第3話 ドバトのサマンサ

 だんだんと八幡様のお祭りが近づいていた。もちろんこれは八幡様と井の頭池の弁天様の喧嘩に過ぎない分けで、結果的に両者の協働により行なわれるものであり、本来なら「八幡様と弁天様のお祭り」となるところを、今回は弁天様が頑なに拒否をする作戦に出ていたこともあって、八幡様がカチコミを懸けざるを得ない。当然この弁天様の態度は八幡様の怒りを倍増させていた。


 おばあさんがお祭りの第二回目の会合から帰って来て、少しゆっくりしようとしたとたん、電話が急かすように鳴り響いた。

「トゥルルル、トゥルルル、ル!」

「母さん、わたし、わたしよ!大変なの。仕事で失敗して、お金がすぐに、すぐに必要なの!すぐになの!」

「えだこ、枝子かい!どうしたんだ」

「そう、枝子よ。仕事で下手踏んで、どうしてもお金がすぐに必要なの!すぐになの!」

 娘の枝子、つまりは柿太郎の母からの電話だった。すぐに五十万円が必要だと言う。もし用意出来なければ取引先のおじさんにしばかれ、そのうえ高速のみならず一般道を車で走っても2回に1回は煽られる恐れが発生するという。その瀬戸際だと、枝子の声は震えていたのだ。

 おばあさんも最近、頻発する煽り運転に関するニュースを観ていたので、震え上がってしまった。

 すぐに代理人がここへ取りに来ると枝子は告げた。


「ピンポーン、コン、コン。バサバサ」

 インターホーンが張りつめた空気を引き裂くように鳴った。おばあさんはドアを開けた。

「こんにちは。お世話になります。受け子のサマンサです」

 ドバトである。ドバトが玄関でかしこまっている。

 何れにせよおばあさんはお金をわたし、ひとときの安心は得た。


 その日の夕食は漬け物だったが、みなが一晩漬け込まれたキュウリのようにしなびていた。色々とこの出来事の真偽について、あるいは枝子の安否についてボソボソと話しあった。


 翌日、いつものように柿太郎が夏の宿題である『下連雀離婚式の淫らな夜』の音読をしていると、開けた窓辺に突然、見たことのないドバトがすっと飛んできた。

「太郎さんですか?サマンサです。ボス、いやお母様からの伝言です。お読み下さい」

 柿太郎は適当に折り畳まれた伝言を受け取り、開いた。


「太郎へ。

 お母さんは、一生懸命お仕事をして、お給料を五十万円貰いました。あなたにも好きなものを買ってあげます。何でも良いから欲しいものをサマンサに伝えてね。母より。敬具」


 薄々分ってはいたが、こんなに安易で幼稚な展開でことが明らかになると、やはり言いしれぬ寂しさを感じる。

「何か欲しいものを紙にお書き下さい。わたしが確実に届けます。正直、誠実だけが取り柄です。鳥なだけに」

 サマンサは柿太郎の目をじっと見つめて告げた。

 柿太郎は便箋を一枚破き、「お母さんと正直な心」と書き、サマンサに渡した。

 サマンサは一瞥しゆっくりと顔を上げ柿太郎に言った。

「「お母さん」の部分は上出来です。しかし「正直な心」を「お母さん」に続けて書いてしまうと、ボスはあらぬ事を詮索するでしょう。そしたら先ずですね、私が絞められ、鍋物の具になってしまいます。書き直しては頂けませんか」

 ドバトのサマンサは、右の翼の下からおもむろに五百円硬貨を出し、柿太郎が書き記した伝言の紙にクシャクシャと包み、差し出した。

「いやだ!書き換えない」

 柿太郎は言った。

「ではお坊ちゃま、あなた様がこちらの意向を汲んで頂けるまで、私は帰りません。ドバトといえど私にも伝書鳩、受け子としての矜恃がありますので」

 サマンサは覚悟を決めたように力強くはっきりと言った。

 小汚い雑種のタローちゃんが口を挟んだ。

「いいんじゃないの、しばらくここにいれば」


 おばあさんから金を騙し取った犯人は枝子である。つまり加害者は被害者の実の娘である。遊ぶ金欲しさの犯行であったのだろうか。

 いずれにせよ柿太郎は犯人の息子として、そして被害者の孫として生きてゆく宿命を背負った。



(続く)


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