第9話 涙の響き

女の子は、本を眺めていた。


その手に血塗られた双刀ではなくて本があった事に、

ユメコはホッと胸を撫で下ろす。

良かった。本を嫌いになった訳ではなかったんだ……


しかし、どうもその本の様子がおかしかった。

ページの半分が、真っ白なのである。


その空白を埋めるかのようにして、

女の子はペンを走らせていった。

本を読むのはやめて、書く事にしたのだろうか……

その手つきは楽しそうにも、どこか寂しそうにも見えた。


どんな内容なのか気になって、ユメコは本へと意識を集中させる。

そこには日付の後に、綺麗な文字が連なっていた。

もしかしたらこれは、日記なのだろうか?


この国の文章は読めないものの、

簡単な言葉くらいならユメコでも拾えた。

私に本を読んでくれたツカサに感謝だ。


「私の、名前は……」


あぁ、やっと女の子の名前が分かる……


そう思った瞬間。

ユメコは意識を強く引っ張られるのを感じた。


世界が揺れる……


今日の目覚めは、どうしてこんなに荒く乱暴なのだろうか。


ユメコは続きを読む余裕もなく、

しぶしぶと現実世界へ戻っていった。







「おーい、朝だぞー! 起きなよユメちゃーん」


感覚がある。

ということは、生きて人売りから逃れられたのか…… 


まだボンヤリとする意識で生を確かめたのも束の間、

自分を目覚めさせた感覚の正体に、ユメコはイラっとした。


レイがユメコの頬を、繰り返しペチペチと叩いていたのである。

これが女の子を起こす態度か。


「ちょっと! もう少しまともな起こし方はないの?!」


「あ、起きた。

 いつまで経っても起きないからさ。死んじゃったかと思って」


「生きてるに決まってるでしょ!

 脈くらい確かめてから殴りなさいよ!」


「私は止めたんだよ?

 疲れてるんだろうし、そんな起こし方は良くないってさ……」


聞いた事のない華やかな声がして、ユメコは慌ててレイの後ろに視線を向ける。

そこにはなんと、艶やかな黒いロングウェーブヘアを纏った美女がいた。


スリットが深い真紅のシースルーワンピを着ていて、

その合間から小麦色の健康的な肌が覗いでいる。

上からグレーのボレロジャケットを羽織っているが、

それでも隠す事ができない程に、胸が大きい……!!!


「な、なんで女の人がここに……?!」


異世界転移してからというものの、

自分以外の女性を見たことがなかったユメコは、

すっかり童貞メンタルになっていた。

こんな美女を目の当たりにすると、刺激が強くてドキドキしてしまう。


「私はリン。女性解放軍のリーダーをやってんだ。

 ここは私たちの基地だよ、安心して」


リンさんは大人びた釣り目を優しく下げて、握手を求めてくれた。

解放軍のリーダーというだけあって、気品と強さを感じる女性だ。

凛という響きが良く似合っている。


「もしかして、人売りのアジトを探していて私を見つけたんですか?」


「いや、違う違う。私達は、レイに呼ばれてあんたを助けにいったんだよ」


「え? レイが……?!」


驚いて本人に向かって振り向くと、

レイはバツが悪そうな顔をして目線を逸らした。


そもそも私を売り飛ばそうとしていたのはレイだというのに、

一体どういう風の吹き回しなのだろうか……


「私達も驚いたよ。

 解放軍から姿を消したレイが、

 突然戻ってきて女の子を助けて欲しいなんて言うからさ」


「えぇぇぇえ?!

 レイって解放軍のメンバーだったの?!?!」


「メンバーどころか、解放軍のリーダーだったんだよ。

 前の大規模な解放戦争では、一番に指揮を執ってくれてたんだ」


「信じられない……」


だってこの人、私を人買いに売ろうとしてたんだぞ?

