を合わせて神妙な様子で衛士隊長が言った。

「おいおい、勘弁してくれよ」

 うろたえるガスリンを見てグレースと衛士隊長は声を上げて笑った。


「グレース様、そろそろ出航するようですのう」

 飛んできたフクロウがグレースの肩にとまって言った。

「わかった。じゃあ行こうか」

 グレースはガスリンと衛士隊長に手を振ると港に停泊していた大型帆船に乗り込んだ。


「あの二人、どんどん打ち解けていきますなあ」

 フクロウの体にもすっかり慣れたローネンが言った。

「ふふっ、仲がいいのはいいことじゃないか」

 グレースが笑う。

「恐るべきはアルヴァン殿の魔剣の力ですのう」

「そうだね。でも、アルヴァン君は簒奪する刃を振るうしか能のない男ではないんじゃないかな」

「ホウ、ずいぶんと高く買っておりますのう」

「意外かな?」

「それはなんともいえませんが……今のアルヴァン殿はそうたいした御仁には見えませんのう」

 そう言ってローネンは首を巡らせた。


 つられてグレースも目を向けた。

「おぼろろろろろろろっ」

「大丈夫?」

 二人の視線の先には海に向かって胃の中身をぶちまけている紅蓮の聖女と、彼女の背中を優しくさすってやっている銀髪の青年の姿があった。


「まだ停泊中なんだけどね……ヒルデ君がここまで船酔いしやすかったとは……」

 グレースが言った。

「ふふっ……女狐さん……見ましたか? わたくしとアルヴァン様は腹蔵なくつきあえる中ですのよ……」

 ふらふらとしながらも振り向いたヒルデが、青ざめた顔に精一杯の得意げな表情を浮かべて見せた。


「ヒルデ君、その言葉はこういう状況を指すものじゃないよ」

 哀れむような口調でグレースが言った。


「…………!」


「言葉にならないくらい驚くようなこと言った覚えはないんだけどね……」

 見ていられないとばかりにヒルデから目をそらす。

「あ、アルヴァン様……」

 絶望に染まった顔でアルヴァンにすがるような目を向ける。


「うん。グレースさんの言うとおりだね。」

アルヴァンもまたヒルデから目をそらした。

「というかヒルデの言うような意味で『腹蔵なく』つきあうのはいやなんだけど……」

言いにくそうにアルヴァンが言った。

「………………」

 ヒルデの青ざめた顔に羞恥による赤みが差していく。


「……恥ずかしくなったら、なんだか気持ち悪さがぶり返してきましたわ……」

 ヒルデの言葉を聞いたグレースとアルヴァンは慌てて彼女に海の方を向かせた。

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