短編集
空付 碧
第1話 はるさめ
シャボン玉が弾けたら
世界にカラフル雨が降る
パチンと弾けて紅青緑
パチンと弾けて黄桃紫
「今日猫の夢見たの」
疲れた様子で藤咲はぼやいた。大して興味があったわけでもないが、僕はちらりと視線をそちらへ寄こした。
「押入れの中に、可愛い子猫が一、二、三匹」
「にゃーにゃー鳴いて?」
「ニャーニャー鳴いて」
ヘッドフォンから流れ続ける音楽が時々アクセントとなって耳に届く。
「時々見るのよ、猫と押入れ。穴のあいた押入れから、猫が何匹も入ってきたり」
「猫って可愛いじゃないか」
「私、猫って嫌いなの」
ため息をおまけに付けて、そんな言葉を漏らすものだから、携帯電話をパチンと開く。
「調べてやろうか」
「何を?猫を?」
「夢が運んだお前の本音」
そんなに簡単に、本音なんて出てくるとは思わなかった。もともと、占いなんてものを信じない人種であり、携帯電話のネットでなんて、出てきてほしいとも思わなかった。そんな私を差し置いて、3分もしないうちに沙紺はずいと画面を見せた。
猫:直観力。感受性。大切なもの。金運。気まぐれ。噂。不吉。復習。執念深さ。恋敵。
押入れ:大事にしまっている思い出。さまざまな役割、態度、好奇心。
「結構詳しく分類されてるね。猫のイメージは?」
「白くて、愛らしくて、こっちに寄ってくるの」
「それをお前は?」
「本当に困って、早く帰ってって外に出そうとするの」
「ヤな奴だよな」
「だってアパートペット禁止だったんだもの」
「それで猫は」
「ニャーニャー居座り続けたわ」
にゃーにゃーと彼女は繰り返す。誰もいない教室に、彼女の鳴き声が響く。俺は一度座りなおした。机の上に足を立てるが、汚れるなんて知った事じゃない。
「白い猫が印象的に表れる:厄介事に巻き込まれる。他人のトラブルに首を突っ込まない方がいい」
「厄介事」
「心当たりは?」
「あるっちゃない」
「どっちだよ」
彼女は机に肘をついて、頬を口ごと覆い隠す。
「三匹なんて、お前も欲張りだな」
「勝手に巣を作られたのよ。私はただ家を出てただけなのに」
「高いヒール履いてどこに行ったんだ?」
彼女は冷めた目で俺を見上げる。
「アンタの方が、白い猫」
「俺が夢に出てきたって?」
けらけら笑ってみせると、気分を害したと全身から主張する。
「ヒールなんて履かない方がいい。お前足元浮いてんだから、絶対足挫くだろ」
「馬鹿にしないでよ。否定しないけど」
そんなことより、と彼女は俺の方を見る。
「買い物に行きたいと思って。ぜひついてきてよ」
私は沙紺を見上げる。彼は高いところから私を見ている。見下しているといっても過言じゃない。私だって、負けていないが。
「散財行為ね」
「言い方が気に入らないわ。間違ってないけど」
「まぁいいよ。いつ頃?」
「そうね。明後日辺りなんてどう?」
日が、少し傾きだした。面白そうに彼の口元が上がる。
「明後日なら止めた方がいいよ」
「何が悪いの?」
いつもつまらなそうな表情が、逆立ちした後のような顔になる。
「3月上旬には、色のついた雨が降るんだよ」
シャボン玉が、パチンと弾けて、雨が降る
カラフル覚えた雨が降る
虹の欠片の、雨が降る
「……初めて聞いたわ」
「お前が無知なだけだよ」
あの雨に打たれると、もう自分の色を取り戻せなくなるから、外出は控えたほうがいい。
彼女は少し考えた後、数度頷いて見せて、帰り支度を始めた。にやりと笑いながら会話を続ける。
「とか言って、ハイヒール買いに行くの阻止しようとしてるんでしょう」
「本当に履くのかよ」
「沙紺を追い抜くチャンスだから」
何センチのヒールだよ。とはいっても、さほど身長に差はない。
「アンタはもう追いつけないわよ」
彼女は健気に、ほんの少し意地悪気に笑うと、踵を返した。絶対に手に届かない、と揶揄しているのだろう。
「もう、追いつけやしないわよ」
知っている。だって、今でさえこんなに遠い。
仕返しとばかり笑ってやれば、彼も机から降りて、私の後ろに立った。その雰囲気が、感じた事のないくらい大人びていて、寂しそうで、私だってもう彼に追いつけないと思い知らされた。
猫が三匹。
大切なもの。気まぐれ。執着深さ。
あるいは、恋敵。
「……少し、多すぎるわね」
「は?何が」
「私が欲張りって話」
にゃーにゃーと鳴いて見せれば、彼はいつもどうり呆れかえった視線をよこして、私の横に並ぶ。
「今に始まったはなしじゃないだろ」
「ごもっともだわ。ところで、明後日出発ね」
何を言い出すか、と彼女を見れば本当に満足そうに笑った。
「飛行機の中からそんな雨、見てみたいわ」
世界中が、カラフルに染まっていく。空が春だと浮かれてしまって、うっかりおとした雨粒に街中がどんどん染まっていく。世界中が笑っていく。
「そんな風景、見れないわよ」
藤咲はそうのたまった。
薄汚い押入れに、捨て猫とは思えないほど美しい毛並みの子猫が、私に訴えるように鳴いている。可愛いでしょう、ご飯頂戴、とねだるように鳴き続ける。その時は本当に迷惑にしか思えなくて、媚を売るその姿が好きになれなくて、追い出すことしか考えていなかった。最低だと思う。それが正解だと思う。
気まぐれ、執着心、恋敵。
確かに、厄介事だとか、気まぐれであったりとか、執着心だったりとか抱いていたかもしれないけれど、それは私の感性のせいだ。もう、そんな風に思いたくない。押入れに押し込めておくこともしたくない。もう、嘘はつかない。
「アンタと一緒に、見たいわ」
自分にも、大切な人にも。
パチンと弾けて幸せが降る
皆笑顔で明日を夢見る
少しでも前へ進みたくなる
恋が広がる、春の駆けだし
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