第46話:劣勢
ヒュドラが前脚をあげ、僕たちを踏みつけようと迫ってくる。
また移動魔法で男と共に魔物から距離を取り、さらに連続で移動して、生い茂る木々の裏へと逃げ込んだ。
移動魔法で飛べる距離は限られているが、他の村人たちが牽制して魔物の行く手を遮り、魔物は僕たちを見失ったようだった。
「お前……」
男が驚いて目を見開く。その口から、血が垂れる。
「喋らないでください。僕は回復魔法を使えません。ここで、休んでいてください。絶対に無理はしないで」
男はなにか言いたそうに口を開いたが、少し迷ってから、口を結んで頷いた。
僕は再び戦場に戻る。戦いは激化していた。怪我をしている村人も多い。善戦しているが、疲れをみせない魔物に対し、人々は肩で息をしている。これでは、戦いが長引くほどに不利になる。
「リムーブ!」
魔物に手をかざして叫ぶ。
あの魔物を覆っている黒紫の光が魔力であるならば、魔法解除の効果が効くかもしれない。しかし、何も起きなかった。
そうやって僕が無為に叫んでいる間にも、村人たちは必死に魔物と戦い続けている。
「プロセス!」
なんでもいいからできることはないかと焦って、はじめて使う魔法を唱える。
その瞬間、視界の色が変わった。薄暗い。周りの全ての動きが、遅くなる。それだけではない。魔物と人々の、視線の向き、筋肉の動き、体を走る電流のようなものまでが、透けて見える。
あの電流は体を動かす意思のようなものか。頭から次に動かす体の部位に、それは集中しているように見える。九つの首が、それぞれ次にどちらへ向かおうとしているのか、手に取るようにわかる。そして、それらすべてを、今回は村人たちが無事にさばけることも、事が起こる前に分かった。
しかし、視界はすぐに元に戻った。世界が速度を取り戻す。魔物の首がうねり、村人たちがそれをさばく。
状態表示。シャインの言葉の意味が分かった。これは未来予知ではない。その生物の、状態を、僕は見ていた。そこから次の動きを予測したのだ。
僕は魔物の前に飛び出し、襲ってきた首を、移動魔法で避ける。それを、なんどか繰り返した。魔物に有効打を与えることはできない。そうであれば、少しでもかく乱して、エリルたちの役に立つしかない。
ヒュドラはいらついたようにうなり声をあげる。いくつかの顔が、こちらを睨んでいた。目の前で消える獲物に出会ったのは初めてなのかもしれない。この調子で、もっと魔物を苛つかせてやる。
複数の首が同時に僕を襲ってくる。魔物のプロセスを表示し、安全な方向を見定めると、移動魔法でそちらへ逃れた。すべての牙が空を噛む。二つの魔法を組み合わせて発動する事ができた。これであれば、どんな攻撃であろうと、そうそう当たることはない。
「ユウトさん……」
急に動きの良くなった僕を見て、メアが驚いていた。村人たちも、こちらを見て目を見開いている。
「ヒュドラに集中してください! 僕がひきつけます。長くは持ちません。その間に、首を一つずつ落としてください」
僕が叫ぶと、人々は我に返ったように武具を構え直した。
プロセスとチェンジディレクトリの同時発動は、そのぶん消耗も大きい。ワンクワンになったおかげか、ダンジョンにいたときほど頭痛は感じない。しかしこの戦法が魔力で成り立っている以上、間違いなく限界はある。
ヒュドラは躍起になって僕を追った。四本の首が、絡まり合うようにして追ってくる。しかし、それらすべてを、僕はギリギリのところで避ける。
余裕の生まれた村人たちの攻撃が、魔物の首を捉えはじめる。打撃が鱗を剥がし、斬撃が肉を裂く。ヒュドラは苦しそうに叫ぶ。それでも、首を断つほどの怪我は負わせられない。
「ヒュドラがこんなに硬いはずは……」
エリルが困惑の声を漏らす。
ヒュドラの怪我も増えるが、人々の消耗も激しい。僕も、息が乱れ始めていた。魔法での移動は、体力も使うらしい。まだ魔力に余裕はありそうだが、長くはもたない。
魔物のプロセスを表示し、そのすべての首の動きを予測して、また避ける。足元を襲ってきた顔を避けて、少し上空へ逃れる。僕に向いていない顔の意識は、村人たちに向いている。
安心したところで、側面に圧力を感じた。視線を向けると、ヒュドラの太い尾が目の前に迫っていた。
見逃した。慌ててプロセスの魔法を発動する。移動したばかりで、次の移動魔法の発動まで、少しの隙がある。これは避けられない。尾が迫る。自分の骨が、粉々に砕かれる未来がわかる。
体を動かしたのは、またしても本能だった。かつて自らにコピーされたデータを、具現する。僕の脇腹が、緑色の弾力をもった物体に変わる。魔物の尾が、スライムと化した脇腹を激しく打った。
「ぐっ」
中空で打撃を受け、踏ん張ることもできず、弾け飛ぶ。木の上部へと激突し、地面へと落下した。
身体中が痛む。それでも、内臓も骨も無事で、致命傷を避けられたことは分かった。起き上がろうとするが、うまく力が入らない。
痛みで霞む視界の中で、再び九本の首を相手にすることになった村人たちが、魔物の牙や尾を受け、血を流し倒れていくのが見えた。
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