第6話 フレドという男

「なんとか間に合ったようだな」

 里の外れにあった石造りの建物の中でフレドは安堵の息を漏らした。

「ええ、ひとまずは大丈夫かと思います。じきに意識も戻るでしょう」

 部下の一人がそう言って白と黄色の儀式用と思われる装束を着た少女を見下ろした。


「あ……あ、あ……」

 少女は苦しそうに何事かつぶやいている。     

「このおばあさんもだけど、一体何の衣装なのかしら?」

 アーシャが少女と似たような衣装を着た老婆の死体を見ながら言った。

「儀式か何かだろうな」

 フレドが言った。

「一体なにをやっていたんだろう」

 カイルがつぶやく。

「帝国の部隊がこそこそ隠れてやる儀式だ。まあ、ろくなもんじゃねーだろーな」

「とにかく、彼女が目覚めればわかるわ」

 アーシャの言葉にカイルとフレドがうなずいた。


「隊長! また、生存者です!」

 外にいた部下が叫んだ。

 フレドたちは急いで外に出た。

 部下が指さす方を見ると革袋を担いだ銀髪の青年がいた。青年の手には大ぶりな漆黒の剣が握られている。

「おお、よかった。話を聞けそうな生存者がいたな」

 そう言って一番若い部下が青年に駆け寄る。


「そいつに近寄るな!」


 血相を変えてフレドが叫ぶ。

 フレドの怒声に部下は動きを止め、振り返った。

 その部下の首が飛んだ。

 革袋を地面に落とし、一気に踏み込んだ青年が黒い剣を振るったのだった。

 頭を失った部下の体が切断面から血を吹き出しながら倒れ、続いて飛ばされた首が地面に落ちた。

 フレドたちが一斉に武器を抜いて構えた。

 戦意をみなぎらせたフレドたちを見て、青年は口の端をつり上げた。

 青年の体からどす黒い魔力があふれ出す。


「隊長、これは……」

 青年から目を離さずにカイルが聞く。

「見りゃわかるだろ。こいつが下手人さ」

短剣を逆手に構えたフレドが苦々しげに言った。

「おじさん、強そうですね」

 まっすぐにフレドを見つめ、青年が言った。人の首を切り飛ばした直後とは思えない穏やかな声だった。

「ああ、俺はちょっと強えぞ」

 フレドが応じた。

「いいね」

 青年の笑みが大きくなり、体からあふれ出す魔力がさらに禍々しさを増した。


 フレドの部下たちはこれほど強力で邪悪な魔力を持つ人間を見たことがなかった。

 部下たちは恐怖に体を震わせながら武器を握りしめていた。

 一歩ずつ、ゆっくりと青年はフレドの方に歩いて行く。その目にはフレド以外の人間は映っていなかった。

「う、うあああ!」

 青年の魔力に当てられた部下たちが一斉に青年に襲いかかった。

「バカ! やめろ!」

 フレドが叫ぶ。


「邪魔だよ」


 それまで見せていた魔力などちょっとした余興に過ぎないと言わんばかりの激烈な魔力の奔流が青年の体から迸った。

 襲いかかった部下たちは青年の魔力に飲み込まれた。

「あっ、がっ……」

 人体にとって、これほどまでに濃密で禍々しい魔力は猛毒同然だった。

 魔力に飲まれた部下たちは呼吸もできずにのたうち回った。


「みんな!」


 アーシャが部下たちを助けようと駆け出す。

 カイルが肩に手をかけてアーシャを制した。

「離して! このままじゃみんなが!」

 必死の形相でアーシャがもがく。

「駄目だ。もう手遅れだよ、アーシャ」

 カイルがかぶりを振る。

「なに言ってるのよ! 早くみんなを――」

 言いかけてアーシャが口をつぐむ。

 カイルの顔を見たからだ。カイルの顔は土気色になっていた。

「カイル……」

「いい判断だ、カイル。中にいる娘を連れてアーシャと一緒に王国に戻れ」

 そう言ってフレドが二人を守るように前に出た。

「わかりました」

 答えるとカイルは建物の中に入っていった。

「お父さん……」

 アーシャが悲痛な声をもらす。

「なーに心配すんな。俺も後で行くさ」

 振り向いたフレドはいつもと同じ軽薄な笑顔を浮かべて娘に言った。

「わかった」

 アーシャはそう言って娘を担いで出てきたカイルとともにフレドに背を向けて走って行った。

 二人の姿が遠くなったのを確認するとフレドは改めて青年と向き直った。


「待ってくれるとはありがてえこった」

 フレドが言った。

「足手まといがいるとおじさんも戦いにくいでしょ」

 邪悪な魔力を纏いながら、穏やかな声で青年が言った。

「クラインの奴はよ、犬が好きでな。隊舎には動物連れてくんなって何遍言っても、隠れて野良犬にえさやってやがったんだよ」

唐突に語り出したフレドに青年は怪訝な表情を浮かべた。

