34、一度も笑顔をお見せになりませんでした
結婚式の朝。
「おはようございます、ナタリア様」
いつもより早い時間に、侍女が起こしに来たが、ナタリアはなかなか寝台から離れなかった。
「ナタリア様、今日だけはお支度を急ぎませんと」
強引に起こされて、のろのろと湯あみをする。
肌も髪もいつも以上に、磨き上げなくてはならない。
侍女やメイドは、ナタリアが無口なのは、まだ眠気が残っているからだろうと、気にせず手を動かした。もともと、気分のムラが激しい女主人だ。
「なんて美しいんでしょう」
「陛下も楽しみにしているでしょうね」
それでも愛想良く、褒め称えるのを忘れない。聞いていないようで、聞いているのだ。称賛しなかったら、もっとふてくされる。
「頬が薔薇色ですわ」
「天使のようですわね」
侍女たちの流れるような称賛を聞きながらナタリアは、待ち望んだ結婚式の朝なのに、自分の気持ちを持て余していた。
やっと、王妃になれるのに。
もう、苦労しなくて済むのに。
なぜ、こんなに気が重いのだろう。
アレキサンデルは、このところずっと不機嫌で、昨日もまたそれを爆発させた。よりによって、皇太子妃に直々に会いに行こうとして止められたらしい。
馬鹿じゃないの。
それを聞いたナタリアは、まずそう思った。
臣下の者ですら、陰で失笑していた。
自分から婚約破棄したのに、よっぽど未練があるのね。
帝国の皇太子が寛大で助かったわ。
昨夜も、侍女たちのそんな囁き声が聞こえていた。とがめる気にならなかったのは、ナタリアも同感だったからだ。
ゾマー帝国の皇太子夫妻が、ナタリアたちの結婚式に訪れると聞いてから、アレキサンデルは明らかに、おかしくなった。
今か今かと到着を待ち、ナタリアを寝室から遠ざけた。
国境沿いの川の氾濫で足止めを喰らっていたことは聞いていたのに、毎日、様子を見に行かせた。
到着した皇太子夫妻が、アレキサンデルとの食事を断った報告を聞くと、机の上の文鎮を投げつけた。
運悪く、それは前王が大切にしていた花瓶に当たり、ヒビが入った。
ヤツェクはほんの少し悲しそうな顔をしたが、すぐに片付けた。もう慣れているのだ。
どうでもいいと言っていたのに。
ナタリアは、侍女たちに磨きあげられながら、思う。
政略結婚の相手で、気持ちが動いたことなど一度もないと言っていたのに。
なのに。
騙されたような気持ちでいっぱいだ。
「さあ、ドレスを着ましょう」
「ほんとに素敵ですわ」
それでも、今日はナタリアの結婚式なのだ。
あの女に、幸せな顔を見せつけてやる。
ナタリアは、この日のために用意したドレスの着付けに入った。
‡
「素敵なドレスだね、エルヴィラの髪の色によく似合っている」
アレキサンデル様とナタリア様の結婚式のために、わたくしが選んだドレスは、薄い灰色の飾りの少ないものでした。
ルードルフ様がいち早く褒めてくださいます。
「ありがとうございます」
「じゃあ、行こうか」
「はい」
わたくしたちは、宮殿に向かいました。
トゥルク王国では、神殿ではなく、宮殿の礼拝堂で結婚の儀が行われ、わたくしとルードルフ様をはじめとする、国内外の限られた皇位貴族だけが立ち会います。
礼拝堂では、すでに人々が集まっておりました。
パトリック様とアンナ様、アンナ様のお兄様であるエサイアス様、シルヴェン伯爵、そして前王妃様であるソフィア様の姿が見えました。
ナタリア様の後見人になったというハスキーヴィ伯爵もいらっしゃるようです。
わたくしとルードルフ様は、皆様より離れたところに特別席を用意されておりますので、ご挨拶はまた後ほどいたしましょう。
祭壇ではすでに、大神官様が待っておりました。大神官様は、わたくしを見ても、顔色ひとつ変えませんでした。
わたくしも、もちろん、眉ひとつ動かしませんでしたが。
「ご入場です」
扉が開き、アレキサンデル様とナタリア様が金色に刺繍された緋色の絨毯の上を歩き始めます。
「まあ」
「これは」
祭壇まで歩く二人を、わたくしたちが見守る形になるのですが、ナタリア様のドレスの色を見た貴族たちから、思わず囁き声が漏れました。
伝統的なドレスの色は白です。
わたくしも、皆も、当然、そう思ってました。
まばゆいばかりの純白のドレスを着たナタリア様が歩いてくることを。
ですが。
「金色?」
「ありえませんわ……」
ナタリア様が身に付けていたのは、豪華絢爛な金色のドレスでした。
元は白いドレスなのでしょうが、金糸が満遍なく刺繍されたせいで全体が金色に発光して見えるようです。
「派手というか……」
ルードルフ様も目を点にして呟いております。
せっかくの、ナタリア様自慢のストロベリーブロンドも重く見え、華美というよりも装飾過多なドレスでした。
胸元を大きく開けて、デコルテを強調しているのはいいのですが、サファイアのネックレスに重ねて、真珠のペンダントを合わせているのは、いただけません。
ドレスを際立たせたいのか、ベールは短く、そのせいで、後ろ姿が物足りなく思えます。
「誰も何も言いませんのね……」
ドレスの色より、そのことのほうが問題だとわたくしは思いました。
ともあれ、結婚式はつつがなく進みました。
祭壇の前で、大神官様に促され、跪いたお二人は、誓いの言葉を口にし、大神官様によって結婚を認められました。
けれど。
ナタリア様もアレキサンデル様も、一度も笑顔をお見せになりませんでした。
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