第10話 異変

 根地の森を抜けた俺達は、湿地帯でアリゲートことワニの襲撃を受けていた。

 

 正面のワニが伸び上がって噛み付いてきた。予想通りの動きだ。

 俺は落ち着いて左腕を出し、右手に持つ鱗の剣を突く構えに引く。


 その時異変が起きた。


 メキメキッ


 俺の左腕、肘から先を赤黒い鱗が覆い、膨張しながら形を変える。


 『うお!いっ痛えっ!』


 電気を通したかの様な痛みが左腕を走る。


 ゴスッ


 ワニの鼻っ面がソレにぶち当たる。血糊を引いて折れ飛ぶ数本の牙。

 ほんの一瞬の出来事。


 左腕のソレは、肘から指先までを直径とした円形の盾から、手の平を刃にして伸ばした様な六十センチ程の両刃の直剣が生えた形状をしていた。


 俺はコレに似た武器を知っている「パタ」と呼ばれる剣だ。

 前腕の延長が剣で、突きに非常に優れた能力を発揮する。

 そのパタの籠手に円盤型の盾が一体化している。手首や指の感覚はまるで無い。


 前歯を折られたワニが、怒りに任せて再度大口を開けて迫る。

 敢えて一歩踏み込んだ俺は、大きく開いた口の左下方から、脳目掛けて盾剣を突き出す。


 スカーン


 そんな乾いた音を立てて、頭から突き出る剣先。

 隣から音を立てて振り出されるワニの尻尾を、素早く引き抜いた盾剣の盾の部分でガートする。


 『い、痛くない……だと』


 理解は出来ないが、把握は出来た。俺の左腕であるにも関わらず、盾剣は物質が如く感覚を持たない。割れたり折れたりすればどうかは判らないが、ワニ相手で強度不足は無さそうだ。


 尻尾攻撃を弾かれたワニは、更に力を込めて尻尾を振って来た。

 盾剣の先を地面に当てて姿勢を低くし、浅い角度で盾の表面を擦る様に尻尾を斜め上に受け流す。


 『戦いやすい!!』


 痛みが無いだけで、選択肢が格段に増える。いくら俺の肌が攻撃を通さないとは言え、進んで痛い思いはしたくない。目覚めちゃったら困りますけど。

 勢い余ったワニは、ひっくり返って腹を晒す。

 白い腹に左右の連刺で一気にダメージを与えようとして……左しか刺さっていない。


 『戦いにくい!!』


 左右で正拳を突き出せば、左は刺突だが右は剣を握ってのパンチ。

 意識と剣先の方向が違うのだ。


 左右から襲いかかる触手の鞭を同時に左右の剣を立てて防ぐ……が。


 バチィィイン


 左側の鞭を喰らい、俺は大きくヨロめいた。

 左側の剣が立っていなかったのだ。右手の武器は「いいね」した親指方向が剣先。左の武器は真っ直ぐ伸ばした中指方向が剣先。感覚がずれている。


 『お兄ちゃん!』

 『リンクス来るな!お前を傷つけてしまう』


 援護に駆け寄ろうとするリンクスを制止する。

 今のズレた感覚で近くで戦われたら、誤ってリンクスに怪我をさせてしまうかも知れない。


 『大丈夫だ俺はタフい!』


 『お兄ちゃんをぶったソイツは許さないの』


 俺に鞭を喰らわせたワニに一瞬で間合いを詰めると、尻尾で顎を跳ね上げる。

 ワニが地面に落下する直前、しゃがみ込んでからのアッパーで再び突き上げる。落ちてきたワニに再度アッパー。

 地面への落下を許さないアッパー地獄は、ワニの内蔵を破り、骨を砕き、臓物を吐き出しながら空中でバウンドする革袋と化したワニを、執拗に突き上げ続けた。


 リンクス。その技はパチもんのバグだ。


 俺は感覚のズレに四苦八苦しながら、致命打を受けないワニ相手にコツを掴むまで相手をしてもらおうと考えていた。



 『エイド○アーーン』


 俺は左右の剣を高々と掲げる。勝った!あれから俺は、敢えて一匹のワニも殺すこと無く延々戦い続け、そして遂にワニが根負けして引き上げていったのだ。

 日が沈み、月が水辺を照らし、朝日が闇を追い払った頃。

 最後まで挑み続けたワニが後ずさり、水の中に姿を消した。


 やったぞ!遂に俺はこの美しい水辺を手に入れた!俺様のナワバリだ……ってそうじゃない。

 俺はどうにか左右の方向が違う武器を、使いこなせる様になった。

 右八、左二の意識配分だ。


 『はらぺこなのー』


 リンクスは倒したワニを一箇所に集めて、血抜きをし、俺のトレーニングが終わるまでお腹を空かせて待っていたのだ。いい子だな。

 

