第5話 最推し

女の子は笑顔で草原を走り回っていた。


朝、昼、晩、春、夏、秋、冬…… と、

まるでそこが世界の中心であるかの様に、

女の子が駆け抜けるだけで景色が生まれ変わっていく。


しばらくして女の子は、草原の中に一冊の本を見つけた。

そのページを開くと、女の子は夢中になって読み耽る。


そこから景色は変わらない。

変わるのではなく、ただただ増えていった……


一度読み終えると、

その草原の横には鋼の都市が出来た。


さらにもう一度、最初から。

読み終えた時には神殿がそびえたった。


何度も何度も、最初から……


そして、どんどん世界は増えていった。

女の子の笑顔は、とっくに消えてしまっている。


面白い本ではなかったのだろうか?

それとも、知りたくない事でも書かれていたのだろうか……

何も知らない方が、幸せなのかもしれない。


世界が広がれば広がるほど、

虚空が増えて女の子はひとりぼっちだ。


けれどそれは仕方ない、本は1人で読むものだから。


だけど……


彼は私に、読んで聴かせてくれたな。


最後にイジワルをしてしまった。

彼は大丈夫だろうか……


ユメコは女の子に後ろ髪を引かれつつも、

自分の世界を動かす為に帰っていった。









目を覚ますと、ユメコは手足を縛られていた。

辺りはまだ暗く、悪夢の様な夜は終わっていないらしい。

とりあえず目覚められただけ、御の字というところだろうか。


ここでもオートセーブをしておいて欲しいが、

人間にそんな機能はないし、出来ればリセットの方がありがたい。

これからどうなってしまうか、だいぶ雲行きが怪しいからだ。


「あぁ、目を覚ましたんだね」


目の前には、翠色のややウエーブがかった髪をした長髪の男が座っていた。

風のせいかと思っていたが、左眼が髪で隠れるのはデフォルトらしい。

その片割れはタレ目で甘い印象だが、

藍色の瞳が冷たく光っていて、優しそうには見えなかった。


ピッタリとした黒のハイネックと白いズボンに、

瞳と同じ色のロングガウンコートを羽織っている。

その上から、弓を扱う人間用らしいレザーアーマーを要所にだけ装備していた。


歳は20代半ばくらいに見えるが、とてもそんな雰囲気ではない。

眼力だけで人の印象というのは、こうも変わってしまうものだろうか……


「心配しなくていいよ。もう用は済んだから」


「よ、用って……?!」


慌てて自分の体を確認するが、特に服装が乱れた気配はない。

寝込みを襲われたりなどはしていなさそうだ。


「……まさか、そんな色気のない身体で襲われたと思った訳?

 こんなご時世だからって、そこまで飢えてないよ」


まるで残飯を見るかの様な目だ。


無事だったのは良かったが、めちゃくちゃ腹が立つ。

女性不足であろうはずの世界で、

何故こんな扱いを受けるのか……

ユメコは男を精一杯睨みつけた。


「まぁでも、そういうのが好きな輩もいるからね。

 明日にはそういう物好きな奴らに会えるんじゃないかな?」


「それってどういう……」


「売り飛ばすって意味」


ストレートだ。容赦がない……

でも本来ならば、こうなるのが常なんだろう。

最初に出会った相手がお人好しだっただけだ。


「そうだ、ツカサ……!!」


「それ、一緒にいた彼氏のこと?」


「彼氏じゃない!!!」


「そこは別にどっちでもいいよ。

 あの辺は女人狩りがうろついてたからね、

 今頃はその連中に捕まってるんじゃないかな」


「そんな……」


助けが来ない絶望と巻き込んでしまった罪悪感で、

胸が軋むのを感じる。

何も出来ない自分の不甲斐なさに、

ユメコは唇を噛み締めた。


「まぁ、他人よりも自分の身を案じた方がいいんじゃないかな。

 僕はお子様に興味ないから良いけど」


「なら、売る為に私をさらったの?!」


「うーん、ちょっと違うかな?

 殺す為だよ」


血の気が引くというのを、ユメコは初めて体感した。

殺意というのは、こんなにも冷たく身体中を駆け巡るものなのか……

ユメコは言葉を失い、何も言い返す事が出来なかった。

そんな様子をあざけるかの様に、男は嫌な笑みを浮かべる。


「脅かしちゃったね、ごめん。

 それは君が、僕の探してる女だったらの話。

 君から妙な揺らぎを感じたから、確かめる為にさらったんだよ」


「揺らぎ……??」


「僕の左眼は、ある女を探す為に魔物と契約していてね。

 その女しか見えない代わりに、その女だけは確実に見える。

 僕はその女の顔を知らないけど、見えればそれが標的って事さ。


 だから普段は何も映らないのに、君の影がチラついた気がしたんだよ。

 結局どんなに左眼を凝らしても君の事が見えなかったから、

 気のせいだろうけど」


「もしかして、私が異世界から来てる事と何か関係があるのかな……?」


「は? 異世界から来たって、何言ってんの。頭大丈夫?」


ですよね。普通はこういう反応ですよね。

ツカサがおかしかっただけなんだ、やっぱり……

ユメコはそんな場合じゃないのに、妙に納得してしまった。


「パニックで頭がおかしくなったかな?

