第31話 追撃
夕方頃、北と東に向かう囮の一団を見送った後、グレゴールは号令を出した。
「よし、我々は南から迂回路を通ってシルトヴァインに向かうぞ」
マクシムと完全武装した三騎士、そしてローネンがうなずいた。
ここまでは順調に進んでいた。囮にはグレゴールによく似た背格好のものを選んだし、自分が普段使っている馬も囮に使わせた。三騎士の予備の装備を身につけさせた偽の護衛もつけてある。どれが本物であるかはそう簡単にはわからないはずだった。
グレースに遅れはとったがまだやり直せる。
自分には全幅の信頼を寄せられる三騎士がいるのだ。
グレゴールはそう思っていた。
都市を離れてからしばらく馬を走らせていると石造りの大きな橋が見えてきた。この橋を越えれば森にはいる。幼い頃から狩りに使ってきた森だ。地理は熟知している。日が落ちてしまっても、森に入ってしまえば追っ手を完全にまくことができる。
先頭を走るローネンが橋を渡りきった。続いてグレゴール、マクシムが橋にはいったとき、何か黒いものがグレゴールの視界の隅に写った。頭がそれを知覚する前にグレゴールは吹き飛ばされていた。
一瞬、空中を浮遊する奇妙な感覚を覚えた後、固い地面にたたきつけられていた。
頭を振って顔を上げる。体は痛むが、骨が折れたりはしていないようだった。周囲の見渡すと橋が崩れていることに気づいた。馬から下りたローネンがグレゴールと同じように吹きとばされたマクシムを介抱していた。
「な、なんだ! なにが起きたのだ!」
乗っていた馬は見当たらない。おそらく川に落ちてしまったのだろう。
「グレゴール様! 先にお逃げください!」
切迫した叫びをあげたのはヘクトルだった。
彼は崩れ落ちた橋の向こう岸でグレゴールに背を向けて身構えていた。
ヘクトル、エバンス、エドワルトの三人は向こう側に取り残されていた。
「なにを言っている! おまえたちもくるのだ! この程度の距離はなんてことなかろう!」
「グレゴール様! 我々はあそこのあやつの相手をせねばなりませぬ!」
グレゴールはヘクトルがこれほど切迫した声を上げるところを見たことがなかった。
ヘクトルの視線の先にいたのは銀髪の青年だった。髪の色以外はこれといった特徴のない青年だ。彼は腰に剣を差していた。
「銀色の髪……マレビトか?」
グレゴールがつぶやいた。
「グレゴール様、逃げますぞ」
ローネンがグレゴールの腕を取る。ローネンの馬は石橋の残骸を食らい、動けなくなっていた。
「あんな貧相な小僧一人に……」
グレゴールが言いかけたところで青年が腰の剣を抜いた。
その剣は夕暮れの陽光を飲み尽くしているかのように黒く染まっていた。
次の瞬間、青年の体からどす黒い魔力が放出された。
「なっ……あ、あ……」
グレゴールは言葉を失っていた。
高い魔力を持った人間なら何人も見てきた。三騎士がそうだし、魔術師ローネンもだ。だが、銀髪の青年の魔力は今までに見てきたどんな人間のものとも違っていた。
ひたすらなまでに禍々しく、それでいて例えようもないほどに力強い。
これほどの距離があるにもかかわらず、圧倒されてしまったグレゴールは膝を屈した。
そのとき、銀髪の青年がこちらに目を向けた。
「う……あ……」
後ずさった。頭が、心が、魂が、グレゴールのすべてがこの青年から逃れることを欲していた。
「グレ……ル、レ……グレゴール!」
それがマクシムの声だとわかると同時に右の頬に衝撃が走った。
「父……上……?」
ようやく目の前にマクシムが立っていることに気づいたグレゴールが呆けたように言った。
「気がついたな。逃げるぞ! 急げ!」
マクシムがグレゴールの手を引いて走り出す。
「だ、駄目です父上……あんな……あんなものと戦わせてはならない……」
血の気を失った顔でグレゴールがつぶやく。
「グレゴール、よく見ろ」
そう言ってマクシムはヘクトルたちの方を示した。
「グレゴール様! ご安心くだされ! 必ず戻ります!」
グレゴールの方を向いて力強く宣言したヘクトルは笑っていた。
エバンスとエドワルトもグレゴールに向かって笑って見せた。
「お前たち……」
強大な敵を前にしてもひるまない三騎士の姿にグレゴールは胸を打たれた。
胸から熱が広がっていく、失われた力が戻っていく。
グレゴールは立ち上がった。自分のために戦ってくれる騎士たちに報いるために。
「父上、ローネン、必ずや逃げ延びましょう」
グレゴールの言葉にローネンとマクシムもうなずいた。
「ヘクトル、エバンス、エドワルト! 後は任せたぞ!」
もっとも信頼する騎士たちに向かってそう言うとグレゴールは森へと入っていった。
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