 ワニの味は、まんま鶏肉だった。鳥類と爬虫類が同じ味って不思議。


 『あれ?』


 倒したワニ全てを美味しく頂いて、解体作業に入った俺は、首を傾げた。

 武器に使える尻尾の鱗を、盾剣を上手く使って剥がしていたのだが、剥がした鱗に「握る柄」と言うか芯が無い。試しに全部剥がしたが、やはり無い。


 もしやアレか?生きてる内に剥がさないと残らないとか?

 そう考えると、武器として優秀であろう鱗の剣を、ラティーの村でも見たこと無かったのも納得できる。


 芯の無い鱗剣は、普通の人ならば使えない。尖すぎて厚い革を巻いてもすぐ切れてしまう。

 俺なら持てなくも無いが、痛くて強く握るのは躊躇われる。

 まあ、鱗同士を擦り合わせれば、砥石の代わりにはなるだろう。

 ワニ革に包んで持てるだけ持ってく事にした。


 あと、ワニ革でマントも作った。作ったと言っても裁縫したのでは無く、裁断しただけだが。

 左腕が盾剣になってしまったので、隠す必要があったからだ。

 にしても、左腕がエライ事になった。


 『あいるびーばっくなの』


 うん。液体金属の新型はそんな事も出来たね。

 戻せませんけど。


 『究極の生命体……タイ○ントなの』


 あんな色白じゃねえし、心臓むき出しじゃ有りませんけど。

 どっちにしろ、化け物枠に入っちゃった?

 なんでコイツはこんなに楽しそうなんだ。


 今日のファッションチェックは、密林で見つけたこの人。

 本ワニ革のコートと、お揃いの素材で出来たバッグがお洒落な、おじさんです。

 長めのコートをちょっとずらして、左半身を隠して居る所がポイントですね。

 

 等とどうでも良い事を考えて居てのだが、このコート、意外な効果があった。

 大犬とはちょっと違う小型犬魔獣の群れと遭遇したのだが、散々吠えた挙句、文字通り尻尾を巻いて逃げたのだ。ワニより弱い魔物とのエンカウントが劇的に減った。


 ザコとの戦いが減って楽になっただけではない。ワニマントを着ていても攻撃してくる魔物は、より格上って事だ。ナイス物差し。これでサイズに惑わさて油断する事も減るだろう。


 角兎の時は油断して、二人共ひどい目に会った。

 とにかく素早かった。一つ目・赤・角・キック……完璧だった。

 戦ってる最中にリンクスが「大佐……」って呟いた程だ。


 密林に入って三日、ようやく集落を見つけた。

 リンクスも喋れるし、ラティーのたおんたおんもグッと近づいたな。


 「ソコの奴!伏せろ!」


 突然の声に伏せる俺の頭上を、音を立てて槍が飛び、隣の木に深々と突き刺さった。

 穂先が幹の反対側から突き出している。凄まじい腕力だ。


 『お兄ちゃん』


 リンクスが駆け寄って来る。


 「逃げろ!」


 槍を投擲したであろう人物が、リンクスよりも早く俺に駆け寄り、突き飛ばした。


 『うそおおぉぉん!』

 『お兄ちゃーーん!!』


 大柄な男だった。物凄い力でふっ飛ばされた俺は、五メートル程の空中散歩の後、沢へと転がり落ちていった。


 いっ痛え……どの位、転がり落ちただろうか。

 エッチラヤッコラ何とか転がり落ちた沢を這い上がった俺の視界に飛び込んできたのは。

 胸熱な場面だった。


 鬼神 VS ドラゴン


 「ふううぅん!」


 幅二十センチ長さ百五十センチはあろうかと言う板の様な直刀。三十センチ程の長い柄。そんな大剣を、時には片手で時には両手で軽々と振り回す大柄なソイツは、全身を覆う銀色の鎧で身を包んでいた。