そんな男が解放軍のリーダーだったなんて、信じられる訳がない。

どちらかと言えば、どう見ても悪役側だ。


「ずっと探してたのにさ、今まで何をしてたんだい?」


「僕だってずっと探してたんだよ。あの女の事をさ」


「あんた、まだルイのことを……」


「ルイ……??」


誰のことだろう。とても悲しそうに名前を呼ぶからだろうか。

ユメコには、ルイという響きが涙のように感じられた。


レイはその名前を聞くと、どこか遠くを見るような眼差しをする。

いったいその瞳には、何が映っているのだろうか?


覗き込もうとした瞬間、

レイの表情はいつもの様に閉ざされてしまった。


「そんな話、今はどうでもいいだろ。

 それよりも予言者に会いに行くのが先だ」


「予言者…… って、なんでレイがその気になってるの?!

 というか、なんで助けてくれたの??」


人の事を殺すだの売るだの言ってたのだから、

縄をどうにか出来たなら一人で逃げれば済む話だ。

それをわざわざ、疎遠だった解放軍の人たちに

助けを求めてまで救助するなんて……

絶対に何か裏があるに違いない。


「僕も予言者に用があるんだよ。

 予言者の住む谷には、真実を映す洞窟があるっていうからね」


「真実を映す洞窟……?」


「詳しくは行ってみないと分からないけど。

 もし、本当に真実が映るなら……

 あの女の手がかりが掴めるかもしれない」


レイの瞳は、出会った時の冷たい色に戻ってしまった。

別れ際に驚いていた時の方が、人間らしくて良かったのに……

この眼光は、やっぱり信用できない。


「それなら、場所は伝えてたんだし

 1人で行けば良かったんじゃないの?」


「予言者の谷は、

 能力がある人間じゃないと辿り着けないらしいからね。

 どうしてもユメちゃんが必要って訳さ」


「あぁ、そういうことか……」


やっぱり利用するつもりだったのか……

ユメコはうなだれながらも納得する。

まぁでも、あの状況から助かっただけで充分か。


「そういえば、オキタくんとフローラちゃんは……?」


「あぁ、あの2人なら僕たちが着いた途端に消えたよ。

 2人同時に出すだなんて、ユメちゃんの限界を超えてたんだろうね」


「表現っていうのは、精神力を極限まで振り絞るんだろ?

 何も学ばずに2人も出せるなんて、凄いよあんた」


「そっか。2人とも私が倒れた後も、守ってくれてたんだ……」


赤いオキタくんとフローラちゃん。

どう考えてもやばい組み合わせな気がする。

一体どんな会話をしていたんだろうか……


「あんたの回復も、予言者に看て貰った方が早まるだろう。

 身体が辛いだろうけど、早く向かった方がいいね」


「予言者の谷までは、ここから3日もかからないし大丈夫でしょ。

 さっさと支度してよ、ユメちゃん」


なんだ、この高圧的な態度は…… 

腹が立つ。やっぱり助けなければ良かったか。


でも助けなかったら私も助かってなかったしなぁ、

必要悪だよなぁ…… とブツクサ呟くユメコを尻目に、

リンさんとレイが部屋を出ていこうとする。


扉を閉める前、レイが少しだけユメコの方へと振り返った。


「ねぇ」


「ん?」


「あの時、なんで笑ったの」


「え……??」


「僕を助けて、振り返って笑っただろ」


「あぁ、あれね。レイが驚いた顔をしてるのが、可笑しかったから」


「……なにその理由。

 自分が死ぬかもって時に他人を助けて、呑気過ぎるだろ」


レイはとても不機嫌そうだ。本気で怒っているようにも見える。

助けてあげたんだし、ちょっと位からかったっていいじゃないか……


「もう二度と、あんな事しないで」


そう言って、レイは何かを振り切るような勢いで扉を閉めた。

その音は拒絶にも似ていて、ユメコは少し悲しくなる。


もうちょっと嬉しそうな顔とか、出来ないのかな……


ユメコはレイに文句を言いながらも、旅立つ準備を始めた。

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