饗宴は終わらない

三条ツバメ

第1話 日常の終わり

 周囲を木々に囲まれた広場で木剣を打ち合う音が響いていた。

木剣を振るっているのは黒い髪に白いものが混じった壮年の男と銀色の髪の青年だ。青年が振り下ろした木剣を壮年の男が下からすくい上げるようにして打った。木剣が青年の手からはじき飛ばされた。


「筋は良いのだがな……」

 木剣を振りぬいた壮年の男が言った。

「そうなんですか?」

 しびれた両手を不思議そうに眺めながら青年が尋ねた。


「そこだ、アルヴァン。お前の欠点は、何というか……」

 壮年の男は木剣で自分の肩をとんとんと叩きながらかぶりを振る。

「覇気がない?」

 アルヴァンが他人事のように言った。

「そうだ。気がこもっておらんのだ」

「魔力ならちゃんと込めていますよ」

「それはわかっとる。というか魔力がこもっていなかったら、俺の一撃で木剣が砕けているだろう」

 そう語る壮年の男の木剣は淡い青色の靄のようなもので覆われていた。

「お前の剣にはまるで中身が詰まっていない。動く案山子でも相手にしているかのようだ。いや、それ以下かもしれん」

「うーん……そう言われても……」

 師の酷評にアルヴァンは考え込むような様子を見せた。


 先ほど真上に弾き飛ばされた木剣が頂点を過ぎて回転しながら落ちてくる。アルヴァンの頭を直撃する軌道だった。

「おい、アルヴァ――」

 上を見ようともしない弟子にあわてて声をかける。

 アルヴァンは顎に右手を当てて考え込んだまま、左手を滑らかに動かし、落ちてきた木剣の柄を掴んだ。

「何ですか?」

 何事もなかったかのようにアルヴァンが言った。

「筋は良い、筋だけは良いのだがな……」

 壮年の男は深くため息をついた。


「アルヴァン、こんなところにいましたか」

 二人のもとにアルヴァンと同年代の少女が駆け寄ってきた。儀式用の白と黄色の装束を着ており、腰のあたりまで伸びたくせのない黒髪が揺れていた。

「おはよう、マヤ」

「稽古などしている場合ではありません。行きますよ、アルヴァン。おばあさまがお待ちです」

 髪と同じ色のマヤの瞳にはわずかではあるが怒りの色がある。整った顔立ちと相まって今のマヤにはなかなかの迫力があった。

「わ、わかったよ。儀式の時間だね。じゃあ、行ってきます」

「おう、しっかりやれよ、アルヴァン」

 アルヴァンは持っていた木剣を師匠に渡し、別れを告げると、マヤに引きずられるようにして去っていった。

「……すまんなアルヴァン。十七年。十七年我らはマレビトのお前を育てたのだ。……恩は返してもらうぞ」

 男が漏らした言葉は誰の耳にも届かずに消えていった。




 マヤとアルヴァンは稽古に使っていた広場を離れ、里のはずれにある祭殿へと向かっていた。

「全く……今日は本当に大切な日なんですよ。それなのにあなたときたら暢気に剣の稽古などして。大体、付き合うユアンもユアンです」

「師匠のことは責めないでもらえると嬉しい……かな?」

 マヤの剣幕にアルヴァンの声はしりすぼみになっていった。


「おお、アルヴァン! とうとう儀式の日だな。しっかりやれよ!」

「今日からあなたも防人ね。おめでとう、アルヴァン」


 里の者たちがうれしそうな様子で口々にアルヴァンに声をかけてくる。アルヴァンは軽く手を振ってこたえながら、スタスタと前を歩くマヤに遅れないようについて行った。

 里の民家よりも一回り大きな石造りの建物である祭殿に近づくにつれて、辺りには民家もなくなり、どこか張り詰めた空気が漂いだしていた。


「いいですか、もう一度確認しておきますよ。今日行うのは『防人の儀』です。これを行うことであなたは防人――つまり、里の防衛隊――の一員として認められるのです」

 祭殿の前まで来たところでマヤが立ち止まって言った。

「まあ、今までも防人の人たちと一緒になって時々害獣駆除したりしてたけどね」

 作物を荒らす猪や熊を防人たちと一緒になって狩ったことを思い出しながらアルヴァンが言った。

「確かに、防人の実質的な仕事は害獣の駆除です」

 マヤも渋々認める。

「ですが、これは伝統ある通過儀礼なのです。これを経ることで里の男子は一人前の男として認められ――」

「わかった。わかったから」

 降参のしるしに両手を上げた。

「よろしい。では、行きましょう」

 二人は祭殿に足を踏み入れた。


 祭殿の中は四隅と中央でたいまつが燃えているにもかかわらず、妙に肌寒く感じられた。

「おお。よくきたね、アルヴァン。それにマヤも」

 祭殿で待っていた老婆が二人の姿を認めて微笑みを浮かべた。

 マヤと同じ白と黄色の儀式用の装束を身に着けている。瞳の色も孫であるマヤと同じ黒だが髪は真っ白だった。

「おはようございます、ユイ様」

 アルヴァンが頭を下げる。

「おはよう。昨日はよく眠れたかね?」

「よく眠れたどころか、アルヴァンったらさっきまで剣の稽古をしていたんですよ」

「ちょっと、マヤ」

 告げ口されたことにあわてたアルヴァンはユイに向かって困ったような笑みを浮かべた。

「おやまあ、元気なことだねえ。防人になるのが待ちきれないのかい?」

 ユイは笑みを絶やさない。

「習慣なので……」

 頭の後ろを掻きながら言った。

「頼もしいじゃないか」

「でも、ユアンからは覇気がないって言われてたんですよ」

「聞いてたの⁉」

 思わずマヤの方を見た。

「はっはっはっ! 覇気がないときたか。ユアンもなかなか言うじゃないか」

 ユイが大笑いして、アルヴァンの肩を叩く。

 アルヴァンは顔を赤くして縮こまった。

「おばあさま、そろそろ……」

 真剣な面持ちでマヤが言った。

「そうだね。始めるとしようか。準備はいいね、アルヴァン」

 表情を引き締めたユイに問われ、アルヴァンはしっかりとうなずいた。


 アルヴァンの様子に満足げな笑みを浮かべたユイは中央のたいまつのすぐそばにある台座に置かれた剣を取り上げた。

 その剣はアルヴァンが使っていた木剣よりも一回り大きい両手剣であり、剣身、柄、鍔、すべての部位が闇を溶かし込んだような黒一色だった。

「アルヴァン、お前にこの剣を授ける」

 ユイが厳かに告げる。アルヴァンはユイの前にひざまずいて両手を差し出し、剣を受け取った。

「構えてごらん」

 ユイの言葉に従って、アルヴァンは立ち上がり両手で剣の柄を握った。

 見た目よりも重い剣だと思っていると、すっとマヤがアルヴァンから離れた。


「『解錠』」


 ユイがそう唱えた直後、漆黒の剣から魔力が吹き出し、アルヴァンを襲った。

 アルヴァンには剣の魔力が体に侵入するドクドクという音が聞こえた。視界が真っ赤に染まる。あまりの苦痛にわけのわからない叫びが口から迸った。


――よお。大変そうだな、おい。


 のどが裂けるくらいに叫んでいるはずなのにその『声』は妙に鮮明に聞こえた。


「き……み、は……」


――お、聞こえてるな。ちゃんとマレビトの血が流れてるってわけだ。


「ど……うし……て、それ……を……?」


――その件については後回しだ。……ああ、自己紹介がまだだったな。俺の名はフィーバルだ。短い間だが、よろしくな、相棒。

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