 目と口の部分に細い穴があるだけの、フルフェイス兜から漏れる太い声は、男の様だ。


 かつてラティーの村に、イワンと名乗る鬼神の男が訪れた時、村ババ共から聞いた「鬼神」の出で立ちそのものだ。

 ワニすら一刀両断してしまそうな斬撃を、休むこと無く繰り出している。


 『だいじょぶ?お兄ちゃん』


 一方リンクスは、沢に落ちた俺を追おうとして、鬼神に行く手を阻まれ、俺を気にしながら回避に専念していた様だ。まだ一撃も受けても放っても居ない。


 『よくもお兄ちゃんをー』


 俺の姿を視界に収めて安心したリンクスは、反撃に転じた。

 風車の如く次々に襲い来る板剣を、紙一重で避けつつ板剣のリーチを削ってゆく。


 あれだけの長さだ。懐にさえ入ってしまえば対処出来まい。

 リンクスの流麗な回避は、踊るように流れるように時にはフェイントすら織り交ぜながら、鬼神から間合いと優位を奪ってゆく。

 俺はリンクスに余裕があるのを見定めると、いつでも加勢出来るように準備だけはしながら、見物することにした。


 鬼神の板剣は衰えを見せず、必殺の連撃を繰り出している。

 大上段からの一撃はリンクスに躱されると地面に一メートルのクレーターを作り、左から右に横薙ぎに払われた剣先は、触れる木々をなぎ倒した。


 全身を覆うフルプレートは本来、馬に乗って戦う前提の筈だ。アレほどの重りを身に纏って、あの早さで動けるのだから鬼神とは恐ろしい力だ。


 「こんな動きをするドラゴンは……」


 フルフェイスの隙間から漏れてくる声は、狼狽だ。

 今まで幾多の敵を、一撃の元に伏してきたであろう板剣が、ひたすら空を斬る。


 人差し指を立てて、メトロノームの様に「チッチッチ」ってしてやりたい。

 鬼神のあんちゃん、その動きじゃあアノ「角兎」は捉えられないゼ。


 突きを、体の捻りだけで躱したリンクスは、板剣が引かれるよりも早く、剣の腹を叩いた。

 大きく右に泳ぐ板剣。退がる鬼神の倍の距離を詰めるリンクス。

 リンクスの放つ左回し蹴りは、しかし柄を立てる事によって防がれた……が。


 ドサリ


 その場に崩れ落ちる鬼神。


 蹴りを防いだ反対側の頬から血が流れている。

 俺は見ていた。リンクスの左回し蹴りは、腰が回転していなかった事を。

 左側からの蹴りと同時に、右側から尻尾が打ち付けられていた。挟むように。


 板剣の柄で蹴りを防がなければ、左右から同時に衝撃を受けて首が折れていたかも知れない。

 

 『オイタが過ぎてよ、オシ○がとれてからいらっしゃい、なの』


 あ~ソレ何だっけ~思い出せん!


 『サキュバスハンターなの』


 ちょっと違う気がする。


 『食べていい?』

 『ダメ』


 風が吹いて、鬼神を見下ろす俺のマントを揺らした。



 ぱちくり


 顎鬚を生やした赤毛の男は、目を覚ました。瞳は赤い茶色。


 「ッツ!」


 その視線に俺を見つけて何かを言おうとし、頬の痛みに顔をしかめる。

 思い出したかの様に自分の体を触り、頬以外に怪我が無いことを確かめると再び俺を見て。


 「無事だったか!ドラゴンが居たんだぞ!お前がここに運んでくれたのか?俺様は何故無事なんだ?あんな動きをするドラゴンは初めて……そうだ!村人を避難させねえと!ドラゴンが!」


