第47話:反撃

 ヒュドラの尾をくらい、メアが倒れ伏す。降霊していた何者かの技で、魔物の尾の衝撃を和らげたのだろうか。意識はあるようで、メアは慌てて地を這って逃げようとする。そこへ、魔物の前脚が、爪を鈍く光らせながら迫る。


 僕は拳を地に着いて起き上がろうとするが、力が入らず滑ってよろける。メアのところまで遠すぎる。移動魔法を使っても間に合わない。


 その時、カルダがメアと魔物の間に割って入った。魔物の鋭い爪が、カルダの腹を貫き、赤い血がほとばしる。


「お父さんっ!」

 メアの悲痛な叫びが森に響く。


 魔物が爪を引き抜くと、カルダはゆっくりと、受け身を取ることもなくうつ伏せに倒れた。


 メアがカルダに駆け寄り、その体を仰向けに起こす。なにか言葉を発しようとするカルダの口から、大量の血が漏れる。


 カルダの腹の出血は止まり、かわりに傷口が赤く光っている。僕がダンジョンで傷ついた時と同じだ。


 親子の苦しみなど気にもとめずに、魔物が再びメアに襲いかかる。


 激しい衝撃音が響く。エリルがメアの目前に飛び込み、魔物の爪を受けていた。鋼鉄の鎧に亀裂が入り、苦しそうに呻いて、エリルはその場に膝をついた。


「やめろっ!」

 どうにか立ち上がり、僕はヒュドラに向かって駆け出す。


 自分が決めたのだ。メアを助けると。エリルは、協会の他の冒険者が力を貸さないのを知っていて、僕だけではどうにもならないことも理解していて、メアと僕を助けようとしてくれたのだ。


 僕の勝手で、エリルを死なせるわけにはいかない。エリルのことだけは、命を捨ててでも守らなければならない。


 闇雲に叫びながら向かってくる僕に、ヒュドラの注意が向く。僕は移動を繰り返し、折れた剣の柄で、嫌がらせのように魔物の目を狙って叩く。


 苛立った魔物は、敵対する村人が減って余裕がでてきたのか、全ての首を僕に向ける。痛みをこらえながら、魔法で魔物の状態を見て取って、瞬時に移動して全てをかわす。そうしてまた、柄で魔物を殴る。


 攻撃が効いているはずはなかった。それでも時間を稼ぐために、戦い続けた。頭が痛む。魔力の限界が近い。


 逃げてくれ。そう願って、わずかにエリルとメアの方に視線をやるが、二人は満身創痍で、さきほどの位置から動けていない。


 怯えでも、守りたいという義務感でもない、激しい怒りが、はじめて芽生えた。


 時間を稼ぐだけでは不十分だ。エリルやカルダに任せることもできない。僕がやるしかない。


 魔物の状態を表示し、よく観察する。逃げるためではない。なにか、糸口を見つけなければならない。そして、ヒュドラの首の一つの、思考の電流が他よりわずかに弱っているのに気づいた。


 その首元には、エリルの剣が食い込んでいる。切断できずとも、ヒュドラも傷ついているのだ。僕が逃げることばかりではなく、反撃を試みていれば、もっと早く気づいていただろう。


 忸怩たる思いを抱え、覚悟を決めて魔物に向き合う。


 次々と襲いくる牙を移動魔法で全てかわす。そして、僕は剣のそばに姿を表す。持っていた折れた剣を捨て、かわりに、魔物に刺さる剣を両手で持つ。引き抜こうとするが、動かない。


 僕は、移動魔法を発動する。魔物から数歩離れたところに移動した僕の手には、エリルの剣が握られたままだった。


 剣の抜かれたヒュドラの傷口から、赤黒い血が吹き出す。魔物が苦しそうに叫ぶ。


 さきほどより、剣の放つ白い光が、わずかに増した気がする。


「我が騎士よ──」

 エリルの声がこだまする。


「王の剣となり民を救え!」

 詠唱が終わると、僕の持つ剣が一層激しい光を放った。刀身が光っているというよりも、もはや、光が集束して剣となっているようだった。


「これは」

 僕は問うようにエリルに視線を向けたが、エリルは魔物を指差して叫ぶ。


「いけっ!」

 エリルの声に押されるように、僕は地面を踏み出す。


 魔物のプロセスを表示する。逃げるために動きを予測するのではない。深く、深く見る。


 骨と骨の間。力の込もっていない筋肉。いままで気づかなかったものまで見えてくる。どんなに硬くても、生物であれば隙はある。


 これで何度目だろうか。ヒュドラの牙が襲いくる。僕は、ヒュドラそのものをコピーする。そして、蛇の鱗のようなものにおおわれ、硬度を増した左腕で、ヒュドラの顎をかちあげる。重量で及ばず、打撃で魔物を傷つけるには至らないが、首の軌道がわずかにそれる。


 隙を逃さず、光の剣が、ヒュドラの首を音もなく通り抜けた。一瞬の間を置いて、魔物の首が胴体から離れ、音を立てて地面へと落ちた。


 魔物の八つの口が、いままでよりも大きい、耳をつんざくような叫び声を発した。斬られた首が、地面の上で動きを止めずにうねっている。


 攻撃の手は止めない。僕は移動を繰り返し、魔物の顔を斬りつける。その間に、他の牙が襲いくる。僕は移動してかわし、あるいは硬化した腕で爪をそらし、また剣を振るう。


 その間にも、魔物のプロセスを見続ける。また、隙が見えた。魔物の首を、さらに一つ、斬り落とす。


 頭が痛む。しかし、まだいける。このあと体がどうなろうと構わない。この瞬間に全てをかける。


 叫びながら、移動を繰り返し、隙を見つけて剣を振る。魔物の状態にだけ集中する。周りの景色は、目に入ってこない。時々、避けきれなかった爪が僕をかすめ、傷が増えていく。傷口は、出血をすぐに止め、赤く光る。


 どれほどの時間がたっただろうか。また一つ、また一つと魔物の首を落としていく。首が減るほどに、襲いくる牙が減り、僕が優勢になっていく。


 そして、ついに、最後の首を落とす。


 叫ぶこともできなくなった魔物は、静かに、その巨体を横たえ、霧散した。

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