33、仮にも一国の王という自覚があるのでしょうか
ルードルフ様は部屋着ではなく、きちんとした騎士服を身に付けておりました。
寝台から下りて、ガウンを羽織ったわたくしは、エルマに合図して、ルードルフ様に飲み物をお勧めします。
背もたれ付の椅子に座ったルードフ様は、お酒ではなく、お茶を少しお飲みになりました。
「申し訳ございません」
ルードルフ様が何か仰る前に、わたくしは謝りました。ルードルフ様が意外そうな顔をします。
「なぜ、エルヴィラが謝るの?」
「何もなければルードルフ様がこちらにいらっしゃるわけはありませんもの。それにその格好」
騎士服であるということは、ルードルフ様が頂点に立って、護衛に力を入れてくださったということです。
「ルードルフ様自身が率先してわたくしを守ってくださったのですね。それなのにわたくしと来たら、危機感が少なすぎました」
思い返して、ため息が出ました。
トゥルク王国に来てからの、自分の察しの悪さにです。
もう二度と足を踏み入ることはできないと覚悟していた故郷に高揚していたにせよ、やはり浮かれすぎていました。
反省することしきりです。
それなのにルードルフ様は、こんなときでもわたくしを安心させるかのように、優しく微笑みかけます。
「危機感がないのは、私がそうあって欲しいと願ったからだよ。エルヴィラが余計なことを考えず、少しでも旅を楽しめるように、わざと呑気な雰囲気を作ったんだ。もちろん、護衛はしっかりしていた」
言われてみましたら、いつもより、臣下の方たちの距離が近く、いつもより、ざっくばらんな雰囲気でした。
ルードルフ様が何も言わないので、旅のときは常にこのようなのものかと思っていたのですが。
「ではエルマも?」
クラッセン伯爵夫人というご指南役がいないので、エルマはのびのびしていました。それも雰囲気作りだったのでしょうか。
ルードルフ様は、笑みを大きくします。
「いや、エルマには何も言っていない」
わたくしは思わず笑いました。
そうなりますと、気になるのは別のことです。
「鼠は捕まりましたか?」
つまり、誰かがここに忍び込もうとしていたのですね。
どなたでしょう。
わたくしはもうルードルフ様と結婚した身。
パトリック様の婚約者になれるはずもないので、パトリック様の勢力が大きくなるのを恐れる者から狙われることはないと思うのですが。
ルストロ公爵家の繁栄を望まない者たちでしょうか?
それにしても、皇太子妃であるわたくしを、今日この場で直接狙うのは、利が少ないでしょう。
まさか、ナタリア様が個人的な恨みを?
でも、どちらかというと、恨むのはこちらではないでしょうか?
あるいは、偽聖女であるとされたわたくしが堂々と訪れたことに反感を抱いている人たちがいることも想像できます。
けれど、いずれの場合にせよ、この時間、この場所で、というのが腑に落ちません。
「それなんだが」
ルードルフ様は、呆れたようなため息をつきました。
「鼠は鼠でも」
「はい」
「王様鼠だった」
「は?」
わたくしは耳を疑いました。
「そんな、いくらなんでも……」
まさか、という気持ちで呟くと、ルードルフ様は頷きました。
「川の氾濫で足止めされてなければ、今日にでもあなたとゆっくり会えるはずだったし、食事も断ったからね。結婚式まであなたの顔が見れないことが腹立たしかったのかもしれない。正々堂々と正面から、こんな時間に、私の妻に会いたいと申し出てきたんだ」
わたくしは呆れて何も言えません。
「フリッツとクリストフが丁重に断ったが、それでも聞き分けず、向こうの騎士団長とやらを率いて乗り込もうとしたので、最終的に私が、直々にぴしゃりと断った」
わたくしは恥ずかしさに思わず、顔を手で覆いました。
「なんという……もう、本当に」
そのまま小さな声で、申し訳ございません、と呟きます。
アレキサンデル様は、仮にも一国の王という自覚があるのでしょうか。
わたくしに会ってどうするおつもりだったのかはわかりませんが、帝国の皇太子妃にする態度ではありません。
もう、本当にどうしたらいいのかわからず、ただ恥じ入るばかりでした。
すると。
「エルヴィラ」
ルードルフ様が、そんなわたくしの手をそっと握ります。驚いて見上げますと、ルードルフ様が真剣な目がそこにありました。
「何もあなたのせいじゃない。謝らないでください」
「ですが」
「あなたとは関係ない人のしたことです」
ルードルフ様は優しく仰います。
「ただ、より一層、この部屋の安全に気を付けることにしました。クリストフを始め、この部屋の周りと、この部屋が見える外からの範囲全部を見守っています。それから」
ルードルフ様は、寝室に目をやって言い添えました。
「私もここに泊まっていいですか? その、念のため」
「それは、はい、もちろん結構です」
「よかった」
こんなときなのに、わたくしは、少し、どぎまぎしてしまいました。
帝国の寝台に比べると小さくはありましたが、大人二人が寝るには十分な広さの寝台に、わたくしとルードルフ様は横になりました
今までより少しだけ近い距離に、わたくしは緊張を隠せません。
騎士服から部屋着に着替えたルードルフ様ですが、眠る気配はありません。
「ルードルフ様も休んでくださいませ」
少しでも眠った方がいいので、そう声をかけました。
「大丈夫、エルヴィラこそ、眠ってください」
「はい」
「そうだ」
ルードルフ様は、思い付いたように仰いました。
「エルヴィラ、帝国に戻って落ち着いたら、今度は二人で、エリー湖に行かないか?」
「エリー湖、ですか?」
初めて聞いた名前でした。ああ、とルードルフ様は説明します。
「父上が視察に行った南部で、復活した湖ですよ。あなたの名前をとって、エリー湖と名付けられました」
「まあ……」
「エリー湖のおかげで、灌漑も進み、作物も実りそうです。住民が聖女様にとても感謝しているので、訪れると喜ばれます」
「行きたいですわ」
これからわたくしが思い出を作るのは、トゥルク王国ではなく、ゾマー帝国なのだと、改めて思いました。
わたくしは、そっとルードルフ様に言いました。
「わたくしのわがままで、面倒なことに巻き込んでしまい、申し訳ありません」
「気にしないでください」
ルードルフ様の優しさに感謝しながらも、わたくしはどうしても、北の山の頂きが気になって仕方ない自分を持て余しておりました。
それは衝動と言ってもいいくらいのものです。
けれど。
結婚式が終わって、北の山の様子を確認できたら、すぐ戻る、と決意を固め直しました。
戻るのです。
絶対に。
わたくしの帰る場所に。
自分の内なる衝動を抑えるように、わたくしはそう言い聞かせ、浅い眠りにつきました。
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