18、この百合は、この国で咲いたのです
『乙女の百合』が咲いたというニュースは、しかるべき人たちのところに、すぐ知らされました。
ルードルフ様はもちろん、皇后様や皇帝陛下までが温室に足を運んでくださいます。
「これが……『乙女の百合』か」
「なんて美しいの……」
皆様、驚いたように『乙女の百合』を見つめました。
『乙女の百合』は、普通の百合よりも二回り以上大きな花弁を広げ、中央に、吸い込まれるような不思議な青色の花粉を見せています。今回は三つ、花を咲かせておりますが、これからもまだ花開きそうなつぼみがあちこちにあります。
皇后様と皇帝陛下が頷き合いました。
「白い花弁だと聞いていたけど、ただ白いだけじゃないのね。それ自体発光しているかのような、輝きだわ」
「うむ、花粉も本当に青い。こんな花は見たことがない」
「エルヴィラ、ありがとう!」
ルードルフ様が振り返って、わたくしに仰いました。
「お礼を申し上げるのはわたくしの方ですわ。温室を使わせていただいたり……」
警備の騎士たちにも苦労をかけたでしょう、そう申し上げようとしましたら、
「何言ってるんだ、エルヴィラ殿」
「そうよ、エルヴィラさん」
皇帝陛下と皇后様が、先ほどよりも近くで仰います。
「あの」
「本当によく頑張ってくれた」
「大変だったわよね」
「そんな……当然のことですので」
「謙虚だわ!」
「まったくだ」
一言一言、迫るように仰るので、思わず後退しそうになってしまいました。
「エルヴィラさん」
皇后様はそんなわたくしの手を取ります。
「あなたが聖女だってこと、これではっきりしたわ。証明してくれてありがとう」
皇帝陛下も、隣で仰います。
「私からも礼を言う。よく咲かせてくれた」
「そんな、もったいないお言葉です」
わたくしは本心からそう申し上げました。元はと言えば、わたくしの方からお願いして育てた百合です。
まさか、こんなに数多く咲いてくれるとは思ってはいませんでしたが。
「今度から私のことは、クラウディアと呼んでちょうだい」
「わたくしが皇后様をそんな……」
「いいのよ」
「そうだな、そのほうが親しみを感じる」
「二人とも、特に母上、私の婚約者と距離が近すぎます」
ルードルフ様が間に割って入ってくださり、なんとか離れることができました。
義理の父と母になる方たちとは言え、帝国を背負ってきた皇帝陛下と皇后様です。近寄られると、どうしても緊張してしまいます。
トゥルク王国の前王様や前王妃様は、このようにフランクな関わり合いをされる方ではなかったので、余計かもしれません。
「ありがとうございます。光栄です」
それだけ申し上げるのが精一杯でした。
「綺麗なのに、謙虚なのよね、すごいわ」
「妙な感心はやめてくれ、エルヴィラが怯えている」
わたくしはさっと笑顔を作りましたが、皇后様ーークラウディア様には見破られてしまいました。
「エルヴィラさん、なんだか元気がないわね? せっかく『乙女の百合』が咲いたのに」
「なんだと?」
皇帝陛下がピクリと眉を上げます。わたくしは、言葉を探しました。
しかし、ルードルフ様が先に仰います。
「父上も母上も、もうよいでしょう。百合を育てるのに、連日温室に篭りきりで、エルヴィラは疲れているのです」
「む、そうだな」
皇帝陛下は、頷かれましたが、
「そうお?」
クラウディア様は、わたくしに鋭い視線を向けました。
思わず背筋が伸びるような目つきです。
「エルヴィラさん、あなた、もしかして——」
そこに臆するようでは、皇太子妃はつとまりません。わたくしは、いつもと変わらない態度でお答えしました。
「はい」
けれど。
「ルードルフとの結婚が嫌になったんじゃない?」
クラウディア様の質問は予想外のものでした。
「母上?!」
「いいのよ、正直に言って頂戴」
「何を仰ってるんですか、母上! 今からやっと結婚だというのに!」
クラウディア様は、うーん、と首を捻ります。
「だって、こんなに綺麗で可愛くて性格もいいのに、さらに聖女よ? わざわざルードルフと結婚しなくても」
「やめてください! エルヴィラが、それもそうかと思ったらどうするんですか」
「まあ、それしきの自信しかないの?」
「そんなことはありません! 大陸を越えて探しても、私よりエルヴィラを思っているものはおりません!」
何を仰っているのでしょう。
わたくしは真っ赤になるのを必死で抑えておりましたが、流石に限界で耳が熱くなるのを感じておりました。
「あら」
そして、それをいち早く気がつくのもクラウディア様なのです。
「ごめんなさい、意地悪を言うつもりはなかったの。本当に不思議で」
「エルヴィラ、すまない、気にしないでくれ。母上はたまにこういうところがある」
「クラウディア、若い二人をあまりからかってはいけないよ」
そう仰る皇帝陛下まで、笑いを含んだ声でした。
わたくしはゆっくりと言葉を探します。
「わたくし、ルードルフ様には、本当に感謝しております」
百合とルードルフ様を交互に見つめました。
「あのとき、あの神殿で、家族以外で、ルードルフ様だけが声を上げてくださいました」
アレキサンデル様に婚約破棄されたときのことです。
心配そうに見つめてくださる方はたくさんいましたが、味方になってくださったのはルードルフ様だけでした。
「その感謝を忘れることなど、ありません」
心なしか、ルードルフ様が目を輝かせました。
クラウディア様が念を押します。
「じゃあ、結婚が嫌じゃないのね?」
「もちろんです」
「だったら、どうしてそんな浮かない顔をしているの?」
わたくしは、思わず下を向いてしまいました。
「責めているんじゃないの。せっかく百合が咲いたのに、何かがあなたの心を重くしているのね? それは何?」
わたくしの目には、わずかながらも逡巡が浮かんでいたでしょう。ルードルフ様がさっとわたくしの前に立ちました。
「母上、もういいでしょう。エルヴィラの疲れを癒してあげる頃合いです。その話は、後程私とエルヴィラの間でします」
「エルヴィラさん、私にできることがあるなら力になるわ。ただ忘れないで欲しいの。あなたは聖女として、この帝国になくてはならない存在だってこと」
クラウディア様の言葉にわたくしは、まっすぐ答えました。
「承知しております」
この百合は、この国で咲いたのです。わたくしは、そのことを、誰よりもわかっているつもりでした。
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