第40話 レイモンド・エリヤフ中佐の憂鬱
少し時間をさかのぼる。
その砦の門番は配属されたばかりの新人だった。王国の中でも辺鄙な村の出である彼は立身出世を夢見て故郷を出た。
はじめはおとぎ話に出てくるような英雄を目指していた彼も、世の中にはおとぎ話の世界にしか存在しないような強者たちが本当にいることを知り、早々に夢をあきらめていた。
たとえば、そう、少し前にこの砦に立ち寄った王国の偵察部隊長のような。砦に滞在していたときに偵察部隊員同士での模擬戦を見る機会があったが、あの隊長の強さは彼からすれば異常としか言い様がなかった。
自分は身の丈に合った人生を送ればいい。そんなことを考えていた彼は、砦に近づいてくる人影に気づくのに少し遅れた。
それは、まるで死人が歩いているかのように見えた。足取りは比較的しっかりしているものの生気が感じられない動きだった。
門番はようやくその人物が身につけているのが偵察部隊員のマントであることに気づいた。慌てて偵察部隊員に駆け寄った。
「おい、あんた、大丈夫か?」
よく見れば、偵察部隊員は少女を背負っていた。少女はぐったりしており、具合がよくないことは一目でわかった。
「その子を運んできたのか? ずいぶんと具合が悪そうだが……」
偵察部隊員はゆっくりと背中の少女を下ろすと、彼女を門番に預けた。
「ひどい熱だな。早く手当てしなくては……」
門番は少女を抱えて砦の方に歩き出した。
少し行ったところで、少女を連れてきた偵察部隊員がついてきていないことに気づいた。
「おい! どうした? あんたも早く来るんだ!」
門番が声をかけると、隊員はようやくのろのろと動き出した。
身体を鍛えているからだろう、その歩みはなめらかでしっかりとしている。しかし、門番には風が吹けば倒れてしまう弱々しい人形のようにしか見えなかった。
砦の軍医の元に少女を運んで手当てをしてもらう。彼がやることはたったそれだけだった。あの隊長のような、おとぎ話の英雄にはなれないが、少女を助けるために奮闘する今の彼は小さな英雄だった。
だが、彼は後に知ることになる。この世界にはおとぎ話の世界に出てくるような英雄すらも打ち倒す怪物が存在することを。
砦の責任者であるグロバストン王国軍中佐レイモンド・エリヤフは困惑していた。所用から戻った彼が見たのは大声で指示を出す軍医だった。はじめは訓練中に事故でも起きたかと思った。だが、あの温厚な軍医があれほどまでに声を荒げている姿など見た覚えがない。中佐は手が空いていそうな兵士を見つけて事情を聞いた。
「エリヤフ中佐! 戻られましたか!」
声をかけられた兵士は安堵の表情を浮かべた。
「いったい何があったのだ?」
「私もよくはわからないのですが……どうもこの間砦に滞在した偵察部隊が壊滅したそうです」
兵士の言葉に中佐は耳を疑った。
「馬鹿を言うな……あの部隊を率いていたのはフレドだぞ……」
偵察部隊の任務については中佐も聞いていた。はっきり言って帝国の部隊が作った隠れ里などというものは信憑性が薄いと思っていたし、仮にそんなものがあったとしてもフレドたちを投入するなどと言うのは虫取りに猟犬を持ち出すようなものだと考えていた。
にもかかわらず、目の前の部下は偵察部隊が壊滅したと言っている。
「ですが……偵察部隊の生き残りはそう証言しているそうです」
兵士もまた戸惑っているのが見て取れた。
「……その生き残りの元まで案内しろ」
エリヤフ中佐は疑念や困惑を表に出すまいと努力しながら言った。もっとも、どこまで隠し通せているかは彼にもわからなかったが。
「どうにも要領を得んな……」
中佐は重いため息をついた。
「申し訳ありません。こちらにたどり着いてからというものずっとあの調子で……」
偵察部隊の生き残りであるカイルの事情聴取を担当していた兵士が言った。
二人はカイルに話を聞いたものの、彼の話す内容は断片的でまとまりがなかった。
仕方なく中佐は半ば脅すような口調でカイルを詰問したが、彼には堪えていなかった。
「だが、あの様子は尋常ではない」
中佐は自分が声を荒げたときのカイルの反応を思い出していた。
あの青年はこちらの脅しには一切無関心だった。中佐とてたたき上げの軍人である。人を威圧するすべくらいは心得ている。
だが、あの青年には全く効き目がなかった。
あの青年はこちらを見て笑った。中佐も二十五年以上軍人をやっているが、怒りをあらわにした自分を見て、吠える子犬でも見るかのように笑う人間など見たことがなかった。
いったいなにを経験すればそんなことができるようになるのか見当もつかなかった。
「…………王都に回線を開け」
しばらく考え込んでいたエリヤフ中佐はそう言った。
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