第23話 ホテル・ニューカリフォルニアにて
蚤ヶ島新政府に入庁したモグラのはったんは、取り敢えず枝子大統領の秘書見習いになった。大統領の秘書たちは枝子に着いていけないと次々に転職していたため、大統領秘書官が政府内でもっとも人手不足になっていたのだ。
「新政権になったのに国旗は以前と同じ蚤の三兄弟のままなのですね、閣下」
大統領は昼食のオムライスを食べる手を止めて、はったんに答えた。
「旗なんて何でもいいのよ。それに蚤ヶ島の国民は、ほとんどが蚤やダニでしょう。だからあの蚤の旗を変える分けにもいかないのよ」
二人は官邸の近くに建つビジネスホテル、「ニューカリフォルニア」のレストランのような食堂にいた。昼食の最中だった。課税なき福祉の大盤振る舞いで財政が逼迫しているため、いつもこの付近で一番安いホテル・ニューカリフォルニアの食堂で昼食を食べる。全品六百円である。料理については神田や浜松町に昼になると現われるランチ・カーの弁当を想像してもらえば分かると思う。ああいう感じだ。
実際、蚤ヶ島の財政は危機的状況だった。国民に対する課税・保険料の全額免除措置、教育費・医療費無料政策、食料と生活必需品の無償配布。それだけではない、財政困窮を打開するためのあひるランドへの侵攻と多摩の浦の対岸の村、つまり柿太郎たちの村への侵略で軍事費も増大している。そのため枝子大統領は現在、生活保護を申請中だという。
「いま大変なのよ、生活が。昨日の夕食もごはんに塩かけて食べたのよ」
「閣下はこの国のリーダーなのですから、お給料を上げてもらったらいいじゃないですか」
「無理よ、お金ないんだもの」
枝子は国財政のことを何も分かっていないようだった。リーダーとして持つべき知識も技術もない。では一体何故、この人はクーデターなどを起し、一国のリーダーになろうとしたのだろう。この国を自爆させるつもりだろうかとはったんは思った。それならば何もしなくても放っといたら勝手に自滅するはずだ。
しかしいま現在、あひるランドが攻められてえらいことになっている。それは事実だ。それを止めるためにモグラのはったんは極秘任務を任されている。放っておけば大丈夫という安易な考えは捨てなければいけない。この国の情報を出来うる限り集めなければならない。そのために交戦中の敵国中枢に命懸けで潜伏しているのだとはったんは自分に言い聞かせた。
「はったんは、屋内でもその丸いサングラスをしてるの?」
はったんの額を一筋の汗が流れる。
「はい。モグラなもので」
ちぐはぐな感はしたがそう答え、はったんはハンバーグを一切れ口に放り込み、急いで水を飲んで額の汗を拭った。枝子大統領は一瞬、探るような目つきをしたが、すぐに「あ、そうなの」と微笑んだ。
はったんは話題を変えた。
「どうしてクーデターが起こって、閣下が大統領になったのですか?」
食事をしながらうつむき加減で、他意のない様子をみせて尋ねるはったんの姿を枝子はチラッと見て答えた。
「もちろん、私たちが起したのよ。計画からほとんど私がやったわ」
下水で拾った古新聞の記事と同じことを言っている。特に新聞報道が正しいとも思っていないし、枝子が常に真実を話しているとも考えてはいないが、はったんは概ねそんなところだろうと納得し、また聞いた。
「なぜ、ですか?」
「子どもの頃にね、母からこの島の話しをよく聞いていてね、ひどいところだと思ったの。この島の蚤やダニたちの生活がね」
枝子は言葉を選びながら答えた。
「ひどいと言うと、例えばどんな?」
はったんは矢継ぎ早に問う。枝子は少し間をおいて、答えた。
「むかし蚤ヶ島では、沢山の貧しい蚤たちが虐げられ、奴隷のように暮らしていたというの。幼い子どもらが食べるものがなく死んでいったと。その一方でごく一部の権力者たちは不当に富を溜め込んで豪華な生活をしていた、そう母からよく聞かされてね」
「はい」とはったんは話しを促すように相槌あいづちを打つ。
「いつかなんとかしたいと思ってた。母にも大人になったら弱い者たちを助ける仕事をしろと言われたわ」
枝子はゆっくりと、しかし力をこめて続ける。
「私がここへ来た当時も実際、そうだったわ。バラック小屋がつらなり、町工場の社長は経営に行き詰まり首を吊る。それでも旧政府は何も手を打たずにいた。母の話しは本当だった。それで直ぐにでも、この国を変えようと思ったのよ」
「それで福祉に力を入れ、国内を安定させようとされたのですね」
はったんは枝子の言葉を真実だと感じ、それに自分が同意を示しかつ忠誠を表わすように言い、また探りを入れた。
「クーデターや新政府樹立の資金は、どうされたのですか?」
「最初は故郷で事業を始めた。主に伝書鳩を使ったデリバリーと通信の仕事ね。それが案外、上手くいって資金を貯めてこちらに来たの」
枝子はそう答えると、はったんの顔を正面からみて尋ねた。
「はったんは薬剤師だったと言っていたわね。どこで仕事をしていたの?」
「公務員宿舎の近くの小さな薬局です。自営でした」
枝子の予期せぬ質問にはったんはとっさに答えた。焦っていた。聞かれていない余白まで答えた。
「アンメルツ・ヨコヨコとか、精神安定剤とか、ガマの油なんかを扱っていました。しかし行き詰まりまして廃業したんです」
「あひるランドって知ってる?」
枝子が、はったんの焦りを見抜いたように間隙を突く。
「あひるランド、それなら、、それは、知りません」
はったんはまたコップの水を急いで口にし、取って返すように枝子に尋ねた。
「この国にはあまり資源がないとテレビなどでよく言っていますが、外交は今後、どうするつもりですか」
枝子は不意に食事の手を止め、ゆっくりと答えた。
「それはまた後で考えるわ。新政権は始まったばかりだしね。隣国とも仲良くしないといけない。『みんなと仲良くしろ』ってよく母に言われたわ。今はとにかく国民の生活を安定させることが最優先よ。まだまだ福祉が足りないわ」
枝子は殊更、笑顔を作ってそう答えた。
はったんは、枝子の国民に対する情熱は十分に理解した。しかしはったんにとってそれはさほど重要ではないはずだ。枝子があひるランドに攻め込んでいる理由、そしてその具体的な作戦情報を掴まなければあひるランドは守れないのだ。
(つづく)
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