【番外編】リシャルドの弱点ー1

「こんなもんか」


珍しくボタンの付いた上着に袖を通したユゼフは、事務室の鏡の前でそう呟いた。

普段の動きやすいチュニックじゃない上に、髪も髭も整えている自分は、鏡の向こうでいかにも窮屈そうだ。

仕方ないだろ、と自分に言い聞かせるように肩をすくめる。


——おっと、そうだ。


首元に手をやり、傷が見えないか確認したユゼフは、高い襟はこういうとき便利だな、と感心した。


「失礼します!」


勢いよく扉が開いて、緊張した面持ちの部下が、ユゼフに告げた。


「馬車が着きました」

「すぐ行く」


頷いたユゼフは、部下に続いて事務室を出る。


——こんな格好で、今更はじめましての挨拶をするとはな。


ともすれば、笑いそうになる唇を必死で結んで真顔を作る。


——これも、窮屈だが仕方ないことだ。


そう思いながら。


          ‡


広場に向かうと、港湾ギルドのメンバーたちが整列して待っていた。

そこに、いかにも貴族の護衛といった騎士たちが集まってくる。


「まもなくご到着です」


先触れの言葉で、先頭に並んだユゼフが頭を下げ、他の者もそれに倣った。

地面を見ていたユゼフは、足元に伸びた影でその人物が近くに来たことを察した。


「ああ、楽にしてくれ」


その言葉で、一同顔を上げる。

目の前には、ユゼフの何倍もの手間と金がかかった礼服を着たリシャルドが立っていた。


「リシャルド・ヴィト・ルストロだ。忙しいところ、すまないね」


いいえ、とユゼフは再び頭を下げる。ここで吹き出さなかった自分を褒めたい。


「このような場所に足を運んでいただき恐縮です。私、港湾ギルドの長をしていますユゼフと申します」

「そうかしこまらないでくれ」

「はっ」


そう言われてもかしこまるだろ、と思いながらも、ユゼフはすぐに頭を上げた。満足そうに頷くリシャルドは、どこから見ても立派な貴族で、その化けっぷりにユゼフは感心する。


「早速だが、見せてもらおう」

「こちらです」


リシャルド・ヴィト・ルストロが、キエヌ公国での留学を終えてトゥルク王国に帰ってきたのはつい最近のことだ。


父であるルストロ公爵が宰相になり、リシャルドはその補佐として国政に関わるために戻ってきたのだ。


あまりにも短期間の王の交代、そして王妃だった聖女ナタリアが偽者だったという事実に、国民は少なからず動揺していた。

が、新宰相を中心に国政が動き出したので、なんとか日常を取り戻していた。


それには、リシャルドの存在も大きかった。

不安を期待に変えるために、人々はリシャルドをヒーロー扱いし始めたのだ。


父は宰相、母はキエヌ公国の元公女、妹はゾマー帝国の皇太子妃で聖女。

自身の婚約者は、美女の誉れ高い、母親の遠縁であるキエヌ公国のオルガ・モンテルラン伯爵令嬢。


向かうところ敵なしの後ろ楯に加え、リシャルドはこの見目麗しい外見で、減税や地域復興など、庶民に寄り添った政策を次から次へと提案した。

人々が熱狂する素地は十分だ。


今日の視察も、復興に伴い、クレーンを増設して港の稼働を増やすのはどうかという話から来たものだった。


ユゼフがこんな窮屈な格好をしているのも、似顔絵が売られるほど人気のあるリシャルドが来るのだから、それなりの格好をすべきだとの声が上がったからだ。

前王が視察に来たときは普段着のままだったのにも関わらずだ。


——港に利があるなら、なんでもいいさ。上着くらい何枚でも着てやる。


ユゼフ自身に欲はない。

ほどほどの日銭を毎日稼げたら満足だ。

だが、まだまだ壊れた船をもとに戻せない船主はたくさんいる。


——窮状を見てもらって、たっぷり予算を割り振ってもらはなくてはな。


ユゼフは、真面目な顔でリシャルドに話しかけた。


「新しいクレーンは、あちらに設置するのがよろしいかと」

「なるほど。近くで見ても?」

「もちろんです」


          ‡


リシャルドが港を見学しているからと言って、港が止まっている訳ではない。復興に加えて通常の作業をするために、人々は忙しく働き続けていた。


「あれは?」


ユーレという新人の作業員が、遠目からユゼフとリシャルドを見て、呟く。

隣にいた男がなんでもないように答えた。


「ああ、偉い貴族様が視察に来るとか言ってたな。まあ、こっちはいつも通り荷下ろししてくれって言われてるから、気にすんな」

「貴族……なんて名前の?」


さあ、と首をひねった男に代わって、他の者が言った。


「あれだよ、あれ。最近女房たちが騒いでる。リシャルド様だよ」


ユーレは、少し考えてから言う。


「リシャルド……もしかして、リシャルド・ルストロか?」

「ああ、そんなんだったな。ユーレ、お前、知ってるのか?」


ユーレは、はっとした表情で首を振った。


「名前だけ、聞いたことある」

「今、人気らしいからな」


話ながら遠ざかるユゼフとリシャルドの背中を、ユーレはじっと見つめた。



 

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