「ヨハンはな、でけえ体してるくせにてんで酒が飲めなくてよ。隊の連中で飲みに行こうとするたびに嫌そうな顔してやがったんだ。

 グレッグは若いのに苦労人でな。田舎の母さんのために立派な軍人になるんだって張り切ってやがったんだ」

「そう」

 自分が殺したフレドの部下たちを眺めながら青年が言った。

「だからな――」

 フレドの魔力がふくれあがる。強力な魔力は圧力に耐えきれなくなった地面に亀裂を走らせた。


「テメエには死んで詫びてもらうぞ、小僧!」


 瞳に憤激の火を宿してフレドが叫ぶ。フレドを包む魔力がさらに力強さを増した。

 フレドが一足で青年の側面に回り込む。

 青年は右に剣を振るった。

 フレドが突き出した短剣と青年の剣が交錯した。

 業火のような魔力を纏うフレドを青年は満面の笑みで迎えた。

 フレドが飛び下がる。

「速いね」

 青年の賞賛を無視してフレドは短剣を口にくわえると、両手を使って目にもたまらぬ早さで印相を結ぶ。

「それも魔術かな?」

 そう言うと青年も左手の人差し指と中指を向ける。

「白雷」

 青年の二本の指から白い雷が放たれた。

 フレドめがけて飛んだ雷は地面から突き出した二本の土の槍に阻まれた。

 雷は土の槍の先端を砕いたものの、槍は伸び続け、青年に襲いかかった。 

 青年は二本の槍を剣で切り飛ばした。

 槍を目くらましに使い、青年の後ろに回り込んでいたフレドは魔力を込めた短剣で斬りかかった。青年の魔力が障壁のように機能し、フレドの剣の勢いを弱める。


「なめんじゃねえぞ!」


 気合いとともに短剣を振り抜いた。剣は青年の魔力を貫き、体を切り裂いた。

 一撃を受けた青年はフレドから距離を取った。

 青年の背中から血がしたたり落ちた。

「血が出るんなら殺せるな。まあ、出なくても殺してやるがな」

 短剣についた青年の血を眺めるとフレドが言った。

 そんなフレドを見て、青年は新しいおもちゃを見つけたかのように笑った。


「いつまで笑ってられるかな」

 フレドはマントに仕込んだ小型のナイフを抜き、青年に投げつけた。

 魔力を込められたナイフは青年に達するまでに二つに分裂し、分裂した二つがまた分裂して四つになり、さらにそれぞれが分裂して計八本になって飛んだ。

 青年が驚きに目を見張った。

 八本のナイフは青年が纏う魔力に押し負け、命中することなく地面に転がった。

「面白い手品だったね」

「いや、こっからが本番だ。刃界包囲」

 フレドは印相を結ぶとマントを翻した。仕込まれていた無数のナイフが宙を舞った。

 放り出されたナイフは倍々に増え続け、周囲を埋め尽くした。

 ナイフの群れはフレドの魔力を受けて飛び回り、青年を取り囲んだ。

 青年を取り囲んだ無数のナイフが鳥の群れがえさに群がるかのように襲いかかった。

 一つ一つでは青年の障壁のような魔力を貫けないが、数が集まれば話は別だ。

 ナイフたちは驟雨のように青年に打ちかかった。

 ナイフの群れが生き物のように飛び交う。

 迫り来るナイフの群れを剣で振り払う青年にフレドが斬りかかる。

 ナイフたちはフレドの体をよけるように飛びつつ青年に襲いかかっていた。

「よく躾けてあるね」

 フレドの短剣を受け止めながら青年が言った。

「俺のとっておきだ。往生しな」。

 フレドは四方八方からナイフたちに青年を襲わせ、自身も攻撃の手を緩めない。

フレドの攻撃は青年の魔力による防御を削っていった。


「白雷」


 三本の光線が青年の指から放たれた。だが、ナイフの群れはフレドを守るように壁を作り、光線を防いだ。

 青年はナイフが作った壁とは逆方向にかけだした。

「守りに集中させて薄くなったとこから抜けようってか? 甘えよ」

 青年の前にナイフの群れを集中させ、壁を作って動きを制する。

 ナイフの群れが動きが止まった青年の足を切り裂き、腕を突き刺し、肩を貫く。


 青年が膝をつく。

「俺の刃界包囲を破った奴はいねえ。諦めな」

 すべての刃が静止し、切っ先を青年の方に向ける。

「さあ、死んで詫びてもらおうか」

 青年を突き刺すべく、ナイフの群れが一斉に動き出したとき声がした。


――そろそろいいぜ、相棒。


 フレドが頭の中に響いてくる声について疑問に思う暇はなかった。

 青年が持つ漆黒の剣に莫大な魔力が収束していくのを感じたからだ。

 瞬時に魔力障壁を最大出力で展開した。

 展開が終わった瞬間、漆黒の濁流がフレドを襲った。

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