 そんな事じゃ、明日から変態相手に精神が保たないと思うよ」


そうだ、今は異世界がどうという問題ではない……

ユメコは改めて自分の置かれている状況を思い出し、

男に非難の目を浴びせた。


「サイッテー! ろくでなし! 人でなし!」


「別になんと言ってくれても構わないけどね。

 そんなに色気がない言い方しか出来ないわけ? 

 取り入ろうとか考えないのかな、これだからお子さまは」


「そのお子さまを売ろうとしてるのはどこの誰よ?!」


「おっと、耳が痛いな。

 まぁ確かに、初めての相手が気色悪い人買いになるのは可哀想だけどね」


「は、はぢめて……?!」


何度でも言おう。ユメコは根暗なのである。

そういった方面の話は妄想の中だけであって、

実際に男の人から言われるべきものではないのだ。

こんな状況下でも赤面してしまう自分の反応が憎い。


「あ、やっぱり初めてなんだ。

 まぁどう見てもお子様だもんね。そっか、それなら……」


男はユメコに近づいてくると、その小さな顎に触れた。

射貫くような視線から、僅か10センチといったところだろうか。

まるでガラス玉のように空虚な瞳を思わず美しいと感じてしまい、

悔しいけれど鼓動が高鳴った……


ユメコが慌てて顔を背けようとしても、男の手はそれを許しはしない。

縛られていて、身じろぎすらままならなかった。


「最初の相手は、顔の良い男がいいだろう?

 せめてもの償いだ、優しくしてあげる」


なんて男だ。最低のくせに自意識は過剰だ……


顎に添えられた手に力が籠ったので、

キスをされるのかとユメコは身構える。


しかし、逆にグイっと顔を背けさせられた。

そして首筋へ向かって、乱暴に唇が落ちてくる。

キスなんてロマンチックな事はする気もないらしい。


助かったとは思うものの、

これのどこが優しいというのだろうか……


こんなにも冷たい男なのに

唇の感触には確かな温度があって、

その違和感にユメコは鳥肌が立った。


「ちょっと、やめて……!!」


「なに、初めての相手が僕じゃ不服?

 これでも顔は良い方だと思うけど、傷付くな。

 それとも、好きな男でもいた……?」


そう言われて、真っ先に思い浮かぶ顔がユメコにはあった。


ツカサ…… 


ではない。思い出すのは、現実世界の最推しの事。

近くの3次元より、遠くの2次元だ。

妄想こじらせ女子を舐めて貰っては困る。


それは、ユメコの初恋の相手だった。


「まぁ、目でも閉じてなよ。

 好きな男にされてると思えばいい」


いくら妄想癖があるとはいえ、それはなかなか難しい……


が、どうする事も出来ない以上、

ユメコは目を閉じて最推しの事を想った。

そういう変なところだけは神経が図太い。


身体に走る感覚から意識を背けるかの様に、

ユメコは彼の姿を強く願った。


まるで走馬灯のように、次から次へと彼の姿が浮かんでは消える。

いつだってユメコは、どんな彼の事も大好きだった。

どんなに辛い時でも、彼さえいれば平気だった。


たくさんの表情・たくさんの声・たくさんの言葉たち……


気持ちはとめどなく溢れ、唇から彼の名がこぼれ落ちる。


「沖田くん……!!!」


そう。ユメコの最推しは、新選組の沖田くんである。


小説、ゲーム、マンガ、映画などなど……

どんな姿でも、どんな性格でも、どんな声でも。


必ず沖田くんの名を冠する人物にすっ転ぶという業を、

ユメコは背負っていた。


それってつまり、運命の相手では……?!

と、ユメコは信じていたのだが。


まさかRPGみたいな異世界に飛ばされて、こんな事になろうとは。

幕末に飛ばされる主人公だって沢山いるというのに……

ユメコは己の不運を呪った。


「沖田くん、助けて!!!」


異世界で男に襲われて、

現実世界の存在しない推しに助けを求める……

状況としては無茶苦茶だ。


しかし、その無茶振りに応えるまさかの光が闇夜を照らした。


「え?! 何、これ……」


この光には見覚えがある。図書館の時と同じだ……

しかし今のユメコは、本なんて持っていない。

一体何が起きているのか……


その不思議な光はユメコのポケットから放たれていて、

ゆっくりと形を成して人影を生む。


浮世離れした蛍の様な灯火は徐々に霞がかって薄れゆき、

最後には現世の月光だけが、その人を照らしていた。


「……斬る」


ユメコの目の前に、再び背中が現れる。

今度はマントではない。


そこにたなびくのは、誠の一文字だった。

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