 オチチュケ


 この髭面が鬼神の男だ。百八十センチを超える大男、二十代前半位か?髭はアレだな大人に見られたいって背伸びだな。ここは集落の中の薬師の家。

 あの胸熱な戦いの後、リンクスを少女に変身させ、鬼神の男を集落に運び込んだ。


 「倒れていたあなたを、ここまで運んでくれたのは彼らよ」


 水の入った桶を抱えて現れたのが、この集落の薬師「イーテア」さん。

 細身の知的美人さんで、白衣にメガネなら満点を叩きだしそうな雰囲気を持つ女性だ。歳は二十代中頃だろうか。


 「フェルサまず落ち着いて」


 ドラゴンを見なかったとか、その少女は何処から来たかとか、村人の避難はどうなっているかとか、慌てたままで矢継ぎ早に質問する鬼神の髭面「フェルサ」。


 「リンクスなの、お兄ちゃんなの」


 「あ?ああ、お嬢ちゃんはリンクスって言うのか。お嬢ちゃんはドラゴン見なかったか?」


 「見てないなの」


 嘘は言っていない。自分のことを「見た」とは言わない。

 俺は肩をすくめてヤレヤレのポーズを取る。


 「幻でも見たんじゃないの?フェルサの鎧回収しに私も行ったけど、あなたの暴れた後しか無かったわよ」


 「え?いや、んな筈は……」


 顎鬚に手をやって考えこむ鬼神フェルサ。

 幻なのは間違いないですけど。「まぼろしなう」ですけど。


 「大体ドラゴンに襲われて、生きてる訳無いじゃないの。アイツら取り敢えず喰うわよ」


 「確かにそうなんだが……」


 わはははははは。聞いたかリンクス!お前の食いしん坊伝説!

 リンクスが口を尖らせてコッチを見ている。


 「食べていい?」


 ちょっおまっ!思考と発声が逆になってるぞ!

 俺ももし喋れたら、ああなる可能性があるのか。気を付けよう。


 薬師のイーテアは勘違いしてくれたらしく、食事を用意してくれた。

 俺はマントで左腕を隠しながら、右手だけでご馳走になる。大変お行儀悪い。

 何だソレって言われた時、どうするか結局考えつかなかった。

 なるようにしかならん。イザとなったら食い逃げだ。

 あ、塩貰って行きたいかも。


 「しかしそっちん小男は無口だな。イーテア、無口と言えば……」


 一緒に食事を摂りながら、イーテアに向き直るフェルサ。


 「サイレント・シールドって男ん話を覚えてるか?」


 「イワンが言っていた鉄壁の大男のことかしら?」


 しかしリンクスの変身って凄いな。鼻より先に口先があるはずなのに、普通に少女が食事してる様にしか見えん。


 フェルサはまだ血の滲む左の頬を擦りながら……。


 「ドラゴンが幻じゃ無かった場合、俺様とイワンじゃ無理だと思う。それほどアノ個体は異常だった。イニドリスん村に使いを出して、サイレント・シールドに助力を乞うんが、上策だと思う」


 サイレント・シールドとは俺の事だ……懐かしい名前が出てきたな。たかだか数週間前なのに数年前の事に思われる。村の名前も遂に分かった「イニドリス村」。イワンは元気だったのか。しかし、俺は確かに無口だが、大男では決して無い。嘘イワンといて。


 「お兄ちゃんなの」


 リンクスはサイレント・シールドが俺だと言いたかった様だが、鬼神フェルサは「小男」呼ばわりしたことを謝罪した。


 「名前は……教えちゃくれないんだな。訳ありなら仕方ない。年下に使うんも何だが、あんちゃんって呼んじゃうか」


 大丈夫だ。問題ない。

 俺は四十才のおっちゃんだ。そう言えば誰もリンクスのお兄ちゃん発言に疑問を持たないが、俺ってそんなに若く見えるのか?


 玄関の戸が荒々しく開いて、懐かしい声と共に、姿勢の悪い大男が入って来た。


 「フェルサ!怪我したって?村長の所に行ったらコッチだって……」


 「……」


 「サイレント・シールドじゃないか!」

 「「なんだってーーーー!」」


 「お兄ちゃんなの」


 再会を喜ぶ鬼神イワン、驚愕の表情が張り付いたままの鬼神フェルサと薬師イーテア、何故か偉そうに胸を反らす少女姿のリンクス。そして俺は……。


 恐らくその時の表情は「哀れみ」だったのでは無いかと思う。


 姿勢の悪い、怪力男イワン。

 俺を盾扱いしてワニと共に戦ったイワン。

 寂しそうな笑顔を見せるイワン。


 そのイワンは……目の前に居るイワンは、八十才を超えた老人の様だった。

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